凄惨な虐待、最後は服ぬぐ力もなく…心愛さん「毎日が地獄だった」…千葉小4虐待死 母親初公判 2019/5/16

2019-05-17 | 身体・生命犯 社会

凄惨な虐待、最後は服ぬぐ力もなく…千葉小4虐待死母親初公判

2019/5/16(木) 17:55配信  産経新聞 

  千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が自宅浴室で死亡した虐待事件をめぐり傷害幇助(ほうじょ)罪に問われた母のなぎさ被告(32)の16日の初公判で、検察側は、なぎさ被告の供述調書から死亡する直前の様子を明らかにした。

 《父親の勇一郎被告(41)=傷害致死罪などで起訴=は、冬休み明けの今年1月7日から心愛さんを登校させず、虐待を加えていた。なぎさ被告は同月22日から死亡する24日までの詳しい状況を供述していた》

  勇一郎被告は、十分な睡眠や食事を取らせず、風呂場で足踏みさせたり、関節技をかけたりしていたという。「旦那の虐待に協力したことに間違いない。誰が見ても許されない虐待だった。虐待に慣れてしまっていた」などとする。

  なぎさ被告が何を言っても行為を認めず、なぎさ被告自身も数回だが暴力を受けていたという。

  勇一郎被告はインフルエンザに罹患(りかん)。ずっと自宅にいる状態が続いた。「心愛の存在自体が嫌だ」とし寝室に閉じ込めトイレにも行かせなかった。心愛さんは、おもらしをしてしまう状態だったという。食事は寝室に運んで食べさせていた。

  勇一郎被告は「壁を向いて立っていろ」とし、心愛さんはリビングの端にずっと立たされていた。なぎさ被告は午後10時ごろまで立たされているのを確認していたという。

  翌23日の明け方、なぎさ被告がトイレに立つと、勇一郎被告は、まだ、心愛さんが立っているのを確認していたという。その後、勇一郎被告が寝入った隙に、心愛さんは、なぎさ被告の寝室に入ってきた。「ずっと立たされていた」。そう話したという。

  午前9時、なぎさ被告が寝室から出て食事を作り始めたとき、ソファで横になっていた勇一郎被告が起き上がり、心愛さんが立っていないことに気がついた。心愛さんを寝室から連れ戻し、その場で立たせて朝食も食べさせなかった。

  その後、勇一郎被告は病院へ。その際も「風呂場で駆け足してろ」と心愛さんに指示していた。帰ってくると、勇一郎被告は「やっていなかっただろう。換気口から音がしなかった」といい、足踏みの続きをさせた。

  夕食後、心愛さんはおもらしをした。「どうするんだ」。そうすごむ勇一郎被告に、心愛さんは「そこで立っています」と話していたという。

  24日午前1~2時ごろには、立たされていた心愛さんがまたおもらしをしてしまった。勇一郎被告は「もう着替えがないぞ。いつまで立っているんだ」と詰問し、心愛さんは「午前10時まで立っている」と言わされていたという。

  心愛さんは、結局、24日朝まで風呂場に立たされていた。風呂場や廊下が寒いことは分かっていたが、なぎさ被告は「布団をあげなかった」。

  24日午前、心愛さんは風呂場で髪と肌着1枚でぬれて、肌着から肌が透けている状態で体育座りのような格好をしていた。勇一郎被告は「見ていないとすぐさぼろうとする。嘘をつく」といい、風呂の洗い場で立たせた。

  午後3時ごろ、勇一郎被告が「今から5秒以内に服を脱げ。5、4、3、2、1」と数え始めたが、心愛さんは脱ぐ力もなかった。勇一郎被告はボウルいっぱいに冷水をため、心愛さんの頭にかけることを3回くらい繰り返した。

  そのあと、「シャワーでながせよ」といい、心愛さんはお湯を出そうとしたが冷水に変えさせ、「かせ」とシャワーをひったくると、背中や頭に躊躇(ちゅうちょ)なくかけた。心愛さんは背中を丸めて震えていたという。

  午後4時、勇一郎被告は心愛さんをリビングに連れてきてうつぶせにしてプロレス技をかけた。午後5時前後にまたおもらししてしまった心愛さんに「いい加減にしろ。俺は片付けないからな」といって、家族は夕食を食べたが心愛さんには与えなかった。

  午後9時、リビングに入って心愛さんがなぎさ被告に「トイレに行きたい」と言ったので、なぎさ被告は「いいよ」と応えた。心愛さんは「寒い、寒い」と言いながらリビングのストーブの前で手を伸ばして当たっていた。お風呂に入った方がいいと言って、なぎさ被告は「服は軽く水洗いして浴槽に掛けておいて」と頼んだ。

  午後9時50分、「もう寝ようか」と寝室に入ろうとした。これが心愛さんとの最後の会話だった。心愛さんを寝室に入れようとしていることに気付いた勇一郎被告は「掃除をさせるから」と心愛さんを連れ出した。しばらくすると、壁をたたくようなドンという音が2回したが、悲鳴や叫び声などはしなかった。すると勇一郎被告が「ちょっときて。心愛が動かない」と比較的冷静な様子で言ってきたので「え、なんで」と応えて浴室へ行くと、心愛さんはあおむけで青ざめた状態で倒れていた。

  お湯を掛けたが全く反応がなく、その場で立っていると、「自分で電話する」と勇一郎被告は言ったという。心愛さんの脈は確認できず、心臓マッサージで胸を5~6回押すと、まもなく救急隊員が到着した。

 最終更新:5/17(金) 8:41 産経新聞

   ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です

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「毎日が地獄」訴える娘…母親の供述調書 虐待の経緯明らかに

NHK NEWS WEB 2019年5月16日 20時40分 児童虐待

 千葉県野田市で小学4年生の女の子が虐待を受けた末に死亡し、両親が起訴された事件で、このうち虐待を止めなかったなどとして傷害ほう助の罪に問われている母親の栗原なぎさ被告の初公判が千葉地方裁判所で開かれ、検察官がなぎさ被告の供述調書を読み上げました。この中で、次女の出産後、沖縄で暮らしていたなぎさ被告がおととし9月、勇一郎被告と心愛さんらが暮らす千葉県野田市に引っ越し、心愛さんが虐待を受けて亡くなるまでの経緯などが明らかになりました。

 おととしの9月23日、なぎさ被告は、先に野田市に転居していた心愛さんと再会しました。このとき心愛さんはどこか元気がない様子で、なぎさ被告が「元気?」と尋ねると「うん」とうなずくだけだったということです。

 検察によりますと、遅くともこの2か月前のおととし7月には、勇一郎被告による心愛さんへの虐待が始まっていたということです。

 勇一郎被告が自宅のアパートにいないときに、なぎさ被告が尋ねると、心愛さんは「毎日が地獄だった」「夜中にずっと立たされたり、夜中に起こされたり、次女の世話をさせられたりした」などと打ち明けたということです。

 それでも、なぎさ被告は、勇一郎被告に虐待があったかどうか確認しなかったということです。

 おととし11月、心愛さんが小学校のアンケートで勇一郎被告から暴力を受けていることを訴えたことで児童相談所に一時保護されましたが、心愛さんはその直前に勇一郎被告からの暴力やそれをアンケートで訴えたことについて、なぎさ被告に打ち明けたということです。

しかし、その後、勇一郎被告となぎさ被告は、心愛さんの同意を取ったとする書類を示して、野田市の教育委員会からアンケートのコピーを受け取ったり、「お父さんにたたかれたのはうそです」などという内容の文書を心愛さんに書かせたりして、児童相談所に示していました。

 これについて、なぎさ被告は「娘の気持ちを確認しないままだった。申し訳なく、娘の気持ちを踏みにじるものだった。アンケートは夫が見るべきではなかった」などと供述していたということです。

 そして、去年の年末からことしの年始にかけての勇一郎被告の虐待について、なぎさ被告は「去年の年末の夜、リビングにいたところ、風呂場で『ドン』という音がして見に行ってみたら、これまででいちばんひどいあざができていた。まぶたがはれたり、頬が切れていたりしていた。大みそかに年越しそばを食べていたところ『もっとおいしそうに食えないのか』と夫が言って、娘がはしを止めてしまった。それがきっかけで罰で風呂場に立たされるようになった」と供述していたということです。

 そして、「1月1日にスクワットをさせて娘が倒れ込んだ。そのとき死んじゃうんじゃないかと思い『虐待だよ』と夫に言ったら、逆ギレされてDVを受けた」と供述していたということです。

 また、心愛さんが亡くなる直前の暴行については「その事実を知りながら、止めたり警察に通報せず夫に協力したことに間違いはない。しつけの度を超えた許されない虐待だとは思っていたが、娘へのたび重なる暴力で私の中でも慣れてしまうところがあり、また、夫は虐待だと認めないし、やめないと思った。好きだという気持ちもあったことから暴力を容認してしまい、結果、娘が亡くなってしまった」などと供述していたということです。

    ◎上記事は[NHK NEWS WEB]からの転載・引用です

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栗原心愛さん 千葉 小4女児虐待死事件  母親〈傷害幇助〉の初公判・結審 2019/5/16 千葉地裁

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