裁判員にごく一部の証拠資料しか見せずに、死刑か否かの判断を下させる危うさ=裁判員裁判

2010-06-07 | 後藤昌弘弁護士

中日新聞を読んで「裁判員裁判の課題」後藤昌弘(弁護士)
2010/06/06 Sun.
 5月26日の朝刊に、「裁判員『好調』の陰に」との見出しの記事が大きく取り上げられていた。記事によれば、ある地裁支部では、1事件はこなしたが、21の事件がたまっているという。
 裁判員事件が停留する理由の1つに、「公判前整理」の問題がある。裁判員裁判では市民が参加する公判での審理を迅速化するために、公判前に裁判所・検察官・弁護人の間で、何を争点とするか(無罪を主張するか、量刑のみを争うか、責任能力を争うかなど)、また何を証拠として調べるかについて協議することとされている。これが公判前整理手続きである。
 公判前整理手続きで主張しなかった事柄については、公判段階で主張することは許されないものとされている。そのため弁護人としては、検察官の手持ちの資料にすべて目を通し、想定されるすべての争点について検討せざるを得ない。結果的に、起訴されてから公判が始まるまでに、長い期間がかかってしまうのである。このため、記事でも指摘されているが、最近では裁判所が公判前整理手続きそのもを更に迅速化しようとする動きも出始めている。
 刑事裁判が始まるまでに時間がかかるということは、無罪の可能性のある被告人をいたずらに長期間拘束することになり望ましいことではない。しかし、裁判員にごく一部の証拠資料しか見せずに死刑か否かの判断を下すことを強いることが、正しいあり方なのだろうか。刑事裁判は市民を冤罪からから守るために存在する制度である。それが被告人たる市民のためでなく、裁判員となる市民の負担軽減のみが優先されているとすれば、本末転倒である。
 記事は「そうした危うさが黙認されたまま、裁判員は確実に近い将来死刑を争うようなケースに直面させられる。そこで得られる成果とは何なのか」と結ばれているが、その指摘は正鵠を射たものである。あるべき刑事裁判の実現に向け、今後もこうした報道を期待している。
 
 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)


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