「新聞案内人」2009年03月30日 歌田明弘(コラムニスト)
「語らない捜査当局」でいいのか
朝日新聞3月12日朝刊に掲載された、ジェラルド・カーティス米コロンビア大教授の寄稿は波紋を呼んだ。東京地検特捜部による小沢一郎・民主党代表の公設第一秘書の逮捕について、「検察の責任者が公の場に出てきて国民に説明責任を果たすよう求めるべきだ」と、次のように書いている。
<私は、小沢氏の肩を持ったり、特定の政党の側に立ったりするものではない。検察が政治的に動いているとか、検察のやっていることが怪しいとか言うつもりもない。
しかし、総選挙を前にして、動き出した検察が沈黙し、公の場で説明しないということは、国民の間の政治不信ばかりか、国家権力に対する不信感を深めることになりかねない。この危険の重大性こそを、検察は認識すべきである。
なぜ、検察の説明責任を求める声がもっと強く出てこないのだろうか。朝日新聞は3月10日、「民主党、この不信にどう答える」と題した社説を掲げたが、どうして「検察、この不信にどう答える」と問いかけないのか。検察のやることは絶対に正しく、疑う余地がないとでも思っているからなのか。マスコミは検察側が不機嫌になるような報道を自己規制して控えているからか。
検察当局は、現時点ではまだ捜査中なので、すべてを明らかにすることはできないという立場なのだろう。だがそうであれ、記者会見をして説明できることは説明し、話せないことは話せないと言えばいい。肝心なのは、国家権力を行使する機関の姿が国民に見えることだ。>
○「メディアは“説明”求め続けよ」とカーティス氏
テレビでも、この主張は取り上げられた。
「タハラ・インタラクティブ」というサイトに掲載した原稿からもわかるとおり、田原総一朗氏はこの逮捕にいぶかしいものを感じているようで、キャスターを務めるテレビ朝日系列の『サンデープロジェクト』では毎週のようにこの事件を取りあげている。3月22日には、コメンテーターがカーティス氏の寄稿を紹介していた。
また同じ日、フジテレビ系列の『時事放談』にカーティス氏が出演し、なぜこうしたことを書いたのか語った。それを聞いて、カーティス氏の主張がいよいよ納得できるものに思われた。
カーティス氏は、アメリカでもFBIなどは説明したがらないが、メディアは「説明すべきだ」と言い続けることが大事だという。そうすることで、取り調べ当局もときにはやはり説明する必要があると思うようになる。実際、アメリカでイリノイ州知事が逮捕されたときには、なぜいま逮捕する必要があったかをシカゴの当局は一生懸命説明した。歴史的な転換点にある微妙なときには、こうしたことは必要だと語っていた。
3月20日には、堀田力さわやか福祉財団理事長が「検察に説明責任はない」と、カーティス氏への反論を同紙に寄せた。東京地検特捜部の元検事であり、テレビなどで接する氏の人柄には(おそらく多くの人が感じているように)私も好感を持っていたこともあり、どう反論するのか興味を持って読んだ。
「政治資金規正法は、政治がカネの力でゆがめられることなく国民一般のために行われるようにしたいという、国民の長い間の悲願に応える法律」で、その違反は「形式犯」の一言で片付けられず、容疑が発生した時は、ためらうことなく万全の捜査をするのが検察の任務だと書いている。
この主張にはまったく異存はない。しかしだからといって、検察が説明する必要がないということにはならないだろう。
実際、「説明しない検察」に対する批判の声があがったからだと思うが、異例なことに検察は、3月24日の起訴のさいに、東京地検の次席検事と特捜部長が起訴理由も含めて1時間20分にわたって説明したという。
日本政治の研究者であるカーティス氏は、日本人以上に日本をよく知っている面もあるだろうが、カーティス氏のこの寄稿を読んだとき、氏に言われるよりも前に、「検察や警察は、必要あるときは顔を見せて説明すべきである」と、われわれ日本人がもっとはっきり言うべきだったと思った。メディアも含めてわれわれは、「説明しない捜査当局」にあまりに慣れっこになっているのではないか。
○国民の前で説明することで不信感は薄らぐ
検察や警察といった組織が、何を考えているのかわからず強権を行使するというのはいかにも不気味だ。3月26日朝刊に掲載された読売新聞社の世論調査(27日朝刊に詳報)では、官僚を「信頼していない」と答えた人が74パーセントにのぼるとのことだが、官僚不信に政治家不信、そのうえ警察や検察に対してまで不信感が高まれば、日本は文字どおり終わりだろう。
誰かが出てきて国民の見えるところで説明するだけで、不信感は少なくとも幾分かは抑えられる。この逮捕に理があっても、説明することで、少しでも不信が高まることが避けられるならそうすべきだ。おそらく検察もそうしたことを思って異例の対応をしたのだろう。
「裁判員制度」の開始まで2か月を切り、国民の司法への関心は高まっている。一方で、検察が国民から不信感を持たれる理由は、こんどの事件以前にもある。
佐藤優氏の『国策捜査』などの著作は広く読まれている。
検察の裏金を告発しようとした三井環大阪高検公安部長がメディアでの告発直前に逮捕された事件などは、常識的に見ていかにもおかしい。
少なくとも特捜検察が、政治的考慮まったくなしに強権を発動するわけではないということは、これまでの歴史的な事件にからんでいろいろな証言が出ている。「世直し」といったことを含めて、特捜検察が何らかの意図を持って強権発動に踏み切っているというのは、着実に浸透している理解だろう。
私は、政権交代があたりまえに行なわれたほうがいいとは思っているが、民主党支持者というわけではない。しかし、こんどの事件に「あらぬ疑い」を抱こうと思えば抱ける。官僚支配打破を訴えている民主党が政権をとれば、霞ヶ関の官僚たちは困ったことになるはずだ。霞ヶ関のこうした思いを汲んで検察が動いた、などという「邪推」だってできなくはないだろう。
組織で動いている検察は恣意的な捜査などできないというが、では大阪高検公安部長の例はどうなのかと思うし、組織が「民主党政権を阻止することが正義」と思った場合はどうなのか、とも思う。
○規正法強化の“当事者”という事情もあるのか
小沢氏は、企業からの献金だとは知らなかった、政治団体からということなのでそう思っていたと言う。しかし、それでは献金の意味がない。そうした疑問は常識的に誰しも抱く。27日朝刊に掲載された読売新聞社の世論調査では、小沢氏続投に68%の人が「納得できない」と答えたそうだが、それは当然だろう。
検察は特別な思いのもとに動いたととられたくないからか、そういう説明はしていないようだが、小沢氏が細川政権下で政治資金規正法を強化したときの主要メンバーで、強化のいわば当事者でありながらその精神をないがしろにしたということも、こんどの立件の背景にはあるのかもしれない。
しかし言うまでもなく、捜査当局は、倫理的な罪を問うのが仕事ではない。自分たちのそのときどきの価値基準に基づいて強権を発動し、裁判以前に、悪い情報を流して社会的に葬り去るなどということがまかり通るようになったら恐ろしい。そんなことがあってはならないのは言うまでもないが、そうした疑いを抱かせないようにすることも、強権を握っている当局の責務だろう。
カーティス氏は、「国家権力があくまでも公平・公正に使われていると国民が信じられることが、民主主義の絶対条件である。いま日本では政治家もマスコミも、さらに国民一般も、この問題にあまりにも鈍感になっていないか」と書いているが、まったくそのとおりだ。
検察や警察への不信感を高めないためには、「(表だっては)語らない捜査当局」を当たり前のことにすべきではない。
○メディアにするものと同質・同量の説明をネットで
捜査当局は、疑いをできるかぎり払拭するために、マスメディアを通すだけではなく、このネットの時代、ホームページで、記者発表の模様を伝える動画なども検討しつつ、マスメディアに対してと同じ質・量の説明をすべきだと思う。
東京地検は、24日の会見にテレビカメラが入ることも拒否したという。説明が直接、国民に届かなければ効果は乏しいし、これではカーティス氏の言う「説明責任」が果たされたのかどうかすらわからない。マスメディアの人間に納得してもらえばすむような時代ではとっくになくなっている。
メディアの側も、はしょって伝えるのではなく、テレビカメラが無理だったとしても、会見の内容を活字でそっくりそのまま伝えるべきだ。記者からの厳しい質問をまじえて1時間20分におよんだというが、その内容がわれわれにはほとんどわからない。
詳報を載せる場所がないということもあるまい。紙面やニュース番組以外にもウェブ・サイトという媒体があるのだから、記者クラブは情報を独占しているなどという不信感を募らせないためにも、できるかぎりそうすべきではないか。
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小沢氏「辞任すべき」64% 内閣支持率25%、日経世論調査
日本経済新聞社とテレビ東京が27―29日に共同で実施した世論調査で、西松建設の巨額献金事件で秘書が起訴された民主党の小沢一郎代表について「辞任すべきだ」が64%で「続投は妥当だ」の22%を大きく上回った。麻生内閣の支持率は25%で、2月の前回調査から10ポイント上昇した。20%台を回復したのは昨年12月以来。不支持率は13ポイント低下し、67%だった。
小沢氏が辞任すべきだとした人に理由を聞くと「説明に納得がいかない」が40%と最も多い。「秘書が起訴されたら辞めるのが当然だ」が36%、「民主党は小沢氏では衆院選を戦えない」が20%で続いた。(29日 22:01)
民主・鳩山氏「政権交代厳しいなら共に辞任」 小沢氏と確認
民主党の鳩山由紀夫幹事長は29日のテレビ朝日番組などで、西松建設の巨額献金事件に絡み公設秘書が起訴された小沢一郎代表が辞任した場合について「役員メンバーは共同責任だ。少なくとも幹事長は連帯責任が最も重い」と述べ、自身も幹事長を辞める考えを示した。衆院選前に政権交代が厳しいと判断すれば、共に辞任する方針を小沢氏と確認していることも明らかにした。
鳩山氏によると、26日に党本部で小沢氏と会談した際に「代表が続投という決断をする以上はできる限り支える」と伝えたうえで「政権交代は非常に難しいという判断が出された時は互いに責任を取りましょう」と提案。小沢氏は「分かった」と答えたという。
小沢氏が進退を再判断する時期については「選挙が近づいた時」との見方を示した。判断材料に関しては「地方選挙ではない」と述べ、千葉県知事選などの結果は関係ないと強調した。同党幹部は報道各社の世論調査結果も判断材料にならないとの認識を示した。 (20:00)
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検察を支配する「悪魔」 田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士) http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/hon30-kensastuwo.htm
p153~ マスコミは検察の言いなり---田中
大マスコミは検察の言いなりやからね。
現場で見ていても、新聞やテレビといった大マスコミは、検察に上手にコントロールされているという感じがする。大マスコミによる検察批判なんて考えられませんね。
特捜の扱う事件は、下手に情報が漏れると、事件が潰れかねない。だからマスコミへのガードは非常に堅く、記者が接触できるのは、たとえば東京地検の場合、特捜部長と副部長に限定されていて、第一線の現場の検事への接触は禁じられている。もし、これを破ったら、検察への出入りは禁止です。接触した検事も異動させられる。
p155~
一方、取材する側の司法記者から見れば、特捜が手掛けるのは社会的な影響の大きい事件なので、スクープできれば手柄になる。裏を返せば、他社に抜かれるとクビが危ない。そこで夜討ち朝駆けで、特捜部長や副部長から情報を聞き出そうとするわけだけれど、覚えがめでたくないと、喋ってもらえない。
検察に不利益なことを少しでも書く記者には、部長も副部長も一切、情報を教えません。だから、どうしても検察側の代弁に終始してしまう。
仮に、これに疑問を感じて、独自の取材を展開し、すっぱ抜いて報道したら、「てめえ。事件を潰す気か」と、検察側の怒りに触れる。記事を書いた記者だけでなく、その社の人間は、出入り禁止。情報がまったく入ってこなくなる。マスコミにとっては致命的な状況に置かれるわけです。
検察とマスコミでは上下関係ができていて、マスコミは検察に対しては無抵抗状態というのが現実です。
2005年の年初、東京地検特捜部長の井内顕策が、「マスコミはやくざ者より始末におえない悪辣な存在です」と書いた文書を、司法記者クラブに配布するという事件があった。しかし、そこまで誹謗されても記者たちは何の抵抗もなしです。どこの新聞社も記事にもできなかった。
p156~ 大衆迎合メディアが検察の暴走を許す---田原
マスコミを踊らすなんて、検察にとっては朝飯前なんですよね。
情報操作によって世論を喚起した事件として思い出すのは、沖縄返還協定を巡って1972年に毎日新聞政治部記者、西山太吉と外務省の女性事務官が逮捕された外務省機密漏洩事件です。
西山記者が逮捕されたとき、「言論の弾圧だ」「知る権利の侵害だ」という非難が国民の間で上がった。
そこで、検察は起訴状に「西山は蓮見(女性事務官)とひそかに情を通じこれを利用し」という文言を盛り込み、批判をかわそうとした。この文言を入れたのは、のちに民主党の参議院議員になる佐藤道夫。
検察のこの目論見はまんまと成功、西山記者と女性事務官の不倫関係が表に出て、ふたりの関係に好奇の目が注がれ、西山記者は女を利用して国家機密を盗んだ悪い奴にされてしまった。
本来、あの事件は知る権利、報道の自由といった問題を徹底的に争う、いい機会だったのに、検察が起訴状に通常は触れることを避ける情状面をあえて入れて、男女問題にすり替えたために、世間の目が逸らされたわけです。
西山擁護を掲げ、あくまでも言論の自由のために戦うと決意していた毎日新聞には、西山記者の取材のやり方に抗議の電話が殺到、毎日新聞の不買運動も起きた。そのため、毎日は腰砕けになって、反論もできなかった。
p158~
西山事件のようにワイドショー的なスキャンダルをクローズアップして事件の本質を覆い隠す手法を、最近とみに検察は使う。
p159~
興味本位のスキャンダルは流しても、事の本質については取り上げようとしないメディアも悪い。いや、大衆迎合のメディアこそ、検察に暴走を許している張本人だといえるかもしれませんね。
一度火をつけた検察は、何故今逮捕か明確に説明責任を果たすべきである。ちょっと驕りがあるのではないか。この裁判結果は、ごめんなさいでは済ませる問題ではない、しっかり国民の前で説明すべきである。民主主議の危機である