殺人罪に問われたハンセン病男性(菊池医療刑務支所)が、無実を訴えながら死刑執行された藤本事件

2010-06-14 | 死刑/重刑/生命犯

ハンセン病患者専用の刑務所跡 「人権啓発に活用を」 講演会や署名活動 保存運動活発に
2010年6月14日 00:34 カテゴリー:九州 > 熊本
 全国で唯一のハンセン病患者専用の刑務所だった「旧熊本刑務所菊池医療刑務支所」跡(合志市)を保存し、人権啓発施設としての活用を求める運動が活発になってきた。隣接する国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」の入所者や支援者らでつくる「菊池恵楓園の将来を考える会」は13日、保存を訴える講演会を同園で開催、年内10万人を目標に、保存活用を求める署名への協力を呼び掛けた。
 刑務支所は1953年開設。らい予防法の廃止に伴い97年に廃止されたが、庁舎や職員宿舎などが残る。公売を予定していた財務省は2008年9月、保存を求める同園入所者自治会などの要請で中止を決定したが、その後、保存の動きは具体化していない。
 この日は、ハンセン病国賠訴訟西日本弁護団代表を務めた徳田靖之弁護士が講演。殺人罪に問われ、同刑務支所に収容された男性が無実を訴えながら死刑執行された「菊池事件」を取り上げるなど、ハンセン病史において重要な施設だったことを強調した。
 「考える会」の国宗直子弁護士は「刑務支所は、人権を守るべき法務省が人権侵害をしていた証拠の施設。法務省の責任で『人権啓発センター』的な施設にすることを求めたい」と話している。
 8月7日には、ハンセン病をテーマにした「あつい壁」と「新・あつい壁」の映画上映会が同園である。=2010/06/14付 西日本新聞朝刊=
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藤本事件 1962(昭和37)年9月14日13時7分死刑執行(享年40歳)
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 社説:横浜事件 裁判所も歴史を清算すべきだ(毎日新聞 2007年1月23日 東京朝刊)
 「横浜事件」の再審裁判の控訴審で、東京高裁が控訴を棄却した。無罪を示唆した1審の説示も批判しており、弁護側には後退したとも映る内容だ。
 高裁判決は、公訴権が消滅した場合は免訴とする、との最高裁判例に忠実に従っている。弁護側の証拠を採用しなかったので予想された結果でもあるが、1審に続く門前払いである。誤判からの救済が再審の理念として、実体審理に踏み込んで無罪を引き出そうとした弁護側の主張は、受け入れられなかった。
 この事件では戦後、元特高警察官の特別公務員暴行傷害罪での有罪が確定しており、再審開始決定では自白は拷問によるものと認定されている。また、終戦直後に司法当局によって訴訟記録が焼却されたため、再審開始が遅れたともいわれている。それだけに高裁の判断が注目されていたが、弁護側は肩透かしを食った格好だ。
 法的には免訴が妥当だとしても、裁判所が戦中戦後の司法の過ちを直視する好機を逸したのは遺憾と言わざるを得ない。司法も戦争遂行に協力し、悪法の極みとされる治安維持法を無批判に適用、戦後まで有罪判決を出し続けた。「横浜事件」はその代表例なのに、有罪とした理由や訴訟記録が廃棄された経緯などに言及しないままでは、世論を納得させられまい。
 実は最高裁をはじめとする司法府は、いわゆる“みそぎ”を済ませていない。多くの政治家や官僚らが公職を追放された際も、ほとんどの裁判官が戦前、戦中の地位にとどまった。しかも、戦後も諸事情があったとはいえ、自白を偏重した誤判を繰り返したり、少なからぬ過ちを犯している。
 多くの関係者が猛省を迫られたハンセン病問題も、裁判所は無縁ではない。1951年に熊本県で起きた「藤本事件」と呼ぶ、ハンセン病元患者が死刑に処せられた爆破・殺人事件の裁判も尋常ではなかった。感染の恐れはないとされたのに、裁判官はハンセン病療養所内に特別法廷を設置し、白い予防服にゴム手袋姿で、証拠書類をピンセットでつまみながら訴訟を指揮した。当然、審理は不十分だったと批判されており、冤罪(えんざい)の可能性が指摘されている。厚生労働省が設置した「ハンセン病検証会議」の報告書でも「憲法が要求する裁判ではなかった」と指弾されている。
 ハンセン病の強制隔離政策については熊本地裁が違憲とする判決を下した後、政府をはじめ関係各界が検証作業を進め、反省の意を表したが、潮流を変えた司法府自体は過去に向き合おうとしていない。同様に、戦中戦後の人権侵害についても口をつぐんだままだ。
 司法が真に国民の信頼を得ようとするならば、自らの過去を謙虚に見直し、その結果を公にすべきではないか。市民が裁判に加わる裁判員制度のスタートも、2年後に迫る。法の支配を盤石なものとするためにも、清算すべき歴史は清算されねばならない。その意味でも、この事件の再審裁判での最高裁の判断に注目したい。
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会いたい・聞きたい:「藤本事件」映画製作・上映実行委員長、坂本克明さん
 (毎日新聞 2006年4月9日)
「人間回復」の手助けに--坂本克明さん(73)
 1962年9月、療養所への強制収容を巡り殺人事件などを起こしたとして、無実を訴えるハンセン病患者が死刑になった「藤本事件」。療養所内の特設法廷で、実質的に非公開で行われた裁判は、戦後のハンセン病差別を象徴する事件とされている。らい予防法廃止から10年、ハンセン病国賠訴訟熊本地裁判決から5年の今年、事件をテーマにした映画「新・あつい壁」の製作が本格的に始動した。製作・上映実行委員長で牧師の坂本克明さんに映画に込めた思いを聞いた。【門田陽介】
--坂本さんと事件のかかわりを教えてください。
・私と藤本松夫・元死刑囚の出会いは1961年6月。当時、国立ハンセン病療養所菊池恵楓園(合志市)内にあった医療刑務所に教戒師として行き、死刑が確定していた松夫さんに初めて面会しました。彼は「まったくやっていない」と訴えていた。「おかしい」と思い、それからは月1回の面会を続けましたが、62年9月14日に死刑執行。最後の言葉を聞く機会さえ与えられず、翌日に知らされました。
--事件の映画化を目指すきっかけは。
・死刑執行から20年以上たってから裁判を担当した当時の書記官に会い、「はしで証拠品をつかんで裁判長に見せた。裁判官も検察官も弁護士も皆、ぼろぞうきんのように松夫さんを捨てた」と涙ながらに打ち明けられました。この映画を撮る中山節夫監督も事件を疑問視し、長年映画化を考えていたが機運がなかった。しかし、厚生労働省の第三者機関「ハンセン病問題に関する検証会議」は、昨年3月の最終報告で療養所内の特設法廷で行われた裁判を「(公正な裁判を受けるという)憲法の要求を満たしたとはいえない」と指摘、状況が変わりました。
--映画のタイトルは「新・あつい壁」に決まりました。
・中山監督がハンセン病差別事件を扱ったデビュー作が「あつい壁」(69年)。03年の元患者宿泊拒否事件など、差別という不条理な「壁」が現代も続いていると訴えるためにも「新・あつい壁」に決めました。シナリオは事件をモチーフにしたフィクション。差別された1人の人間の「人間回復」のための映画です。
--今後のスケジュールは。
・各地に製作・上映実行委員会を作るための全国キャラバンを始めます。4月22日には、熊本市新町の熊本YMCAで、監督や出演者も参加する「支援・賛同者のつどい」を開き、総製作費3億3000万円を賄うための「製作・上映協力券」も販売開始します。1枚1000円で、映画完成後は鑑賞券として使えます。労組など各種団体のほか、実行委事務局(096・381・1214)でも手に入ります。映画を通しハンセン病差別の歴史を知ってもらい、差別の解消に協力をお願いします。
 ◇藤本事件
 県北の村で1951年、元役場職員宅にダイナマイトが投げ込まれ、近くの藤本松夫・元死刑囚が殺人未遂容疑で逮捕された。元職員の報告で療養所入所を勧告されたことへの逆恨みとされ、実刑判決を受けたが、控訴中に療養所内の拘置所から脱走。3週間後、元職員が刺殺され、殺人容疑で再び逮捕された。法廷で無実を訴えたが、57年に最高裁で死刑が確定。3度目の再審請求が退けられた翌日に死刑が執行された。〈1962年9月14日13時7分 死刑執行 享年40歳〉
 ◇プロフィル
 1932年8月、熊本市生まれ。父親が結核で倒れたため、熊本大薬学部を中退。家計を支えるため働くうちにキリスト教に入信、中央聖書神学校(東京)に入学する。卒業後、熊本市に戻り「ひばりケ丘教会」を開く。現在は牧師としての活動の他、三つの保育園を経営する社会福祉法人「神召会」理事長も務める。


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