きょう元号 最多は「永」、「明治」は11回目の正直
産経新聞 2019.4.1 07:20
きょう発表される新元号。5月1日の皇太子さま即位とともに改元が行われ、平成から次の時代へと移る。これまで日本史の中で、1300年以上にわたり247の元号が定められてきた。現代の世界で、元号制度を保ち続けているのは日本のみ。時代を区切り、連続性の中で過去と現在をつなぐ役割を果たしている元号の歴史と、そこに込められた思いにふれてみよう。
■645年「大化」が始まり
日本初の元号は飛鳥時代、皇極天皇4(645)年に制定された「大化」だ。大化の改新の直後、天皇の譲位を機に定められ、人心を一新して中国・唐にならった新国家建設へと進む象徴となった。
元号の起源は古代中国で、前漢の武帝(在位紀元前141~同87年)が定めた「建元」。君主が時間をも秩序づける高度な中央集権国家の証しとなる制度で、歴代中国王朝をはじめ日本や朝鮮、ベトナムなど漢字文化圏で受け継がれた。
日本の元号も「書経」「易経」など中国古典を出典とし、原則的に漢字2文字。ただ奈良時代の「天平感宝」から「神護景雲」までの5元号は例外的に4文字で、唐王朝での先例にならったとされる。元号候補を考えるのは律令制の役職「文章(もんじょう)博士」の仕事で、鎌倉時代以降、幕末までの考案者はほとんど菅原氏で占められている。
◆改元理由さまざま
明治以降の元号は、天皇の代替わりの時にのみ変わる「一世一元」。しかし、前近代では代替わりの際以外にも主に3つの理由で改元が行われていた。
奈良時代によくみられたのが、めでたい事物の出現を機会にした「祥瑞(しょうずい)改元」。逆に、天変地異や疫病、火災などの凶事を断ち切りたいとの願いを込めた「災異改元」もあり、江戸時代まで行われていた。ほか、干支でそれぞれ60年に1度回ってくる辛酉(しんゆう)、甲子(かっし)の年に起こるとされた政変を避けるための「革年改元」も慣例となっていた。
◆現在はどう決める
現在の元号は、昭和54年に成立した元号法によって決められる。平成は政府が定めた初の元号だ。
元号法公布後に政府がまとめた「元号選定手続について」によると、内閣の委嘱を受けた学識者らがそれぞれ複数の候補を提出し、官房長官らが数個に絞り込む。その後、全閣僚会議や衆参両院議長らの意見聴取などを経て、最終的に政令として決定される。
元号選定の留意事項としては、「国民の理想としてふさわしいよい意味を持つ」「漢字2字で、書きやすく読みやすい」「俗用されていない」のほか、これまでに元号やおくり名(追号)で使用されたことがないことが挙げられている。
前回の代替わりの際は現陛下の即位直後に開かれた有識者懇談会で「平成」「修文」「正化」の3案が示され、閣議を経て平成に決まった。アルファベット表記での頭文字が明治、大正、昭和と重なっていないことが大きな理由だったという。平成の考案者は山本達郎・東大名誉教授(平成13年死去)とされる。
政府は今回の新元号選定に際し、平成改元時の手続きを踏襲することを明らかにしている。 これまで元号で使われた漢字は延べ504文字。しかし重複も多く、それを除くと実際に用いられた漢字はたった72文字となる。
「日本年号史大事典」(所功編著、雄山閣)によると、そのうち最多は「永」で29回。2位が「元」と「天」で各27回。続いて「治」21回、「応」20回-という順位になる。平成の場合、「平」は通算12回目だが、意外なことに「成」は元号として初の使用だった。
元号の出典はこれまですべて中国古典(漢籍)。「日本年号大観」(森本角蔵著、昭和8年刊)などによると、最多の典拠は「書経」で36回。次いで「易経」27回。平成は「史記」と「書経」が出典だ。 限られた出典の中からよい意味の部分を選んで2文字を引用する制約上、過去の未採用案と重複する元号も少なくない。近代以降の場合、「平成」は2回目、「大正」は5回目、「明治」は11回目の候補でようやく採用に至った。
逆に落選回数が最も多い未採用案は、「日本年号史大事典」によると「嘉徳」で40回。「寛安」33回がこれに次ぐ。
■われわれは連続性の中に生きている 山本博文・東大史料編纂所教授
元号を保ち続けることには、どんな意義があるのだろうか。『元号 全247総覧』(悟空出版)の著書がある山本博文・東大史料編纂所教授(日本近世史)に聞いた。
元号の意義は、まず連続性です。元号がずっと続いているということ自体が、われわれが歴史の連続性の中に生きていることを国民に気づかせる。それが一番大きな役割だと思います。
元号は本来、天皇の治世だということを民に再確認させるのが目的だった。昔は一世一元ではないので、天変地異など凶事のたびに改元して、人心一新を図ってきた。そうした経緯はありますが、現在では1300年以上にわたり継続してきたことそのものが意義になっている。 元号は一国の独立の象徴でもあります。その意味では昭和の敗戦後が最も危うい時期だった。しかし天皇が国民の象徴として残り、元号も法的な裏付けはないまま慣習として存続し、後に法制化されたわけです。
日本史研究者の立場から言えば、元号は非常に便利なものです。歴史事象に名称を付けやすい。たとえば享保の改革にしても、1716年の改革と言ってもピンとこないでしょう。加えて元号を使った場合、享保年間というある程度年数の幅を持たせた時間を表現できる。その時代を象徴する言葉として便利です。 お寺の名前など、元号を冠したものも多いわけで、今も使い続けることによって、歴史の中の名称を身近に理解できるわけです。それに、世界の中ですでに日本だけの伝統になっているものを残すことには意味があると思います。これだけ長く続いてきたものを、なくすということはなかなかできることではない。
元号の出典はこれまで漢籍ばかりでしたが、日本の古典に求めるべきではという意見もありますね。ただ、日本の古典から取れば日本の伝統になるかというと必ずしもそうではない。漢字2文字で付ける、という元号制定手続きの縛りがありますので、六国史(りっこくし)のような日本の歴史を書いた漢文の書物から取ることになるのでしょうが、漢文で書かれた日本の古典というのは基本的に中国の文化的影響下にあるわけですから。
元号についてはかつて論争もありましたが、今後は政治的な意味を持たず、日本的伝統としてなじんでいくのではないでしょうか。次の元号も、今の平和な世の中が長く続くような願いを込めたものになるでしょうし、またそうなればいいなと思います。(談)
◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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