大島渚監督が15日、神奈川県藤沢市内の病院で亡くなった。享年80歳

2013-01-16 | Life 死と隣合わせ

大島渚「バカヤロー!」精神と壮絶老老介護
 日刊ゲンダイ2013年1月16日 掲載
■ヘルパー費用は毎月60万円
  大島渚監督が15日、神奈川県藤沢市内の病院で亡くなった。享年80。
 「日本の夜と霧」「絞死刑」といった社会派作品や、「芸術かわいせつか」を巡って裁判にもなった「愛のコリーダ」など、日本が世界に誇る紛れもない巨匠だった。
  遺作は99年公開の映画「御法度」――。この十数年は、96年に発症した脳出血の後遺症による言語障害と右半身まひ、01年に発症した十二指腸潰瘍穿孔(せんこう)の手術の後遺症や合併症で苦しみ、壮絶な闘病生活を送っていた。
  大島を献身的に支えたのは妻の小山明子(77)だった。
 「女優一筋だった小山は家事全般はお手伝いさん任せで、料理もまるでダメだった。それでも大島を住み慣れた自宅で介護するために頑張ったら、自分が“介護うつ”になって精神科に入院してしまいました。大島は最も重度の要介護5。その後は訪問ヘルパーの介護サービスを受けていましたが、連日、泊まり込みで介護していたため、自己負担費用は毎月60万円にもなった。生活のために六本木に所有していたマンションも手放したそうですが、それでも金銭的にキツかったので、小山は01年に個人事務所を設立し、介護をテーマにしたテレビ出演や講演、執筆で生活費を稼ぐ日々でした」(事情通)
  大島はタブーに挑み続けた作品群や、討論番組の「バカヤロー!」発言などでも知られた反骨の論客だっただけに、言いたいことも伝わらず、下の世話まで受けることは屈辱だったようで「死にたい。殺してくれ」と漏らすこともあったという。
  それでも、この数年、体調が良いときは花見や外食にも車椅子で出掛け、「2010年の金婚式には『愛のコリーダ』で助監督を務めて以来の仲の崔洋一監督も参加して盛り上がったそうです」(映画関係者)。
  最愛の妻に看取られた幸せな最期だった。
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大島渚さん妻・小山明子の“壮絶介護”「うつ」で何度も自殺考え…
zakzak2013.01.16
 「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」など話題作を送り出し、海外でも高く評価された映画監督の大島渚さんが15日午後3時25分、肺炎のため神奈川県藤沢市の病院で死去した。80歳だった。1996年に脳出血で倒れて以来、相次いで病魔に襲われた大島さんを献身的に介護し続けたのが、妻で女優の小山明子(77)。だが小山自らも「介護うつ」に苦しめられる壮絶な二人三脚を経験していた。
 「うつ病って、風邪と一緒なんですよ。誰だってかかる可能性がある」
 小山は2011年3月、本紙「ぴいぷる」の取材で、かつて苦しめられた介護うつについて語った。
 96年、ロンドン・ヒースロー空港で大島さんが倒れた。小山は仕事のため駆け付けることができず、それがきっかけで無力感に襲われ、うつ病を発症。小山の自殺を防ごうと心配した家族によって、帰国した大島さんと同じ病院の閉鎖病棟に入院した。
 うつ病が完治しないまま、大島さんの介護のために退院した。だが、右半身不随となった大島さんに、食事面を含め、思うような介護ができないことで「介護うつ」が悪化。2000年までの間に4回も入退院を繰り返し、「木を見ると、変な気分になっちゃうの」と、何度も自殺を考えた。女優という仕事柄、病気を公表できなかったことも重荷となった。
 転機は、医師の指導によって「介護する側」のリフレッシュを心がけるようになってから。女優仲間の山本富士子(81)に誘われて始めた「一筆画」や水泳、ガーデニングを楽しむようになって、介護の優等生にステップアップできたという。
 「介護というのは、イヤイヤやると、こんな辛いことはない。どうせなら発想を転換して『どうすれば少しでも楽しくできるだろうか?』って考えるほうがいいじゃありませんか」
 小山は著書や講演で介護に悩む人を励ました。その一方、今年から本格的に女優活動を再開。16日が、20年ぶりの主演舞台の初日だった。小山が再び女優として舞台に立つその前日に、大島さんは先立った。
 小山は15日夜、大島さんの死去について、こうコメントした。
 「彼の晩年に2人で濃密な時間を過ごせてありがたいと思いました。介護ではやるべきことはすべてやりました。悔いはありません」
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