リンゼイさん殺害事件の真実とは 「市橋達也を説得したのは僕。無償で弁護した」高橋裕樹弁護士 2016.8.7.TOCANA

2016-08-25 | 死刑/重刑/生命犯

TOCANA > 法曹界最強の弁護士が明かす市橋達也の素顔 .
「市橋を説得したのは僕。無償で弁護した」前代未聞の“3回連続無罪”弁護士が明かす、リンゼイさん殺害事件の真実とは!?
2016.08.07.
 今年に入ってから、刑事事件で3回連続無罪判決を勝ち取り、現在法曹界で大きな話題となっている高橋裕樹弁護士。彼は、2007年に千葉県市川市で起きたリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の犯人として約2年半の逃亡生活の末に逮捕された市橋達也・現受刑者の弁護団にも加わっていた。インタビュー第2回では、社会的にも大きな注目を集めたあの事件の裏側、そして市橋受刑者の素顔について語ってもらった。(第2回/全3回)
インタビュー第1回:3回連続無罪”を勝ち取った“最強弁護士”高橋裕樹「勝負をかけるときは赤パンツ」

■市橋が捕まる前から、弁護したいと思っていた
――リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件についてですが、どういった経緯で市橋達也・現受刑者の弁護を担当することになったのかうかがいたいと思います。あの事件の弁護は、国選・私選のどちらだったのですか?
高橋裕樹弁護士(以下、高橋)  あの時は私選でした。国選でやると弁護士は多くて2、3人しかつけないんですよ。ただ、あの事件は社会的な影響が大きかったですし、知らなければならないことも多かったから、6人体制で弁護団を組んでいました。そういった事情で、当事者からの依頼で個人的に引き受ける私選という形になりました。ただ、容疑者本人にお金がある状態ではなかったので、結局弁護士は全員無償で弁護に当たっていました。
――えっ! 無償で仕事を引き受けることもあるんですね。
高橋  僕は当時弁護士になって間もなかったのですが、所属していた事務所から、「給料をもらっているのに金にならない仕事をしているとは何事か」ということになってしまい、結局裁判の終わりまで残ることはできなかったのですが、起訴されるまでと、起訴されてからしばらくは弁護団に参加していました。
――では、高橋弁護士が弁護団に選ばれた経緯を聞かせてください。
高橋  実は彼が捕まる前から、彼の弁護をやりたいと言ってたんですよ。僕は彼と同い年で、しかも同じ千葉大だったこともあって、いつ捕まるか分からなかったですけど「絶対にできることがある」と千葉の弁護士会の上層部に訴えていました。それで実際に市橋が捕まって、6人の弁護団の中に選ばれたという流れです。
――同い年で同じ大学というのは、何か縁のようなものを感じますよね。弁護団の記者会見がテレビでも放送されていましたね。
高橋  僕としては、あの記者会見に意味はあったのかな、と思いますね。あの事件は取り調べが異常に長かったりして、そういったことについて、社会に問題提起したかったんです。でも、マスコミが集まる理由はそこじゃなくて、市橋が何を話したかとか、彼の様子はどうだとか、そういうことが知りたいんです。記者会見ではそういった質問が集中してしまって、それに対して答えるのが僕の役目だったので、結局は僕がよくテレビに出ていました。
■弁護士だけが知る市橋受刑者の素顔
――市橋受刑者は離島でサバイバル生活していたことや整形手術をしていたことが大きな話題になりました。整形した顔や、逮捕時にフードを被っていた姿がカッコいいとネット上で騒ぎになっていましたが、彼の本当の印象について、正直どう思っていましたか?
高橋  フードに関しては、あれは市橋の私物ではなく警察署の物で、逮捕された人の手を隠すために着せる服なんですよね。今でも、重大犯罪で捕まった人はアレを着せられます。顔に関しては、確かにカッコよかったと僕は思いました。整形前の顔を知りませんでしたけど、いい男でしたよ。
――大学時代に面識はなかったのですね。
高橋  市橋は2浪してるので僕とは学年が違ったこともあって、大学時代には知りませんでした。でも同い年で同じ大学でしたから、弁護団のなかでも僕と一番くだけた話をしていたと思います。「大学時代どうしてたの?」とか「卒論どうだったの?」とか聞いてましたし、持っている時計の話もしてくれましたよ。そういった話の流れで、徐々に逃亡生活について聞き出していました。あと、市橋は捕まってから1週間ぐらいご飯を食べなかったんですよ。真意はわかりませんが、それを説得して食べさせたのが僕でした。「このまま食事を取らなかったら衰弱して入院させられて、捜査が一旦打ち切りになって、結局のところ余計に時間がかかってしまうだけだよ」と説得しました。
――市橋受刑者の人物像について聞きたいのですが、最終的に反省の色は見られなかったとされていますが、これについてはどう思いますか?
高橋  それについては、僕は裁判の最終局面までいられず、直接見ていないので確かなことは言えません。ただ、これはよく言われることなのですが、裁判で自分なりの弁解があったりすると、弁解がフォーカスされる結果、反省していないと思われがちなんですよ。この事件には強姦も絡んでいたのですが、殺す意思はなく、あくまで死んでしまったのだということで、市橋は殺人ではなく傷害致死を主張していました。でも、そういうことは本人が話せば話すほど弁解じみてしまって、聞いている人には反省してないという印象が残るんです。それに、現実に被害者は死んでいる訳なので、世の中としては人を殺したことを認めた上での反省を求めていたんだと思います。ただし市橋の主張は本来、反省の深さとはまた別の話なんですよね。
■市橋が出所できる可能性と手記を出した意図
――市橋受刑者に下された判決は無期懲役ですから、今後刑務所から出てくる可能性もあるのですよね?
高橋  微妙、ですね。無期懲役って30~40年したら出所できるという風にいわれますけど、獄中死している受刑者の方が圧倒的に多いですから。出られるケースがあるというだけで、実際に無期懲役判決を受けた人が、生きている間に出られる可能性は非常に低いのが現実です。特に、この事件のように性犯罪が絡んでいるケースだと、出所したところで再び罪を犯して刑務所に戻ってくることは往々にしてあるので、簡単に仮釈放は出せないんですよ。だから、市橋が生きている間に出所できる可能性は極めて低いと僕は思いますよ。
――市橋受刑者は逃亡生活の様子などをまとめた手記を出していますよね。この前、少年Aが本を出版した時にも、世の中から激しい批判がありましたが、市橋受刑者が本を出した際はどうでしたか?
高橋  バッシングはかなりあったと思いますよ。でもあれを書いた目的は明確で、市橋本人がお金を持ってなかったので、本の印税をすべて示談金にしようと思ったんですよ。実際、弁護士の1人が印税をまとめてイギリスの遺族のもとに届けに行ったんですが、結局受け取りを拒否されてしまいました。お金の問題ではないと思うんですけど、社会の仕組みとして、最後は慰謝料や賠償の問題になってきますから、その一助になればということでした。それに、マスコミが連日のように取り上げる話題にも賞味期限がありますから、早期に取り掛からなければ、ということであのタイミングでの出版をアドバイスする形になりました。

 現在は塀の中にいる市橋受刑者だが、当時は何を考えながら裁判に臨み、手記の出版に踏み切っていたのか。現実に本人と対峙した弁護士の言葉は、どんな報道よりも真実に迫り、受刑者の心情を正確に描写しているに違いない。続くインタビュー第3回では、超敏腕弁護士が日本の裁判制度に物申す! 今、ノリにノッている熱い漢の“成功の秘密”も明かされる!?
(坂井学)
市川船橋法律事務所

 ◎上記事は[TOCANA]からの転載・引用です
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リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件 市橋達也被告 判決公判 2011/7/21 
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事件後、市橋達也受刑者の両親とも医師を辞め、姉も嫁ぎ先から離縁 『週刊女性』2015/5/12・19号

        

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