山本美香さんが学生たちに遺した「最期の講義」前編 「それでも私が戦争取材を続ける理由」

2012-08-25 | メディア/ジャーナリズム/インターネット

早稲田J-School@現代ビジネス
 日本のマスメディアは、新人記者を現場で鍛えるOJTに依存してきましたが、その徒弟制的な教育制度がいまやうまく機能していません。早稲田大学大学院政治学研究科は日本初のジャーナリズム大学院、J-Schoolを設立しました。ここで行われた講義の内容や学生たちが取材して完成させ記事を紹介していきます。

シリアで取材中に亡くなった山本美香さんが学生たちに遺した「最期の講義」前編 「それでも私が戦争取材を続ける理由」早稲田J-School@現代ビジネス
2012年08月23日(木)現代ビジネス
 日時: 2012年5月8日 18時15分~19時45分
 場所: 早稲田大学8号館311講義室
 講演者: 山本美香氏
 8月20日、激しい内線が続くシリアで取材中、ジャーナリストの山本美香さん(45)が銃撃を受けて亡くなった。アフガニスタンやイラクなどいくつもの戦場で取材を重ねてきた山本さんは、早稲田大学大学院のジャーナリズムスクール「J-Scool」で、今年5月、自らの体験を踏まえ、「ジャーナリズムと戦争」というテーマで講義をしていた。そして、山本さんはその講義録を、現代ビジネスとJーSchoolの共同企画の第一弾として、現代ビジネスで公開するように生前、託していた。「ジャーナリストとしての使命」と向き合う山本さんの思いがつまった「最期の講義録」を、公開する。

         

 今日は私がフリーランスになってからのことを具体的にご紹介しながら、「ジャーナリズムと戦争」についてお話ししていきます。
■『サラエボの冬』の衝撃
 私は1995年に朝日ニュースターを退社してフリーランスになりました。その後、独立系ジャーナリスト組織のアジアプレス・インターナショナルに所属、そこでは主にディレクターの仕事をしていました。
 日本人だけではなく、中国、インド、タイ、フィリピン、韓国など様々な国から来たジャーナリストたちが所属する国際色豊かなグループでした。そういったフリーランスのジャーナリストに出会って、彼らがどういう仕事をしているのか、どういう記事や写真を発表しているのか、また経済的にはどうなのか、といった具体的なことを知る貴重な場になったと思っています。とても刺激的な時間でした。
 日本のビデオジャーナリストの草分けでもある、佐藤和孝氏のボスニア戦争を取材した映像があります。『サラエボの冬 ~戦火の群像を記録する~』というNHK-BSで放送した長編ドキュメンタリー作品です。この作品を取材、撮影、編集したのが佐藤氏だったのです。
 この映像を観たとき、フリーランスの日本人でこういう活動をしている人をほとんど知らなかったので、本当にびっくりしました。ボスニア紛争の真っ只中、小型ビデオカメラを持って戦場の最前線だけではなく市民の生活にも入っていき、普通の人たちがどう戦争に翻弄されていくのかを描いている。人々の生活に密着したこのドキュメンタリー作品を観たとき「これはすごい!」と衝撃を受け、私もこういうことがやりたい、こういうことがやりかたったんだ、という思いがより一層強くなりました。
 フリーランスになったのは、自分のやりたいことをするためです。人の作品を作り上げることも大切ですが、それだけに留まらず積極的に現場に出て、自分の取材をしていこうと思いました。フリーランスになってからもいくつか現場には出ていたのですが、こうした作品に触発されて、私も長期の海外取材に出て実際の戦争を取材することに決めました。そして1996年、アフガニスタンの内戦を取材することになりました。
 きっかけは、イスラム原理主義勢力タリバンとは一体何なのかを知りたいという好奇心です。イスラム原理主義の実態を調べたい、という思いがありました。それから、女性たちが抑圧されているというが、それは本当なのか。彼女らは本当に泣き暮らしているのか、それとも何かを訴えたいと思っているのか。ブルカとは一体、何か。彼女らの生活はこのブルカによって抑圧されているのか、それとも彼女らにとってこれは保護ベールなのか、ブルカは文化なのか・・・。
 このようなことは当時、ニュースとしては出てこない。イスラムというものに対する情報自体、非常に少なかった。だから、現場に行って調べてみたい、という気持ちが強くなりました。
■タリバンはターバンを巻いた普通のおじさんたち
 タリバンの宗教令では、女性たちは働いてはいけない、学校に行ってはいけない、などとなっていたのですが、女性たちは「秘密の教室」というものを開いていました。女性たちがこっそり集まって、禁止されているはずの勉強をしていた。私はその取材しました。
 外国人の私は、タリバンの許可なく一般の人にインタビューすることも禁止されていたので、私が民家を訪ねることでどんな影響があるのか、どんなリスクがあるのかを考えなければなりませんでした。私がインタビューした女性たちの安全はどうなるのかが最も気を付けなければならないポイントです。
 取材した映像を日本で放送することで、彼女たちに何らかの危害が及ぶのではないか、場合によっては命にかかわってくるのではないか、ということがとにかく心配でした。彼女たちは、「本当の姿を見てほしい」、「包み隠さず出してほしい」と言うのです。実態を知ってもらうために、顔を出してもいいと言いました。
 そう決断した背景には、顔を出すことは危険だけれども、顔を出すことによって逆に証拠能力も高まる。また、もし彼女たちに何かあった場合にも、この人たちが本当に存在していて、今、当局に拘束されてしまっているのだ、と訴える手段にもなる。顔がないままだと、一体どこのだれがどうなっているのか、誰にもわからなくなる。彼女たちはそれを恐れていました。
 そうは言っても、その先どうなるかは全く予測がつかない部分もあったので、もちろん、彼女たちがどこに暮らしているのかは明らかにしないということが大前提でした。情報源の秘匿です。
■「先入観を捨てる」ということは大事です。
 アフガニスタンの取材では、私が出会った「カブールに住む女性たち」が言っていることがすべてではない、ということにも気付いていきました。地方を取材していくと、農村部はものすごく保守的ですから、そこの女性たちは、社会進出や女性の権利ということをまったく知らない。教育の差もあります。イスラムの教えを守ることが自分の人生において一番重要なことだと教えられている人たちもたくさんいるわけです。
 そういう現地の慣習や文化などについては、私の考えを押し付けるのではなく、彼らがどう考えているのかが重要なのです。タリバンであっても上層部以外は、ターバンを巻いた普通のおじさんたちでした。
 私は出来るだけ気をつけて、偏見をなくそう、先入観にとらわれないようにしようと考えています。
 現地の人たちにとって何が重要で、何が問題なのか、ということを慎重に見極めていかなければならない。そういうことを取材の中で学んでいくと、より一層対象に迫ることもできますし、深い取材にも繋がっていくのだと思います。
■頑張ってもダメなときはある
 「取材の継続性」も大切です。何度も足を運ぶと、最初はダメだなと思われたようなことも取材に繋がることがあります。
 例えば、タリバンの取材も絶対無理と言われていましたが、実際はちょっと違っていて、カンダハルでの取材もできました。ウルズガンという、カンダハルからもっと山奥に入ったところにある、すごく危険な地域の取材もできたりしました。よく「足で稼ぐ」って言いますが、そういった日々の積み重ねが取材に繋がるということは少なからずあります。
 ただ、こうやって話をしたり、何かを放送できたりしているということはある程度、取材が成功したからであって、そうじゃないこともいっぱいあるんです。空振りだってあるし、どんなに頑張ってもやっぱりダメなこともある。
 そういうときは粘って粘って粘ればいいというものでもなく、仕切り直さなきゃいけない。残念ながら、一度振り出しに戻らなきゃならないということもあります。臨機応変に行動していくことが必要なのです。
■戦争は突然起こるわけではない
 フリーランスの強みだと思うのは、取材の時期や期間を自分で選ぶことができる点です。戦争取材は本当に時間がかかるし、例えば、何か重大なことが起こって「ドーン」となっている時期には世界中からたくさんのメディアが駆けつけます。このときは非常に集中して、様々な情報が上がってきますが、そうじゃない時期もたくさんあります。
 戦争は突然起こるものじゃない、と私はいつも言っています。必ず小さな芽があって、それを摘んでしまえばいいんです。その芽を摘めるかどうかがすごく重要だと思います。そこを問題として捉え、こんなことが、こんな小さな地域ですが起きています、大変なことになっていますがどうしましょう、とメディアは問題提起することができる。
 その後、何かが起きてしまったとき、止められなかったときにも、現地ではこんなに大変です、ここが悪化している、ここは少し改善しました、といって継続して情報を出していけば、長引く可能性のある戦争を短く終わらせることができるかもしれない。こういうことを考えながら取材するわけです。
 戦後と言われる長い時期をどうリポートするか、どう取材して分析していくかを考えることも、非常に重要な仕事だと思います。
 長い時間をかけ、日々変化する状況を取材していくことがメディアには求められていて、それにはある程度、時間やテーマ設定に余裕が要ります。またそれはフリーランスでなくたっていいのです。会社の中の遊軍がどんどんテーマを提案して、ずっと継続して問題を追っていく。
 日頃は日の目を見なくて、周りから何やっているのだろうと思われるかもしれないけれど、実はずっと継続してウォッチングしていればいいのです。遊軍がいればの話ですが。
■通信技術が進化しても取材の本質は変わらない
 ここで少しフリーランスとテレビとの関係についてお話ししたいと思います。
 私は1996年のアフガン取材に始まって、その後、テレビでは私の企画をたびたび放送しています。なぜジャパンプレスの企画が注目されたのか。それは非常にインパクトがあったからです。現場に肉薄することで、戦争の実態を垣間みることができたからです。
 アフガニスタンの場合は、それまで謎と言われていたタリバンの姿と女性たちの姿です。タリバンは実は、上層部以外はターバンを巻いた普通のおじさんたちだったということが見えてきた。あとは女性たちの日常生活も。そういったことが見えてくると、やはり企画としては非常に注目度が高いものになるのです。
 もう一つは取材方法。先ほどからお話ししているように、ビデオジャーナリズムです。小型ビデオカメラで取材していても内容の質が高ければいい。テレビ・放送業界の中で非常に注目されました。これが結局、テレビ局の制作構造に変化をもたらすことになりました。
 つまり、フリーランスのジャーナリストが取材した記録映像が、ニュース番組でも放送されることが可能になったのです。当時の放送業界はそれだけ閉鎖的だったのです。
 加えて署名性です。取材者の名前が出ました。誰がどんな取材をしてきたのか、ということが明らかになった。それまでは署名の作品というのは本当に少なかった。
 NHKの『サラエボの冬』を見ていると、取材者自身が映像の中やスタジオに登場している。もちろん映像にもクレジットが入っている。今でこそ当たり前のようになっていますが、実はそのころまでのニュース番組は、誰が撮影した映像なのか、取材者は誰なのかを知らせないまま、放送されていました。視聴者は局の特派員がすべて取材したと思っていたかもしれません。
 2001年の9.11同時多発テロも大きな構造変化をもたらした事件なので触れておきます。当時はビデオフォンと言っていたのですが、簡易中継機材などを使って戦場から生中継ができるようになった、というのが非常に大きな変化でした。この方法は今にもつながっていて、現在では、衛星電話さえあれば、どんな僻地からであっても中継ができるようになりました。
 戦場からの生中継は一長一短あり、速報性や臨場感はある一方、一過的で、瞬間、瞬間が流れて行ってしまう特性がある。そうではなく、分析や過去の事象を振り返るなどといった、検証作業をセットにしてやっていくことで報道全体の質は高くなります。
 とはいえ、分析ばかりしていて、現場で今、何が起こっているのかをおろそかにしていいわけではありません。生中継の難しいところは、刻一刻と変わる状況の中で、発言に説得力が求められることです。それまでの実績や地道な取材があるからこそ、リポートができるわけです。
 どんなに通信技術やデジタル化がすすんでも、取材という行為の本質はそんなに変わらない。新聞が力をもっていた時代からテレビに移って、今ではインターネットが躍進していますが、取材の本質ややるべきこと自体はそれほど変わっていないと思っています。便利になればなるほど、裏取りとか、そういった本質的なことをよりきめ細かくしていかなければならないと思っています。
■フリーランスだけが現地に残った
 今日は2003年のイラク戦争の映像を見てもらいます。2003年3月の戦争では米軍の取材システム「エンベッド」が導入されました。イラク戦争は、歴史的にも初めてと言われる、米軍に完全に管理された戦争取材というのが特徴的でした。
 私は首都のバグダッドで取材することにしました。そこには技術者やカメラマンが世界各国から集まっていました。日本のメディアでは「開戦時、マスコミがバグダッドから撤収しフリーランスだけが現地に残った」ことが特徴的だとよく言われます。私がバグダッドに残って取材することに決めたときのジャパンプレスの取材体制は、バグダッドに二人、イラク北部に一人を配置して多角的に状況が入るようにしていました。
    【ここでビデオを上映】
 テレビ局の人や新聞社の人がいないからフリーランスに仕事がまわってきたんだ、という意識で仕事をすると、後に続かないわけです。一度だけならできるかもしれないけれども、その後も繰り返し現地取材をしていく、同じように何か起きたときにきちんとした契約をもらって取材していくということには繋がらない。
 ですから、フリーランスでやっていくためには、どれだけ専門性があるかが非常に重要になってくる。これは戦争取材だけじゃないと思います。
 さて皆さんにお聞きしたいことがあります。イラク戦争のとき、日本の新聞・テレビ各社は安全面に配慮して現地から社員を撤収しました。ではもしあなたが当事者だったらどうするか、ということを考えてみてほしいと思います。現場にいた場合でもいいですし、これから行ってくれと言われた場合でもいいです。どうしますか?
■多角的な現場の取材は必要不可欠
学生1: 僕はやはり、戦争下で現地の人がどういう生活をしているのかということを世界に発信したいので残ると思います。
山本: では会社から、死んだら困るから行くな、と業務命令があったらどうしますか?
学生1: 業務命令であった場合、自分が今後どういう風に生活していくかという収入面の問題もあると思うので、そこは時と場合によると思いますが、会社の命令に従います。
学生2: もし私が記者だとしたら、現場で何が起こっているのかということをこの目で確かめたいので、戦場であっても取材にいきたいと思います。
山本: 国民の知る権利や報道の使命ということは皆さんもよくわかっていると思うのですが、こういったことを全うするためには周辺の国や攻撃国側の取材ももちろん重要です。多角的な取材をすべきでしょう。その上で、現場の取材というのは必要不可欠です。
学生3: 僕もおそらくは取材をすることになるだろうと思います。しかし業務命令で帰れと言われたときに、誰かが報道をするとか、きちんと日本のジャーナリズムの歴史の中にこの戦争があったということを残すのは、他の人との兼ね合いがあると思います。だれかはいなきゃいけない。だけれどもそれが自分である必要があるのかどうかってことを考えるのが大事かなと思うんです。
山本: そのだれかっていうのは自分の会社じゃないひとですか?
学生3: もちろんフリーランスで山本さんのように専門性を持っておられる方が残るのであれば、むしろ僕がマスメディアとして残るよりは、そういう人たちにしっかりお金を出して情報を買うというのも一つありかなと思います。
山本: 一つの考え方として、今の視点もあるかもしれませんが、要するに、ただお金の問題なのかっていうこともありますよね。
 会社の中でも、例えば自分が経済部だったら、海外の取材をしたことがないという人がいきなり出て行くことはないと思うんですが、それまでの状況をずっと取材してきた専門家だったとしたら、やはり現地に残りたいと思う人は多いと思います。
学生3: 有給休暇を使って行くかもしれません。
■「私の重要な役目です」
山本: なるほど。でも、有給も会社が制限するかもしれないっていう問題もありますよね。
 ここでどうしても考えてほしいのは、「やらなきゃいけない」という空気が、会社の中にあるかないかですよね。まず会社の中で「これはやるべきことだ」と決めて、で、実際にどうやるのかを考える。やるかやらないかではなく、当然やるのです。
 世界的、歴史的にとても重要な大事件で、やらない理由は見つからないわけですよ。やはり会社はどんどん大きくなってくると、さっき言ったように部下の安全や保険はどうするのか、家族はどうするのか、あるいは世間の目も気になってくる。
 それを全部おろそかにしていいという意味ではないですよ。それらを踏まえたうえで、やるべきことをやるためにどんなシステムをつくり、何をフォローしていけばいいのか、というところから考えていかないといけないと思います。
 行けと業務命令を下した上司に責任はないのです。指示した直属の上司の責任を問わない。万が一、記者が現場で怪我をしたり命を失うことがあったとしても、その人の上司や社長のクビをきったりはしない。これは仕事としてやるべきことをやって、発生した事故だと考えるべきです。職業上のリスクだと会社全体がきちんと考えを統一することです。そしてそれを世間に対してもちゃんと説明する。
 もちろんあらゆる手段を講じて準備をするわけですが、万が一のリスクに対しては、補償もするし説明もする。「もしも何かが起きたら責任が取れない」というのを行かない理由にしてはいけない。
 また、記者に対しても、行きたいのか行きたくないのかをきちんと聞く。それでも行きたい者には行かせる、というような体制づくりをしていく必要があるのかなと思います。何かあったときの責任問題にしないということと、本人の意思確認をしていく。記者は、志願したものが行くということが大前提としてあると思います。
 危険だから取材しないではなく、取材はするが、何かあったときにどうフォローするかを考えることが大切なのであって、会社全体が萎縮してしまうのがとにかく一番大きな問題だと思っています。
 先ほど、学生からも意見が出ましたが、会社を辞めてフリーランスになるという道もあります。しかし、それは最終手段であって、やはり会社の中から変えていくことが重要です。
 フリーランスでやっていくということは、自由でやりたいことを追求しているので、ある意味では研究者みたいなものですが、それを下支えしていくための、例えば普段の生活や、どうやって取材を継続させていくかなど、多くの課題があります。そこまでできるのは本当にごく一部で、裾野が拡がらない。職業として成り立っていかないのが現実なんですよね。
 ですから、会社の中にいながら組織をいい方向に変えて行くことが、日本のジャーナリズムにとっては重要なことだなとつくづく思っています。
 メディア全体が萎縮しているのは本当に危険なことだと思います。どうしても情報が横並びになってしまう。出てくる情報が同じになってしまうということです。横並びになると、新たな視点がなかなか出てこない。
 同時に、ジャーナリズムの重要性や使命という観点から、なぜ現地取材をしないのかを考えることです。まずは「安全」というのがありますが、そこに囚われすぎると現地に入ってこそ見えることが見えなくなってしまう。どんな監視下でも、どんなに窮屈な状況でも、現場にいる私の意識を変えることはできない。
 自由な取材ができないなら危険な思いをして現場に行ってもしょうがない。と指摘する人もいますが、それは視野が狭すぎます。現場にいることで垣間見えることが必ずあります。また、自分が目撃したことは証拠能力が高い。それを寄せ集めていくことが、私の重要な役目の一つだと思います。
 外国人ジャーナリストの存在がかすかながらも抑止力になることもあります。都合の悪いものは見せないようにするのは、恐怖政治をしている国だけでない。日本を見ていても、後になって出てくることっていっぱいありますよね。突っついて穿り出していくということをやらなきゃいけないと思っています。
 では、今日の講義はここまでです。あとは質問がある方はどうぞ。
■でも私は辞めない
学生4: 随分長く戦争や災害の取材をされていますが、そういうことをしているともっとひどいところ、もっとかわいそうな人を求めていくなど、何か変わっていくことはあるのでしょうか?
山本: いわゆる中毒症状のことですね。ないですね。危険なところを探すのが目的ではありませんから。
 そうは言っても、戦争ジャーナリストは自ら危険なところに行くわけですから、少し変わっているのかもしれません。でも慣れることはない。テレビでは過激なものの方が取り上げやすいわけで、自分たちもそのことは十分承知している。その上で私は淡々と取材します。
 私が一番強く興味を持ったのは、生命の危険にさらされる中でも笑ったり、元気に生きている人たちの姿です。人間力、逞しさにすごく興味があるので、逆境の中で生き延びようとする人たちも取材したいと思っています。
 でも、だからと言って、子どもたちの笑顔ばかりを集めるとか、そういう切り口にはしたくない。子どもはどんな状況でも笑顔を見せますし、明るいのです。一方で、多くの人が無残な姿で命を落としているのが現実なのですから。
 より過激なものを探し求めるという方向にはいかないですね。怖さを知っているからこそ、より慎重に取材するようになる。これは中毒ではないと思うんです。
学生4: ビデオ映像から人々の逞しさを感じました。一方で悲しんでいる女性の目もすごく印象的で、そういう人もいるんだと思うんですね。そういう人を撮ると、映像も印象的になると思うんですね。人の悲しみを売り物にしているという葛藤や意識はあるんでしょうか?
山本: 自分の生活が戦争取材の上に成り立っているということは、私自身、ずっと考えていることです。でも私は辞めない。私は取材したことを世の中に伝えていくことで自分の仕事を全うしています。
 もし葛藤があったとしても、現地の人たちの苦しみに比べれば私が感じる悲しみなんか大したことはない。自分自身でリスクを負っていますから、ただ用意されたものに乗っかって、写真を撮って、帰ってきて、「ほら、大変でしょ」とやるつもりはまったくくない。それなりのリスクをかけているので、それで帳消しにしてよ、という感じかな。
 現地の人たちが涙を流している事実を報道することは、果たして他人の悲しみを売りものにしていることになるのでしょうか。扇情的な編集をしたり、全く違う場面の映像をはめ込んでいるのではありません。映像が報道されたことで、何かが変わるのなら、取材した甲斐があると私は考えます。報道の重要性、可能性を知っているので、後ろめたいと思いません。(以下、続く
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 ◆ 山本美香さんが学生たちに遺した「最期の講義」後編 「死にゆく人を目の前にしてカメラをまわせるか」 2012-08-29 | メディア/ジャーナリズム 

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