裁判員と評議の秘密

2009-09-24 | 裁判員裁判/被害者参加/強制起訴
中日新聞【社説】裁判員と評議の秘密 週のはじめに考える
2009年9月20日
 裁判員裁判が各地で始まり、市民裁判員の熱意が伝わってきます。その分、課題も浮かんできました。裁判員の知恵をどう共有するかもその一つです。
 全国三件目となった青森地裁の裁判員裁判の判決要旨を読んでいて、少し変わってきたぞ、と思わせる個所がありました。
 連続強姦(ごうかん)を含む事件に有罪を言い渡した判決は、卑劣、身勝手というこれまでの言い回しとともに「女性の人格を無視した」と述べていました。検察の冒頭陳述にもあった言葉ですが、市民裁判員のまず言いたかったことではないでしょうか。
 読み取れる市民感覚
 さらに「被害者が被告に『できれば一生刑務所に入ってほしい』『だめならできるだけ長く…』などと厳しい処罰を望むのも当然であり、重く受け止めなければならない」と述べていました。
 同情型の厳罰というのでなく、被害女性の声を聞き、心の傷が肉体の傷よりも深く、癒やしがたいという市民感覚の判断と読み取れました。犯行の悪質さや危険性の指摘はそのあとです。
 それらの結果として求刑通りの懲役十五年という重い刑が言い渡されたのですが、量刑は重い意見の順に票を足していき、過半数となったところで決まります。ただし裁判官一人以上を含まねばならないので、裁判官の中にも求刑通りの意見があったわけです。素人だから厳罰化傾向というわけでもないようです。
 こうやって見てくると、密室で行われた評議が、どの辺りに重点を置いていたか見当の付く気もします。最初の裁判員裁判の東京地裁、二件目のさいたま地裁の判決では読み取れなかったことです。
 外国のケースを紹介します。まず陪審制のお手本の米国。
 評議内容共有の考え
 陪審員は評決を出すまでは守秘義務がありますが、そのあとは自由に話せます。大きな事件では陪審員にマスコミのマイクが向けられます。市民の代表として裁いたのだから、評議内容は市民で共有すべきだという考え方です。
 有名でない事件でも検察官や弁護士は話してくれる陪審員には個別に聞きに行くのだそうです。そうやって陪審員たちの考え方、社会常識が検察や弁護士に伝わると考えることもできます。
 ヨーロッパでは、ドイツやフランスなど任期制の市民参審員が裁判官とともに裁く参審制が主流です。参審員には守秘義務が課せられます。北欧のスウェーデンは陪審、参審併用で、陪審は出版や表現の自由に関する時に用いられます。時代認識や社会的バランスを必要とするからでしょう。
 さて、日本の裁判員制度は、裁判ごとに裁判員を選ぶ陪審制と、裁判官とともに裁く参審制の中間といわれますが、実態は参審制でしょう。裁判員には裁判官同様の守秘義務が課せられ、裁判員には刑罰も伴います。
 守秘義務の対象は二つです。一つはプライバシーや個人情報で、むろん守られるべきでしょう。
 もう一つは評議の秘密です。裁判員法には「評議の経過、それぞれの裁判官及び裁判員の意見とその多少の数」と書いてあります。多少の数とは評決の票数。秘密にするのは、裁判員や裁判官の自由な意見を萎縮(いしゅく)させないためなどと説明されます。
 それに対し、裁判員はほかの裁判員に迷惑のかからない範囲で自分の意見を公表すべきだという考えもあります。裁判を検証し、経験を後の裁判に生かすためです。
 どちらも理由はありますが、必要なのは、市民の常識を司法に反映させる裁判員制の理念を国民が具体的に理解するにはどうしたらいいのかということです。何がどう反映されたかがある程度は分からねば、国民は負担ばかりを強いられ、不信すらもつでしょう。
 青森地裁の判決は多くの人を納得させたと思います。津地裁では、裁判長が被告への説諭で「裁判官と裁判員全員からあなたに伝えたいことがあります」と切り出しました。評議の秘密とは直接は結びつきませんが、裁判員の思いをあらわす、工夫だと思います。
 守秘義務は限定的に
 目を引くのは裁判員たちの熱心さです。法廷では鋭く質問し、判決後の記者会見では苦悩した胸の内を語ってくれます。それだけに感想にとどまらず、もう少し話せないか、また判決には市民感覚の生かされた部分をある程度は示せないかとも思うのです。
 否認事件や死刑相当事件の裁判になれば、それこそ市民の常識が必要とされ、それがどう生かされたかは国民の正当な関心事です。秘密のベールで覆うばかりでは制度のための議論の材料すら得られず、結局国民の支持を失いかねません。

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