やまゆり園事件5年 「今も会いたい」美帆さん母、変わらぬ胸中 2021/7/26

2021-07-26 | 相模原事件 優生思想

  冒頭画像;津久井やまゆり園に設けられた「鎮魂のモニュメント」。美帆さんら犠牲者の名前とヤマユリの花が刻まれている=相模原市緑区で2021年7月20日午前9時2分、幾島健太郎撮影

やまゆり園事件5年 「今も会いたい」美帆さん母、変わらぬ胸中
  2021/7/26(月) 6:00配信 毎日新聞
 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者ら19人が殺害され、26人が負傷した事件は26日、発生から5年を迎えた。事件の公判で、犠牲者の美帆さん(当時19歳)の名前を唯一公表した母親と兄(26)は「5年を迎えても苦しいままでつらい。今も美帆に会いたくてたまらない」と心境を明かした。
 「自分の命より大切な人を突然失った。節目なんて関係なくずっと悲しいままで苦しい」。7月中旬、母親は顔を時折ゆがめながら語った。喪失感が和らいだことはない。街中で同じ年ごろの女性を見かけると、在りし日の愛娘の姿が重なり、悲しみがこみ上げる。
 毎朝、美帆さんが好きだった菓子やミッフィーのグッズがあふれる自宅の一角で線香を上げて手を合わせ、その日の予定を話す。夕食は必ず美帆さんの分も用意する。好物の唐揚げやウインナーをたいらげる姿を思い浮かべ、美帆さんと会話をしながら家族で食卓を囲む。
 思い出が詰まった自宅での生活はつらい。娘の存在をすぐそばに感じられる半面、ふとした瞬間にもうこの世にいない現実を突き付けられるからだ。
 3歳を過ぎた頃、重度の自閉症と分かった美帆さんは障害をはねのけるように、持ち前の愛嬌(あいきょう)で周囲を和ませた。「家では甘ったれ娘でしたが人をひきつけ、優しい気持ちにさせてくれるところがあった。家族の中で一番の人気者でした」
 だが突然の事件が全てを奪い去った。母親は園に預けた自分を何度も責めた。「できることなら事件前日の7月25日に戻って娘を家に連れて帰りたい。何度も思った」。兄は憔悴(しょうすい)する母親を間近で見続けてきた。「四六時中ずっとというわけではないけど、母が苦しそうにしている場面が多く、見ているのがきつかった。この5年は悲しいことが多かった」。この5年の思いを問うと、兄は長い沈黙の後、そう答えた。
 5年前のあの日。兄は仕事中、母親からの電話で美帆さんが亡くなったことを知った。物心がついた頃からいつもそばにいた妹の突然の死は到底受け入れられず、「パニック状態で仕事場でずっと泣いていました」。仕事も休みがちになり入院した。そんななかでも母にはいつも寄り添った。
 神奈川県警は事件の性質や遺族の強い要望を理由に被害者の氏名を公表せず、横浜地裁も被害者の名前を法廷で明らかにせず、「甲A」「乙B」などの記号で呼ぶことを決めた。だが、母親は20年1月、事件の初公判を前に「一生懸命生きた証しを残したい」と美帆さんの名前と写真を公表した。「誰かが思い出してくれる時に、その人の中で美帆は生きている。誰かの心の中で生き続ける」との思いは今も変わらない。
 20日に公開されたやまゆり園の「鎮魂のモニュメント」(慰霊碑)には、美帆さんの名も刻まれた。兄は「美帆のことを忘れないで覚えていてほしい。このような事件を二度と起こしてほしくない」。そう強く訴える。
 園舎は真新しく再建されたが、母親は「私は美帆と会えず、夢も希望もない」と対極に置かれているようで胸が苦しくなる。「この苦しみをどうしていったらいいのか。取り残されてしまっているような気がする」とぽつりと漏らす。
 後に撤回されたが、相模原市がやまゆり園で東京パラリンピックの聖火採火式を計画していたことも苦しみに拍車をかけた。事前説明のない市や園の対応に「ないがしろにされているように感じた」からだ。毎年7月が近くなると気持ちが沈むが、今年は例年以上にショックが大きかった。
 身勝手な主張で娘の命を奪った植松聖(さとし)死刑囚(31)は絶対に許せない。一方で「園の事件後の対応をみると、私たちの声が届いていないように感じる」との思いもこみ上げ、「園が植松死刑囚とも向き合っていなかったから誰も事件を止めることができなかったのでは」とも思う。「植松死刑囚も社会が作ってしまった人間。だから二度と悲しい事件が起こらないように社会で考えてほしい」。母親は言葉に力をこめた。【木下翔太郎】
 最終更新:毎日新聞

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2021.07.26 Mon〉
>神奈川県警は事件の性質や遺族の強い要望を理由に被害者の氏名を公表せず、横浜地裁も被害者の名前を法廷で明らかにせず、「甲A」「乙B」などの記号で呼ぶことを決めた。
 人間の性(さが)・・・・複雑な気持を抱かざるを得ない。
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相模原殺傷事件(2016/7/26)から2年 明かせぬ実名、遺族のジレンマ 障害者への差別…消えぬ不安


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