世論調査の陥穽 ジャーナリズムの役割

2010-03-17 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
新S.「くらべる一面」 新聞案内人. 水木楊 作家・元日本経済新聞論説主幹
世論調査の落とし穴に注意
2010年03月17日
 福田康夫政権のときでしたから、2年ほど前になりましょうか。このコラムで、世論調査のことを取り上げたことがあります。
 新聞やテレビの世論調査を回転軸にして、一種の連鎖運動が生じるという話でした。報道機関の政権批判→読者や視聴者への影響→世論調査における支持率の低下→報道機関の批判加速→視聴者の認識へのさらなる影響→世論調査における支持率の一層の低下、といった具合の連鎖反応です。
 今日は、もう少し掘り下げて、世論調査が現代に生きる私たちの思考に、どのような影響を及ぼしているかという問題を取り上げてみます。
間接民主主義下での役割
 このところ、鳩山政権に対する世論調査が盛んに行われています。その方法は各新聞、テレビともに似たようなもので、「大いに支持する」「支持する」「あまり支持しない」「全く支持しない」とか、政策については、「大いに評価する」「評価する」「あまり評価しない」「全く評価しない」とかの分類になります。これに、ときどき「大いに賛成する」「賛成する」「賛成しない」「全く賛成しない」などが入ったり、ことによっては、「分からない」という項目が加わったりします。
 分類方法が似たりよったりになるのは、仕方がありません。あまり詳しく分けると、そもそも分類が難しくなるし、複雑な表現は答える人を特定の方向に誘導するおそれが生じます。世論調査というものは、そういうものだと割り切るしかありません。
 また、世論調査の役割を否定するつもりも、軽んじるつもりもありません。日本の民主主義は、立法府に送る人間を有権者が選ぶという方式によって成り立っています。これが間接民主主義と呼ばれるものですが、選挙は始終あるわけではありませんから、政権や政策への支持率を世論調査によって把握する意味は、大いにあります。一種の“直接民主主義”による補完でしょう。
 しかし、今日、指摘したいのは、世論調査を読む私たち読者ないしは視聴者を待ち受ける陥穽(かんせい)についてです。陥穽と言っても、誰かがしかけているわけではありません。世論調査そのものが本質的に有している陥穽です。
 それは何か――。「大いに支持する」「支持する」「あまり支持しない」「全く支持しない」のパターンにはまり込み、なぜ支持しないのか、するのかというところまで考えなくなってしまうのではないかということなのです。
思考停止のリスク
 ご丁寧にも、世論調査は「支持しない、する」の設問の後に、これまたパターン化した「なぜ」を用意します。「政治資金について不明朗」「政策の意志決定が遅い」「政策そのものが賛成できない」といった具合です。
 大抵の人は、忙しさもあって、この辺で思考を停止します。しかし、「なぜ支持する、しない」は、実は個人の数だけ異なるはずなのです。たとえば、分かりやすい例として、「政策の意思決定が遅い」を取り上げてみましょう。例えば、普天間基地の取り扱いについて、辺野古への移転がいいと思っている人もいれば、名護市の陸上への部分移転が好ましいと思っている人もいるでしょう。いずれも、しかし、「政策の意思決定が遅い」になります。
 いや、そもそも日米安保体制など要らないと考えている人もいるかもしれない。そんな人は、沖縄県外どころか国外に基地を移せと思っているかもしれない。
 つまり、世論調査のふるいの目はあまりにも粗い。また、○○%という数字に、影響されて、多数意見に安易に傾きがちです。しかし、実はしばしば大事な意見は、パターン化されない少数意見にある場合が多い。
 具体的な例を申し上げましょう。サンフランシスコ条約に調印し、日米安保体制を発足させた吉田茂という政治家がいました。亡くなったとき国葬になりましたし、日米安保体制が軍事費を減らし、経済成長にエネルギーを集中させたという意味で、彼の功績を否定する人はいまはあまりいないはずです。
 しかし、吉田茂ほど、政権の座にあったとき、世論からこてんぱんに批判された政治家はいなかったと言ってもいいのです。当時中学生だった私は、新聞やラジオで毎日のよう繰り返される「ワンマン批判」をよく覚えています。
調査結果になびくのではなく
 世論調査は有権者の意識を探るうえで、きわめて有効な手段ではありますが、私たちはそれにとらわれてはいけないということでしょう。例えば、インターネットのある部門で、ヒット数の最も多いサイトとか商品・サービスに、つい目がいき、それ以外はゼロのように思いがちなように、世論調査の数字だけに自らの思考をなびかせてはならないということです。
 政治家も世論調査の虜(とりこ)にはなってほしくない。たとえ少数意見であっても、実行しなければならないことがあります。時代が過ぎれば、評価されることです。世論の批判を轟々(ごうごう)と浴びても、やらなければならないことはやらなければなりません。
 ジャーナリズムの役割も大きい。世論調査の動向になびくのではなく、大勢の人が考えないところまで思考を運んでいくべきでしょう。世の中が一方方向に傾くとき、「それでいいのかい」と問いかけるのがジャーナリズムの役割なのですから。

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