「オウム真理教事件」 遠藤誠一被告の判決訂正申立を棄却/全員の判決確定

2011-12-13 | オウム真理教事件

〈来栖の独白2011/12/13 Tue.〉
 オウム真理教事件裁判のうち、中川死刑囚と遠藤死刑囚の判決訂正申立から棄却までの日付(日数)を見てみた〈〉。期間がとりわけ短縮されたわけでもない。両被告とも、判決からほぼ10日ほどの間隔で、推移している。
 先に刑確定した人たちにとっても、精神的には多分本日から本当の意味での死刑囚の生活が始まる。
 それは、行刑側にとっても同様だ。同一事件での死刑確定者13名という多数への、かつてない厳重な管理が強いられる。その行く手に待っているものは、刑務官が自らの手で下さねばならぬ刑執行である。


オウム中川被告側が訂正申し立て 上告棄却の死刑判決
 地下鉄、松本両サリンや坂本堤弁護士一家殺害などオウム真理教の計11事件で殺人罪などに問われた元教団幹部中川智正被告(49)の弁護人は28日、死刑の一、二審判決を支持して上告を棄却した18日の最高裁判決に対する訂正を申し立てた。
 訂正申し立ては、最高裁判決に誤りがあるとして行う最後の不服申し立て手段だが、量刑が覆ったケースはない。申し立てが棄却されれば中川被告の死刑が確定する。
 一連の事件では松本智津夫死刑囚(56)=教祖名麻原彰晃=ら11人の死刑が既に確定したほか、21日にも元幹部遠藤誠一被告(51)の上告が棄却され、死刑確定の見通しとなっている。2011/11/28 19:33【共同通信】
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オウム中川被告、死刑が正式確定…未確定は1人
 坂本堤弁護士一家殺害事件や地下鉄、松本両サリン事件など11事件で殺人罪などに問われ、最高裁で11月18日に死刑判決を受けたオウム真理教元幹部・中川智正被告(49)について、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は、被告の判決訂正の申し立てを棄却する決定をした。
 決定は今月8日付。中川被告の死刑が正式に確定した。
 これにより、教団による一連の事件で死刑判決を受けた13人のうち正式確定していないのは、11月21日に最高裁で死刑を言い渡された元幹部・遠藤誠一被告(51)(訂正申し立て中)だけとなった。(2011年12月9日22時14分 読売新聞)
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死刑判決のオウム遠藤被告、判決訂正申し立て
 地下鉄、松本両サリン事件など4事件で殺人などの罪に問われ、最高裁で11月21日に死刑判決を受けたオウム真理教の元幹部・遠藤誠一被告(51)側が1日、最高裁に判決の訂正を申し立てた。
 刑事事件の上告審判決には、10日以内に訂正申し立てができるが、認められた例はほとんどなく、棄却されれば死刑判決が確定する。
(2011年12月1日20時23分 読売新聞)
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オウム裁判:遠藤誠一被告の死刑確定 189人判決確定
 地下鉄・松本両サリンなど4事件で殺人罪などに問われ、11月21日の最高裁判決で1、2審の死刑が維持されたオウム真理教元幹部、遠藤誠一被告(51)に対し、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は12日付で、判決訂正の申し立てを棄却する決定を出した。これでオウム真理教による一連の事件で13人目の死刑が確定し、起訴された189人全員の判決が確定した。
 一連の事件では▽死刑13人▽無期懲役5人▽有期懲役80人▽執行猶予付き87人▽罰金3人▽無罪1人--が確定。松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)が95年5月に逮捕されてから終結まで約16年7カ月を要した。一方で、まだ指名手配中の容疑者が3人いる。
 刑事訴訟法は、死刑執行は判決確定から6カ月以内に命令しなければならないと定めるが、共犯者の判決確定までの期間は算入しないとしている。元死刑囚に対し1953年に言い渡された大阪高裁判決は「未逮捕の共犯者がいることを理由に、漫然と死刑囚の執行を遅らせることは当を得ない」として「共犯者の逮捕前の死刑執行命令は適法」という先例的判断を示している。【石川淳一】毎日新聞 2011年12月13日 20時49分


「死刑執行、教祖から」と江川紹子氏は云うが・・・/【63年法務省矯正局長通達】に見る行刑の苦難 
死刑執行「教祖から」ジャーナリスト・江川紹子さん
産経ニュース2011.11.27 19:26(より、抜粋)
 「死刑執行の順番を間違えちゃいけない」
 江川紹子さん(53)。今後、手続きが取られていくことになるであろう死刑執行に、思いを至らせる。
 例外はあるが日本の死刑執行は、判決確定日が早い死刑囚から順に執行されるのが原則だ。
 裁判で死刑判決となった元幹部らは13人。罪を認めた元幹部ほど裁判の終結は早い。罪を認めようとしなかった者や、裁判に背を向けた者ほど、審理に時間がかかった。
 「反省して罪を認めた人から刑が執行されるようなことになれば、正義に反する。ましてや犯行を首謀した麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)より先に、弟子が執行されるようであってはならない」
 審理については、麻原死刑囚が何も語らなかったことなどから「真相に十分は迫れなかった」という不満を訴える関係者らの声が少なからずある。
 だが江川さんは、「私は一連の裁判を、もっと肯定的にとらえたい」と話す。
 「確かに時間も費用もかかった。でも、それは法治国家として必要なもので、裁判から得るべきものも多かったのではないか」
 裁判から得るべき教訓をこう考える。「膨大な時間をかけた被告人質問や証人尋問からは、教団やカルト、マインドコントロールといった恐ろしさは、とてもよく出ていたし、十分に伝わってきたと思う。
= = =
〈来栖の独白2011/12/04〉
 【死刑執行「教祖から」】との野太いタイトルに驚いた。麻原彰晃(松本智津夫)氏の刑確定に至った経緯に、江川氏は無関心のようだ。裁判全般についても、「膨大な時間をかけた・・・恐ろしさは、とてもよく出ていた」と評価する。
 なぜ麻原氏は語らなくなったのか、確定したのか、これらは拘置所行政や
裁判(刑事弁護)の闇の闇を露呈している。
獄中の麻原彰晃に接見して/会ってすぐ詐病ではないと判りました/拘禁反応によって昏迷状態に陥っている
 加賀乙彦著『悪魔のささやき』集英社新書2006年8月17日第1刷発行
 p145~
 獄中の麻原彰晃に接見して
 2006年2月24日の午後1時、私は葛飾区小菅にある東京拘置所の接見室にいました。強化プラスチックの衝立をはさみ、私と向かい合う形で車椅子に座っていたのは、松本智津夫被告人、かつてオウム真理教の教祖として1万人を超える信者を率い、27人の死者と5千5百人以上の重軽傷者を出し、13の事件で罪を問われている男です。
p146~
 04年2月に1審で死刑の判決がくだり、弁護側は即時、控訴。しかし、それから2年間、「被告と意思疎通ができず、趣意書が作成できない」と松本被告人の精神異常を理由に控訴趣意書を提出しなかったため、裁判はストップしたままでした。被告の控訴能力の有無を最大の争点と考える弁護団としては、趣意書を提出すれば訴訟能力があることを前提に手続きが進んでしまうと恐れたのです。それに対し東京高裁は、精神科医の西山詮に精神鑑定を依頼。その鑑定の結果を踏まえ、控訴を棄却して裁判を打ち切るか、審議を続行するかという判断を下す予定でした。2月20日、高裁に提出された精神状態鑑定書の見解は、被告は「偽痴呆性の無言状態」にあり、「訴訟能力は失っていない」というもの。24日に私が拘置所を訪れたのは、松本被告人の弁護団から、被告人に直接会ったうえで西山の鑑定結果について検証してほしいと依頼されたためです。
 逮捕されてから11年。目の前にいる男の姿は、麻原彰晃の名で知られていたころとはまるで違っていました。トレードマークだった蓬髪はスポーツ刈りになり、髭もすっかり剃ってあります。その顔は、表情が削ぎ落とされてしまったかのようで、目鼻がついているというだけの虚ろなものでした。灰色の作務衣のような囚衣のズボンがやけに膨らんでいるのは、おむつのせいでした。
「松本智津夫さん、今日はお医者さんを連れてきましたよ」
 私の左隣に座った弁護士が話しかけ、接見がはじまりましたが、相変わらず無表情。まったく反応がありません。視覚障害でほとんど見えないという右目は固く閉じられたままで、視力が残っている左目もときどき白目が見えるぐらいにしか開かない。口もとは力なくゆるみ、唇のあいだから下の前歯と歯茎が覗いています。
 重力に抵抗する力さえ失ったように見える顔とは対照的に、右手と左手はせわしなく動いていました。太腿、ふくらはぎ、胸、後頭部、腹、首・・・身体のあちこちを行ったり来たり、よく疲れないものだと呆れるぐらい接見のないだ中、ものすごい勢いでさすり続けているのです。
「あなたほどの宗教家が、後世に言葉を残さずにこのまま断罪されてしまうのは惜しいことだと思います」
「あなたは大きな教団の長になって、たくさんの弟子がいるのに、どうしてそういう子供っぽい態度をとっているんですか」
 何を話しかけても無反応なので、持ち上げてみたり、けなしてみたり、いろいろ試してみましたが、こちらの言うことが聞こえている様子すらありません。その一方で、ブツブツと何やらずっとつぶやいている。耳を澄ましてもはっきりとは聞こえませんでしたが、意味のある言葉でないのは確かです。表情が変わったのは、2度、ニタ~という感じで笑ったときだけ。しかし、これも私が投げた言葉とは無関係で、面談の様子を筆記している看守に向かい、意味なく笑ってみせたものでした。
 接見を許された時間は、わずか30分。残り10分になったところで、私は相変わらず目をつぶっている松本被告人の顔の真ん前でいきなり、両手を思いっきり打ち鳴らしたのです。バーンという大きな音が8畳ほどのがらんとした接見室いっぱいに響き渡り、メモをとっていた看守と私の隣の弁護士がビクッと身体を震わせました。接見室の奥にあるドアの向こう側、廊下に立って警備をしていた看守までが、何事かと驚いてガラス窓から覗いたほどです。それでも松本被告人だけはビクリともせず、何事もなかったかのように平然としている。数分後にもう1度やってみましたが、やはり彼だけが無反応でした。これは間違いなく拘禁反応によって昏迷状態におちいっている。そう診断し、弁護団が高裁に提出する意見書には、さらに「現段階では訴訟能力なし。治療すべきである」と書き添えたのです。
 拘禁反応というのは、刑務所など強制的に自由を阻害された環境下で見られる反応で、ノイローゼの一種。プライバシーなどというものがいっさい認められず、狭い独房に閉じ込められている囚人たち、とくに死刑になるのではという不安を抱えた重罪犯は、そのストレスからしばしば心身に異常をきたします。
 たとえば、第1章で紹介したような爆発反応。ネズミを追いつめていくと、最後にキーッと飛びあがって暴れます。同じように、人間もどうにもならない状況に追い込まれると、原始反射といってエクスプロージョン(爆発)し、理性を麻痺させ動物的な状態に自分を変えてしまうことがあるのです。暴れまわって器物を壊したり、裸になって大便を顔や体に塗りつけ奇声をあげたり、ガラスの破片や爪で身体中をひっかいたり・・・。私が知っているなかで1番すさまじかったのは、自分の歯で自分の腕を剥いでいくものでした。血まみれになったその囚人は、その血を壁に塗りつけながら荒れ狂っていたのです。
 かと思うと、擬死反射といって死んだようになってしまう人もいます。蛙のなかには、触っているうちにまったく動かなくなるのがいるでしょう。突っつこうが何しようがビクともしないから、死んじゃったのかと思って放っておくと、またのそのそと動き出す。それと同じで、ぜんぜん動かなくなってしまうんです。たいていは短時間から数日で治りますが、まれに1年も2年も続くケースもありました。
 あるいはまた、仮性痴呆とも呼ばれるガンゼル症候群におちいって幼児のようになってしまい、こちらの質問にちょっとずれた答えを返し続ける者、ヒステリー性の麻痺発作を起こす者。そして松本被告人のように昏迷状態におちいる者もいます。
 昏迷というのは、昏睡の前段階にある状態。昏睡や擬死反射と違って起きて動きはするけれど、注射をしたとしても反応はありません。昏迷状態におちいったある死刑囚は、話すどころか食べることすらしませんでした。そこで鼻から胃にチューブを通して高カロリー剤を入れる鼻腔栄養を行ったところ、しばらくすると口からピューッと全部吐いてしまった。まるで噴水のように、吐いたものが天井に達するほどの勢いで、です。入れるたびに吐くので、しかたなく注射に切り替えましたが、注射だとどうしても栄養不足になる。結局、衰弱がひどくなったため、一時、執行停止処分とし、精神病院に入院させました。
 このように、昏迷状態におちいっても周囲に対して不愉快なことをしてしまう例が、しばしば見られます。ただ、それは無意識の行為であり、病気のふりをしている詐病ではありません。松本被告人も詐病ではない、と自信を持って断言します。たった30分の接見でわかるのかと疑う方もいらっしゃるでしょうが、かつて私は東京拘置所の医務部技官でした。拘置所に勤める精神科医の仕事の7割は、刑の執行停止や待遇のいい病舎入りを狙って病気のふりをする囚人の嘘や演技を見抜くことです。なかには、自分の大便を顔や身体に塗りたくって精神病を装う者もいますが、慣れてくれば本物かどうかきっちり見分けられる。詐病か拘禁反応か、それともより深刻な精神病なのかを、鑑別、診断するのが、私の専門だったのです。
 松本被告人に関しては、会ってすぐ詐病ではないとわかりました。拘禁反応におちいった囚人を、私はこれまで76人見てきましたが、そのうち4例が松本被告人とそっくりの症状を呈していた。サリン事件の前に彼が書いた文章や発言などから推理するに、松本被告人は、自分が空想したことが事実であると思いこんで区別がつかなくなる空想虚言タイプだと思います。最初は嘘で、口から出まかせを言うんだけれど、何度も同じことを話しているうちに、それを自分でも真実だと完全に信じてしまう。そういう偏りのある性格の人ほど拘禁反応を起こしやすいんです。
 まして松本被告人の場合、隔離された独房であるだけでなく、両隣の房にも誰も入っていない。また、私が勤めていたころと違って、改築された東京拘置所では窓から外を見ることができません。運動の時間に外に出られたとしても、空が見えないようになっている。そんな極度に密閉された空間に孤独のまま放置されているわけですから、拘禁反応が表れるのも当然ともいえます。接見中、松本被告人とはいっさいコミュニケーションをとれませんでしたが、それは彼が病気のふりをしていたからではありません。私と話したくなかったからでもない。人とコミュニケーションを取れるような状態にないからなのです。(~p151)
 「死刑にして終わり」にしないことが、次なる悪魔を防
 しかるに、前出の西山医師による鑑定書を読むと、〈拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく、偽痴呆性の無言状態にある〉と書かれている。偽痴呆性というのは、脳の変化をともなわない知的レベルの低下のこと。言語は理解しており、言葉によるコミュニケーションが可能な状態です。西山医師は松本被告に3回接見していますが、3回とも意味のあるコミュニケーションは取れませんでした。それなのにどうして、偽痴呆性と判断したのでしょうか。また、拘禁反応と拘禁精神病は違うものであるにもかかわらず、〈拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく〉と、あたかも同じ病気で片や病状が軽く、片や重いと受けとれるような書き方をしてしまっている。
 鑑定書には、さらに驚くべき記述がありました。松本被告人は独房内でみずからズボン、おむつカバー、おむつを下げ、頻繁にマスターベーションをするようになっていたというのです。05年4月には接見室でも自慰を行い、弁護人の前で射精にまで至っている。その後も接見室で同様の行為を繰り返し、8月には面会に来た自分の娘たちの前でもマスターベーションにふけったそうです。松本被告人と言葉によるコミュニケーションがまったく取れなかったと書き、このような奇行の数々が列挙してあるというのに、なぜか西山医師は唐突に〈訴訟をする能力は失っていない〉と結論づけており、そういう結論に至った根拠はいっさい示していない。失礼ながら私には、早く松本被告人を断罪したいという結論を急いでいる裁判官や検事に迎合し、その意に沿って書かれた鑑定書としか思えませんでした。
 地下鉄サリン事件から11年もの歳月が流れているのですから、結論を急ぎたい気持ちはわかります。被害者や遺族、関係者をはじめ、速やかな裁判の終結と松本被告人の断罪を望んでいる人も多いでしょう。死刑になれば、被害者にとっての報復にはなるかもしれません。しかし、20世紀末の日本を揺るがせた一連の事件の首謀者が、なぜ多くの若者をマインド・コントロールに引き込んだのかは不明のままになるでしょう。
 オウム真理教の事件については、私も非常に興味があったため裁判記録にはすべて目を通し、できるだけ傍聴にも行きました。松本被告人は、おそらく1審の途中から拘禁ノイローゼになっていたと思われます。もっと早い時期に治療していれば、これほど症状が悪化することはなかったはずだし、治療したうえで裁判を再開していたなら10年もの月日が無駄に流れることもなかったでしょう。それが残念でなりません。
 拘禁反応自体は、そのときの症状は激烈であっても、環境を変えればわりとすぐ治る病気です。先ほど紹介した高カロリー剤を天井まで吐いていた囚人も、精神病院に移ると1カ月で好転しました。ムシャムシャ食べるようになったという報告を受けて間もなく、今度は元気になりすぎて病院から逃げてしまった。すぐに捕まって、拘置所に戻ってきましたが。
 松本被告人の場合も、劇的に回復する可能性が高いと思います。彼の場合は逃亡されたらそれこそたいへんですから、病院の治療は難しいでしょうが、拘置所内でほかの拘留者たちと交流させるだけでもいい。そうして外部の空気にあててやれば、半年、いやもっと早く治るかもしれません。実際、大阪拘置所で死刑囚を集団で食事させるなどしたところ、拘禁反応がかなり消えたという前例もあるのです。(~p153)

 上掲タイトルのように、江川氏は、死刑執行「教祖から」と云われる。
 死刑執行の現場から考えてみたい。同一事件でも、死刑確定の時期によって刑執行の期日にズレはある。オウム真理教事件のように死刑囚が多勢になれば、全員同日執行は余程の困難が予想される。
 期日をずらせばずらしたことにより、拘置所の管理運営は困難を極める。(たとえば、外部交通を遮断したとしても)自分と同事件の死刑囚が執行されたことを耳に入れずに済ませることは、苦肉の策に違いない。耳に入れば、死刑囚は動揺する。心情の安静は保ちにくい。いずれしても、拘置所職員の労苦は、並大抵ではないだろう。

【63年法務省矯正局長通達】
法務省矯正甲第96号
昭和38年3月15日
死刑確定者の接見及び信書の発受について
 接見及び信書に関する監獄法第9章の規定は、在監者一般につき接見及び信書の発受の許されることを認めているが、これは在監者の接見及び信書の発受を無制限に許すことを認めた趣旨ではなく、条理上各種の在監者につきそれぞれその拘禁の目的に応じてその制限の行われるべきことを基本的な趣旨としているものと解すべきである。
 ところで、死刑確定者には監獄法上被告人に関する特別の規定が存する場合、その準用があるものとされているものの接見又は信書の発受については、同法上被告人に関する特別の規定は存在せず、かつ、この点に関する限り、刑事訴訟法上、当事者たる地位を有する被告人とは全くその性格を異にするものというべきであるから、その制限は専らこれを監獄に拘置する目的に照らして行われるべきものと考えられる。
 いうまでもなく、死刑確定者は死刑判決の確定力の効果として、その執行を確保するために拘置され、一般社会とは厳に隔離されるべきものであり、拘置所等における身柄の確保及び社会不安の防止等の見地からする交通の制約は、その当然に受忍すべき義務であるとしなければならない。更に拘置中、死刑確定者が罪を自覚し、精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう配慮さるべきことは刑政上当然の要請であるから、その処遇に当たり、心情の安定を害するおそれのある交通も、また、制約されなければならないところである。
 よって、死刑確定者の接見及び信書の発受につきその許否を判断するに当たって、左記に該当する場合は、概ね許可を与えないことが相当と思料されるので、右趣旨に則り自今その取扱いに遺憾なきを期せられたい。
    記
一、本人の身柄の確保を阻害し又は社会一般に不安の念を抱かせるおそれのある場合
二、本人の心情の安定を害するおそれのある場合
三、その他施設の管理運営上支障を生ずる場合

 死刑囚の心情の安静に苦渋するのも刑務官なら、実際に手をかけねばならない(死刑執行する)のも、彼らである。職務とはいえ、人を、白昼、殺さねばならない。
 江川氏も含めて、数分でもよい。我々国民一人一人が、現場の人の心情を忖度してみてはどうだろう。
 そこのところを、下記論説は言っている。
論壇時評【「神的暴力」とは何か 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い】(抜粋)
 日本は、「先進国」の中で死刑制度を存置しているごく少数の国家の一つである。井上達夫は、「『死刑』を直視し、国民的欺瞞を克服せよ」(『論座』)で、鳩山邦夫法相の昨年の「ベルトコンベヤー」発言へのバッシングを取り上げ、そこで、死刑という過酷な暴力への責任は、執行命令に署名する大臣にではなく、この制度を選んだ立法府に、それゆえ最終的には主権者たる国民にこそある、という当然の事実が忘却されている、と批判する。井上は、国民に責任を再自覚させるために、「自ら手を汚す」機会を与える制度も、つまり国民の中からランダムに選ばれた者が執行命令に署名するという制度も構想可能と示唆する。この延長上には、くじ引きで選ばれた者が刑そのものを執行する、という制度すら構想可能だ。死刑に賛成であるとすれば、汚れ役を誰かに(法相や刑務官に)押し付けるのではなく、自らも引き受ける、このような制度を拒否してはなるまい。(大澤真幸 京都大学大学院教授)


死刑の刑場を初公開=東京拘置所 / 死刑とは何か~刑場の周縁から〔2〕
 角川文庫『死刑執行人の苦悩』 大塚公子著
p65~
 心の中で合掌し、任務を果たすことに集中した。
 執行はすばやく行わなくてはならない。Cさんが首にロープをかけるのと、べつの刑務官が膝をひもで縛るのと同時。間髪を入れずもうひとりの刑務官が保安課長の合図を見て、ハンドルを引く。この間、時間にしてわずか3秒ぐらいのものである。
p66~
 立会いはごめんだ
 ハンドルが引かれると、同時に死刑囚の体は地下に落下する。足下の踏み板が中央から二つに割れ、宙吊りになって絞首される仕掛けになっているのである。
 宙吊りになると、医学的見地からはほとんど瞬間的に意識を失い、死刑囚に肉体的苦痛はない、とされている。処刑されてしまった死刑囚にじっさいに苦しくなかったかどうかたずねることはできない。意識を失ってほとんど苦しむことはないので、死刑は残虐ではないという理屈がまかりとおった。
 憲法では残虐な刑罰を禁止している。
 死刑判決を受けた被告人は弁護人とともに、この憲法をたてに、死刑は違憲であると訴える。
 しかし、裁判所は、吊るされた瞬間に死刑囚は意識を失い、苦しみはほとんど知ることはない、したがって絞首刑は憲法にいうところの残虐な刑にはあたらないと主張する。
 じっさいに意識を失ってしまって、いっさいの苦痛が皆無であったかどうか、絞首された当人にたずねることができないのはいまも言ったとおりである。
 執行現場で見たとおりの話はこうだ。
 宙吊りになった死刑囚はテレビドラマなどで見るように、単純にだらりと吊り下がるのではない。
 いきなりズドンと宙吊りになる。このとき死刑囚が立っていた踏み板が中央から割れて下に開く。その衝撃音は読経のほかなんの音もない静寂の中にいきなり轟くので、心臓にこたえる感がある。たとえかたがうまくないかもしれないが、ぶ厚くて大きな鉄板を、堅いコンクリートの床に思いきり叩きつけたような音だという。
 この衝撃音がバターンと轟くのと死刑囚が宙吊りになるのがほとんど同時。
 宙吊りの体はキリキリとロープの限界まで回転し、次にはよりを戻すために反対方向へ回転を激しく繰り返す。大小便を失禁するのがこのときである。遠心操作によって四方にふりまかれるのを防ぐために、地下で待っていた刑務官は落下してきた死刑囚をしっかり抱いて回転を防ぐ。
 間もなく死刑囚は激しいけいれんを起こす。窒息からくるけいれんである。
 両手、両足をけいれんさせ動かすさまは、まるで死の淵からもがき逃れようとしているかに見える。手と足の動きはべつべつである。
 手は水中を抜き手を切って泳ぐように動かす。
 足は歩いて前進しているとでもいうような力強い動かしかたをする。
 やがて、強いひきつけを起こし、手足の運動は止むが、胸部は著しくふくれたりしぼんだりするのが認められる。吐くことも吸うこともかなわぬ呼吸を、胸の内部だけで行っていると思えてならない。
 頭をがくりと折り、全身が伸びきった状態になる。瞳孔が開き、眼球が突き出る。仮死状態である。
 人によっては、宙吊りになって失禁するのと同時に鼻血を吹き出すこともある。そんな場合は、眼球が突出し、舌がだらりとあごの下までたれさがった顔面が、吹き出した鼻血によって、さらに目をおおわずにはいられない形相となる。
 医官は死刑囚の立っている踏み板が外れるのと同時にストップウォッチを押す。つぎに仮死状態の死刑囚の胸を開き聴診器をあてる。心音の最後を聴くためである。もうひとりの医官が手首の脈を
とる。脈は心音より先に止まる。心臓がすっかり停止するまでには、さらにもうしばらく聴診器をあてたままでいなくてはならない。
 しかし、それも、そう長いことではない。ストップウォッチを押してから、心臓停止までの平均時間は14分半あまりである。この14分半あまりが、死刑執行に要した時間ということである。
 死刑執行の始終を見ていて、失神した立会い検事もいたという。失神はまぬがれたとしても、「死刑の立会いはもうごめんだ」というのが感想のようだ。(~p68)
p131~
 死刑執行で直接手を汚す役は刑務官になってあまり年数を重ねない若い刑務官が命じられることが多い。刑場付設の拘置所、刑務所に勤務すると、「執行を体験しなければ一人前の刑務官になれない」と必ず言われるということは、前に何度も書いた。
 その日の執行には、首に縄をかける役を初体験者が命じられた。先輩の刑務官に指導を受けたとはいえ、落ちついた平常心でできるわけがない。あがるのは当然である。先輩の刑務官は、踏み板が落下して、死刑囚が宙吊りされたとき、ほとんど瞬間に失神するよう注意しなくてはならないと教える。ロープをどのように首に合わせるかを説明する。しかし、いざ本番となると、執行するもののほうが頭にカーッと血がのぼる。なにがなんだかわけがわからなくなる。あせる。あわてる。
 絞縄は直径2センチ。全長7.5メートルの麻縄である。先端の部分が輪状になっていて2つの穴を穿った小判型の鉄かんで止めてある。輪状の部分を死刑囚の首にかける。鉄かんの部分が首の後部にあたるようにかける。さらに絞縄と首の間に隙間がないように密着させてギュッと締める。
 ロープをかける役の刑務官の果たすべき役割は下線の部分である。ところがこの日の初体験者はこのとおりにできず、どこかまちがった。
 なにしろわずか3秒間程度の、ほとんど瞬間といってもいいような時間内にやり終えねばならないのだ。
 ロープ担当の刑務官が、規定の方法でロープを死刑囚の首にかける。同時に他の刑務官が死刑囚の膝をひもで縛る。間髪を入れず保安課長の合図でハンドル担当者がハンドルを引く。死刑囚の立っている踏み板が落下して死刑囚が宙吊りになる。この間わずか3秒程度のものなのである。死刑囚が刑壇に立ってから一呼吸あるかないかという早業だ。
 このときも死刑囚は宙吊りにはなった。アクシデントが起こったのはこの後である。
 通常ならば、平均14分あまりで心音が停止し執行終了ということになる。けれどもこのときは大いにちがっていた。
 死刑囚がもがき苦しみつづける。ロープが正しく首を絞めていないのだ。革の部分から頬を伝って、後頭部の中央あたりに鉄かんが至っている。これでは吊るされた瞬間に失神するというわけにはいかない。意識を失うことなく、地獄の痛苦に身もだえすることになる。止むなく死刑囚の体を床に下ろし、24、5貫もある屈強な刑務官が柔道の絞め技でとどめをさして執行を終わらせた。
 死んでこそ死刑囚という考え方があるそうだが、殺してこそ執行官とでもいうところだろうか。
 とどめをさした刑務官に、後に子供が生まれた。その子どもの首がいくつになってもしっかりとすわらない。父親になった刑務官は、かつての自らの行為の、因果応報だという自責と苦悩とから解放されることがないという。
 生まれた子供の首がかなり成長してもしっかりすわらないという話はまれに聞くことである。死刑執行のさい、アクシデントが起きたために柔道の絞め技を用いた刑務官の子供の場合も、因果応報ではなく、偶然のことだ。何百万分の一かの確率に偶然的中したまでである。そんなことは当の刑務官自身にもよくわかっているのかもしれない。わかっていながらも、つい因果説に結びつけてしまう気持にもなるのだろう。止むことなく死刑執行の罪の意識に責められて明け暮れているのだから。(~p134)

 中公新書『死刑囚の記録』加賀乙彦著
 ただ、私自身の結論だけは、はっきり書いておきたい。それは死刑が残虐な刑罰であり、このような刑罰は禁止すべきだということである。
 日本では1年に20人前後の死刑確定者が出、年間、2、30人が死刑に処せられている。死刑の方法は絞首刑である。刑場の構造は、いわゆる“地下絞架式”であって、死刑囚を刑壇の上に立たせ、絞縄を首にかけ、ハンドルをひくと、刑壇が落下し、身体が垂れさがる仕掛けになっている。つまり、死刑囚は、穴から床の下に落下しながら首を絞められて殺されるわけである。実際の死刑の模様を私は自分の小説のなかに忠実に描いておいた。
 死刑が残虐な刑罰ではないかという従来の意見は、絞首の瞬間に受刑者がうける肉体的精神的苦痛が大きくはないという事実を論拠にしている。
 たとえば1948年3月12日の最高裁判所大法廷の、例の「生命は尊貴である。一人の生命は全地球より重い」と大上段に振りあげた判決は、「その執行の方法などがその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬ」として、絞首刑は、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで」などとちがうから、残虐ではないと結論している。すなわち、絞首の方法だけにしか注目していない。
 また、1959年11月25日の古畑種基鑑定は、絞首刑は、頸をしめられたとき直ちに意識を失っていると思われるので苦痛を感じないと推定している。これは苦痛がない以上、残虐な刑罰ではないという論旨へと発展する結論であった。
 しかし、私が本書でのべたように死刑の苦痛の最たるものは、死刑執行前に独房のなかで感じるものなのである。死刑囚の過半数が、動物の状態に自分を退行させる拘禁ノイローゼにかかっている。彼らは拘禁ノイローゼになってやっと耐えるほどのひどい恐怖と精神の苦痛を強いられている。これが、残虐な刑罰でなくて何であろう。
 なお本書にあげた多くの死刑囚の、その後の運命について知りたく、法務省に問い合わせたところ刑の執行は秘密事項で教えられないとのことであった。裁判を公開の場で行い、おおっぴらに断罪しておきながら、断罪の結果を国民の目から隠ぺいする、この不合理も、つきつめてみれば、国が死刑という殺人制度を恥じているせいではなかろうか。(中略)

 中公新書『死刑囚の記録』
 彼は、日記に「死刑囚は四六時中死刑囚であることを要求されている」「死刑囚が存在することは悪であり、生きていることは恥である」と書きつけている。死刑囚の死は、絞首という不自然で、しかも恥辱の形をとった死であり、それ故に、一般の人の病床の死や事故による死とちがうと彼は考えている。「死刑囚であるという状態は、悪人として死ねと命令されていることだ」とも書いている。彼は、自分の死を恥じねばならない。いったい、一般の人びとが、自分の死を恥ずかしく思うであろうか。
 だから、死刑囚の死は、私たちの死とは違うのだ。それはあくまで刑罰なのであり、彼はさげすまれて死なねばならないのだ。正田昭のように罪を悔い、信仰をえて、神の許しをえた人間も、死刑囚としては大悪人として、絞首を---実に不自然な殺され方を---されねばならない。彼は、最後までこの矛盾に苦しんでいた。死を静かに待ち、従順に受け入れながらも、自分の死の形を納得できず、恥じていたのだ。
「死刑囚であるとは、死を恥じることだ。立派な死刑囚であればあるほど、自分の死を恥じて苦しまねばならない」とも彼は書いている。
 にもかかわらず、パスカルの比喩は、有効であると私は思う。なぜならば、死刑囚もまた人間であり、人間である以上、彼が死とかかわるやり方は私たちに共通する面が多分にあるからだ。

 【「神的暴力」とは何か 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い】 
 それにしても、殺人や戦争といった人間の暴力の究極の原因はどこにあるのだろうか? ゴリラの研究で著名な山極寿一は、霊長類学の最新の成果を携えて、この問題に挑戦している(『暴力はどこからきたか』NHKブックス)。無論、動物で見出されることをそのまま人間に拡張してはならない。だが、人間/動物の次元の違いに慎重になれば、動物、とりわけ人間に近縁な種についての知見は、人間性を探究する上での示唆に富んでいる。
 山極の考察で興味深いのは、暴力の対極にある行為として、贈与、つまり「分かち合う行為」を見ている点である。狩猟採集民は、分かち合うことを非常に好む。狩猟を生業とする者たちは獰猛な民族ではないかと思いたくなるが、実際には、彼等の間に戦争はない。ほとんどの動物は贈与などしないが、ゴリラやチンパンジー、ボノボ等の人間に最も近い種だけが、贈与らしきこととを、つまり(食物の)分配を行う。
 暴力を抑止する贈与こそは、「神話的暴力」を克服する「神的暴力」の原型だと言ったら、言いすぎだろうか。チンパンジーなど大型霊長類の分配行動(贈与)は、物乞いする方が至近で相手の目を覗きこむといった、スキンシップにも近い行動によって誘発される。森達也が教誨師や(元)刑務官から聞き取ったところによれば、死刑囚は、まさにそのとき、一種のスキンシップを、たとえば握手や抱きしめられることを求める。死刑の暴力の恐怖を、身体を接触し分かち合う感覚が中和しているのである。


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