中日新聞「介護社会」取材班
【介護社会】
<埋もれる孤独>上 負担重すぎ施設断念
2009年11月21日
「施設介護では費用がかかり、今の収入では生活できない。妻を施設から戻し、仕事を辞めて在宅介護に専念したい」
職場を去る時、口にしたのは介護と仕事の両立への、あきらめだった。
10月20日、妻=当時(66)=を自宅で殺害したとして、嘱託殺人罪で起訴された愛知県大府市の無職長谷川友一被告(70)。犯行の2カ月前、アルバイトで勤めていたパチンコ店の店長に退職を申し出た。
7年前から駐車場の警備員として勤務。「奥さんが良くなったら、いつでも戻ってほしい」。退職を惜しんだ店長は、熱心な働きぶりを振り返る。
妻は3年ほど前から脳梗塞(こうそく)の後遺症で左半身がまひし、要介護度4で入浴、トイレに介助が要る。成人した子供2人は県外に出たまま。施設介護を勧められても「手元に置いておきたい」とアパートで介護を続けた。
だが、仕事との両立は苦しく、3月にいったん市内の施設へ預けた。パチンコ店での収入は20万円を切るのに、施設の介護費用は毎月15万円から16万円。結局、在宅介護に戻り、仕事をやめた。
9月には、月5万5000円のアパート代が払えず、家賃を滞納。退職から1カ月後、「もう早く逝きたい」と頼む妻の顔をタオルで押さえ、自らも手首を切って心中を図ったとされる。
小泉改革以前であれば、長谷川被告にも働きながらの施設介護は可能だった。被告が妻を預けていた施設の担当者は「2005年から食費などが自己負担になり、今は倍額。長谷川さんの場合、以前なら半分の月額7、8万円で済んだ」と明かす。
収入が先細り、身近に家族がいない高齢の介護者が孤立し、絶望を深める。手だてを求める声は、介護殺人をめぐる裁判の法廷からも聞こえてくる。
4月に山形県上山市で、夫(84)が介護疲れから寝たきりの妻=当時(82)=を殺害し、殺人罪に問われた事件の裁判。法廷では病気の夫が1人で介護に当たり、貯金を切り崩しながら暮らす介護生活の悲惨さが明らかにされた。裁判長は「老老介護に関しては介護する者の不安を取り除く施設や施策が十分とは言えない」と判決で異例の言及をした。
全日本民主医療機関連合会(民医連)が06年、65歳以上の高齢者2万人を対象に実施した調査では、全体の4割が月収10万円未満だった。
高齢者の貧困問題に詳しい唐鎌直義・専修大教授は「その人が悪い、仕方ないという貧困政策を続ける限り、事件は減らないだろう」とみている。
◇ ◇
介護をめぐる事件の現場には、重い負担を抱え込んだまま孤独に沈み、破綻(はたん)してしまった家族の姿がある。貧困が社会を覆い、介護を担う家族像も変わった。変化に制度は追いつけず、介護者を支える手だてはあまりに少ない。救いを求めてやまない、介護者たちの埋もれた叫びを追った。
2005年の介護保険制度改革でそれまで保険給付の対象だった、介護保険施設での利用者の居住費と食費が同年10月から原則自己負担に改められた。厚生労働省は当時「家賃や食費を自費負担している在宅の高齢者とのバランスを取るため」と説明していたが、ねらいは保険給付費の抑制にあった。
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<埋もれる孤独>中 家事、ケア…「壁」次々
2009年11月22日
「ばかやろう。こんな女にいつまで仕事をさせるんだ」。なじみの客が浴びせた罵声(ばせい)に、コンビニの主人はただ耐えた。
客は普通に金を払い、領収書を求めた。レジの妻は当たり前のように答えた。「お金をちょうだいしていないから書けません」
そばにいた主人は必死でレシートをたぐり、支払いを確認した。平謝りに謝った。こっちが無理させてんだ。済まない、済まない…。妻にも心で頭を下げた。
その数カ月前、店主の伊藤金政さん(66)=川崎市=は、妻の公子さん(62)が若年性認知症だと知った。契約の都合ですぐには店を閉められず、パートを雇う余裕もない。病院にも認知症の母がいた。誰にもSOSを出せなかった。
閉店後も孤独は続いた。夕食の用意や洗濯をしながら、寂しさに襲われる。「このままで終わるのか。もう働けないのか」。もんもんとした日々を送っていたことし3月、都内の荒川区男性介護者の会「オヤジの会」を知り、飛び込んだ。
「みんなの顔を見た瞬間、やっとだな、これだなって、思ったよ」。それまで女性ばかりの介護者のつどいで打ち明けられなかった本音も出た。11月上旬の集い。テーブルには打ち解けやすくするための酒。傍らに座る公子さんを気遣いながら「今なら主夫と言える。仲間がいるから」と笑う。
つどいのメーンはことし3月に発足した「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」の事務局長、津止正敏立命館大教授の講演。「介護に直面した男たちは戸惑う。夫や息子に介護されると夢にも思わなかった女たちは相手を気遣う。その現場で、希望と絶望は瞬時に入れ替わる」。伊藤さんらは、言葉にわが身を重ねた。
介護殺人など死亡事件の加害者は、4分の3を男性が占める。在宅介護者は7割が女性。男性の犯行率は女性の7倍にのぼる計算だ。
「家事ができない。人に相談しない。そして地域社会に友人がいない」。男性介護者のサポート団体「となりのかいご」(神奈川県伊勢原市)の川内潤代表は理由を簡潔に指摘する。仕事のように目標を立て、日々の成果を求めるまじめな人ほど「後退の連続」(川内代表)の介護に戸惑い、行き詰まる。
名古屋市で認知症介護者を支援する黒川豊医師は「子育ての経験が少ない男性は、排せつのケアが高いハードルになっている」。
30年ほど前、男性介護者は全体の1割に満たなかった。現在はほぼ3割。すでに100万人を超えている。
産業医大(北九州市)公衆衛生学教室は、福岡県内の60歳以上の高齢者3000人を対象に、2002年から5年間の追跡調査を実施した。同居の家族が要介護状態の男性は、健康な家族と暮らす場合に比べ、死亡確率が1・9倍だった。女性はほとんど差がなかった。同教室の松田晋哉教授は「介護力のない男性が、備えもなく介護に取り組まざるを得ない現状の危うさを示している」と指摘する。
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<埋もれる孤独>下 同じ境遇、道しるべに
中日新聞2009年11月23日
初対面同士なのに、そうとは見えない親密さで会話が弾む。認知症の家族を抱える参加者の話題は一つ。日々の介護にどれほど悪戦苦闘してきたかだ。
11月11日の「介護の日」。30年の歴史がある全国組織「認知症の人と家族の会」の愛知県内各地区の会員を一堂に集めた初の「大交流会」が、同県東海市で開かれた。
7年前に夫をみとり「悪いことは忘れちゃった」とほほ笑む会員(82)を見つめ、同県豊橋市から参加した女性(64)は「今の私には、何よりもこの会が大切。こんなふうに年を取っていこう、という目標ができた」。
夫(70)の介護は3年前から始まった。車を処分し、近所の目を気にしながら散歩に連れて行く。「何も分からなくなった夫と2人、ただ沈んで暮らす」毎日。「家族の会」を知り、すがる思いで参加した。
今は仲間の顔を見るたび「嫌だけど逃げ出すわけにはいかない」と思えるようになった。「この会を知らなかったら、本当にどうなっていたか分からない」
愛知県支部代表の尾之内直美さん(51)は「介護をしてきた人なら、誰もが一度は『殺そう』『死のう』と思った瞬間があるはず。家族を助けるノウハウは、自分たちの体験からつくり出した」と振り返る。
「介護から家族を解放する」とのうたい文句でスタートした介護保険制度は、介護の担い手に「健康な主婦」を想定しているが、実態は老いた夫や妻、仕事を辞めざるを得なかった息子や娘らにまで広がっている。
24時間介護による不眠や疲労、不慣れな病人の世話、介護離職による将来への不安など、さまざまな原因で介護者の4人に1人が軽度以上のうつ状態に陥っている(2005年厚生労働省調査)のが、現場の実態だ。
介護者と接するケアマネジャーの一人は「不眠やうつに追い込まれる介護者が多いのに、手を差し伸べるような形に制度がなっていない」ともどかしさを打ち明ける。
20年以上前から、介護者を孤立させないための法整備を進める英国やオーストラリアにならい、同支部は「介護者憲章」の作成を始めた。指導役の湯原悦子・日本福祉大准教授は「すべてを抱え込もうとする人に『どうしたの』と言える社会にしたい」と話す。
「家族の会」で、家族を殺したり、心中したりした会員はいない。心が折れそうになっても、ここでは立ち直るきっかけがもらえる。参加者たちは口々にこう言った。
「独りじゃないって、分かったから」
(第一部 取材・後藤厚三、小笠原寛明)
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【介護社会】
介護殺人、心中400件 制度10年やまぬ悲劇
2009年11月20日
介護保険制度が始まった2000年から09年10月までに、全国で高齢者介護をめぐる家族や親族間での殺人、心中など被介護者が死に至る事件が少なくとも400件に上ることが、中日新聞の調べで明らかになった。加害者の4分の3が男性で、夫や息子が1人で介護を背負い込み行き詰まるケースが多い。件数は増加傾向にあり、06年からは年間50件以上のペースで発生している。(シリーズ「介護社会」取材班)
過去10年の新聞報道をもとに調査。被害者が介護保険の利用対象となる65歳以上の殺人、傷害致死、保護責任者遺棄致死、心中など「致死」事件を拾い上げた。判明した400件のうち、殺人59%(うち承諾6%、嘱託3%)、傷害致死11%、保護責任者遺棄致死4%、心中は24%だった。
加害者の続柄は、夫と息子がいずれも33%。婿や孫などを合わせ、男性が4分の3を占めた。一方、被害者は妻が34%、母が33%。祖母などを合わせると、女性が7割以上を占めた。
加害者の年代は50代が25%と最多。60代22%、70代23%、80代13%となっており、60代以上の老老介護が6割を占める。
加害者の職業は、無職の割合が息子で62%。20代から50代に絞っても、61%とほぼ同じで、働き盛りの男性が介護のため職に就けず、経済的にも追い詰められていく構図が浮き彫りになった。
被告となった加害者の58%が実刑判決、41%が執行猶予判決を受けている。
調査は中日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)、共同通信と、北海道新聞、河北新報、西日本新聞など友好紙の過去記事をデータベースで検索。介護をめぐる事件を調べている湯原悦子日本福祉大准教授の資料も参考にした。
◆埋もれている事例も
介護をめぐる事件は自治体報告をまとめた厚生労働省のデータも警察発表された事例が漏れており、信頼できる公式統計がない。
警察発表も、心中の場合は「死亡が1人なら発表しないこともある」(警視庁、愛知県警)。「10年で400件」は文字通り、氷山の一角といえる。また、殺人未遂や傷害、暴行事件は警察発表がないか、あっても新聞掲載が見送られることも珍しくないため、今回は調査対象としなかった。
事件が家族間で起きていることも、表面化を難しくする。日本高齢者虐待防止センター(東京都)は「命にかかわるような虐待があっても埋もれているケースは確かにある」と話す。介護を受ける高齢者が「家庭の恥をさらしたくない」との気持ちから口をつぐむ場合や、近所の人が兆候をつかんでも通報に踏み切れない場合が多い。同センターには「警察や行政が動いてくれない」との相談もある。
◆先手先手の支援を
「介護殺人」の著書がある日本福祉大の湯原悦子准教授(司法福祉論)の話 介護殺人・心中事件には「2人暮らし」「心理的孤立」「経済的困窮」などいくつかの典型的な要素がある。保健、福祉、医療担当者が介護者の体調不良やうつ傾向に気づき、将来を予測した支援を先手先手で打っていく必要がある。
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<介護殺人・心中>加害男性「無職」6割
2009年11月20日
働き盛りの息子が年老いた認知症の母親に手をかけ、高齢の夫が寝たきりの妻と無理心中する-。介護をめぐる家族間の殺人や無理心中が後を絶たない。そこには超高齢化、家族の崩壊、貧困、制度の不備…さまざまな問題が絡み合う。シリーズ「介護社会」では、安心で穏やかな老後を迎えられる、そんな社会のありようを問いかける。これまでの新聞報道から、多発する事件の原因と背景をとらえることから始めたい。
◇
加害者のうち、定職を持たない男性介護者は全体のおよそ6割を占めた。「働き盛り」とされる20~50代に限ってもその比率は変わらない。事件化した過去の事例からは介護と仕事の両立に苦しむ介護者や、介護を機に離職して収入を失った結果、経済的に追い詰められる介護者の姿が浮かび上がる。
2008年12月に埼玉県川口市で長男(45)が同居の母親(67)を窒息死させた事件。長男は糖尿病が重症化した母親を病院に連れて行くため、仕事を休みがちだった。事件4日前に母親が腹痛で病院に運ばれたのを機に「いつまで看病が続くのか。将来の自分が見えない。死なせてやるしかできない」と殺害を決意したという。
ことし1月には宮城県本吉町で、無理心中を図ったとみられる長男(42)が同居の母親(80)を殺害後、自宅に火をつけて焼死した。長男は母親が数年前に腰をけがして体が不自由になったのを機に、仕事を辞めて同居していたという。
08年4月に山形市で息子(58)が認知症の母親(87)と無理心中を図ったとみられる事件でも、息子は母親が認知症と診断された時期に、牧場の仕事を辞めていた。周囲に「母の介護に手がかかり働けない」「金がかかって大変だ」と漏らしていた。
1999年9月には静岡市で、長男(39)が寝たきりの母親(73)を殺害。長男は母親が脳腫瘍(しゅよう)で倒れたのを機に同居を始め、介護に専念するために仕事も辞めていた。
施設入所を勧める周囲に「母親を見捨てるようなことはできない」と拒み、車いすが使えるよう自宅を改造。つきっきりで介護を続けたが、失禁を繰り返す母親に次第にいら立ちを募らせていった。
取材班 秦融、後藤厚三、小笠原寛明(名古屋社会部)、岡村淳司(東京社会部)、前口憲幸(北陸報道部)、浅井俊典(東海報道部)
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<介護殺人・心中>認知症の対応に苦慮
2009年11月20日
介護をめぐる事件では日常のふとした瞬間が引き金となり、悲惨な結果を招いている。本紙の調査では被害者が認知症だったケースが、確認できただけでも約3分の1に上り、その対応に苦慮した果てに事件が起きている構図が浮かんだ。
認知症が事件にかかわっているケースでは、献身的に介護をする相手から暴言をぶつけられて突発的に手をかけたり、はいかいや排せつにイライラを募らせるなど、引き金となった原因はさまざまだ。
「何度も電話がかかってきて腹が立った」。今年10月、群馬県草津町で父親を殴ったとして、傷害容疑で逮捕された放射線技師の男(34)は、犯行の動機をそう語った。父親は認知症で、用もなく繰り返し息子に電話をかけていたという。
今年6月、横浜市で長男(34)が認知症の父親(89)を殴ったとされる事件。理由は「自室に無断で入られ、頭にきたから」。父親の死と向き合った息子は「大変なことをした」とわれに返ったという。
長野県諏訪市では昨年1月、長男(43)が介護していた父親(73)のはいかいに怒りを募らせ、けって死なせた。昨年9月、三重県四日市市で同居の母親(82)を死なせた無職の女(59)は、動機について「トイレで体を汚し、洗おうと風呂に誘導したが言うことを聞かなかった」と語った。
きっかけだけを見れば「なぜそんなことで」とも思われがちだが、事件は肉親の介護を背負った家族が疲れ果てた末に起こしているケースがほとんどだ。
認知症以外でも、介護する側も病気を抱えていたり、寝たきりの状態が改善せずに将来を悲観するケースは多い。
栃木県日光市で今年10月に起きた事件では、長女(57)が母親(83)を窒息死させたとされる。長女は「自分も病弱で働けず、一緒に死のうと思った」。愛知県西尾市では昨年12月、長男(45)が糖尿病でほぼ寝たきりの母親(85)にインスリンを大量に注射。母親が死亡し、承諾殺人未遂罪で執行猶予判決を受けた長男は「介護に疲れた」と話した。
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<介護殺人・心中>4割が執行猶予判決
中日新聞2009年11月20日
加害者となった介護者のうち、4割は執行猶予判決を受けている。行政や周囲の支援を受けられずに孤立し、親や配偶者と死を選ぼうとした姿に同情する検察官も。民間の保護司らが定期的に面談し、被告の更生を助ける保護観察付きの判決も出始めた。
2006年2月、京都市伏見区の河川敷で息子(54)が認知症の母親(86)と無理心中を図り、承諾殺人罪に問われた事件。裁判では検察官が、被告の母への愛情を詳述する異例の展開となった。
検察側は、息子が「最後の親孝行を」と心中を図る前に母を車いすに乗せて市内観光し、拘置所でも冥福を祈って写経を続けたことを明らかにした。介護のために仕事を辞めて生活に困窮し、死を決意した背景もくわしく説明した。弁護人が「被告に有利な事実を明らかにするのは異例」と驚くほどだった。
判決では裁判長が「介護保険や生活保護行政の在り方も問われている」と制度の問題に言及。懲役2年6月、執行猶予3年の判決を言い渡した。
02年5月に佐賀県鹿島市で車いすの妻(80)と無理心中を図って承諾殺人罪に問われた夫(83)の公判では、検察側が事件の背景に重すぎた介護費用の負担があったと指摘。夫は介護保険でまかないきれない介護費用を、毎月20万円以上も自己負担していた。
今年5月に起きた介護疲れが動機の妻殺害未遂事件を審理した山口地裁の裁判員裁判では、夫(63)に懲役3年、保護観察付き執行猶予4年の判決が言い渡された。公判では、妻への思いや社会復帰後の生活について裁判員の質問が集中。保護観察付きの判決は裁判員が被告の更生を願った評議の結果で、裁判長は「保護観察には完全に従ってください。確実に従ってください」と繰り返した。
◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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( [【介護社会】 埋もれる孤独 介護殺人・心中]を再掲)
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