平安時代 大陸の要人迎えた「迎賓館」 謎は解けるか? 松原客館
2024年5月17日 中日新聞 夕刊
江戸末期ー明治初期の市民が描いたとされる松原客館の想像図=福井県敦賀市立博物館提供
平安時代に大陸からの要人を受け入れた「幻の迎賓館」はどこにあったのか―。海外につながる港町として古くから栄えた福井県敦賀市内にあったとされる「松原客館」が、NHK大河ドラマ「光る君へ」で26日から放送される「越前編」に登場する。松原客館は存在した時期や場所など謎が多く、手掛かりは文献のみ。地元の識者はドラマをきっかけに、客館の織りなす歴史ロマンに光が当たることを期待している。(林侑太郎)
松原客館とつながりがあったとされる気比神宮=福井県敦賀市曙町で
ドラマの主人公、紫式部の父・藤原為時は996(長徳2)年、越前守に就いた。式部も同行し、生涯で一度だけ京を離れて越前に滞在したとされる。
歴史物語「今鏡」には、為時が赴任中、宋(中国)の人と漢詩を贈り合った記録が残る。同時期に宋の商人が滞在していたことを示す別の資料もあり、越前と大陸との深いつながりがうかがえる。敦賀市立博物館の高早恵美学芸員は「為時と宋人との交流の場として、松原客館使われていたのでは」とみる。
ただ、客館がはっきりと登場する資料は、為時が赴任する数十年前の2点しかない。10世紀前半の「延喜式」には、現在も市中心部にある気比(けひ)神宮の宮司が管理していたとある。「扶桑略記」には919(延喜19)年、中国東北部にあった国「渤海」の使節団が訪れ「門は閉じ、役人はおらず、暖を取る薪もない」状態だったとある。
これらの記録から「福井県史」は、客館が機能していた時期を9世紀後半とみる。一方、11世紀末まで存続していたことを示す資料もあり、実態は分からない。
もう一つの謎が場所。客館につながる遺構は、見つかっていない。文献を基にした予想は多いが、高早さんは「遺物がでてこないことには…」と首をかしげる。
30年前、謎解きに挑んだのが、地元の歴史愛好家でつくる地域史研究団体「気比史学会」の糀谷好晃(こうじたによしあき)会長(83)だ。1994年、専門家の見解をまとめた研究書「松原客館の謎にせまる」編集のかじを取り、同市松島町の永健寺周辺など、推定候補地7カ所を示した地図を掲載して話題を呼んだ。糀谷さんは「時を経て再び注目が集まるなんて」と感慨深げに語る。
謎は未解明のままだが、高早さんと糀谷さんは「それが歴史の面白さ」と口をそろえる。高早さんは「さまざまな説があることが、客館の歴史の深さを物語る」。糀谷さんは「世界に開かれた港町敦賀の原点。ドラマをきっかけに価値を見直してほしい」と力を込めた。
◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用、及び書き写し(来栖)