「金輪際、親子になれないがそれでもいいか」貴乃花光司が語る相撲の原点と父子物語
2021/2/12(金) 15:04配信 Yahoo!ニュースVoice
こんなに自然体でほがらかな貴乃花を見たことがあっただろうか――。 やさしくて大きくて、そして満面の笑顔。平成の大横綱と称された第65代横綱、貴乃花光司。 国民的スターとして不動の人気を誇るが、それゆえ好奇の的にもされた。 記憶に新しい相撲協会との対立、また最近では長男のトラブルに巻き込まれるなど降りかかる受難を前に、「忍」の一文字で生きてきた人だ。愚直で不器用ゆえ誤解を与えることも多い。 一徹で無口な印象の彼が、くつろいだ表情を浮かべ楽しそうにカメラの前で語るのはひさしぶりのことである。 “素顔”の貴乃花が語る「相撲の原点」「父子の物語」。知られざるエピソードを聞いた。 (中村竜太郎/Yahoo!ニュースVoice編集部)
―貴乃花さんは18年に日本相撲協会を退職、翌年には「貴乃花道場」を設立し、相撲道を内外に広めています。コロナ禍のいまはどう過ごされていますか。
貴乃花さん: 講演会も中止になるなど、みなさんと同じように大変です。 もちろん感染防止に最大限配慮して、常時マスクも2枚重ねですし、外出も控えています。1月のCM発表会見もリモートで行いました。 いまはCMやテレビの仕事が中心ですが、道場のイベントでみなさんと触れ合えないのは本当に残念ですね。 四股の踏み方など相撲の基本動作を使っての健康促進や精神の鍛錬を教えたり、小学生のお子さんと一緒に押し相撲したりして楽しみながら学ぶ。汗をかいたあとは、大鍋で作ったあったかいちゃんこを一緒に食べて、ああ、相撲って楽しいなあと感じてもらう共有体験です。 土俵で、子どもたちが力いっぱい押してくるんですが、一心不乱に取り組んでいる子どもたちの眼差しを見ていると、タイムトリップしたように自分の子ども時代を思い出しますね(笑)
―貴乃花さんはほんとうにお子さん大好きですものね。しかし、タイムスリップとはどういうことですか。
貴乃花さん: 私の父親は先代貴ノ花で、05年に55歳で亡くなりましたけど、大関として大変人気のある力士でした。 けれど私自身は、力士になるつもりはなかった。 最初のきっかけは小学2年の地元・中野のわんぱく相撲。 私は、もともと内気で、静かにひとり遊びするような子どもだったのに、ふとしたことで土俵に上がることになり、緊張している間にあっさり負けちゃったんです。 力士の息子だとみんな知っているから、目の色変えて私を負かそうとやってくる。 しかし実は私、子どもの頃からあがり症で、勝敗どうこうというより緊張しまくりで、父親が強い力士なのに不甲斐ない結果に終わりました。 だからとにかく、相撲はカルチャーショック。 で、初体験以降、毎年のようにわんぱく相撲に参加しましたが、ほとんど負けっぱなし。 楽しいというより、なんでこんなきついことをという気持ちでしたね。大会で優勝するような子ではないし、素質も根性もなかったと思います。 だから、子ども時代は力士になるなんて絶対ありえなかったんです。
―それがなぜ、力士に?
貴乃花さん: 全国屈指の強豪校、明大中野中学の相撲部に入ったことが大きいですね。 そこで、恩師の武井美男さんに出会えたことです。 非常に厳しい先生でしたが、愛情がそれ以上に強い方で、私の人生に大きな影響を与えてくれました。 先生は「相撲はあらゆるスポーツのなかで一番きつい。また、学生とプロは別物だ」とおっしゃっていて、まずは大学まで進学してそれから考えろ、という指導方法でした。 私の父親も、相撲はあくまでもスポーツ、自身の最終学歴が中卒だったので、息子には大学へ進学し、それから好きな道へ進めばいいという考え。 勉強しろとは言われたことはありませんでしたし、健康で元気でいてくれたらいいという教育方針だったと思います。 中学で、私は強い先輩の胸を借りて相撲部で取り組んでいたのですが、成績はまったく振るいません。 全国大会に行くためには都大会1位にならないといけないのに、3年間、ものの見事に負けていました。 とにかく私は本番に弱くて、いざとなると気が動転して、気がつけば土俵下でひっくり返っている。 稽古で力をつけて、周囲から優勝を狙えると期待されるんだけど、結局しくじりっぱなし。毎回その繰り返しでした。 負けるはずもない相手にもコロッと負ける。やはり精神的なもろさが根底にあったと思います。 だから自分の弱さに打ち勝ちたいという思いがあって、また自分の力を試したいということから、入門しようと思い立ったんですね。
―それで、どうしたんですか。
貴乃花さん: 子どものときから私は人に相談するタイプではなくて、入門するかどうか自分ひとりで悩んでいたんです。 高校へはエスカレートで進学できますし、親はそのまま大学へ進んでほしいと願っていたはずです。 部活が終わって帰宅するのは夜8時。家族で食事したあと、ひとりで黙々と腕立て伏せをしたり、その間ずっと力士になろうかどうか考えていました。 中学卒業間際、食卓で父親に「お話があるんです。考えるだけ考えたんですが、入門させてください」と申し出ました。 そしたら父親が、こいついきなり何を言い出すんだという驚いた顔をして、「ちょっと待て」と。 父親は相撲の厳しさを嫌というほど味わっているし、子どもにはそんな思いはさせたくないんです。 「1週間待て」と言われ、それが何遍も続きました。 やがて父親も私の熱意に根負けし、入門を許してくれました。 当初は外の部屋に出される予定でしたが、周囲の勧めで自分の藤島部屋にすることにしたそうです。 そのとき「光司、相撲は本当にきついぞ。生半可な気持ちでやるんならいますぐやめとけ」「決めたことです、お願いします」「そうか、わかった。それと、親子であるけれど師弟になる。金輪際親子になれないけれど、いいか」「結構です、お願いします」。 私、子どもだったんですけど、すごく必死で、ただただお願いするだけでした。 言ってみれば、それが転機ですね。
―恩師の武井先生には相談したのですか。
貴乃花さん: いや、そのときは恩師にも相談しなかったんです。 その後父親から報告や相談を受けたんでしょう、恩師は厳しいプロの世界に行かせることに消極的でしたから悩んだと思います。 私の入門が決まると、職員室に私を連れていき、「光司が入門するって言うんです。応援してやってください」と挨拶回りをしてくれました。 学校で最も厳しかった学年主任の先生が、私の行く末を心配したのか、「光司、これを持ってけ!お守りにするんだぞ!」と「龍」と書いた「書」を手渡してくれまして、私こらえきれなくなって、それまで人前で泣いたことなどなかったんですけど、パッと職員室を飛び出してわんわん泣いてしまって...。 そんなことがありましたね。 それで恩師が「5年間プロでやっていい。プロは甘くない、5年間でモノにならないことも山ほどある。5年間やってモノにならなかったら俺んところへ戻って来い」と、送り出してくれました。 ダメならば、すべて面倒見てやるということなんでしょうけど、あんなに部活で厳しかった先生が、こんなにもあたたかい。 何も言葉を交わさなくても、強い愛情がひしひしと伝わってきました。 あの光景も胸に焼きついていますね。
―入門が出発点となって、横綱まで出世されますが、記憶に残る試合を教えてもらえますか。
貴乃花さん: これは、たくさんあるから迷いますね。 まずは初土俵。当時丸坊主少年の私は、花道に立って出番を待つときに体がふるえていました。 土俵に出ていくのが怖くて怖くて、どこかへ逃げてしまいたいという気持ち。 この空間がなくなってしまわないかな、と願ってしまうほど初土俵に動揺していました。 教えられた相撲所作をやるのが精一杯。 ぎこちないんですけど、それを見せないように気張って土俵に上がったのですが、やっぱり緊張して。 ギリギリまで、いろんな人の顔が頭に浮かんできて。 幸いにも試合は勝てたのですが、余裕もなく頭が真っ白でした。 安心してほっとしたというより、心臓がバクバクしたまま、なんか終わった、という感じでしたね。 幕下に上がる一番もよくおぼえていますね。 十両になるのも大変なんだけれど、幕下になるのも本当に大変。 この試合に勝てば上がれるという一番なんですけど、そのときも大緊張。 土俵下の控えにいながら、体がブルブルふるえていたんです。 ところがそのとき真横にいたのが審判役だった師匠(父親)。 私の不甲斐なさを見ていられなかったんでしょう、横から「緊張するな!」と喝を入れられたんです。 泡を食ったんですけど、それでも緊張はやまず、それをおさえてやっとこさ勝つことができました。
―貴乃花さんが相撲の対戦でそんなに緊張しているとは知りませんでした。
貴乃花さん: いやいや、体は大きいんですけど、気は小さいんです(笑)。 まあそれだけ、相撲が怖かったというか、実際に強い対戦相手ばかりでしたから、相当鍛えていてもケガと隣り合わせ。 無差別級の体のぶつかり合いですから、それこそ命がけなんですね。 相撲の対戦を重ねていって緊張が取れたのは、新横綱になって土俵に上がったときです。 語弊があるかもしれませんが、これで役割を果たしたというか、私の分身である師匠(父親)の体をお借りして、自分が横綱になれたような心持ちだったんです。 これで、いつでも引退できる。そのときだけです、肩の力が抜けたのは。 新横綱のひと場所は前半2敗したんですが、肩の力が抜けて逆にタガがしまった。 大げさに言うと、ああ、いつ死んでもいいんだから、もうやるだけやればいい。 いわく言いがたいんですけれど、これまでとは感覚が変わったと自覚しました。 師匠(父親)の先代が横綱になれず大関止まりだったことは、子どもの頃からずっと自分のなかに悔しさとして根づいていました。 うちはしつけが大変厳しかったんですけど、特に、父親の対戦のときは正座してテレビで応援するのが習わしでした。 兄と一緒に、ずっと手を合わせて「がんばれー」と祈る。 勝てばバンザイですが、父親が負けると悔しくて悔しくてたまらない。 それはもう父親のことが大好きでした。 さっきも説明したように、力士になるつもりはなかったんですけど、気がつけばそうなっていたというのが本当のところかもしれません。 人生って不思議ですね。
―貴乃花さんが現役時代、強いなと思った対戦相手は誰ですか。
貴乃花さん: 小錦さん、曙さん、武蔵丸さんのハワイ勢ですね。特に武蔵丸さんかな。 彼らのパワー、体格、体の弾力は尋常ではないです。 日本の大きな力士とも全然違っていて、当たってもバーンと一瞬のうちにはじき飛ばされる。 相撲は、大きくて、やわらかくて、相手の力を吸収できる人が強いんですね。 まさしくハワイ勢のお三方です。 対戦してちょっとやそっとの努力じゃ対抗できないと実感しましたね。 曙さんは同期で、初土俵の次の場所で対戦したんですけど、瞬殺でふっ飛ばされた。 ハワイでバスケットボールしかやっていなかったはずじゃないの?と思いました(笑)。 当たって攻めに転じるとか言いますけど、正直そんな相手に、攻めるのなんか至難の技です。 そうやって簡単には勝てないということを体で知りましたけど、はやい段階でそれを知ってよかった。 努力のしようがあるし、自分の程度がわかりますから。
―私たち一般人は経験できませんが、猛者ぞろいの対戦相手に挑んでいくときの気持ちは、実際どうなんですか。
貴乃花さん: まさに怖い、のひとことですね。 間違えば首の骨を折るかもしれない、そんな不安が毎回頭に一瞬よぎります。 超重量級の男が全力でぶつかる衝撃は、アクセル全開にした軽トラックを正面で受け止めるのと同じ。 頭から突っ込めば首が相手の体にめり込みます。 硬いままだとバンと弾けて回避できるんですけど、やわらかい弾力で受け止められると首がグニャッと入りこんでしまってむしろあやうくなる。 ぶつかった衝撃をやわらげるために、本能的にほかの筋肉でカバーする状態を“内ごもり”と相撲用語で言うんですが、いまだに天候が不順になると体全体にハリガネが入ったような強い痛みが出ます。 ボクサーはパンチドランカーと言いますけど、相撲取りは“リキシドランカー”ですかね(笑)。 それだけ相撲は過酷なスポーツといえます。 私は目一杯やって、師匠(父親)に教わって、やっとこさ横綱になれた。それが正直な感想です。
―ちなみに、寝ているとき当時の相撲の夢は見ますか。
貴乃花さん: 現役力士を引退してから18年、いま年齢は48歳です。 2年前くらいから、相撲の対戦の夢を見なくなりました。 それまではずっと、相撲で戦っている自分の夢を見ていましたね。 それが、ほとんどが負けている夢なんです。相手が強くてまったく歯が立たない。 土俵際にじりじり追い詰められて、必死で力を入れているんだけど、最後に押し出されたり、投げ飛ばされたり。土俵下でひっくり返って天井をあおぐ、自分で立とうと思うんだけど立てない。そんな夢です。 あ、いま気がついたんですけど、相撲協会を離れたのが2年前。それから相撲の夢を見なくなったかもしれないですね。 でもね、夢の中でも相撲相手は怖い。対戦の夢は見たくないです(笑)。
―最後にいまの大相撲についてご意見はありますか。
貴乃花さん: 大相撲は日本の伝統文化、また神事でもありますが、一方で、大衆の人気に支えられる興行でもあります。 これからは女性に、誇らしげに相撲は国技だよねと言ってもらえるよう、興味を持ってもらうのが最優先課題ではないでしょうか。 ファンの裾野を広げて、男女ともに、またお子さんからお年寄りまでが楽しく見てくれるようなスポーツになればいいなあと思います。 伝統文化を守りつつ、そのなかで新しいことを取り入れていけば、きっとさらによくなるんじゃないでしょうか。 陰ながら見ています。 あと、このインタビューでずっと対戦相手が怖いって語っている私ですけどそれは私がビビりなだけで、相撲は、見るのもやるのもほんとうに楽しいですよ(笑)。 (制作協力/シオン)
最終更新:Yahoo!ニュース Voice
◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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〈来栖の独白2021.02.12 Fri〉
いやぁ、びっくり。貴乃花さんがこんなに明るくしゃべるとは。子供の頃から、言うに云われぬ葛藤を抱えて生きてこられたのではないか。このトークのなかに兄についての言及がない。全くないことが、貴乃花氏の葛藤を僅かでも物語っているだろう。
どうか、今後も機会あれば、語ってほしい。・・・言えないことのほうが遥かに多いだろうけれど。
いずれにしても日本、角界の最高峰にいる人だ。いかに孤独であることか。元妻にも息子にも、貴乃花氏の荒涼とした孤独の地平は理解できぬ。