『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか』板垣恭介著

2016-11-20 | 雲上

『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか』
 元宮内庁記者から愛をこめて
著者 板垣恭介
出版年月日 2006/01/20
ISBN 9784272210862
判型・ページ数 4-6・208ページ
定価 本体1,200円+税
・この本の内容
 いま《日本人》にとって《天皇》《皇室》とは何かを根源的に問い直す|皇室典範に関する有識者会議は、女性天皇容認に踏み切った。だが待てよ、と著者は言う。一人の女性の「犠牲」によって天皇制を存続させようとするのは、もってのほかだ。高齢による天皇の生前退位は議題にすらならなかった。こういう制度がこれからも必要なのか。元宮内庁記者の体験を通して、こんな非人間的な制度はおしまいにすべきではないかと問いかける。

 ◎上記事は[大月書店]からの転載・引用です
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 ビデオジャーナリスト神保哲夫official blog
 天皇家に「もうやめた!」と言われる前に
 タブーというほどではないかもしれませんが、天皇家の方々が文句も言わずに皇族をやり続けてくれることに依拠している現在の天皇制の「無理」に、あえて踏み込んでみました。天皇制や皇室問題は決してタブーだとは思いませんが、「天皇がやめたいと言い出した場合」とか「天皇制を廃止する具体的シナリオ」となると、ちょっとタブーっぽい世界に踏み込んでいるような気もしています。私が勝手にそう思っているだけかもしれませんが。
 今回のゲストは近著「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」の著者で、共同通信の皇室担当記者を長年務められた板垣恭介さんです。
 板垣さんは、日本を統合しておくため(という名目)に利用されるだけの天皇制の矛盾を長年間近に見てきた経験から、その矛盾と脆弱性を指摘します。特に天皇家に嫁いできた女性たちが、お世継ぎを産むことを義務づけられているかのような風潮とそれを放置している日本の民度にも疑義を呈します。
 また、宮台さんがいつも指摘している、「現在のシステムは天皇が黙って政府の言うことを聞いてくれているからこそ、一見うまく回っているが、もし天皇が「やってらんないよ。おれはもうやめた」と言い出したらどうにもならない」問題についても、考えてみました。

itagaki2.jpg丸激第268回 [2006年5月19日]
天皇家に「もうやめた!」と言われる前に考えておくべきこと
ゲスト:板垣恭介氏(元共同通信宮内庁担当記者)
 今国会の最重要法案の一つになるとみられていた皇室典範改正は、秋篠宮妃の懐妊でしばしの小休止に入っている。しかし、40年にわたり皇室を取材し、皇室関係者とも親交の深い元共同通信の板垣氏は、皇室典範改正論争で一つ決定的に欠けていた視点があるという。それは、天皇家側が皇族を辞めたいと言い出したり、即位を辞退するシナリオがまったく想定されていない点だ。現在の憲法にも皇室典範にも、天皇制が何らかの理由で廃止されるシナリオは一切想定されていないのだ。
 その矛盾を近著「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」に著した板垣氏は、人権もプライバシーも認められず、一重に天皇家の自己犠牲の上に成り立っている現在の天皇制を問題視する。確かに、天皇家に嫁いだ女性が、あたかもお世継ぎを産むことを課せられた母胎装置であるかような扱いを受ける昨今の有様は、人権上もあまりに問題がある。
 しかも、現在の制度のもとでは、天皇家自身に即位を辞退したり、公務の執行を拒絶する選択肢は与えられていない。本人が望む望まぬにかかわらず、憲法によって世襲を義務づけられている以上、それを考えなければならないのは、主権者としての日本人の責務のはずだと、板垣氏は主張する。そして、皇室典範改正はその問題を考える絶好の機会だったにもかかわらず、政治もメディアも、そしてわれわれ日本人全員がその議論を避けていると批判する。
 ジャーナリストとして長年にわたり天皇家を間近から見てきた板垣氏とともに、人権問題としての天皇制と、天皇を政治利用しようとすると勢力の存在、そして仮に天皇制が廃止されると日本にどのような影響が出るのか等を考えた。
※丸激トーク・オン・ディマンドでは出演者の意思を尊重し、人物の呼称については、出演者の発言をそのまま放送しています。
  May 21, 2006

 ◎上記事は[ビデオジャーナリスト神保哲夫official blog]からの転載・引用です
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弁護士会の読書
 更新日:2006年3月13日
『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか』著者:板垣恭介、出版社:大月書店
  左でも右でもない、ただガラの悪さでは天下一品。宮内庁長官からこのように評された元宮内庁記者が愛をこめて皇室の内情をさらけ出した本です。とても真面目な面白い本です。
  皇族やめませんか、と言われても自分の意思だけでやめるわけにいかないのが、日本の皇族です。イギリスの国王で、女性への愛を貫くために国王の地位を投げ捨てた人がいましたね。でも、イギリスと違って女王を認めない日本では、明仁さんはそうはいきません。常陸宮がまだ義宮と呼ばれていたころ、嫁さん探しがなされた。もちろん、家系の正しい人であることが条件だ。ところが、宮内庁長官はこう言った。
  家系の正しい人といったって、こっちだってお妾さんの子の孫だよ。そんな固いことは言えませんや。
  なるほど、大正天皇は明治天皇が典侍に生ませた子だったのです。有名な話です。
  ミッチーブームは、私が小学生のころのことで、今でも鮮明に覚えています。この美智子人気を良からず思っていたのが昭和天皇の妻の良子(ながこ)皇后。宮中で反対運動を展開した。その片棒をかついだのは秩父宮勢津子(会津藩主松平容保の孫)、高松宮喜久子(徳川慶喜の孫)、良子の実妹大谷智子(東本願法主夫人)、勢津子の母で東宮教育参与の松平信子らだった。
  良子は、美智子妃を平民だからという一点で、最初から無視していた。旅行するとき、見送りに並んでいるなかで美智子妃の前だけは素通りし、あえて無視した。美智子妃について、「あの人は外からきたお人だから」と一言で片づけた。
  その良子も、昭和天皇の母親の貞明皇后とは気があわなかったという。良子が、万事おっとりした姫様育ちで、いささか気働きに欠けたからだ。
  良子皇后の還暦祝いがあったとき、美智子妃は欠席したそうです。こんな状況を知るとその気持ちはよく分かりますね。宮内庁長官が次のように語ったそうです。
  皇族てぇのは、われわれ庶民と違って残酷なところがあるんだ。貴人に情なし。
  美智子妃の父親である正田英三郎が、宮中での集まりのとき、高松宮に深々とお辞儀をしたのに、高松宮はフンという顔でそっぽを向いた。高松宮は、正田家そのものに好意をもっていなかった。
  この本を読んで、美智子妃が、まだ幼い3人の子どもを連れて外出したとき、「ほかほか弁当」を4個買って食べたというのを知って驚きました。皇室の衛生管理の厳しさを聞いていた私には、あの添加物だらけの弁当を買って食べるなんて、とても信じられませんでした。もちろん、宮内庁当局は「今後は慎むように」と注意しました。ところが、美智子妃は、「国民のみなさんと同じものを、なぜ私や子どもたちが食べてはいけないのですか」と反論したそうです。むむむ、おぬし、やるな・・・。そんな気になりました。
  美智子妃はテニスするとき、「あっ、やばい」「よし、やるぞ」という掛け声をかけていたとのこと。なんだか親しみを感じる言葉ですね。法曹界との対抗試合も盛んにやられていたようです。近く発刊される福岡県弁護士会の会報に、そのころの写真がのっています。
  昭和天皇は、自衛の戦争まで否定している日本国憲法には反対だった。だから、占領中、マッカーサーにあったとき、軍隊不在の不安を訴えていた。これに対してマッカーサーは、陛下、日本は東洋のスイスになればいいんだから、となだめていた。昭和天皇の言葉は、なるほどと分かりますが、マッカーサーの言葉は意外でした。
  2004年10月、秋の園遊会のとき、米長邦雄元名人が、日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが自分の仕事だと言ったとき、明仁天皇は、すかさず、強制になるということでないことが望ましいと答えました。すっかり米長のアテは外れてしまった。
  私も、この言葉を新聞で知り、明仁天皇はなかなかの人物だと見直しました。
  皇族という「商売」を続けるのも実に大変なことなんだとつくづく思います。

 ◎上記事は[福岡弁護士会]からの転載・引用です


「内外に蠢く皇室を潰したい勢力」小和田家・東宮・国連・創価学会・・・『WiLL』2016/10月号

   
WiLL 2016/10月号 河添恵子「内外に蠢く皇室を潰したい勢力」

p232~
国連大学本部ビル前で聞いた話
 皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
 日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

 国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。(中略)
 創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
 唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」
 (中略)
 ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
 何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
 以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
 2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
 また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

 大多数の日本人は、「国連は中立」との印象を持っているはずだ。だが、少なくとも女子差別撤廃委員会、自由権規約委員会、人権理事会(以前は人権委員会)、南京文書を登録した国連教育科学文化機関(ユネスコ)などは、コミンテルン(共産主義インターナショナル)の残党や中国共産党、韓国など、「反日」や世界支配(ワンワールド)を志向する面々が結集する場となっているようだ。
 女子差別撤廃条約が国連総会で採択されたのは1979年で、それ以来、批准国に対して女子差別撤廃委員会が監視機関として機能してきた。日本はデンマークの首都コペンハーゲンで開かれた第2回世界女性会議(1980年)に合わせて行われた署名式で条約に署名し、1985年に同盟条約を批准している。
 そして今年2月、日本にとって5回目となる政府報告書審査が行われ、その際、国連の同委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正」を求める勧告が盛り込まれたのは前述の通りだ。
 杉田水脈氏はこう語っている。
「2015年7月のプレセッションの時も、2月の対日審査の場においても、その前日の事前ミーティングでも皇室典範に関する発言は、女子差別撤廃委員会から出ていませんでした。要するに公開の場では一切触れられていない話題が、いきなり最終見解を出すための議論中で出てきたと考えられます。委員会自体は非公開なんですよね」
 ちなみに、国連女子差別撤廃委員会の委員長は日本人女性---弁護士の林陽子氏である。松井やより氏の後継者で、福島瑞穂氏らと慰安婦問題を世界に広げた“第一人者”で、2008年1月に同委員会の委員となり、昨年2月に委員長に就任したという。

日中友好協会と創価学会
 今年3月、国連の女子差別撤廃委員会で、「男系継承(皇統)は女性差別」との最終案を取りまとめたのは同委員会の副委員長で、鄒暁巧(すうぎょうこう)・中華全国婦女連合会・国際連絡部部長だと『週刊文春』(3月24日号)が暴いた。
 鄒暁巧副委員長が所属する「中華全国婦女連合会」とは、中華人民共和国の建国直前の1949年3月に発足した、中国共産党の女性幹部が牛耳る老舗機関である。
 発足時から長い歳月、名誉主席の立場で君臨してきたのは何香凝(かこうぎょう)だ。香港生まれの何香凝は、中華民国時代に国民党左派に属し、日本留学中に孫文と出会い、側近で金庫番だった廖仲愷(りょうちゅうがい=米カリフォルニア州サンフランシスコ生まれで、1925年に暗殺)と結婚した。国民党婦人部長として様々な女性運動を展開した、この道のパイオニアとされる。
 そして1953年から1978年9月まで、何香凝と共に名誉主席を務めたのは、孫文の寡婦となった宋慶齢(そうけいれい)である。米国留学をした宋三姉妹だが、次女の宋慶齢は少なくとも1930年頃には共産主義者となり、コミンテルンの情報部員との関係を深め、ソ連のスターリンによる中国政策において影響力を行使する人物になっていたとされる。
 もう一人、婦女連合会の発足当初から副主席として名を連ねたのが周恩来の妻・鄧頴超(とうえいちょう)で、後に名誉主席に就任した。現名誉会長の彭偑雲(ほうはいうん=1929~)は、中国全人代常務委員会副委員長や中国赤十字会会長といった重要ポストを歴任している。
 つまり中華全国婦女連合会は、女性の中国共産党員の最高幹部が名を連ねる。とすれば、国際連絡部部長の鄒副委員長が、「皇室典範の改正」を求める勧告を盛り込んだのは、中国政府の意向でもあると断言できる。
 孫文でつながる何香凝と廖仲愷夫妻の息子、廖承志(りょうしょうし)は日中関係に携わってきた人間ならば誰もが知る中国共産党の大物である。東京生まれで江戸弁を操れる廖承志は、周恩来の下で対日業務・情報収集の責任者となり、国交のない50年代に訪日。中日長期総合貿易覚書の締結にこぎつけ、日中友好協会の1963年の設立時から死去(1983年6月)するまで会長を務めた人物だからだ。
 「日中友好」という工作現場で、生涯、「友好」を演じ続けた廖承志と創価学会が、古くから友人関係にあることも周知の事実だ。池田会長(当時)は、日中国交樹立の2年後に訪中し、病床にあった周恩来首相と最初で最後の面談を行っている。中国では『廖承志与池田大作』(高岳侖主編/中央文献出版社)(2011年5月)も発刊された。
 そして胡錦濤国家主席は、日本の総理には見せることのない、満面の笑みで池田名誉会長と「再会」している(『聖教新聞』2008年5月9日や公明党のサイト)。ちなみに、程永華(ていえいか)駐日中国大使は創価大学の第一期留学生として、1975年に来日した人物である。80年代、私は中国に留学しているが創価大学の留学生は当時から少なくなかった。

 中国政府やコミンテルンは、日本の強さの根源が天皇陛下と皇室にあると分析している。ベルリンの壁、そしてソビエト連邦の崩壊により、90年代はコミンテルンが弱体化したかに見えた。だが、組織や国際ネットワークの主舞台を国連や中国政府に移し、日本の左派=親中勢力が“日中共同作業”で日本の伝統を破壊する工作に邁進してきたきたという図式ではないだろうか。

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〈来栖の独白 2016.9.9 Fri. 〉
 2016年8月8日午後3時、天皇陛下はビデオメッセージにてお気持ちを表明された。お聴きして、私は単純に「ご高齢とご病気により、象徴としての国務が100%お出来にならないから、退位なさりたいのだな。天皇としてのお勤めが万全に果たされない、そのような天皇というものは許容しない、できないということだな」と受け止めた。ここにも高齢化の波(問題)は波及している、などと分かったような気分になっていた。
 しかし、天皇退位、そこから議論を呼んでいる「摂政」「皇太子不在」「女系天皇」といったコラムを目にするにつけ、単純なことではすまぬ気配を嫌でも感じるようになった。
 とりわけ、目をひいたのは、WiLL 2016/10月号、河添恵子氏の記事「内外に蠢く皇室を潰したい勢力」である。
 国連大学本部・皇太子妃・創価学会・皇室典範・国連女子差別撤廃委員会など、歴史的にも深いところで微妙に繋がり、力ある存在であることを感じさせる。  ◎上記事の強調(太字・着色)は来栖
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ユネスコの政治利用 ボコバ氏…抗日行事参加…国連事務総長ポスト狙う 世界記憶遺産「南京大虐殺」登録
世界記憶遺産に「南京大虐殺」の登録を決めたユネスコ事務局長イリナ・ボコバ氏、反日軍事パレードにも参加 2015-10-12 
ベネッセ迷走止まらず 3カ月でまた社長交代 米投資ファンドのカーライル・グループ 安達保氏が2016/10/1付で社長に 
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