高校進学前後から父に殺意…奈良県田原本(たわらもと)放火殺人 長男が供述 2006/6/23

2006-06-23 | 少年 社会

高校進学前後から父に殺意…奈良放火殺人、長男が供述
2006年6月23日14時30分  読売新聞
 奈良県田原本(たわらもと)町の医師(47)方が全焼し、家族3人が死亡した放火殺人事件で、殺人と現住建造物等放火の疑いで逮捕された私立高校1年の長男(16)が、県警田原本署の捜査本部の調べに対し、父親から成績不振を理由にしばしばしかられ、暴力をふるわれたこともあったと供述、「高校進学前後から父親への殺意が芽生えた」などと、犯行の動機を説明していることが、23日わかった。
 一方、長男は母親については「恨んでなかった」と話している。
 県警は同日、長男を奈良地検に送検したが、父親に対する憎悪が事件の背景にあるとみて詳しく調べる。
 調べに対し、長男は「父から成績のことで厳しくしかられた。前日にも父親を殺そうと思った」などと供述した。その一方で、「このままでは父の希望にかなう志望校には入れないと思った」とも話している。
 長男の両親はともに医師で、小学校時代から医師になることを期待されて育った。しかし、高校では本人の思うような成績が取れなかったことから、しばしば父親からしかられたという。
 このため、県警は長男が「医師にならなければならない」という重圧から精神的に追い詰められ、自暴自棄になっていたとの見方を強めている。
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父“ICU”で暴力 高1長男とあつれき
共同ニュース 2006年 6月23日 (金) 21:57
 母子3人が死亡した奈良県田原本町の医師宅火災で、父親(47)が勉強部屋を“ICU”と呼んで、夜中まで付ききりで高校1年長男(16)=放火、殺人容疑で逮捕=に勉強を教え、時には暴力を振るっていたことが23日、関係者の話で分かった。
 調べに対し長男は「父親に中間試験の結果を知られるのが嫌だった」「父親に成績のことで言われた」と供述しており、田原本署捜査本部は父親とのあつれきが犯行につながった可能性が高いとみて調べている。奈良地裁は同日、10日間の拘置を認める決定をした。
 関係者によると、医師の父は勉強部屋を「ICU(集中治療室)」と呼び、小学校の時から夜遅くまで付ききりで勉強を教えていた。
 中学に進学してしばらくたったころ、友人と会った長男は「成績が下がったらすぐ殴ってくる」と漏らした。殴られた衝撃で机に頭をぶつけたこともあり、長男は父親のことを「うざい、うざい」と繰り返し言っていたという。
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〈来栖の独白 2006-06-23 〉
  他人事とは思えない。胸が波立ってならない。私の弟勝田清孝も、養育環境に問題があった。父親との深い葛藤のなかで非行に走り、精神を病んだ。憎悪の対象は父親だったが、犯行は他人に向けられた。親から得られない愛情の代替として金を盗もうとし、8人を殺害したのだった。多くの人生を狂わせ、家庭を破壊した。2000年秋末、刑死して人生を終えたが、両親は小さくなって苦しい一日一日を生きている。
 この少年の父親も、どんなにか辛く苦しいことだろう。やり場のない悲しみ。極限の苦しみ。事件の周縁に悲しみが満ちている。
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◇ 「秋葉原無差別殺傷事件」加藤智大被告 母親との関係〈母親に対する証人尋問 2010.7.8.要旨〉 
 〈来栖の独白 2010-07-28 〉
 報道によれば、加藤智大被告は、事件の原因は三つ、だと述べる。〈記事は、中日新聞、毎日新聞から引用〉
「まず、わたしのものの考え方。次が掲示板の嫌がらせ。最後が掲示板だけに依存していたわたしの生活の在り方」である、と。
 加藤被告は以前から「裁判は償いの意味もあるし、犯人として最低限やること。なぜ事件を起こしたのか、真相を明らかにすべく、話せることをすべて話したい。わたしが起こした事件と同じような事件が将来起こらないよう参考になることを話ができたらいい。事件の責任はすべてわたしにあると思う」と自分の裁判に対する姿勢を表明しており、今回の被告人質問への答えも、その趣旨に沿っている。
 事件の直接の原因となったネット掲示板について、「ネット掲示板を使っていた。掲示板でわたしに成り済ます偽者や、荒らし行為や嫌がらせをする人が現れ、事件を起こしたことを報道を通して知ってもらおうと思った。嫌がらせをやめてほしいと言いたかったことが伝わると思った。現実は建前で、掲示板は本音。本音でものが言い合える関係が重要。掲示板は帰る場所。現実で本音でつきあえる人はいなかった。」という被告の風景は、寂しい。
 この事件について、メディアでは、「ネット」や「派遣労働」が、問題として取り上げられた。確かに、そのような問題を当該事件は提起していた。
 だが、私が目を向けずにいられなかったのは、被告の生育環境だった。極々身近では、勝田事件においても、その起きた主たる原因は彼の成育環境にあった。このように言うことは、被告(或は死刑囚)の親を鞭打つことで、哀れであるが、しかし、犯罪の根が生育環境に大きく起因するように私には思えてならない。
 土浦8人殺傷事件公判においても、金川真大被告(=当時)の父親の証言から、同様のことを感じた。金川被告の父親は、息子を「被告人」と呼称して証言している。これは、加藤智大被告の母親と同じである。加藤被告の母親も、尋問で、息子を「被告」と呼称して意見を述べている。以下「7月8日に行った加藤被告の母親に対する証人尋問の要旨」から。

 「私は、青森高校を卒業後、地元の金融機関に就職しました。そこで同僚だった被告の父親と知り合い、昭和55年に結婚しました。その後、主婦となり、57年に長男である被告が生まれ、その3歳下に次男が生まれました。その後、62年に夫の職場が五所川原市から青森市に変わり、その年に家を建てました」
 「引っ越してからは、夫が毎日のように酒を飲んで帰るのが遅く、暴れたり、帰宅しないこともあり、私はイライラし、子供たちに八つ当たりすることがたびたびありました」
 「たとえば、被告を屋根裏に閉じこめたり、窓から落とすまねをしたり、お尻をたたいたり。被告は食べるのが遅かったので、早く後片付けをしたくて、食事を茶碗からチラシの上にあけて食べさせたこともありました」
 「もっとも、子供たちに強く当たったのは、私としてはあくまでしつけの一環と思っていました。単に不満のはけ口ではなく、なにがしか子供たちにも理由があったと思います。ただ、そこまでしなくても良かったとも思います」
 「長男と次男に同じようなことをした記憶がありますが、どちらかというと長男である被告に強く当たりがちだったと思います」
 「私が夫の前で怒ることもありましたが、夫は止めてくれませんでした」
 「私は被告について、物覚えが早くて頭のいい子だと思っていましたが、一方で、あまり言うことを聞かない子だとも思っていました」
 「私は被告に、北海道大学や東北大学を目指してほしいと思っていて、自分と同じ青森高校に行ってほしいと思っていました」
 「被告は小学生のころは反抗するより、泣いていました。中学生になると物に当たって暴れたり、部屋の壁に穴を空けたりしました。中学2年生のときには、成績のことで被告と口論となり、顔を殴られたことがありました。私はそれ以降、被告とあまり口をきかなくなりました」
 「中学3年のころ、被告がレーサーになりたいと言い出したので、危険だから絶対やめるように言いました。女の子とも交際していたようですが、成績にプラスにならないからやめるように言いました」
 「私は、被告が昔から車が好きだったので、自分で進路を決めて良かったと思いました」
 《加藤被告から平成18年8月に「これから死ぬから後はよろしく」と突然電話がかかってきたという》
 「私は、借金があると言っていたので、私が返してあげるから、必ず帰ってくるように言いました。それと、私が辛くあたったことも原因の一つだと思い、謝るから帰ってきなさいとも言いました」
 「その後、被告は『精神科に行きたい』といいましたが、あまり意味がないと思ったので、そうアドバイスし、結局行きませんでした」
 「私は被告がなぜ今回の事件を起こしたのか分かりません。被害者や遺族の方には申し訳ないと思いますが、経済的な損害賠償は不可能です。私は被告を見放すことはなく、できる範囲でこたえていきたいです」

 このような親子関係をまえに、私は言葉を失う。加藤被告のほうからは、以下のような証言がなされている。(2010/07/27東京地裁 被告人質問から)

【母親との関係】
  わたしは、何か伝えたいときに、言葉で伝えるのではなく、行動で示して周りに分かってもらおうとする。母親からの育てられ方が影響していたと思う。
 親を恨む気持ちはない。事件を起こすべきではなかったと思うし、後悔している。
  わたしは食べるのが遅かったが、母親に新聞のチラシを床に敷き、その上に食べ物をひっくり返され、食べろと言われた。小学校中学年くらいのとき、何度も。屈辱的だった。
  無理やり勉強させられていた。小学校低学年から「北海道大学工学部に行くように」と言われた。そのため青森高に行くのが当たり前という感じだったが、車関係の仕事をしたいと思っていた。現場に近い勉強がしたい、ペンより工具を持ちたいと。母親に話したことはない。
  中学時代に母親を殴ったことがある。食事中に母親が怒り始めた。ほおをつねったり髪をつかんで頭を揺さぶられたりした。無視すると、ほうきで殴られ、反射的に手が出た。右手のグーで力いっぱい左のほおのあたりを殴った。汚い言葉でののしられた。悲しかった。
 大学進学をやめ、自動車関係の短大に行くことにした。母親にはあきらめられていたと思う。挫折とは思っていない。勉強をしていないからついていけないのは当たり前。短大には失礼だが、無駄な2年。整備士の資格は取るつもりだったが、父親の口座に振り込まれた奨学金を父親が使ったので、アピールとして取ることをやめた。

 生育環境・親子関係を事件の起きた主たる要因と観ることに、繰り返すが、私は親御さんへの苛酷を感じる。故宮崎勤死刑囚の父親(親族)の苛酷な晩年に痛ましさを禁じえないけれども、やはり犯罪の因って起きる元が生育環境にあるとの見方を捨てることができない。勝田清孝は、その人生の最後まで、父親にこだわり続けた。面会でも、会話の多くを父親との生活に割いた。子とは、親を慕ってなんと切ないものだろうと思わされた。手記の末尾に次のように述べる。

 支離滅裂な拙文ですが、生き恥としての私の生い立ちをかいつまみしたためました。
 被害者の霊に手を合わさずにいられない今の私には、嘘は断じて許されないことを念頭に、すべて直筆致しました。
 とりわけ身勝手な振る舞いでさんざん親不孝を重ねた私は、自分に向けられた父の慈愛を見抜けずに反感ばかり募らせていたことを、実に済まない気持ちでいるのです。確かに父は寄り付き難い存在でしたが、人一倍自己に厳格で、律儀一遍の父でもあったのです。父への悪感情も隠さず数多くしたためましたが、父との確執は私の放逸な行動ゆえ起こるのであって金銭のみならずあらゆる面で苦労をかけ続けた私には、父を憎悪する資格などどこにも見当たらないのです。
 また、公務員になった事を悔やみ、積もり積もった心のわだかまりを吐露すればするほど責任回避と受け取られてしまうのではないかと思いながらも、人生の進路を誤ったという正直な気持ちを切り離して悪業を思い起こすことは、どうしても真意を偽ってお話しするような気がしてならなかったのです。

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秋葉原事件加藤智大被告謝罪の手紙要旨「同様の事件が起きないよう(公判で)真実を明らかにしたい」 2009-11-07 
 葉原無差別殺傷事件 加藤被告=記憶つづる日々 誰にも会わない 何もいらない」2009-06-08  
秋葉原無差別殺傷事件 宮崎勤死刑囚 鳩山邦夫法相 2008-06-21  
秋葉原通り魔事件 加藤智大事件2008-06-17   
秋葉原通り魔事件と安田好弘著『死刑弁護人』2008-06-09 
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土浦8人殺傷事件 被告人質問1 (第3回公判)
土浦8人殺傷事件 被告人質問2 (第3回公判)
土浦8人殺傷事件 被告人質問3 (第3回公判)
土浦8人殺傷事件公判 金川被告の父親に対する証人尋問 1
土浦8人殺傷事件公判 金川被告の父親に対する証人尋問    
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土浦連続殺傷事件 金川真大死刑囚を分析 東海学院大・長谷川教授 2010-01-07  
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土浦8人殺傷事件  金川真大被告の判決公判 死刑言い渡し 2009-12-18
土浦9人殺傷事件判決文要旨  金川被告「完全勝利といったところ・・・」 2009-12-19  
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3 コメント

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お帰りなさい (Sr.H)
2006-06-23 22:22:03
 お母様をご訪問、お喜びになられたことでしょう。前の記事、卑見「自判 最高裁」もそうですが、宥子さんの真骨頂ともうしますか、繊細精密、凛としてやさしい視点に、心が洗われるようです。人の悲しみを我がことのように感じる、それがなかなか難しいのですよ。ありがとう。
お詫び (Sr.H)
2006-06-24 08:45:43
 上の私のコメント、「自判せず」なのに、「自判」と書いてしまいました。訂正とお詫びです。ごめんなさいね。

 

 今朝、拝見しましたら、蓮のお写真、美しいですね。
感謝です。 (ゆうこ)
2006-06-24 18:39:13
 シスター。そんなに気になさらないで(自判)ください。私なんか日常茶飯事で、いつも恥を「書いて」います。大丈夫ですよ。

 母は、とても元気です。帰省しますと、もう一人の母(姑)のところへも行きますが、このところは私の母も同伴します。道中、車窓を眺めて「緑が美しいねぇ」と繰り返し言います。お見舞いをして、そしてお鮨屋さんで好物のにぎりを食べて、自宅に寄って、コーヒーを飲んで。そうすると母が「そろそろ、苑へ連れて帰って」と言います。自分の暮らすところは、ホームだと思っています。

そんな母との時間です。母のこと、いつもお尋ねくださって、感謝です。シスター、ありがとう♪

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