〈来栖のつぶやき〉
前の記事「岡崎死刑囚の執行停止を」の補足。
家族の会・永岡さんのお気持ちが胸に響く。私も弟清孝の死刑が確定したとき、事件の重大性に加え、被告本人が上告趣意書の中で「・・・法と正義に則した厳正なる御判断で、私奴に死刑を宣告下さることを、期待するのみであります」と認めていたものだから、執行が早期に行われるのではないかと強く危惧し、法務省へ助命嘆願すべく、署名集めに入った経緯がある。永岡さん同様、被害者・ご遺族に対しては、実に心苦しい限り。大手を振ってできることではなく、法務省への議員同行も、幾人かに断られた。
藤原清孝の場合、単独犯であった。岡崎死刑囚は、単独ではない。死刑が確定したとはいえ、確定日からの通例の集禁日数で執行されることはない。共犯が全員確定しない限り、執行はありえない。共犯がすべて確定した時点で、通例の集禁日数を満たしておれば執行に至るのではないか。特例を嫌う役所ゆえ、確定時期が古い順に(順次)執行命令が下されるのだろう。
言葉の語弊、不謹慎をお断りしながら、私はいまこれを書いている。
あのような予想外のことさえなければ、松本智津夫被告の確定はもっと先のはずだったから、岡崎死刑囚の時間もいま少し緩やかに推移したはずだった。
昨年確定時の岡崎死刑囚の書簡からは、悔悟と落ち着いた心境が伝わってきた。その岡崎さんたちを想う永岡さんの優しさ、「他人事ではない」と述懐される苦渋が、私を浸している。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/essay4.htm