【箱根駅伝】 青学大・原監督 棄権覚悟で「神林を使いたい」…思いを変えさせた神林自身の言葉 2021.1.3

2021-01-03 | 相撲・野球・・・など

〈来栖の独白 2021.01.03 Sun〉
 今年の箱根駅伝は、最後まで不可解でならなかったが、下の記事により、理解できた。青学は、大変だったのだ。思わず胸熱くなるエピソード。ただ、神林君は、4年生ということ。青学での来年は、ない。あぁ…。


青学大・原監督 棄権覚悟で「神林を使いたい」…思いを変えさせた神林自身の言葉
  2021/1/3(日) 14:54配信 デイリースポーツ 

 
 インタビューを受ける青学大・原監督=東京・大手町(撮影・高石航平)

 青学大は神林勇太主将(4年)を負傷で欠いた中、復路優勝を果たす意地を見せ、往路12位から8つ順位を上げ、総合4位でフィニッシュした。原晋監督は神林について、当初はレースに強行起用することも考えていたというが、神林本人の言葉で思い直したことを明かした。
 右臀部の疲労骨折がレース直前の12月28日に判明した。当初、「16日ぐらいに右足内転筋に痛みがあって、治療によってほぼ完治したんです」という状況だったが、1箇所、痛みがとれず、検査を受けたところ負傷が分かった。
 原監督はチームミーティングでは「仮に品川の八ツ山橋で歩いて駄目になっても俺は神林を使いたい」と選手に打ち明けたという。神林がチームを背負い、まとめ、1年間務めてきたため「肉体的にも精神的にも彼のチームだった」という思いもあった。「仮に棄権してシードを逃しても彼を走らせたかった」とさえ考えていた。
 だが、神林が「僕がいなくても総合優勝するチームだから。後輩たちを走らせてください」と原監督に申し出たという。「私個人のエゴでチームを沈没させるわけにはいかない」と思い直し、チーム全員で主将の穴を埋めることを確認した。
 レースを終え、「総合優勝できなかったが、復路優勝できたのはチーム青山の絆大作戦、200%成功させたかったが、150%成功したと思う」と総括。神林を9区で給水係に送り出したことには、「彼はこれで引退なんですよ。箱根はもう走れない。私から、彼の役回りをどうするという時に1番テレビに映るだろうし、1番長い距離を走れる9区15キロ横浜前の給水ポイントに、とそれだけ学生にお願いした」と経緯を明かした。「まあ、30メートルだけの箱根駅伝だったけど、彼にもこれから人生苦しいことがあるだろうけど、これ以上苦しいことはないと思うので、社長を目指して頑張って欲しい」。取材応対中、原監督は涙ぐみながら神林についての思いを吐き出していた。
 最終更新:1/3(日) 18:26 デイリースポーツ

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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【箱根駅伝】意地の復路V青学大・神林勇太主将「原監督に止まってもいいから10区を任せると言ってもらいましたが、それはできませんでした」
 2021/1/3(日) 14:32配信 スポーツ報知 

  
  青学大・神林勇太

 前回覇者の青学大は往路で12位で大きく出遅れたが、復路で意地の優勝を果たし、総合4位まで巻き返した。
 昨年12月28日に右仙骨の疲労骨折が判明し、欠場した主将の神林勇太(4年)は大手町のゴールでアンカー中倉啓敦(2年)を出迎えた。「今季は神林がチームの中心として頑張ってくれた」と原晋監督(53)は絶対の信頼を寄せる神林に対し「スタートラインに立たせることができなくて申し訳なかった」と言葉を詰まらせながら話した。
 実は、青学大はぎりぎりまで神林の起用を模索していた。神林が昨年末の出来事を明かす。
 「原監督に『もし途中で止まってもいいから、アンカーを任せたい。神林がブレーキしてもみんな納得する』と言ってもらいました。そこまで信頼されてうれしかったけど、優勝を狙うチームとして、僕より走れる選手はいます。中倉もそうだし、出番がなかった新号健志(4年)もそうです。最終的に(昨年12月30日)、『僕は走れません』と答えました」
 実力があり、人間性も優れた神林主将はチームの誰もが認める大黒柱だった。原監督は「先行きが見えない中、主将の神林とエースの吉田(圭太、4年)が2トップとしてチームを引っ張った。立派だった」と振り返る。神林自身、苦難のシーズンを静かに振り返る。「出雲駅伝(昨年10月)の中止が決まった日(昨年7月27日)が精神的に一番きつかった。『全日本大学駅伝も箱根駅伝も中止かも…。苦しい練習をしている意味があるのかな』と考えてしまった。でも、来年、再来年がある後輩の前で気が抜けた態度を取るわけにはかなかった。気持ちを奮い立たせて4年間で一番、中身の濃い夏合宿を過ごせました」
 変則的に今季の開幕戦となった全日本で、神林はエース区間の7区で区間賞を獲得し、首位に立った。最終8区で盟友の吉田が駒大、東海大、明大に抜かれ、4位に終わったが、存在感と意地は示した。
 (中段 略=来栖)
 神林は、学生トップレベルの実力を持つが、大学卒業を区切りに競技の第一線から退き、箱根駅伝と縁が深いサッポロビールに入社が内定。競技人生の最終レースに向けて、調整を進めていたが、昨年12月に状況が暗転した。最後の箱根路を走ることはできなかったが、爽やかな笑顔で、大手町のゴールでアンカーの中倉を出迎えた。
 原監督は神林主将を最大限に評価。「1年、チームをまとめてくれた。ありがとう。卒業後はカリスマ営業マンになってほしい」と感謝と、はなむけの言葉を贈った。
 最終更新:1/3(日) 17:47  スポーツ報知

 ◎上記事は[スポーツ報知]からの転載・引用です
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