けったいな連れ合い 車谷長吉氏が死去 69歳 2015年5月17日

2015-05-22 | 本/演劇…など

2015.5.20 05:07更新
【産経抄】けったいな連れ合い 5月20日
 詩人の高橋順子さんに『けったいな連れ合い』と題したエッセー集がある。49歳と48歳のとき、「残りもの同士」の結婚をした、作家の車谷(くるまたに)長吉さんを指す。頭は丸刈り、曇った丸めがねをかけ、カバンの代わりにずだ袋を下げている。
 ▼けったいなのは、風体だけではない。慶応大学を卒業後、広告代理店に入社、ニューヨーク転勤を断り、まもなく退社する。料理場の下働きをしながら、各地を転々とする時期が長く続いた。西行法師にあこがれ、世捨て人のつもりだったという。平成10年に『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞を受賞したとき、経歴も話題になった。
 ▼ずっと書き続けてきた私小説は、人間の弱さ、醜さを容赦なく暴き出す。自分だけでなく、他人をも深く傷つける。友人を失い、裁判ざたにもなった。「嫁はん以外の話し相手が誰もいない」とインタビューで語ったことがある。
 ▼そんな車谷さんが11年に書き上げ、川端康成文学賞を受賞した短編小説が『武蔵丸』だ。自宅近くの公園で見つけ、飼い始めたカブトムシの名前である。そのころ、奥さんに先立たれていた評論家、江藤淳さんの自殺の知らせが届く。恩師でもあった。子供のいない夫婦のさびしさは、車谷さん夫婦にとっても、人ごとではない。武蔵丸の前で、二人はお互いを「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになる。
 ▼世捨て人のはずだったのに、高橋さんの願い通りに家を買い、世界一周旅行にも付き合った。「嫁はんがいないと、生きていけない」からだ。「唯一の願いは、嫁はんより先に死ぬことである」とも。
 ▼17日の朝、自宅で倒れている車谷さんを高橋さんが、見つけた。病院に搬送されたが、まもなく亡くなった。69歳。本望だろう。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 
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〈来栖の独白 2015/5/22 Fri.〉
 数日、母に会うため、実家へ帰省していた。母は老人施設におり、無人の家である。朝、近くのコンビニ(セブンイレブン)へ産経新聞を買いに行き、名古屋の自宅と同じようにコーヒーとパン、サラダの朝食を摂りながら、「紙」の産経を読む。至福のひと時だ。
 上記事「けったいな連れ合い」には、強く共鳴した。人間の一途さ、弱さ、悲哀が沁みた。車谷長吉氏は、人生相談『人生の救い』のなかで「私は今のところ、まずまず健康ですが、心の中では、一日も早く死にたいと願っています」と漏らしておられた。これは、私も全く同じである。
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車谷長吉さん死去、直木賞作家
 The Huffington Post 投稿日:2015年05月18日20時36分JST 更新:2015年05月19日18時21分JST
 直木賞作家の車谷長吉(くるまたに・ちょうきつ、本名嘉彦=よしひこ)さんが5月17日午前8時34分、食べ物を喉につまらせた窒息のため東京都文京区の病院で死去した。69歳。兵庫県出身。葬儀・告別式は行わない。47NEWSなどが報じた。
 妻で詩人の高橋順子さんが同日朝、自宅の居間で倒れているのを発見し、病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認されたという。
 車屋さんは1998年に代表作「赤目四十八瀧心中未遂」 で受賞した直木賞をはじめ、各賞を受賞している。
 慶応大卒業後、広告代理店や料理屋で働きながら作家を目指し、1993年に私小説「鹽壺の匙」で三島由紀夫賞を受賞。98年に「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞、2001年に「武蔵丸」で川端康成文学賞を受けた。
(直木賞作家、車谷長吉さん死去 「赤目四十八瀧心中未遂」-47NEWSより 2015/05/18 19:47 )
 ◎上記事の著作権は[The Huffington Post]に帰属します *強調(太字・着色)は来栖  
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2015.5.18 20:46更新
直木賞作家の車谷長吉氏が死去
 「赤目四十八瀧(あかめしじゅうやたき)心中未遂」などで知られる直木賞作家の車谷長吉(くるまたに・ちょうきつ、本名・嘉彦=よしひこ)氏が17日、誤嚥(ごえん)による窒息のため亡くなった。69歳。
 昭和20年、兵庫県生まれ。慶応大学卒業後、広告代理店や出版社、料理店などで働きながら私小説を書き続け、自身の生い立ちなどを題材にした「鹽壺(しおつぼ)の匙(さじ)」で平成5年、芸術選奨文部大臣新人賞と三島由紀夫賞を受賞。10年に初の長編「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞、13年に「武蔵丸」で川端康成文学賞を受けた。
 16年には、雑誌「新潮」に発表した私小説「刑務所の裏」に実名で登場させた人物から名誉毀損(きそん)で訴えられ、その後和解したが、17年に私小説作家としての廃業を宣言した。
 妻は、詩人の高橋順子さん。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します
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「天声人語」
 朝日新聞デジタル 2015年5月20日02時04分
 修行僧のような風情と言われることもあるが、失礼ながら筆者は任俠(にんきょう)の世界に属する人の匂いを感じてしまった。作家の車谷長吉(くるまたにちょうきつ)さんが文壇に登場した時に受けた印象である。ごく短い髪、鋭い目、こけた頰に、どこか捨て身な気配が漂っていた▼30代の大半、関西を転々として過ごした。料理場の下働きなどをしたが、極貧だった。「泥の粥(かゆ)」をすすって生きるような「世捨て」の時代だ。この経験がなければ「物書きという無能(ならず)者」にはなっていなかったと振り返っている▼金貸し一族の物語「鹽壺の匙」を表題作とする作品集で三島由紀夫賞を受けた。時に47歳。自分自身の骨身に染みたことを、骨身に染みた言葉だけで書く。反時代的と言われようが、私(わたくし)小説でおのれの存在の根源を問い、代表作の『赤目四十八瀧心中未遂』に結実させた▼変人といっていいのだろう。「私は原則としてズボンの前を閉めない」と書いている。原則、の2文字がなんともおかしい。48歳の時に結婚した詩人の高橋順子さんから「卦(け)ッ体(たい)な人」と呼ばれたのも無理もない▼本紙「悩みのるつぼ」の回答者としても異彩を放った。小説を書きたいという相談に、善人には書けないと答えた。作家は、人に備わる「偽、悪、醜」を考えなければいけないのだから、と。それは車谷さんの自負だったろう▼5年ほど前に書いたエッセーに「あと数年で死のときが来るので、その日が待ち遠しい」とある。予感があったのだろうか。69歳での旅立ちだった。
 ◎上記事の著作権は[朝日新聞デジタル]に帰属します *強調(太字・着色)は来栖 
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車谷長吉の人生相談『人生の救い』朝日文庫 2012年12月30日 第1刷発行  
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