「少年の死刑判決と更生余地」 後藤昌弘 2012/01/29

2012-02-26 | 後藤昌弘弁護士

中日新聞を読んで 「少年の死刑判決と更生余地」後藤昌弘(弁護士)
 2012/01/29 Sun.
 山口県光市の母子殺害事件が死刑で確定する。残虐性や遺族感情などを考えると、やむを得ない結論かとも思うが、わずかな違いで適用される法律が違っていた点を思うと、複雑な思いもする。
 少年法では、18歳に満たない少年に対しては死刑判決を許していない。少年は可塑性に富み、更生の可能性が高いからというのが少年法の立法趣旨である。
 少年の刑事事件は何件か扱ったことがある。集団でオヤジ狩りをし、金属バットで中年男性を襲い、大けがを負わせたうえで金を奪ったという事件もあった。事件直後に面会した時は、少年は正に極悪非道を絵に描いたような人相だった。しかし、鑑別所に留置され事件から1か月も経過するうちに、「これがあの少年か」と思うほどに人相が変わり、最後はごく普通の少年の顔つきに変わっていた。鑑別所での観護措置の過程で、自分の成育歴を振り返ったり、犯した事件や家族のことについて再度考える機会が与えられたことも影響しているとは思うが、最後は少年が涙を浮かべて反省していたことを覚えている。
 こうした事件を扱うと、少年法の趣旨を現実のものとして実感する。ほかにも、殺人を犯した高校生がその後更生し、真面目な社会人となっている例も耳にする。
 今回の被告人は、犯行当時18歳になって間がなかった。この点が量刑として死刑を選択するか無期懲役とするかの大きな問題となったものと思うが、わずかな期間の差で本人の更生の可能性という点においてどれほどの違いがあったのか、とは思う。
 殺人事件の遺族側で刑事裁判に関わった経験もあり、遺族の無念さも少しは理解しているつもりである。肉親を奪われ、しかも、加害者がいずれは通常の社会生活を送るとなれば、遺族としては二重の苦痛である。しかしそれでもなお、更生の余地がある場合にその道を閉ざすことが相当だろうかと思う。結論が出る問題ではないが。

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)

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死刑か無期懲役か 刑事裁判は、遺族のためにあるのではない 後藤昌弘 2011/04/17  
 中日新聞を読んで 「死刑か無期懲役か」後藤昌弘(弁護士)
2011/04/17 Sun.
 13日の朝刊に、いわゆる闇サイト殺人事件の控訴審判決が報じられていた。1審では3人の被告のうち2人が死刑だったが、控訴した2被告ともに無期懲役の判決が下されたのである。
 関連して本紙30頁には、「誰のための裁判か」と被害者の母の言葉を見出しにとって、記事が書かれていた。
 遺族の無念の思いは痛いほどわかる。しかし、建前論でいえば、残念ながら刑事裁判は、遺族のためにあるのではない。
 刑事裁判の目的は、起訴された被告人について合理的疑いを入れない程度に有罪と証明されたか否かを確認し、また有罪と認定された場合には法に定める範囲内で個別事情に応じた相当な刑罰を科するのが目的である。
 裁判の過程で被害者が関与できるようにはなったが、刑事裁判の本質的な目的は遺族のためではないし、裁判員となる国民の司法教育の場でもないのである。
 昔、冤罪事件の弁護人として示談に赴いたことがある。被害者もさることながら、両親の憤りは尋常なものではなかった。「殺してもあきたらない」とまで言われた。
 強姦罪の法定刑に死刑はない。被告人は刑務所に行ったが、それで被害者の心の傷が癒えるものではない。被害者のケアの問題は別の次元で考えていくしかないのではと思う。
 今回の控訴審判決では、検察官も控訴していた。自首の事実を考慮して無期懲役とした1審判決について、軽すぎるというのである。
 しかし、自首してもしなくても量刑が同じであれば、自首するものはいなくなる。犯人の一人が自首したことで犯罪が発覚することが現実にある以上、自首したことを有利な情状として考慮することは刑事政策上あり得ることではないかとも思う。
 死刑か無期懲役か、今回の事件では、裁判官も随分悩んだであろう。
 人を裁くことは重いことである。

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)

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