懲りない予算委「政治とカネ」/政党政治が崩れる~問責国会が生む失望感===透けるポピュリズム

2011-12-11 | 政治

田中良紹の「国会探検」
懲りない予算委「政治とカネ」

 この臨時国会の最大課題は震災復興と原発事故への対応を万全なものにする事である。ところがそれらの財源を生み出す郵政改革法案や国家公務員給与削減法案の審議を置き去りにして、国会は会期末ギリギリの5日と6日を毎度おなじみ「政治とカネ」の集中審議に充てた。
 国民の税負担を圧縮できる法案を見送って開催するのだから、どれほど国民生活に寄与する議論が行なわれるのかとテレビ中継を眺めたら、相も変らぬバカバカしいパフォーマンスの連続だった。翌日の新聞に審議の模様を伝える記事はなかったから報道する価値もなかった事になる。
 「政治とカネ」の集中審議を開かせた野党の狙いは、一川防衛大臣と山岡国家公安委員長の問責決議案を参議院で可決するための景気付けである。一川大臣の問責理由はカネの話ではないが、ここで二人の大臣の不適格性をアピールし、あわよくば不適切な答弁を引き出して9日の問責可決を万全にしようとする党略と言える。
 従って「政治とカネ」は表看板に過ぎない。しかしその看板を掲げれば長年の習慣で国民が関心を持つと考えたのだろう。それを裏付けるように二人の大臣を追及する自民党議員は「今テレビを見ている国民は怒っている」と何度も繰り返した。しかし国民が今怒っているのは震災復興と原発事故収束に向けて国会に真剣味が足りない事である。それを理解できない野党第一党の自民党はだから支持率が上がらない。
 かつて「政治とカネ」の国会審議は金科玉条のように考えられた。政治家は巨悪であり、政治家の倫理を正す事が、税金の使い道を正すよりも、国際情勢に目を凝らすよりも重要だと考えられた。
 予算委員会では予算を吟味する時間を「政治とカネ」の追及に割き、おかげで予算は官僚の思うままになり、財政は莫大な借金を抱えるようになった。旧ソ連が崩壊し、世界構造が根本的な変化を迎えた時も、国会はそちらに全く目を向けず、ゼネコン汚職に伴う「政治とカネ」の議論に終始していた。
 「政治とカネ」を金科玉条のように思わせたのはロッキード事件である。総理経験者が逮捕されて「政治家は巨悪」のイメージが生まれた。しかしロッキード事件は不思議な事件である。ロッキード社から金を受け取った政治家は世界中にいたが誰も捕まってはいない。日本でも本命ルートの捜査は見送られた。田中角栄氏を受託収賄罪にした証拠である嘱託尋問調書は、角栄氏の死後に最高裁が証拠能力を否定した。
 そのロッキード事件は既に歴史の彼方だが、しかし「政治家は巨悪」のイメージと「政治とカネ」を金科玉条とする国会審議はその後も続いた。55年体制の時代には「爆弾男」と異名をとる野党政治家が厳しく与党を糾弾し、審議拒否を貫くと、与党から野党に密かにカネが流れた。例の官房機密費である。金権を批判する野党政治家がカネを受け取るのだから話にならない。「政治とカネ」の追及の裏には恥ずべき話が隠されている。
 55年体制が終わり、政権交代が可能となった今では裏取引はないと思うが、しかし「政治とカネ」を最優先の政治課題と位置づける考えは変わらない。野党が手っ取り早く与党を攻撃できる材料だからである。
 政界は怪文書の世界である。政治家には選挙区に明確な敵がいて常に鎬を削っている。チャンバラの時代とは違って武器は情報、戦いは情報戦だから真偽不明の怪情報が乱れ飛ぶ。選挙区での情報戦に敗れた政治家は選挙に落選する。
 政治家には「選挙の洗礼」があるのだから、選挙民の支持を得た者は尊重されなければならない。行政権力や立法府がいたずらに政治家の地位を貶める事は許されない。政治家を生かすも殺すも有権者というのが民主主義の基本である。しかし選挙区で繰り広げられる情報戦を国会に持ち込めば、国民生活に関わる話は置き去りにされ、政治は収拾が付かなくなる。
 5日と6日の集中審議では、自民党と公明党が防衛省幹部の暴言問題で一川防衛大臣に辞任を迫り、山岡国家公安委員長のマルチ業者からの献金問題を追及した。これに対抗して民主党議員は衆議院の土地を自民党が駐車場に使用している問題を取り上げた。私は日本の政治が直面する重要問題から外れた議論に国会がこれほど時間を割いている事に苛立ちを覚えた。
 「政治とカネ」の集中審議が行なわれた6日、受託収賄罪で懲役2年の実刑判決を受けた鈴木宗男前衆議院議員が釈放された。その出所祝いパーティが国会内で開かれ、民主党の小沢一郎元代表、鳩山由紀夫元総理、自民党の伊吹文明元幹事長、社民党の福島瑞穂党首ら与野党の国会議員100名以上が集まった。
 鈴木氏も「政治とカネ」の国会審議で追及され、「疑惑のデパート」と呼ばれた人物である。証人喚問では「記憶にありません」を連発して国民から批判を浴びた。その鈴木氏の出所祝いに100名を越す国会議員が駆けつけたのは象徴的である。党利党略のパフォーマンスを見せつけられた後だけに、「政治とカネ」の追及を懲りずに続けている国会の異様さを改めて感じさせた。
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政党政治が崩れる~問責国会が生む失望感===透けるポピュリズム
  論壇時評 金子勝(かねこ・まさる=慶応大教授、財政学2011/02/23Wed.中日新聞
 歴史の知識を持つ人にとって、今日の日本政治には政党政治が崩壊する臭いが漂っている。約80年前の大恐慌と同じく、今も百年に一度の世界金融危機が襲っており、時代的背景もそっくりだ。
 保坂正康「問責国会に蘇る昭和軍閥政治の悪夢」(『文藝春秋』3月号)は、昭和10年代の政治状況との類似性を指摘する。
 保坂によれば、「検察によるまったくのでっち上げ」であった「昨年の村木事件」は、財界人、政治家、官僚ら「16人が逮捕、起訴された」ものの「全員無罪」に終る昭和9年の「帝人事件」とそっくりである。それは「検察の正義が政治を主導していく」という「幻想」にとらわれ、「いよいよ頼れるのは軍部しかいないという状況」を生み出してしまった。
 ところが、「民主党現執行部」は「小沢潰しに検察を入れてしまうことの危険性」を自覚しておらず、もし小沢氏が無罪になった時に「政治に混乱だけが残る」ことに、保坂は不安を抱く。さらに「問責決議問題」は「国家の大事を政争の具にした」だけで、「事務所費問題」も、国会を「政策上の評価ではなく、不祥事ばかりが議論される場所」にしてしまった。
 保坂によれば、「最近の政党が劣化した原因」は「小泉政権による郵政選挙」であり、その原形は「東条内閣は非推薦候補を落とすため、その候補の選挙区に学者、言論人、官僚、軍人OBなどの著名人を『刺客』としてぶつけた」翼賛選挙(昭和17年4月)に求めることができるという。そしてヒトラーを「ワイマール共和国という当時最先端の民主的国家から生まれたモンスター」であるとしたうえで、「大阪の橋下徹知事」が「その気ならモンスターになれる能力と環境があることは否定できない」という。
 保坂とは政治的立場が異なると思われる山口二郎も、「国政を担う2大政党があまりにも無力で、国民の期待を裏切っているために、地方政治では既成の政治の破壊だけを売り物にする怪しげなリーダーが出没している。パンとサーカスで大衆を煽動するポピュリズムに、政党政治が自ら道を開く瀬戸際まで来ている。通常国会では、予算や予算関連法案をめぐって与野党の対決が深刻化し、統治がマヒ状態に陥る可能性もある」(「民主党の“失敗” 政党政治の危機をどう乗り越えるか」=『世界』3月号)という。
 山口も同じく、「小沢に対する検察の捜査は、政党政治に対する官僚権力の介入という別の問題をはらんでいる。検察の暴走が明らかになった今、起訴されただけで離党や議員辞職を要求するというのは、政党政治の自立性を自ら放棄することにつながる」とする一方で、「小沢が国会で釈明することを拒み続けるのは、民主党ももう一つの自民党に過ぎないという広めるだけである」という。
 そのうえで山口は「民主党内で結束を取り戻すということは、政策面で政権交代の大義を思い出すことにつながっている。小沢支持グループはマニフェスト遵守を主張して、菅首相のマニフェスト見直しと対決している」と述べ、民主党議員全員が「『生活第一』の理念に照らして、マニフェストの中のどの政策から先に実現するかという優先順位をつけ、そのための財源をどのように確保するかを考えるという作業にまじめに取り組まなければならない」と主張する。そして「菅首相が、財務省や経済界に対して筋を通すことができるかどうか」が「最後の一線」だとする。
 しかし残念ながら、菅政権は「最後の一線」を越えてしまったようだ。菅政権の政策はますます自民党寄りになっている。社会保障と税の一体改革では与謝野馨氏を入閣させ、また米国の「年次改革要望書」を「グローバルスタンダード」として受け入れていくTPP(環太平洋連携協定)を積極的に推進しようとしている。小泉「構造改革」を批判して政権についたはずの民主党政権が、小泉「構造改革」路線に非常に近づいている。
 まるで戦前の二大政党制の行き詰まりを再現しているようだ。戦前は、政友会と民政党の間で政策的相違が不明確になって、検察を巻き込みつつ、ひたすらスキャンダル暴露合戦に明け暮れて国民の失望をかい、軍部の独裁を招いた。現在の状況で総選挙が行われて自民党が勝っても、政権の構成次第では様相を変えた衆参ねじれ状態になり、また野党が再び問責決議を繰り返す状況になりかねない。
 このまま政党政治が期待を裏切っていくと、人々は既存の政党政治を忌避し、わかりやすい言葉でバッシングするようなポピュリズムの政治が広がりかねない。何も問題を解決しないが、少なくとも自分で何かを決定していると実感できるからである。それは、ますます政治を破壊していくだろう。
 いま必要なのは歴史の過ちに学ぶことである。それは、たとえ財界や官僚の強い抵抗にあっても、民主党政権はマニフェストの政策理念に立ち返って国民との約束を守り、それを誠実に実行する姿勢を示すことにほかならない。
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