問責決議/カードを使い切ったのは野党/野田総理の側には審議拒否を延々貫かせる方法もある

2011-12-12 | 政治

問責決議で始まる攻防
2011年12月10日 16:44 田中良紹の「国会探検」
 第179臨時国会は参議院が一川防衛大臣と山岡消費者担当大臣の問責決議案を可決して閉幕した。昨年の臨時国会でも仙谷官房長官と馬渕国土交通大臣が問責を受けたから民主党政権は二度同じ目に遭っている。
 一方、自民党政権時代の一昨年は通常国会で麻生総理が問責を受けた。その1年前には福田総理がやはり通常国会で問責を受けている。問責の理由は様々だが、問責を可能にしているのは国会の「ねじれ」である。「ねじれ」がなければ問責はありえない。
 与野党が批判しあうのは当然で、野党にとって閣僚はみな批判の対象である。本音から言えば全閣僚の首を切れる内閣不信任案を衆議院に提出したいところだが、そちらは勝ち目がないので参議院で個々の閣僚を問責するのである。
 「ねじれ」は戦後の日本国憲法によって作り出された。戦前の「強すぎる貴族院」に代わって衆議院をチェックする「強すぎる参議院」が作られたのである。片山、芦田と続く戦後政権は衆議院で多数を有しても参議院の反対で重要法案を成立出来ず短命に終った。吉田政権は参議院で否決された法案を占領軍の命令によって覆すことで政権を維持した。戦後すぐから参議院は強かったが、しかし当時は閣僚の問責などされた事がない。
 保守合同で自民党が誕生すると、初めて衆参両院で与党が過半数を獲得し「ねじれ」が消えた。それから33年間、政界は「ねじれ」を忘れ、自民党の長期政権が続いた。しかし1989年、消費税とリクルート事件の影響で自民党が参議院選挙に大敗すると、忘れていた「ねじれ」が復活する。それでも問責はまだ行なわれない。
 初めて問責決議案が可決されたのは、1998年の第一次小渕内閣で初入閣した額賀防衛庁長官に対するものである。防衛庁幹部が天下り先を確保するために装備品の納入に絡んで背任事件を起こし、その監督責任を問われた。この時防衛庁では幹部二人が逮捕され、多くが引責辞任に追い込まれていた。
 初めての問責決議の可決は政界に波紋を広げた。これで閣僚辞任の前例を作れば大臣はころころと代わらざるを得なくなる。一方で参議院の意思であるから決定は重みを持つ。辞任しなければ参議院は額賀長官に対する質疑を行なわなくなり政治は機能麻痺に陥る。自民党は深刻な危機に直面した。自民党が「悪魔にひれ伏してでも」と言って小沢一郎氏率いる自由党との連立に踏み切ったのはそのためである。
 一方、額賀氏は1ヵ月後に辞任したが、その2ヵ月後の内閣改造で官房副長官に起用されて閣内に復帰した。翌年には森内閣で経済企画庁長官として二度目の入閣、その翌年には初代の経済財政担当大臣に就任したから「ねじれ」さえなければ問責のダメージは消える。
 2007年の参議院選挙でわが国の政治に再び「ねじれ」が生まれた。政権交代を狙う野党民主党は総理大臣に対する問責を行って攻勢をかけた。福田総理に対しては「後期高齢者医療制度の廃止に応じない」ことを理由に問責決議案を可決した。自民党はこれに対坑して衆議院で内閣信任決議案を可決した。麻生総理には「発言のぶれ」を理由に衆議院に内閣不信任案を提出して否決され、参議院で問責決議案を可決させた。
 問責決議の可決からほどなく二人の総理は退陣するが、退陣の理由はいずれも問責の可決によるものではない。福田総理は来るべき総選挙を睨んで国民に人気のある麻生氏に交代しようとして、麻生総理は総選挙に敗れて退陣した。民主党の問責は本格的に辞任を迫って政治を機能麻痺させるというより、政権交代を目指す象徴的な意味合いが強かった。
 ところが民主党政権に対する問責は象徴的ではなく個別具体的である。昨年は尖閣諸島沖中国漁船衝突事件の対応を理由に仙谷官房長官と馬渕国土交通大臣が問責された。一度に2人の問責はこれが初めてである。事件を処理した国土交通大臣は前原氏であったから馬淵氏はとばっちりを食ったようなものである。この時は批判報道が過熱した事も問責を後押しした。
 これに対して民主党政権は二人を辞任させず、通常国会前に内閣改造を行って退任させた。額賀氏のように問責による辞任にはしたくなかったのである。問責が慣習化すれば重箱の隅をつついて閣僚を辞任に追い込む事も可能になる。メディアを騒がせて「国民が怒っている」という口実を作れば、問責決議案提出に道が開かれる。それを避けようとしたのである。
 今回の一川防衛大臣の問責理由は、1995年の米兵による少女暴行事件を「知らなかった」と答弁した事だとされる。国会のやり取りを見ていると防衛大臣は「知っています」といったんは答え、質問者から「中身を具体的に」と問われて「詳細は知りません」と答えた。私は「何と下手な答弁」と思ったが、その後「防衛大臣ともあろうものが沖縄で起きた重大事件を全く知らない」という理解が一人歩きしているのを見て違和感を感じた。
 この問題を大きくした背景には防衛省幹部の「犯す」発言がある。これも俄かには信じがたい話であった。私は現場に居ないので想像でしか物は言えないが、「犯す」と人前で口に出来る人間は滅多にいない。環境評価書の提出時期について「やる前にこれからやるとは言えない」という表現はあったかもしれない。そしてそれを男女関係になぞらえたかもしれない。そのなぞらえに記者は不快感を抱いた。そこで記事にするのだが「やる」を「犯す」と書き換えた。
 記者の怒りは当然で、意味は同じだから政府は弁解もできない。しかし世間は「犯す」という表現の生々しさに驚いた。それが今回の出来事ではないかと私は想像する。しかし想像であるから間違っているかもしれない。一川大臣を擁護する気はさらさらないが、国会で自公の議員が「沖縄県民の痛みを分かっていない」と断罪するのを見ると、「分かっていないのは同じだろ」という気になる。
 そしてついでのように山岡消費者担当大臣も問責された。問題にされたのは大臣就任以前の話である。そこまで範囲を広げて問責を前例化すると、これからはかなりの大臣が問責の対象になる。組閣をする前に国会の同意を取り付ける制度でも取り入れないと国政はたびたび混乱する事になる。今回自民党が問責の範囲を広げた事は自民党にも跳ね返る。政権に復帰した時、今のように参議院で過半数を握っていないと政権維持は難しくなる。
 戦後、「強すぎる参議院」が生まれても抑制されてきた問責決議が、ここに来て政治機能を麻痺させる手段として容易に使われるようになった。内閣不信任案のようにそれで総辞職か解散総選挙になれば混乱はまだ早期に収拾されるが、問責の場合は混乱が長引く可能性がある。
 メディアは野田政権がこれで追い込まれたと見ているようだが、カードを使い切ったのは野党である。野党にとってこれからは両大臣が辞任するまで審議拒否を貫くしかない。一方の野田総理の側には色々なカードがある。どうせ死ぬ気になれば審議拒否を延々貫かせる方法もあるし、どこかで折り合いをつける方法もある。
 戦後問責決議が可決されたのは7例だが、これまでは①辞任させてすぐに復権させる(ねじれの解消が前提)②衆議院で信任決議を可決する③内閣改造で交代させるなどの方法が取られてきた。野田政権がどのようなやり方でこの問題を潜り抜けるのか、問題が山積しているだけに様々な可能性が想像できて興味深い。
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懲りない予算委「政治とカネ」/政党政治が崩れる~問責国会が生む失望感===透けるポピュリズム2011-12-11 | 政治


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