安保改定50年 むしばまれた日米同盟 首脳同士の信頼感なく
産経ニュース2010.1.19 18:47
日米両政府は安保条約改定署名50周年にあたり共同声明で、同盟関係が地域の平和と安定に「不可欠な役割」を果たしていると意義を強調した。しかし、“同盟賛美”とは裏腹に、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題の決着の遅れで、米側の鳩山政権への不信感は増している。移設問題の行方によっては、11月に予定されているオバマ大統領の訪日に向けて、同盟関係は深化するどころか、土台がむしばまれていく危険性をはらんでいる。
「強固な日米同盟こそが地域の平和と安定に寄与するとの両国の強い意思を示す必要があった」
共同声明策定に関与した在米日米関係筋は、声明のなかで米軍の「抑止力維持」とともに、北朝鮮を名指しで批判し、国際社会の一員として中国の役割に期待感を表明した理由をこう説明した。
米国のアジア外交は日本や豪州など「自由と民主主義」という共通の価値観を持つ国との友好関係が基本だ。普天間問題で鳩山政権への疑念を強める米政府だが、この日の共同声明発表に応じたのは、「普天間移設問題は重要だが、日米関係は一つの問題で阻害されてはならない。日米同盟が米国のアジア関与の基礎で安全保障に不可欠な支柱」(クリントン国務長官)と判断したためだ。
日本側も今年前半の外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、普天間飛行場の移設先で合意し、同盟深化協議を本格化させて11月の首脳会談で新たな共同文書を打ち出す道筋を描いている。
ただ、日本側は当初、鳩山由紀夫首相とオバマ大統領による共同声明の発表を探ったものの、普天間問題の決着の遅れが影響し、結果的に外務・防衛担当閣僚による発表と「格下げ」となった。
昨年末の決着見送りを決めた鳩山首相は15日、来日した米議会の重鎮ダニエル・イノウエ上院議員に対し、普天間問題について「5月までに必ず結論を出す。両国に理解してもらえる解決策を出したい」と明言したものの、24日投開票の沖縄県名護市長選の結果は、政府・与党内の議論に大きな影響を与えることが予想される。
首相が同市内にあるキャンプ・シュワブ沿岸部以外の選択をした場合、現行計画の履行を強く求めている米側との亀裂が深まるのは確実だ。日米両国は昨年11月の首脳会談で「同盟深化」で一致し、「核の傘」による拡大抑止、ミサイル防衛(MD)など多岐にわたる分野で新たな安全保障システムを構築する方針を確認したが、これらの作業にも影響を与えるのは避けられない。
昨年末、訪米した日本の議会関係者にグレグソン米国防次官補(アジア・太平洋担当)はこうもらした。
「日米同盟というのは軍事同盟であって、日米協力とは違う。軍事同盟の一番の中核はトップ同士の信頼関係だが、いまそれがなくなっているのが問題だ」(ワシントン 佐々木類、赤地真志帆)
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◇小沢一郎 天皇観の異様 「日本はどんなことでも中国の言うことを聞く」対米従属から対中従属へ 2010-01-16 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
「独裁者」の肖像 小沢一郎「天皇観」の異様 小沢が突き進む「民主集中制」への道 中西輝政(京都大学教授) 文藝春秋2月号
「天皇陛下のお体がすぐれない、体調がすぐれないというならば、それよりも優位性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか」
「天皇陛下はご自身に聞いてみたら『それは手違いで遅れたかもしれないけれども遭いましょう』と、必ずそうおっしゃると思うよ。わかった?」
「国事行為は内閣の助言と承認で行われるんだよ。天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて。それが日本国憲法の理念であり、本旨なんだ」
2009年12月14日、民主党の小沢一郎幹事長が記者会見でこう言い放った。私はこの会見を聞き、この民主党政権は戦後日本が経験したことのない“危険領域”にいとも軽々と足を踏み入れた、という暗然たる思いを抱いた。
天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見が、いわゆる「1ヵ月ルール」を無視して、首相官邸の強い要請で決定され、それに対して羽毛田信吾宮内庁長官が説明会見で「こういったことは二度とあってほしくない」と強い懸念と遺憾の意を述べた、という経緯は周知の通りである。この羽毛田発言に反発した小沢氏の、天皇陛下の意思を勝手に忖度し代弁するかのような口ぶりや、自分の考えに宮内庁も天皇陛下も黙って従うべきだといわんばかりの態度に、多くの国民は強い違和感を覚えた。宮内庁には1千件を超える電話やメールが寄せられ、そのほとんどが羽毛田長官を支持する声だったという。私に「小沢氏は平清盛なのでしょうか」というメールをくれた学生もいた。
小沢幹事長のこの発言をめぐって、新聞などでは「“特例会見”は政治利用か否か」あるいは「1ヵ月ルールの是非」といった議論が盛んに行われたが、私に言わせれば、それらは議論のすり替えか、枝葉末節に過ぎない。この小沢発言は、日本が培ってきた民主主義や、国民と天皇との関係を全て否定に向かわせる決定的な不吉さを秘めている。
そして、民主党政権は次々と“危険領域”の核心に踏み込む決定を行っている。ここでは、小沢氏、そして民主党政権が日本をどこへ導こうとしているのか、そしてそこにはいかなる危機が潜んでいるのかを見定めてみたい。
日米同盟が終わった12月15日
小沢会見の翌日、鳩山由紀夫首相は、日本の国家としての基本方針を一変する、きわめて重大な発表を行った。普天間移設問題について、「無期限先送り」の決定を下したのである。後世の歴史家は、この日を「日米同盟が事実上、終わりを迎えた日」として特筆することになるだろう。
民主党政権発足以来、沖縄の普天間飛行場移設問題は紛糾を極めた。鳩山首相は11月13日の日米首脳会談でオバマ大統領に普天間移設問題の早期解決を約束して、「私を信じてほしい(Trust me)」とまで言った。しかし、その後も、鳩山内閣は日米で合意済みだった辺野古地区のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設計画を変更しようとして、何の解決策も見出せないまま迷走を続けていた。そして、12月15日の「無期限先送り」決定に至ったのである。
問題解決の期限を設定しない、ということは、事実上、移転計画を白紙に戻したということであり、国際関係の常識から見れば、問題解決を放棄したというに等しい。鳩山首相はもう二度とオバマ大統領と会談することはできないだろう。「信頼」を全く覆した首脳と一体、何を相談できるのか、というのが外交の常識だ。
国際政治の知識が不十分な人は、同盟とは両国の結んだ条約のことである、と誤解している。日米安全保障条約がある以上、日米同盟は揺るぐことはない、と考えている。しかし、同盟の本質とは、同盟国相互の信義、つまり心の状態に懸かっており、紙に記された文言などではない。
歴史をひもとけば、両当事者の合意で円満に放棄された同盟関係などほとんどないことがわかる。同盟国のどちらかが同盟のルールに違反したり信頼を失って破棄されるか、自然消滅に至ることのほうが圧倒的に多い。同盟の内実は両国の関係に応じて、常に変転する。信頼を失えば、その内実が損なわれ、ときには人知れず消え去っていく。
歴史上の例を挙げれば、日英同盟もそうだった。条約としての日英同盟の失効が決まったのは1921年のことだったが、イギリスはすでに第1次世界大戦の最中に、戦争が終わったら必ず日英同盟は見直す、と決意していた。第1次大戦において、苦境にあったイギリスが同盟国である日本に陸軍の派遣などの協力を要請したにもかかわらず、日本は「世論の反対」を理由に消極的な姿勢に終始した。イギリスは、親ドイツに傾斜し、アジアでの利権確保にしか関心を示さない日本は同盟国として全く信頼できない、と判断したのである。つまり、日英同盟は第一次大戦中に事実上、終わっていたのである。
もちろん日米同盟も例外ではない。米国が鳩山政権に対する信頼を失っても、「日米安保条約」がただちに破棄されるわけではない。しかし、米国は今後、日本が必要とする重要な情報を提供しなくなるだろうし、軍事技術の供与や人的交流も止め、共同演習を中止する可能性もある。鳩山首相の「無期限先送り」発言は、こうした日米同盟消滅への道筋に、大きく一歩を踏み出したものだった。
なぜなら、普天間移設問題の無期限先送りが発表されたのとほぼ同時に、小沢-鳩山民主党はもうひとつの「外交方針の大転換」を内外に高らかに宣言していたからである。
12月14日、小沢幹事長率いる訪中団の団長を務めた山岡賢次国対委員長は、上海で開かれたシンポジウムで、「日米関係が基地問題で若干ぎくしゃくしているのは事実だ。そのためにもまず、日中関係を強固にし、正三角形が築けるよう米国の問題を解決していくのが現実的プロセスだと思っている」(「産経新聞」12月15日付け)
この「日中米正三角形論」は「最高実力者」小沢幹事長の持論を代弁したもので、鳩山首相の「友愛」イメージとも相俟って、「日本はアメリカとも中国とも仲良くしていく」というだけのこと、としばしば誤解される。しかし、そんな誤解は日本国内でしか成立しない。
「日中米正三角形論」の正体とは何か。それは、日米同盟から日中同盟へのシフト・チェンジである。言うまでもなく、アメリカは日本の同盟国であり、中国はそうではない。これを「正三角形」、すなわち等距離に置くということは、日米同盟を破棄するか、新たに日中同盟を結ぶことを意味する。普天間移設問題とこの発言とを合わせるならば、「日本は同盟のパートナーをアメリカから中国に乗り替える」というメッセージ以外の何物でもない。
さらに、山岡氏は同じ演説で、この正三角形論は、「小沢幹事長と胡錦濤国家主席との会談でも確認された」と述べている。これは驚くべき発言である。首相でも、外務大臣でもない与党幹部が、中国の最高責任者との間で、日本の根本的な外交方針について「確認」を行っているのだ。
同盟関係の見直し、これは単なる「政策転換」ではない。日本国の運命にかかわる致命的な「国策転換」である。
これほど重大な「国策転換」が、国民に対する説明もなく、民意の汲み上げもなく、易々と行われる。これが、今の民主党政権の危うさである。この軽さと危うさが重大な国難を招く可能性は高い、と言わざるを得ない。
今、国民が気づきつつあるのは、こうした「国策転換」の要に、外交に関する権限など何も有していない小沢氏が位置していることの不気味さであり、しかも、小沢氏自身が自らの「越権行為」をごく当然のこととして振舞い、誰も異議を唱えないことの奇怪さだ。
そして、自らの権限を無制限に広げていくかのような小沢氏の危うさが国民の目にはっきりと露呈したのが、冒頭で触れた天皇陛下まで動かした特例会見問題だった。
なぜ中国は天皇との会見にこだわったのか
山岡国対委員長が小沢幹事長を代弁する形で、「日中米正三角形論」をぶち上げた翌日、鳩山首相が普天間移設問題を無期限先送りし、日米同盟から日中同盟へのシフト・チェンジを宣言した。その12月15日に、天皇陛下と習中国国家副主席との“特例会見”が行われている。この符号は偶然ではない。
まず、“特例会見”が決定されるまでの経緯を、新聞報道からたどってみる。
中国から日本の外務省に、天皇陛下に習国家副主席が会見したい、という正式申請があったのが、11月26日。外務省が宮内庁に打診したところ、翌27日には、宮内庁は「1ヵ月ルール」に則って「応じかねる」と外務省に返答している。そして30日には、外務省が中国側に正式に「会見は無理」と伝えた。
ここまでは通常の外交的なやりとりに過ぎない。しかし、中国は猛烈な巻き返しに打って出た。さまざまなルートで、再三、会見を要請。12月7日には鳩山首相が平野博文官房長官に「何とかできないか。非常に重要なんだけど」と指示したが、これを羽毛田宮内庁長官は再度断っている。そして9日、日本政府は中国側に「陛下のご健康がすぐれず、会見に応じるのは難しい」と伝えると、崔天凱駐日中国大使は小沢幹事長に国会内で懇願。小沢幹事長が平野官房長官に電話し、「しっかりやってほしい」と伝えた(小沢氏は一切の働きかけを否定)。
そして、10日、平野官房長官から電話で、「首相の指示」と伝えられた羽毛田長官がついに屈服させられたのである。この日、小沢幹事長は、640人の訪中団を率いて中国に旅立ち、胡錦濤国家主席との会談を行った。
この経緯を見ていると二つの疑問が湧いてくる。
第一はなぜ、中国はそれほどまでして、習国家副主席と天皇陛下の会見を実現させたかったのか。羽毛田宮内庁長官は、12月7日に平野官房長官から要請された際には、日中関係の政治的重要性に加えて、「中国が天皇陛下との会見を強く望んでいる」と強調されたという。
そして、第二は日本はなぜ中国の執拗かつルールを逸脱した要請を承諾してしまったのか。私の考えでは、今回の天皇陛下特例会見での、民主党政権の最大の過誤--国運を傾かせるほどの--は、ここにある。
新聞各紙は、1998年に胡錦濤が国家副主席として訪日した際に天皇陛下と会見しているので、それと同等の扱いを求めている、とか、習国家副主席は胡錦濤の後を襲って次期国家主席になると目されているので、箔をつけたいからだ、と分析していた。しかし、中国外交とはそんな甘ちょろいものではない。「天皇陛下に会って、箔をつける」などという発想は日本にはあっても、中国にはない。
そもそも、胡錦濤にとって習近平は望ましい後継者なのだろうか。次期国家主席として習を推しているのは江沢民につながるグループであり、胡錦濤に近いのは同じ共産主義青年団出身の李克強であることは、よく知られている。今回、中国がまさに政府一丸となって天皇会見を実現しようとしたのは、そうした個人的な関係などではなく、中国の国家戦略そのものから発していると見なければならない。
相手国の嫌がることを無理強いして、上下関係を築くのは、中国外交の常套手段である。中国が強い圧力をかけて、「天皇への会見を無理強いさせる」という日本が最も忌避していることを実現させること。そして、国際社会に「日本はどんなことでも中国の言うことを聞く」とアピールすることこそ、中国の真の目的だった、と私は考える。
天皇陛下との会見に中国が執着したもうひとつの理由は、天皇陛下が日本国民にとってどれほど重い価値をもつかを、中国は知っているからだ。
かつて、この天皇の持つ重みに気がつき、利用しようとしたのがマッカーサーだった。第二次世界大戦後の日本占領を始めるに際し、マッカーサーはなぜ昭和天皇を呼びつけ、一緒に並んであの写真を撮らせたのか。それは日本国民に新たな為政者が誰であるかを示し、全ての日本人にマッカーサーへの信服を促すためだった。
ここで、第二の疑問が生じてくる。つまり、なぜ民主党政権は中国の要請を受け入れたのか。
陛下の体調に配慮するための「1ヵ月ルール」もあり、習国家副主席は国家元首でもない。天皇陛下との会見を断っても、外交儀礼上、何ら礼を失することにはならなかったはずだ。それでも、民主党政権が中国の意向にきわめて忠実に対応したのは、やはり「日米同盟から日中同盟へ」というシフト・チェンジを「最高実力者」の小沢幹事長が真剣に実現しようとしている証であろう。小沢幹事長は中国のこの無茶な要請に応えることが日中同盟を強固にし、自らが考える「日本の国益」にかなうと考えたはずだ。
だから、今回の“特例会見”の最大の問題は「政治利用であったか否か」ではない。「政治」をどう定義するかによって、「政治利用」の意味はまったく変わってしまうので、私はその議論に参加するつもりはない。今回の“特例会見”の最大の問題はもっと個別具体的であり、数段、罪の重いものである。
すなわち、政権与党の「最大実力者」小沢幹事長が、日本の根幹に関わる国策を国民の知らない間に転換し、その新しい国策のため、「日本は中国からの理不尽な要求に進んで従う」という日本屈服の劇(ドラマ)に、天皇陛下を利用したことこそが問われているのである。
もし、このまま日米同盟を「対米従属」だと批判し、東アジア共同体構想をぶち上げ、「日中米正三角形論」を唱える小沢-鳩山政権が続けば、日本はどんな国に作り変えられてしまうのだろうか。
テレビに映る天皇陛下と習国家副主席の会見を見ながら、私は暗い想像にとらわれた。米国元首たるオバマ大統領は天皇陛下に会ったとき、深々とお辞儀をした。しかし、元首でもない習国家副主席は、天皇陛下に頭一つ下げることはなかった。基本的な国際儀礼さえ共有していないような国への従属を強いられ、中国の一衛星国の立場に甘んじること。それが、“特例会見”を見ながら、私の頭に去来した日本の将来である。
私自身、長年にわたり一貫して「対米従属構造からの脱却」を唱えてきたし、今もその考えは変わらない。しかし、そのためには準備と時間が必要だ。「対米従属」からの脱却は、アメリカと敵対関係になることではない。防衛体制を整え、独自の資源政策を築き、そして憲法改正を避けて通るわけにはいかない。今の民主党政権は、そうした備えを何もせずに、隣には北朝鮮という核武装国家まで存在する環境で、自らは裸のまま、靴でも履き替えるように保護者(パトロン)を米国から中国へ乗り替える綱渡りをしようとしているのである。その帰結はおよそ「独立した主体性を持った」国家とはますますかけ離れた場所に日本を追いやるだけだろう。つまり、小沢-鳩山政権の外交・安全保障政策は結局のところ、「対米従属」から脱却するために「対中従属」を選ぼうとしているにすぎないのだ。
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日経新聞 社説 寒波のなかで50周年迎える日米安保(2010/1/18)
1960年1月19日、岸信介首相は、アイゼンハワー米大統領とともに、ホワイトハウスで、現在の日米安全保障条約に署名した。翌20日付本紙によれば、当日のワシントンは「前日の冷たいみぞれとはうって代わった上天気」だった。
いま日米同盟は、鳩山・オバマ体制のもとで寒風に吹かれながら、50周年の記念日を迎える。日米関係の半世紀を振り返れば、それなりに山や谷はあった。だが、現在ほどの冷え込みはなかった。
すれ違う日米相互依存
原因は鳩山由紀夫首相の対米姿勢にある。「対等」「緊密」な日米関係を目指すとする主張それ自体に問題があるわけではないが、両国関係の中核である安全保障をめぐって鳩山政権は、日本の責任を含む構想を全く示していない。米国からの「自立」を叫びながら実は「依存」を深める。
安保条約署名を伝えた本紙は「はっきり自由陣営へ」を1面トップの見出しにとった。米ソ冷戦のさなかの60年、岸首相による署名は、ソ連を中心とした東側ではなく、米国を中心とした西側につく、いわば体制の選択を意味した。
89年のベルリンの壁の崩壊が象徴するように、冷戦は西側の勝利で終わった。冷戦構造の日本国内版である自民、社会両党による55年体制も冷戦の終わりとともに、社会党の衰退によって終わる。
それから20年たち、いわば敗者だった旧社会党つまり社民党が鳩山連立政権の安保政策に影響力を持ち、それが現在の日米冷却化を招く一因になっている。そこから抜け出す国内政治の展望は現段階ではない。
60年当時、日本の国内総生産(GDP)は世界の4.2%だった。米国のそれは日本の11.5倍だった。日本だけでなく、米国もGDPの世界シェアを伸ばしていたし、冷戦下だったから、日本の集団的自衛権行使を前提としない、片務的な安保条約の運用に米側は矛盾を感じなかったのだろう。
冷戦が終わり、96年に日米安保の再確認がなされた。北朝鮮の核疑惑など脅威の拡散に伴う安全保障環境の変化を受け、安保共同宣言が発表された。背景には経済力の変化もあった。日米の国力接近である。
当時の最新数字だった94年の日本のGDPの世界シェアは、18.2%だった。60年の4倍以上に伸びたわけだ。米国のそれは日本の1.4倍であり、日米格差は大きく縮んだ。米側は経済力に見合った日本の役割を求めた。
安保共同宣言をきっかけに日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の見直しが始まり、新たなガイドラインができた。周辺事態安全確保法もできた。集団的自衛権の行使を禁じた憲法解釈の見直しを求める議論も強まった。
現状は厄介である。2008年の米国のGDPシェアは23.4%であり、日本のそれは8.1%である。14年前に比べ、米国は微減、日本は激減であり、日米の差は2.9倍と開いた。
中国をはじめとする新興諸国の台頭によって程度の差はあるものの、日米ともにシェアを減らす。互いに他を頼りにする相互依存を模索するが、両者とも、他を頼りにはするが、頼られるのは困るといった気分に陥りやすい。今後50年の同盟を左右する重要な要素となる。
鳩山政権の離米姿勢に日本国内で一定の支持があるとすれば、そのような気分の反映だろう。仮に平時には許されても、危機が起きた時に、その気分があれば、日米同盟は機能不全に陥る。危機に機能しない同盟は、絵に描いたもちにすぎない。
「大きな同盟」のために
93年に登場したクリントン政権で経済優先・安保軽視の対日政策を変えた「ナイ・イニシアチブ」で知られるナイ・ハーバード大学教授は1月7日のニューヨーク・タイムズ紙に「ひとつの問題より大きな同盟」と題する論文を書き、普天間問題で日米関係が傷つく現状に、主に米側に向けて警鐘を鳴らした。
鳩山政権には助け舟のようにみえるが、そうではない。そこで「大きな同盟」の機能とされるのは、例えば中国を国際社会に統合し、危険な存在にならないように抑止することである。日米関係が悪化しているなかで中国に143人の国会議員を派遣する与党に支えられた鳩山政権にそれを期待できるだろうか。
安保条約署名50年を記念してワシントンで15日開いた公開セミナーで司会者が「ここからは普天間関係以外の質問を」と発言した。これが現時点の日米同盟の現実である。
鳩山政権は、経済摩擦が激しかった80~90年代以来、久々にワシントンの関心を日本に向けさせた。日本のためにならない皮肉な「功績」である。不正常な日米関係に一日も早く終止符を打つ必要がある。