「秋葉原無差別殺傷事件」/宮崎勤死刑囚に死刑執行命令 鳩山邦夫法相/ 麻原氏逮捕にみる死刑執行の予感

2008-06-21 | 秋葉原無差別殺傷事件

【社説】宮崎死刑囚 若い心の闇が解けぬ
中日新聞2008年6月18日
 人形を扱うように四人の幼女を殺害し、人骨を遺族に送る異様な事件だった。死刑執行された宮崎勤死刑囚からは、謝罪もなかった。心の闇は解けず、やり場のない怒りと、もどかしさが残る。
 事件発生から二十年。東京と埼玉で四人の女児が連れ去られ、殺害された。死刑執行により、非道でむごたらしい事件の記憶を呼び起こした人も多かろう。いまだ癒やされぬ遺族の悲痛は、察するに余りある。
 宮崎死刑囚は被害者宅に人骨を送ったり、「今田勇子」の名前で犯行声明を出すなど劇場的でもあった。性的欲求や自己中心などの言葉では説明が足りない。それ故に、社会を言いようのない不気味さの底にたたき込んだ。
 自室はおびただしいビデオテープであふれていた。「オタク」という流行語で、自己の趣味世界に埋没する若者像を言い表したりする社会現象も起きた。
 だが、なぜこのような凶悪犯が出現したのか。初公判から上告棄却まで、十六年間に及ぶ裁判では、その解明が望まれたが、核心部分にほとんど迫れなかった。宮崎死刑囚は法廷で「ネズミ人間が出た」「さめない夢の中でやった」などと、意味不明の証言を繰り返していたからだ。
 最大の争点も刑事責任能力だった。精神鑑定では人格障害、統合失調症、多重人格という三種類に分かれた。一審から最高裁まで責任能力を認めながら、「なぜ」の全容解明はできなかった。司法の限界がさらされた。
 鳩山邦夫法相になり、四回目計十三人の死刑執行だ。死刑は罪の償いではあるが、宮崎死刑囚からは謝罪も反省も聞かれなかった。自ら犯した異様な行為に一瞬でも向き合ったのか。
 事件は社会の裂け目や、時代の矛盾を映すともいわれるが、どんな教訓が得られたのかを考えると、もどかしい。
 今月の東京・秋葉原での無差別殺傷事件では、容疑者は携帯電話サイトの掲示板に「孤独」の文字を残していた。無慈悲さと人とのコミュニケーションがとれない人間像には、宮崎死刑囚と共通性が感じられる。対話ができない性格や境遇が、事件の背景にあることは否めない。
 ビデオから携帯電話に至る、時代ごとのツールや環境が、犯罪とどうかかわるのか。さまざまな分野の登山口から、「宮崎的」なる世界の本質へ迫らないと、現代社会に潜む不安がぬぐえない。
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〈来栖のつぶやき〉
 6月8日に秋葉原で殺傷事件があった。17日に宮崎死刑囚等3名に対する死刑執行があった。
 遠い過去の記憶になるが、逮捕された麻原(松本智津夫)氏をテレビ画面の護送車に見たとき、私は、ごく近いうちに東京拘置所あたりで死刑の執行があるな、と直感した。果たして、そのように推移した。〈松本智津夫氏が逮捕されたのが1995年5月16日。10日後の95年5月26日の執行。東京で2人、大阪で1人〉
 このたびの処刑については、鳩山法相のことだから、6月には行われるのではないかと、予想・危惧した。6月の国会「閉会後」の某日を予想した。6月半ば過ぎには閉会するから。
 けれど、それ(私を含めて大方の予想)に挑むように、法相は敢えて会期中に執行命令書にサインした。サインの日から5日以内に所轄は死刑を執行しなければならない。僅か1週間待てば、従来どおりの「閉会中」の死刑執行になるのに、鳩山氏は、それをしなかった。強固な個性と意志を感じる。
 いま一つ、執行された死刑囚が刑確定から2年乃至3年ほどでの処刑であったことも、驚きと恐怖を禁じえない。死刑廃止運動体の人たちが言うように、宮崎死刑囚を選んでの死刑執行は矢張り秋葉原の事件との関連だろうか。著名な事件という意味では、連合赤軍事件も、オウム真理教事件もあった。しかし両事件とも、未だ共犯とされた人たち全員の刑確定は、みていない。未決の被告がいる。全員の罪刑が確定して始めて事件の全容が解明された(建て前にしても)ということであり、刑の執行が現実のこととなる。今回鳩山氏が著名な事件の死刑囚の執行を望んだとして、宮崎勤氏が選ばれた理由が、この辺りにあるのではないだろうか。
 それにしても、刑確定から2~3年は、画期的であって、刳い。死刑は確定から6ヶ月以内に執行「しなければならない」というものではない。鳩山氏の烈しさ・攻撃性を感じないではいられない。
 秋葉原の事件以降、宮崎氏の事件も含めて、考え込んでしまう。もう2週間になろうとしている。色んな論評に目を通してみたが、腑に落ちるような論説に出会っていない。見えてこない。そのような中で『週刊現代』の記事を読んだ。秋葉原事件加藤智大容疑者の実弟の手記である。容疑者を「犯人」或いは「アレ」と呼称してペンを進めているが、私には難しい言葉を駆使したどのような論説よりも実感を伴わせる内容であった。
 実相は、「常人」の視点からは見えてこない。「常人」の視点では、自分の居場所すら、認識不可能である。勝田清孝に連れられて、遙か後ろから彼の立った崖っぷちを見たとき、私は足が竦んだ。清孝の立つ闇から、私はどんなに遠くで生きてきたことだったろう。清孝の居るところの闇の濃さは、私自身の居るところの明るさ、温かさからどんなに遠くにあったことだろう。その距離をぼんやりとでも感じることができたのは、実に「闇」を垣間見たからであった。恐縮だが、拙著(『113号事件 勝田清孝の真実)から、その辺りを引用してみたい。

p42~
 勝田からの書簡の末尾、「返信は、何卒差し控え下さいますよう」というセンテンスは、私を含め人間全般に対する強い拒絶の表明であるように、私には感じられた。寂しいに違いはないだろう。しかし、大方の人間とは画然として違う、土壇場に置かれた者の何か底知れない強さのようなものを、私は勝田に感じていた。少年院上がりゆえ、誰からも信じて貰えず、擯斥され、金しか頼みに出来ず、盗もうとして発見され、八人の人を殺め、この世から死刑の判決を受けた人。親からも、妻からも、子からも、血族のすべてから棄てられた人。このような人であってみれば、一切を諦めることができるのではないだろうか。私などの未だ知り得ぬ絶望、踏み入ったことのない孤独。勝田の内なる世界を思い、私は、慄然としたのである。
 そんな思いに閉ざされながら、けれど、獄窓に鳩を眺める勝田の姿が、私には彷彿してならなかった。獄窓は太い鉄格子、危険はないと知ってか、近づいても逃げぬその鳩に孤独に佇む勝田の影が、私の脳裏から離れなかった。
(注.勝田からの絶交を告げる手紙に「獄窓は太い鉄格子、危険はないと知ってか、近づいても逃げません」と書かれてあった)

 前のエントリで、私は
“親が吾子に対して絶対にしてはならないこと、それは、兄弟を比較したり、偏って愛することだ。”
 と書いた。お読みくださる方の中には“兄弟を比較したり”などは、些細なことのように受け止める方もいらっしゃるかもしれない。しかし、このことは、人を育てる上で極めて重要な事柄である。兄弟のことに限定しない。人と人とを比較してはいけない。子は、親の愛を得るために、どんなことでもする。どんな悪いことでもして、親の気を惹きたがる。生まれい出て初めて知る愛は、親からのものである。愛を身に受けずに育った魂が、どうして愛を知ることが出来るだろう。掛け替えの無いものとしてだいじにされた覚えの無い者が、どうして、自分を尊重し、愛せるだろう。自分をだいじにし得ない者が、どうして人を愛せるだろう。  
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秋葉原殺傷事件 弟の告白 『週刊現代』 平成20年6月28日号(前編) 7月5日号(後編) 2010-01-28 | 秋葉原無差別殺傷事件 
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「最も凶悪な事犯だと思うから、宮崎勤元死刑囚を執行すべきと私から指示した」鳩山邦夫氏2010-12-14 | 死刑/重刑/生命犯 問題


1 コメント

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Unknown (akira)
2008-06-21 22:25:28
ゆうこさん こんばんは

秋葉原事件に呼応した死刑執行だったという感は否めません。
もう一つ・・・。

6月13日に国連人権理事会本会議で各国から日本に対して発せられた人権上の勧告に対する日本政府の対応を表明しました。
その中で日本政府は「停止や廃止を視野に入れて死刑について緊急に検討すること」という勧告を拒否しました。
先の死刑執行は、この発表から僅か4日後です。
「絶対、死刑は止めない」という、国際社会への強い意思表示でもあったように思えます。
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