2017.7.22 05:03更新
【産経抄】10年前に似た政治情勢 政治家を引きずり降ろす役人の常套手段 7月22日
現在の政治情勢は、10年前と似ているといわれる。当時も安倍晋三内閣の下で閣僚の失言や不祥事が相次ぎ、政権の体力をそいでいった。安倍首相は信用されなくなり、有権者が「お灸(きゅう)をすえよう」と参院選で民主党に投票した結果、自民党は惨敗して政権交代へとつながる。
▼あの時、安倍内閣が失速した理由はいくつも挙げられるが、一番大きいのは「消えた年金問題」だろう。問題発覚後、内閣支持率は各種世論調査で一気に10ポイント前後低下した。年金記録紛失は歴代内閣が等しく責任を負うべきものだが、マスコミは安倍首相に矛先を向けた。
▼記録紛失があらわになったのは、社会保険庁(現日本年金機構)の民営化を含む解体的出直しを掲げた安倍内閣に、社保庁の公務員労組が危機感を抱いたのがきっかけだとの見立てがある。公務員の既得権益を死守したい労組側が、自らの不祥事をリークした「自爆テロ」だという説である。
▼今回の事態は学校法人加計学園の獣医学部新設をめぐり、文部科学省の前川喜平前事務次官が「行政がゆがめられた」と告発したことに端を発する。こちらも、大学・学部の許認可権という既得権益を守りたい文科省の抵抗と反撃ではないのか。
▼社保庁と文科省という違いはあるが、内部文書が野党やマスコミに流出したことや、政治主導への反発が通底している。政治家を引きずり降ろす際の役人の常套(じょうとう)手段だと言ったら、うがち過ぎか。
▼「自分の相場が下落したと見たら、じっと屈(かが)んで居(い)れば、しばらくすると、また上がって来るものだ」。勝海舟はこう語り、相場の上下に長くて10年はかからないと指摘する。とはいえ、政治が再び混乱期を迎え、何年間も無為にすぎるようだと日本の方が危ない。
◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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◇ 【都議選投開票 2017/7/2】 10年前の夏と酷似 「安倍降ろし」の裏に見え隠れする「憲法改正封じ」
2017.7.3 05:00更新
【都議選投開票】10年前の夏とどこか似てないか? 「安倍降ろし」の裏に見え隠れする「憲法改正封じ」
10年前の夏とどこか似ていないか-。加計学園問題などをめぐる政権批判が吹き荒れる中、東京都議選は2日に投開票が行われ、小池百合子都知事率いる都民ファーストの会が躍進、自民党は惨敗した。築地市場移転など都政課題はまともに論じられず、なりふり構わぬ政権批判が続いたのはなぜか。その裏には、安倍晋三首相を退陣に追い込み、憲法改正を封印しようとの思惑が透けて見える。
*参院選で大敗
10年前の平成19年7月、第1次安倍政権下で行われた参院選で、自民党は改選議席64を37に減らす歴史的大敗を喫した。安倍首相は持病の潰瘍性大腸炎を悪化させ、2カ月後に退陣した。ここで生じた衆参ねじれは深刻な政治混乱を招き、21年夏に民主党政権を誕生させる遠因となった。
自民党が大敗した原因は何だったのか。
内閣支持率下落のきっかけは19年5月、事務所費問題で追及されていた松岡利勝農林水産相が自殺したことだった。後任の赤城徳彦農水相にも事務所費問題が発覚したほか、久間章生防衛相の「原爆投下しようがない」発言などが相次ぎ、参院選直前の内閣支持率は30%前後まで急落した。
今年の通常国会も春先から奇妙な嵐が吹き荒れた。
学校法人「森友学園」(大阪市)の国有地払い下げ問題に続き、学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設をめぐる問題が直撃した。いずれも首相の直接関与を裏付ける証拠は出ていない。それだけに首相らは「一体何が問題なのか」とタカをくくっていたようだが、それがあだとなり、対応は後手に回った。
加えて、自民党の豊田真由子衆院議員(離党届提出)の暴言事件など不祥事が相次いだ。都議選中盤にも稲田朋美防衛相の「自衛隊としてもお願いしたい」発言などがあり、野党とメディアは猛批判を続けた。
有権者の多くは「自民党にお灸をすえねば」と思ったのだろう。国政の不祥事で都議会がお灸をすえられるのは筋違いだが、1カ月前の各種世論調査では「自民党と都民ファーストは拮抗」と予想されただけに都議会自民党があおりを受けたことは間違いない。
*首相、慢心戒めを
10年前と酷似しているのは、政府・自民党の不祥事だけではない。憲法改正がキーワードとなっていることに着目すべきだろう。
10年前の19年5月14日、第1次安倍政権は、憲法改正手続きを定める国民投票法を成立させた。これを機に野党・メディアの政権批判はボルテージを上げた。
今年5月3日、首相は憲法9条に自衛隊を明記して改憲し、32年に新憲法を施行する政治日程も掲げた。その後、秋の臨時国会に自民党改憲案を提出すると表明した。
護憲勢力は10年前以上に強い危機感を持ったのではないか。5月以降、一部メディアは「倒閣」の意思さえ隠さぬようになった。
ただ、10年前と決定的に違う点がある。
都議会は巨大ではあるが地方議会にすぎない。衆院の任期満了(30年12月)は1年半も先であり、政権が態勢を立て直すには十分な時間がある。
躍進した都民ファーストの会は地域政党にすぎない。将来国政進出を目指す可能性はあるが、時間を要する。国政で野党第一党である民進党も惨敗しており、都議選の結果を「安倍政権にNO」と、判断するのは、短絡的すぎよう。
日本経済も順調だ。景気拡大は「いざなぎ」などに続く戦後3位の長さに達した。5月の有効求人倍率(季節調整値)は1.49倍となりバブル期を超えた。アベノミクスは着実に成果を出している。
とはいえ、楽観はできない。都議選中に繰り広げられた政権批判の本音が「改憲阻止」にあるならば、改憲論議が本格化する秋以降、ますます先鋭化する公算が大きいからだ。
首相は慢心を戒め、より説明責任を果たす必要がある。さもなくば憲法改正は「見果てぬ夢」となりかねない。 (政治部次長 酒井充)
◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です *強調(太字)は来栖
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◇ 『約束の日 安倍晋三試論』小川榮太郎著 幻冬舎文庫 平成25年7月20日 初版発行
p126~
VⅠ 大臣の死
5月28日、松岡利勝農林水産大臣は、議員宿舎の自室で首を吊り、自殺した。享年62。
松岡は十時頃まで、秘書と打ち合わせをしていた。全く平常の様子だったと秘書は証言している。その後、外出の予定があるにもかかわらず、本人が室内から出てこない。正午過ぎに、秘書が警護の警察官と一緒に室内に入ると、松岡は居間のドアの金具に、布製のひもで首を吊っていた。ただちに通報され、1時過ぎ、サイレンを鳴らさぬ救急車と消防車が、宿舎に入った。現場での蘇生措置の後、松岡は病院に搬送される。搬送先の慶應義塾大学病院は、丁度、人気ポップスグループ「ZARD」の歌手坂井泉水(いずみ)の急死で報道陣がごった返している最中だった。松岡を搬送する救急車は、その数十台のカメラの中を通過したのである。
p127~
世上が騒然となったのは当然だろう。テレビは一斉に臨時ニュースに切り替わり、街には号外が出た。現職閣僚の自殺は戦争直後を除けば、戦後初めてだった。(略)
朝日新聞の社説「松岡氏自殺 疑惑も晴らさぬままに」も同様に、安倍に閣僚の自殺責任まで負わせるかのような書きぶりだ。
安倍首相への打撃も大きいだろう。内閣の閣僚が、理由はともあれ自殺にまで追い込まれたのだ。(p128~)首相は任命責任を認めているものの、それは決して形式だけのものではないはずだ。
松岡氏には、以前から政治資金をめぐる疑惑が報じられていた。それをあえて閣僚に起用したのは、自民党総裁選での論功行賞ではとの見方が強かった。
その後、スキャンダルが噴出しても、首相はかばい続けた。昨年末の佐田行革担当相の辞任に続く閣僚更迭となれば、政権への打撃が大きすぎるとの思惑もあったのではないか。
「理由はともあれ」とはよく言ったものだ。更迭だったならば、手柄のように吹聴しただろうが、自殺されてしまえば、まさか「我々の追及で死に追いやってやった」とは書けない。安倍が、「論功行賞」という打算で松岡を採用し、「閣僚更迭となれば、政権への打撃が大きすぎる」という打算で松岡をかばい続けたことが、松岡を死に追いやったと言いたいわけだ。松岡としては、死して尚、安倍叩きに使われ、死んでも死にきれぬ思いだったろう。
p129~
何故自殺したのか
しかし、改めて考えてみると、何故、松岡はじさつしたのか。これは素朴だが重大な疑問である。安倍が会見で明らかにしたように、松岡には、一部報道の憶測に反して、捜査のメスが入ったという事実はなかった。法治国家では、灰色に見えるというだけでは、逮捕に至らないのは、言うまでもない。松岡の自殺直後、朝日新聞ははしなくも本音を漏らし、民主党は(p130~)「『法に則って報告している』と繰り返す松岡を攻めあぐねていた」と書いている(5月29日付)。マスコミは騒ぎを拡大し続けたが、粘って逃げ切れないほど重大な疑惑ではなかったと見るべきだろう。
それにもし、逃げ切れなかったとしてどうだというのか。松岡が親しく兄事していた鈴木宗男も、その鈴木を「疑惑の総合商社」と罵った辻元清美も、逮捕・有罪確定までいきながら、今も世間の白眼視など気にも留めず、活躍しているではないか。松岡のようなタイプの人間が逮捕そのものを恐れて自殺するとは考えにくい。また、安倍が松岡を慰留したことがプレッシャーになって自殺したという説に至っては、本末転倒が過ぎる。閣僚の自殺が内閣に与えるダメージの方がはるかに大きい。慰留を振り切って辞職すればいいだけの話だろう。松岡は、自殺の直前まで秘書と打ち合わせをしており、遺書も8通用意されていた。熟考の末、冷静に選んだ自殺だと言っていい。
では、松岡は何故自殺を選んだか。
愚問であるのは論を俟たない。自殺の真相など当人でなければ分かるまい。(略)私としては、遺書を素直に取る以外、松岡の死を深読みする必要は認めない。
p131~
国民の皆様 後援会の皆様
私自身の不明、不徳の為、お騒がせ致しましたこと、ご迷惑をおかけ致しましたこと、衷心からお詫び申し上げます。
自分の身命を持って責任とお詫びに代えさせていただきます。
なにとぞお許しくださいませ。
残された者達には、皆様方のお情けを賜りますようお願い申し上げます。
安倍総理 日本国 万歳
平成十九年五月二十八日
松岡利勝
彼は疑惑の多い利権型の政治家だった。そうに違いあるまい。元来利権を好み、政治家を目指したのか、それとも理想を抱き、その実現のために奮闘しているうちに、現実の汚れに(p132~)まみれてしまったのか、私は知らない。いずれにしても60歳を過ぎて、ようやく農林水産大臣の顕職に辿り着く。
露骨な猟官運動で論功行賞にありついたと陰口を利かれた。しかし、彼を抜擢したのが理想家の安倍だったことが松岡の運命を決した。
安倍は彼に通り一遍の意味で農水相の地位を与えたのではなく、「戦後レジームからの脱却」の一環、国家の大業として、農政の転換を期待した。松岡も、農政の専門家として、安倍の国創りの基盤を作る気概に燃えたに違いない。安倍のような理念型の政治家を首相に仰がない限り、「攻めの農業」という大きな政策転換の現場に巡り合わせることはあり得ない。松岡は文字通り、日本国のための死に場所に出会ったと実感したに違いない。
もし、この時、彼が打算的な首相によって、論功行賞として農水相のポストを与えられただけだったなら、松岡はさして苦しまなかったろう。過去の不始末の汚点など時が水に流す。スキャンダルが一段落したら、後は元農水相という終身名誉職で世間を闊歩すればいいのである。
彼を激しく恥じ入らせ、苦しめたのは、おそらく、自分とは対極的な政治家、筋金入りの理想家安倍にかばわれ続けながら、内閣の足を引っ張ったことだった。理想家に抜擢された汚れ役は、理想家の純潔に殉じねばならぬ。彼は安倍内閣を死に場所に選ぶ。
p133~
消せない過去を背負いながら顕官でい続けるよりも、純潔な理想家の閣僚として死ぬことで、国家の大業を、死の後も守る道を選んだのだ。
「安倍総理 日本国 万歳」をいささかつたなく翻訳すれば、おそらくそういうことになるに違いない。
運勢の潮目
「安倍の葬式はうちで出す」という朝日新聞幹部のつぶやきは、松岡の葬式を本当に出すに至った。だが、日頃安倍批判に饒舌だった「天声人語」は、松岡自殺事件を取り上げなかった。驚くべきことだ。自責の念からなのか、それとも世論の動向を見る「打算」からなのかは、分からない。
一方、民主党の出方はこうだ。
安倍は29日、松岡の地元、熊本県阿蘇市で営まれた通夜への出席にぎりぎりまでこだわったが、民主党は翌30日に、小沢一郎代表との党首討論開催を主張して譲らなかった。安倍は結局、通夜には参列できず、妻の昭恵が代理で出席する。昭恵は「大臣が道筋をつけた農政改革を引き継いでいきたい」という安倍の弔辞を涙ながらに代読した。
p134~
松岡の自殺は、事実上安倍政権に引導を渡したといってよいほど、運勢の潮目を変えてしまった。
安倍の心は、敵の攻撃には強い。朝日新聞も北朝鮮も、彼をひるませることは決してできない。まして民主党の小沢一郎など、この時までの安倍には敵とさえ見えなかったろう。だが、それは油断だった。この松岡の自殺が、感情量が豊かで、人を傷つけることを極度に嫌う安倍の心に密かに与えた打撃の大きさを、小沢は間違いなく正確に計量できていたようである。
それまで攻撃すべき安倍のアキレス腱を見出しあぐねていた小沢は、ようやく猛攻への決断を下す。
p164~
勿論、一度手にした権力を手放したくないというような次元の話ではない。安倍にとって権力は蜜などでは全くなかったからだ。安倍はその権力を用いて、誰もがひるむような凄まじい戦いを戦ってきたのだ。「戦い」という言葉をいたずらに濫用しているのではない。「安倍革命」は、実際に、一人の閣僚の命を奪い、他の内閣であったなら無傷ですんだはずの多くの閣僚を政治的に著しく傷つけ、その上、自民党の多くの候補を落選に追いやったのだ。
それにもかかわらず、安倍が、一層危険で孤独な戦いを継続しようと決意したのは、ここで引責辞任すれば、安倍の掲げた理念ー戦後レジームからの脱却ーそのものを、自ら否定することになると考えたからだ。政治家としての傷を最小限にするために辞任するというような個人的な打算は、この人物にはまるでなかった。安倍は、自らが、「戦後レジームからの脱却」という理念の象徴であることを自覚していた。
あるいはこの時、安倍が見ていた真の敵は、朝日新聞や民主党ではなかったのかもしれない。寧ろ、自民党そのものが一番心配だったかもしれない。安倍が引責辞任すれば、党は、「戦後レジームからの脱却」から手を引くだろう。それも、再び地下牢に封印するごとく半永久的にー安倍は恐らくそれを一番恐れたのだ。
その時安倍の脳裏に、祖父の岸信介とその後の日本が二重写しに投影されていなかったであろうか。岸は、左翼に誘導されて見当外れに沸騰した安保騒動を物ともせずに、堂々と(p165~)安保改定を成立させた後、騒動によるアイゼンハワー米大統領訪日中止の責任を取って辞任した。見事な引責の仕方だ。が、後には、何が残ったか。岸の見事な引き際の後、自民党は、結党の精神である自主憲法制定を封印し、経済成長のみに国民の視線を誘導することで、敗戦の克服という大目的を忘れ去ってしまったではないか。
岸は、見事に引いた。だが、自分は、きれいに引いてはならぬ。小泉の魔術的な権力掌握術を側で見、そして自ら最高権力者として10か月、愚直なまでの理念政治を展開してみて、安倍は嫌というほど分かったはずだ。理念そのものに殉じるような苛烈純粋な政治指導者など実際には滅多にいるものではない。自分がここで引けば、あの猛烈なバッシングの嵐を冒してでも、「戦後レジームからの脱却」を仕上げようという次の選手は出現すまい。ボロボロになって引きずり降ろされるまで、自分が戦い抜く他ない。道筋が見えるまで踏んばれば、時勢も変わろう。そうなれば、仕上げをする同志も出現するだろう。それまでは何としても辞めるわけにはいかない…。
p199~
実はこうなる前に、秘書や近親者は、何度も本人に、退陣してくれ、と頼んでいました。単なる腹痛や下痢の頻発ではすまない状況に近づきつつありました。しかし、本人は自分でなければ果たせないことがある。自分は松陰先生を本当に心の師としてきた。松陰先生同様、死を賭しても国のために戦い抜く、自分が辞めるのは死ぬ時だ、の一点張りでした。
しかし、医師から、このまま総理の職務を続けながら症状が回復することはないと言われました。命懸けで、というけれど、本当にその域にまで行ってしまう直前でした。(p200~)
「これ以上見ていられない。今回だけは人が何と言おうと、どんな非難嘲笑されようと、どうしても引いてください」と最後は秘書みんなで頭を下げ、泣きながらお願いしました。(初村秘書直話)
これは幕末維新の大河ドラマの1場面ではない。浪花節でもない。現代の政治家、それも内閣総理大臣が、戦後という時代の病理と、全面戦争を戦うとはどういうことだったのかの証言であり、その戦いに挫折した瞬間の、現実の光景だ。
松陰と自己の職責を重ね合わせるのは、時代錯誤だろうか。誇大妄想だろうか。安倍は、近代政治には通用しないドン・キホーテだったのか。
無論、そうではあるまい。
安倍を叩き続けてきた人達は、このような証言の青臭さを冷笑するだろう。笑い者にしようとするだろう。だが、彼らが、安倍を冷笑するときの口元は、密かに歪んでいるはずだ。「戦後レジームからの脱却」などという大テーマを本気で実現しようとした安倍晋三の愚直さの奥に秘められている純粋さこそが、彼らには、本当は恐ろしかったはずだからだ。
実際、安倍晋三とは何者なのか。その全貌は、安倍が退陣するまで、誰にも分からなかったことを、私達は忘れない方がいい。
p201~
安倍はひたすら政策実現に突っ走った。無我夢中だった。「戦後レジームからの脱却」という大きく複雑な壁を本当にどこまで越えられるか、安倍自身にとっても戦いの全貌など分かりはしなかったに違いない。一方、敵は敵で、安倍がどこまでやり抜く気なのか、どこまで本気で憲法改正まで持ち込む気なのか、またつもりがあったとして、それがどこまで可能なのか、何一つ分かっていなかった。どこまで叩けば、安倍内閣を潰せるかも無論分からない。だからあらゆる材料を見つけ出しては、狂犬のように吠え続けた。吠え続ければ、叩き潰せるという保障などどこにもない。彼らは彼らで、青ざめながら戦ったのだ。
これが歴史というものだ。安倍の挑戦は、誰一人挑んだことのない挑戦だ。敵味方含め、誰にとっても、全てが未知だった。そして、政治的な挑戦とは、いつでもレコンキスタ(失地回復)に他ならない。失われた価値の回復への衝動こそが、政治的な情念の始原である。
しかも安倍政治が王道たる所以は、安倍がその情念を生のエネルギーとして決して大衆煽動に悪用しようとしなかった点にある。情念を生のエネルギーとして政治の内に持ち込むことの危険を、安倍は誰よりもよく知っていたからだ。政治はどこまでも理性によって導かれなければならない---彼の挑戦は常に真っ当な政策実現という道を通って行われた。
冷酷な打算家が、筋金入りの誠実な人間に激しく嫉妬するように、反安倍勢力は、おそらく、安倍のこうした真っ直ぐな誠実さそのものこそが憎くてたまらなかったのだ。その意味で、(p201~)政策上の対立だけに原因があるとは思えぬ彼らの残酷な安倍バッシングは、皮肉にも安倍の理性的な政治が引き出してしまった一種の情念戦争だったのである。
p202~
文字通り「安倍の葬式」を出した朝日
安倍退陣に至ってのバッシングのえげつなさは、類を絶した様相を呈した。マスコミは、最後の最後まで安倍を非難し、愚弄し続けた。安倍が退陣を決めた背中に、泥水をぶっかけ続けるように罵り続けた。安倍その人だけではなく、安倍の「戦後レジームからの脱却」、そして安倍再登板への人々の待望論が、決して再び湧き上がらないように、徹底してなぶりものにしておこうというわけであったろう。「週刊朝日」は、平成19(2007)年9月28日発売号で「総力特集 安倍逃亡」と題して、45ページもの大特集を組んだ。(略)
「美しい国」とはいったいなんだったのか。胸に響かぬ空虚な言説しか弄せない「安倍晋三の時代」とはなんだったのか。悲劇とも喜劇ともいえない無残な結末を迎えた「失われた1年」とは。
p203~
とにもかくにも、「社是」に従って「安倍の葬式」を出せたわけだ。罵詈雑言の筆が滑らかになる気分も分かろうというものだ。この特集の中で、朝日新聞のコラムニスト早野透は「『ぼくちゃん、宿題できないから学校行きたくない』という子どものように」政権を放り出した、「安倍晋三クンは、まだまだ経験不足だったのを小泉改革の継承者として蝶よ花よと育てられた。純ちゃんから晋ちゃんだ、長身、イケメン」と、とことん安倍を愚弄している。「安倍改革」の恐怖から自由になった安堵が文体に溢れている。よほど憎かったのであろう。だが、その下心は哀しくなるほど単純だ。
p205~
そして、また、安倍政治の意義をどの程度理解していたかは別にして、安倍の戦いの深刻さを直感していた人もいる。参議院議員丸山和也もその一人だった。(略)
p206~
安倍は自らが必要だと信じた戦い、「戦後レジームからの脱却」という壮大な「岩」にしがみつきながら、その意義を、最後まで国会で呼号した。だが、国会議事堂に座っていた議員の中で、本気で、この政治理念の勇者の言葉に耳を傾けていた人は何人いただろう。
丸山の直覚した「濁流」は、無論国会の野次などではない。(略)「濁流」は、寧ろ、己を失って漂流し続けた日本の戦後史の全重量そのものではなかったか。「戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自らの魂の空白状態へ落ち込んでゆく」(三島由紀夫『檄文』)堕落の全重量そのものではなかったか。極度の体調不良に堪えながら所信表明の原稿を読む安倍の耳には、足元を流れていくその「濁流」の、凄まじい轟音が幻聴されていたのではなかったか…。
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