オウム高橋克也被告 第13回公判 林郁夫受刑者「心からお詫びします」 涙ながらに謝罪 仮谷さん事件

2015-02-05 | オウム真理教事件

 産経ニュース 2015.2.5 11:53更新
【オウム公判】「心からお詫びします」林郁夫受刑者が謝罪 仮谷さん事件で証人尋問 高橋克也被告第13回公判
 地下鉄サリン事件など4事件で起訴された元オウム真理教信者、高橋克也被告(56)の裁判員裁判の第13回公判が5日、東京地裁(中里智美裁判長)で開かれた。証人尋問で、目黒公証役場事務長、仮谷清志さん=当時(68)=監禁致死事件で麻酔薬を投与した元教団幹部の林郁夫受刑者(68)=無期懲役が確定=が出廷。「心からおわびします」と涙ぐみながら被害者らに謝罪した。
 林受刑者が裁判員裁判に証人出廷するのは初めて。この日の法廷では、検察官から尋問の冒頭で経歴を聞かれた際に質問を遮る形で謝罪。仮谷さんが拉致されて教団施設に運び込まれる状況について質問された際にもすすり泣きながら約20秒間沈黙した。
 林受刑者は慶応大医学部を卒業後、米国の名門病院に勤務し、帰国後、国立病院の医長を務めた元心臓外科医。平成2年に家族4人で教団に出家し、優秀な医師としての手腕を買われて「治療省」大臣を務めた。
 地下鉄サリン事件では散布役となったが、逮捕後に全面自供し事件の全容解明の突破口となった。10年5月の1審の東京地裁は自首を認めて求刑通り無期懲役判決を言い渡し、確定した。サリン散布役では唯一の無期懲役判決となった。
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 産経ニュース 2015.2.22 17:00更新
【法廷から】「私はもう、先生じゃないから」地下鉄サリン“自首”元エリート医師「林郁夫」が法廷で露にした“怒りの表情”
 慶応大医学部卒の元エリート医師は、約20年たった今でもオウム真理教による一連の事件を悔いた。地下鉄サリン事件で散布役として唯一死刑を免れ無期懲役刑となった元幹部の林郁夫受刑者(68)。2月5日の元信者、高橋克也被告(56)の裁判員裁判で、目黒公証役場事務長の仮谷清志さん=当時(68)=監禁致死事件の審理に証人出廷した。事件の遺族らに涙ながらに謝罪する一方、元医師としての複雑な心境も垣間見えた。
■何度も何度も謝罪
 「ちょっと一言いいですか」。午前10時に法廷に姿を見せた林受刑者は、検察側の主尋問が始まると間もなく、女性検察官の質問を遮った。元教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(59)を呼び捨てにし「私と麻原が亡くならせてしまった方々、ご遺族、心や身体を傷つけた方、今もなお後遺症に苦しんでいる方に心からおわびします」と涙ながらに謝罪した。
 その後は「音が耳に入っても聞き取りにくい。左耳は聞こえるのですが」と尋問する検察官に体を向けながら聞いていた。事件について淡々と述べていたが、被害者の仮谷さんが拉致され教団施設に運ばれる際の証言を求められた際には言葉に詰まり、下を向いて約20秒間の沈黙後に涙声で当時を振り返った。
 さらに仮谷さん事件についての現在の認識を問われたときも「何というか、表現のしようがない」としばらく沈黙。「いろんな人に育てられて医師としてやってきたけれど、そういう知識や経験を使って仮谷さんを死亡させた」と声を振り絞った。
 その上で「ご家族に表現できない悲しみを味わわせ続けて本当に申し訳ないです」とすすり泣きながら謝罪し、検察官席の後ろに座る仮谷さんの長男、実さん(55)に向けて一礼した。
 この日の林受刑者は黒縁の眼鏡をかけ、白色のワイシャツに灰色のスーツ姿。短く刈った頭には白髪が多く、約20年前の逮捕時の姿からは、時の流れを強く感じさせた。
■地下鉄サリン事件解明の突破口
 慶大医学部を卒業後、米国の名門病院などで勤務し、国立病院の医長を務めた経歴を持つ元心臓外科医。誠実さと手術の技量の高さが評判だったという。昭和の大スター、石原裕次郎さんの治療に当たったこともあった。
 「常に患者の死と向き合わなければならず『どうしてこの人が死ななきゃいけないのか』などと考えるようになった」と、かつて林受刑者自身の公判で仏教に興味を持つようになった経緯を語っていた。麻原死刑囚の著書を読んで平成元年に教団に入信し、翌年に家族4人で出家した。
 優秀な医師としての手腕を買われて「治療省」大臣を務めた。脱会や戒律違反を摘発するため、麻酔薬で半覚醒状態にした信者に尋問する「ナルコ」という方法を考案。頭部に電流を流し、教団に都合の悪い記憶を消す「ニューナルコ」も考え出した。当時の林受刑者について、元教団の女性看護師が自身の公判で「林さんは独善的で、言い返すと殴られた」と献身的な医師としての姿からの変貌ぶりを証言したこともあった。
 地下鉄事件ではサリンの散布役となり、逮捕後は完全黙秘の姿勢をみせたが、取調官から「人の命を救うのが医師ではないか」と言われ、泣き崩れた。
 その後、「私が地下鉄でサリンをまきました」と供述し、サリン事件の全容解明の突破口となった。
 林受刑者の公判で、検察側は「地下鉄事件の解決に大いに寄与したことは紛れもない事実。迅速な裁判にも貢献した」と林受刑者の自白を「自首」と認定し、異例の無期懲役を求刑。東京地裁も10年5月に求刑通りの無期懲役判決を言い渡し、確定した。
 かつて麻原死刑囚の公判に出廷した際、林受刑者は「宗教人であるなら犯した罪の真相を語らなければならないのに、それもできない心の持ち主だ」などと痛烈に批判した。
■元医師としての葛藤も
 この日の尋問では、教団施設に連れ込まれた仮谷さんを前に、林受刑者は「信徒でない人を連れてきて、いったいこの人をどうするのかとショックだった。『オウムはもう駄目だな』と思い、私のせいで死なせることはできなかった」と振り返り、医師としての自負があったことをにじませた。
 林受刑者は仮谷さんに麻酔薬を使って尋問し、信者の居場所を聞き出す役割を担当。仮谷さんが起きそうになったため尋問後も麻酔薬の投与を続け、眠らせたままにしたという。
 中川智正死刑囚(52)に監視を引き継ぐ際には、仮谷さんの呼吸の状態などに気をつけるように注意したという。しかし、その後中川死刑囚から死亡を聞かされた。
 その件に関して裁判長から指摘された場面では、林受刑者の複雑な心情が垣間見えるやり取りが交わされた。
 裁判長「中川死刑囚に『注意して』と引き継いだのに、後で聞いたら仮谷さんが亡くなったと知って、理由はどうして聞かなかったのか」
 林受刑者「しませんでした。普通はそういう質問がでるはずだが…。心の中では分かっていたが、彼(中川死刑囚)に対してそういう質問はしなかった」
 法廷では涙ぐんだり、豊富な医学的知識を披露し元医師としての面影を見せたりした林受刑者。ただ、一度だけ弁護人から「先生」と呼ばれた際、怒りの感情をあらわにした場面があった。
 「ちょっと私は先生じゃないから」
 医者として犯行に加わったことへの悔いがにじみ出た瞬間だったように見えた。
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オウム高橋克也被告 第12回公判 仮谷清志さん死因=「麻酔薬を多量投与」故意を否定 中川智正死刑囚 2015-02-05 | オウム真理教事件 
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