中日春秋 2007年5月14日
問題が起きていても半信半疑で聞いているうちは、真剣に取り組むことはできない。地球の温暖化も今までは、頭のどこかに「大げさな話ではないのか」という思いがあった気がする。でももう半信半疑ではいられない▼世界中の専門家を集めた国連の「気候変動に関する政府間パネル」の三つの作業部会の報告書が出そろった。温暖化の原因が人間の活動によることはほぼ間違いない。気温上昇を影響の少ない二度前半で食い止めるには、二〇五〇年までに二酸化炭素の排出量を現状より半減させる必要がある。報告書の言わんとするところだ▼失敗して気温が三度上昇したら世界はどうなるのか。英政府の報告書では、例えば十億から四十億人が水不足に苦しむ一方で、十億から五十億人が洪水の危険に直面する。受け入れることはできない未来だ▼幸いにして、残された時間はある。国際的な枠組みで、効果的な温暖化防止策を実行することが不可欠になるが、危機を新たな価値に基づく社会づくりの好機ととらえることも意義があろう▼経済アナリストの藤原直哉さんは新著の『日本再生プログラム』(万来舎)でその価値を共生だとし、健康と持続可能性を重視するライフスタイルを意味する造語「ロハス」(LOHAS)の発想が、日本社会で広がることに希望を見いだしている。ロハスな仕事や生活がエネルギー消費の削減につながるからだ▼進化論において淘汰(とうた)されずに残るのは、物理的に強い種ではなく変化適応力が高い種だという。人間が本領を発揮するときがきている。
中日春秋 2007年5月12日
『万葉集』からは千年以上の時を超え、古代の人々の思いが伝わってくる。<立ちて思ひゐてもそ念(おも)ふくれなゐの赤裳裾(あかもすそ)引き去(い)にし姿を>。作者未詳の歌だ。立っても座っても思うのは、腰から下にまとった赤い衣の裾を引いて去った娘の姿…▼万葉の世界が目の前に突然現れたかのように感じさせたのが奈良県明日香村の高松塚古墳での、極彩色壁画の発見だろう。三十五年前のことだ。西と東の壁にはそれぞれ四人の女子群像が描かれていた。少し剥落(はくらく)はあったものの保存状態はよく、赤や緑色のしま模様の長い裳を着ていた。「飛鳥美人」と呼ばれ、考古学ブームを巻き起こした▼文化財には現地保存の原則がある。古墳と、国宝になった壁画も、切り離しては考えられない。壁画は描かれた石室ごと密閉保存されてきたが、先月から石室の解体作業が始まった。一昨日は西壁が運び出され、美人たちも無事に救出された格好である▼現地保存ではカビの発生や退色を食い止められない。天井石には亀裂も確認された。壁画を守るためには石を運び出して修復するしかない。これが文化庁の判断で、十年がかりの大事業になる▼なぜ現地で保存できなかったのかとは素朴に思う。千年の時に比べ、わずか三十五年で壁画が危機に陥っている。カビ対策が不十分であったり人為的なミスで壁画の損傷があったりしたことが明らかになっている。自然の力の前に人間の無力さを思わなくもない▼解体と修復も難しい仕事になる。無事終了し、現地で再保存と公開の日が来ることを願うばかりだ。
中日春秋 2007年5月10日
「あるひはなみんとてさとはなれのやまにのほりそのやまはなをめくりてゆくに…」。こんなふうにひらがなだけで書かれた文章がある▼漢字交じりにすれば「ある日、花見んとて里離れの山に登りその山端を廻(めく)りて行くに…」。明治初期には、かな文字対漢字の論争があり、漢字廃止論の側には「かなの会」ができ、かな文字を礼讃(らいさん)した。これに怒った反骨の文人成島(なるしま)柳北(りゅうほく)が新聞紙上でこの文章を掲げ、かな文字派をからかったとか▼淮陰生(わいいんせい)氏(筆名)が「カナと漢字の喧嘩(けんか)」と題して紹介する話だ(『文字』作品社)。句読点もなくひらがなをつづった文章はいささか意地悪でも、漢字のありがたみがよく分かる。ひらがなとカタカナも無論大切だが、「かなの会」が跋扈(ばっこ)しなかったのは幸いだ▼ただ昨今の日本の漢字文化はいかがか。テレビを長い時間見る子どもは、漢字を「書く」力が低くなる傾向にある…。そんな調査結果の記事を読んだけれど、昔に比べて大人の「漢字力」も落ちてはいないだろうか。肉筆でなくパソコンで原稿を「書く」身として実感する▼先輩の記者が前に書いていた。日本が初めてという欧米人と食事をして話題に困ったら、山の絵を三つ重ねて「マウンテン(山)」と、漢字の説明を始めることだと。「人」と書いて「支え合い」の意味だと説明したら皆感心したそうだ。漢字は書いてこそ意味を味わえるのだろう▼明治には「かなの会」があったが、今は外来語だらけで「カタカナの会」が盛んなような。時に家のテレビを消して「漢字の会」はどうだろう。