中日新聞 2020.5.1 Fri Culture
【諏訪哲史のスットン経】 それは「ライブ」ではない
5月6日までの辛抱、と百メートルを懸命に走ってきてゴール目前、8割減に達せず、連帯責任で2百メートル走に変更、ダメなら次は4百、8百、千㍍だ、そういわれそうです。
8割を死守したくば、なぜ9割を目標にしない、人の不完全を想定しなかったか。否、していました。封鎖なき8割など至難と判っていました。
3月に僕らは「8割達成時の感染者数グラフ」を見せられました。頑張れば急上昇した線が魔法の如く急降下し、低い値で推移するあの図。しかし、一度減ろうが自粛をやめれば結局急増は繰り返す。5月6日まで、も、百㍍、も方便で、ワクチン投与までフルマラソンの外出自粛、と端(はな)から国は悟っていました。五輪や景気を庇ったのです。
この「騙し騙し国民に長期間自粛継続させる極秘作戦」(全然極秘じゃない)で、大学の授業も動画配信になりそうです。オンラインの怖さを、経験のある知人に昔聞きました。欠点は学生と教員が信頼を確立しづらいことです。普通は教室で会い、この人ならこう言っても解ってくれる、大丈夫、と培われる関係が怪しいまま進みます。
だから、学生と教員しか観られぬ配信動画を、横から第三者が見て盗撮記録し、顔や失態を嗤ったり、揚げ足とりや苛めや脅迫に使われる、と。多人数画面を盗撮すれば、学生間の肖像玩弄も起きます。
まして大学の授業は、日々の教員の研究を発露する機会。肖像権や著作権を侵害され、研究や授業工夫、作成資料まで盗まれる恐れがあります。
マスク等、衛生条件を整えて、早く若者に現場で学んでほしい。今のままではワクチン投与の暁まで全員を自宅軟禁することになる。「恩師と会えずに卒業」もありえます。
授業は演劇と同様、現場にいるライブ感、差し交す視線の力学、偶発的小事件の累積から成ります。自粛大事は無論です。命大切も無論です。しかし同時配信は「ライブ(LIVE)」ではありません。人と人が遭遇し、学び、輝き、謳い、生きるため、大学はあります。
オンライン帰省、オンライン宴会、そんな欺瞞より孤独のほうが現実味があり、人心地がつきます。オンライン青春、オンライン人生に「ライブ」はありますか。(作家)
◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)