和歌山毒物カレー事件20年 いじめ、婚約破談…死刑囚の息子、逃れられない十字架 2018.8.13 事件解決、決め手は科学捜査

2018-08-13 | 死刑/重刑/生命犯

2018.8.13 08:00更新
産経ニュース【和歌山毒物カレー事件20年(上)】いじめ、婚約破談…死刑囚の息子、逃れられない十字架 「母信じたいが…」消えぬ苦悩
 パレードカーに乗り込んだミッキーマウスが沿道に詰めかけた大勢の家族連れに向かって手を振っていた。今年5月の「こどもの日」に、和歌山城(和歌山市)周辺で催されたディズニーキャラクターによるパレードのにぎやかな光景をトラック運転手、林和久さん(30)=仮名=は、ただ一人、車窓から複雑な表情で見つめていた。
 和久さんの母親は平成10年に起きた和歌山の毒物カレー事件の容疑者として逮捕され、死刑判決が確定した林真須美死刑囚(57)だ。事件以降、和久さんの人生も一変した。預けられた児童養護施設ではいじめを受け、給食のカレーに乾燥剤を入れられたこともあった。施設を出てから働いた飲食店では「衛生的に良くない」と一方的に解雇されたという。
 温かい家庭など望むべくもないと思っていた和久さんを一度は死刑囚の息子であることも含めて受け入れてくれた女性もいた。結婚の約束を交わしていたが、その父親に身の上を打ち明けると表情を一変され、「二度と近づかないでほしい」と告げられた。女性とも連絡は取れなくなり、婚約は破談となった。
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 幼い頃の暮らしは贅沢だった。「これ、見てみろ」。父の健治さん(73)は上機嫌でこう語ると、ボストンバッグの中から帯封がついたままの札束を無造作に取り出し、和久さんら子供たちに見せつけた。自宅の金庫には数億円があり、部屋には高価なアクセサリーがあふれていた。和久さんらには当時、最新のゲーム機だった「セガサターン」や「ニンテンドー64」が何不自由なく与えられた。
 異様な生活の原資は保険金詐欺で賄われていた。健治さんはシロアリ駆除の仕事をしていたことがあって薬剤の知識があり、昭和63年ごろに自らヒ素をなめて高度障害の認定を受けることで約2億円の保険金を手にした。その後も保険外交員だった真須美死刑囚とともに詐欺を繰り返した。
 「『これぐらいだったら心配ない』という分量が分かっていた」と話すのは現在も同市内で暮らす健治さん。健治さんは、当時ヒ素を「仮病薬」と呼んでいたという。
 だが、ヒ素が悪用されたカレー事件の捜査で、ヒ素と接点があったこの夫婦が浮上。さらに真須美死刑囚は事件当日、カレー鍋の見張りをしていたことから「疑惑の主婦」としてメディアに追われる存在となった。
 「ママがやったん?」。当時、小学生だった和久さんはこう尋ね、「やるはずがない」と否定されたこともあった。両親が逮捕されたのはカレー事件の約2カ月後。母が和久さんに「絶対行く」と約束していた運動会の当日だった。
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 「ボクちゃーん」。今年6月、大阪拘置所(大阪市都島区)でアクリル板ごしに和久さんと面会した真須美死刑囚は、手を振りながら陽気な声を上げた。だが、声とは裏腹に事件当時、ふくよかだった体型は体重が40キロも落ちたという。髪もすっかり白髪となり、上の歯は全て抜け落ちていた。
 和久さんはこれまでも年に1回ほど真須美死刑囚との面会は重ねてきた。時間は限られており、ほとんどは子供のころの思い出話や他の家族の近況などの話題が大半だったが、今回の面会ではカレー事件の真相について尋ねることを決めていた。和久さんは真須美死刑囚をまっすぐ見つめ、「カレー事件のことだけど、本当にやっていないの?」と切り出した。
 この質問に真須美死刑囚は、驚いたような表情を浮かべたが、和久さんを見つめ返し、「やっていない。やる意味がない」ときっぱり答えたという。
 話題は、平成11年から始まった和歌山地裁での公判での態度にも及んだ。当時、真須美死刑囚が傍聴席に向けて時折不敵な笑みを浮かべていたことに被害者や遺族からの批判の声が上がったが、真須美死刑囚は「(和久さんたちに)元気だと伝えたかった」と釈明。その一方で、和久さんら子供4人に対して申し訳ない気持ちがないかを尋ねると「その質問が来るのが怖かった」と声を震わせたという。和久さんは死刑囚として目の前にいる人が自分の母なのだと感じざるにはいられなかった。
 真須美死刑囚は事件から一貫して無実を主張し、死刑判決の確定後は再審を求め続けている。和久さんは事件後の境遇から真須美死刑囚を恨んだ時期もあったが、現在は「母が『やっていない』と話す以上、家族としては信じたい」と思うようになった。
 だが、母を擁護することは、カレー事件で大切な家族を失った遺族や被害者に苦悩を抱かせることにもつながると考えているという。「母を信じたいという思いもあるが、それが、ご遺族の気持ちを踏みにじっているのではないかという苦しみは消えない」。そう葛藤をにじませた。   =続く

2018.8.14 08:00更新
【和歌山毒物カレー事件20年(下)】事件解決、決め手は科学捜査 高性能“顕微鏡”スプリング8の威力
 「私、嘘つくようなことは何もあらへんから」。和歌山の毒物カレー事件の発生から4カ月余りが経過した平成10年12月。捜査本部が設置されていた和歌山県警和歌山東署の取調室で、カレー事件の容疑者として浮上していた林真須美死刑囚(57)はこう言い切っていた。
 向かい合っていたのは大阪府警科学捜査研究所の主席研究員だった荒砂正名さん(72)。ポリグラフ(嘘発見器)検査の専門家で、県警の要請を受けて捜査本部を訪れていた。
 ポリグラフ検査は質問に対する相手の呼吸や脈拍の乱れを測定する捜査手法だ。記憶にあることを聞かれたときの無意識の変調を機械が読み取って嘘を見抜くというもので、林死刑囚への検査は2時間近くに及んだという。
 直接的な証拠が乏しかったカレー事件では、ポリグラフなど科学捜査の技術が活用された。平成7年の地下鉄サリン事件を受け、警察庁はこの年の警察白書で「科学捜査に関する取り組みを一層強化する」と打ち出しており、その3年後に発生したのが、カレー事件。「科学捜査が充実していく過渡期だった」。荒砂さんはこう振り返る。
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 実際、兵庫県佐用町にある直径約500メートルの放射光施設「SPring-8」(スプリング8)が生み出す「放射光」と呼ばれる光が、カレー事件の解決の切り札になった。
 「放射光を当てれば物質の細かい情報が分かる。高性能の『顕微鏡』だ」。スプリング8を運用する国立研究開発法人・理化学研究所(理研)放射光科学研究センター長、石川哲也さん(64)はこう解説する。カレー事件では、放射光による鑑定で林死刑囚宅で押収されたヒ素とカレー鍋に混入していたヒ素の同一性を突き止め、この鑑定結果が21年に最高裁で確定した有罪判決の柱となった。
 現在、スプリング8では最大で当時の千倍の光を発することが可能だという。同センターは最先端の技術をさらに捜査に活用してもらうために今年、警察庁科学警察研究所(科警研)の元幹部を採用し、警察との窓口機能などを担う新部署を立ち上げた。石川さんは「全国の警察との連携強化に努める」と今後の展望を描く。
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 ただ、「万能」ととらえられがちな科学捜査への過信を戒める声もある。
 その一人が甲南大学法学部の笹倉香奈教授(40)だ。笹倉教授は「科学的な証拠のみで犯人性を認定してしまうことは慎重であるべきだ」と指摘。「供述に頼る『自白偏重主義』から脱却していくため、客観的に証拠を集める科学捜査は今後、さらに重要性を増す」と科学捜査の大切さは指摘する一方で、科学捜査が万能というわけではない、というのだ。
 笹倉教授は冤(えん)罪(ざい)被害者の救済を目指し、90年代ごろの米国で始まった弁護士やロースクールの教授、学生らによる「イノセンス運動」に参加した経験を持つ。運動の結果、米国ではこれまでに死刑囚を含む350人以上が冤罪を晴らしてきたが、その中にはDNA鑑定など科学捜査がきっかけで有罪となった冤罪事件もあったという。
 米国だけではなく、日本でも誤った科学鑑定が冤罪を招いてしまったケースはある。平成2年に栃木県で女児が殺害された「足利事件」で実施されたDNA鑑定では「MCT118型」と呼ばれる検査法が捜査に用いられたが、その精度は低く、22年に元受刑者の男性の再審無罪が確定した。
 いまや事件解明に無くてはならない存在となった科学捜査だが、笹倉教授は「科学にも限界はある。取り扱う人たちは決して技術を過信をしない謙虚さも求められる」と話していた。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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和歌山・毒物カレー事件(1998/7/25) 林真須美死刑囚息子の20年  
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死刑囚の母 息子の選択 ~和歌山・毒物カレー事件(林眞須美死刑囚)~

    

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◇ 和歌山毒カレー事件から20年   林真須美死刑囚の犯行とみて、間違いないだろう〈来栖の独白 2018.7.24〉 
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和歌山カレー事件が題材 帚木蓬生著『悲素』 ヒ素という秘毒を盛る「嗜癖の魔力」 毒は人に全能感を与え、その〈嗜癖〉性こそが問題

  

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