昼間、公園へ行った。いつものように、50分ほど歩く。終わり近く、年配の婦人が白い実を付けた枝を透明な袋に入れて提げていらっしゃるのを見て、声をかけた。
ゆうこ「その白い実は、何というのですか」
婦人「南京はぜですよ」
Y(遠くを指さして)「あの紅葉した木に白い色が見えるので、白いのは何だろうなあ、と思っていたのです。そうですか、この(南京はぜ)実が遠目に白く見えたのですね」
婦人「お散歩ですか」
Y「はい。紅葉が美しいので、よく来ます」
婦人「本当に、綺麗ですね。赤は赤でも、同じ色はありません。黄色も・・・ぜんぶ色が違います。近くにこんな立派な公園があるなんて、ね」
Y「あまりに美しいので、泣きたくなるほどです」
婦人「そうですよ、泣きたくなる・・・、そうですよ。どうしてでしょう、泣きたくなりますよね」
Y「ちょっと恥ずかしいのですけど、もみじ(紅葉)に『有難う』『会えてよかった』っていう気分で歩くのです」
婦人「ああ、わかります。ありがたいですよね。近くで見ることが出来て」
夜、バッハのインヴェンションを聴きながら、これを書いている。先週サロン・コンサートで、「G線上のアリア」を聴いて以来、「バッハ懐かしさ」に火がついてしまった。インヴェンションは、一入だ。それにしても、公園の紅葉は、今が最も美しい時だ。1週間前とは、まるで違う。1週間前も美しかったが、今週は冴え冴えとして凄さすら感じさせる。美しい。いつも一人で歩く。数え切れないほど何度も、あの公園を散策した。冷たいほどの空気の中を、もみじ(紅葉)に魅せられて歩くのが好きだ。