The Death Penalty 死刑の世界地図[2]

2010-10-22 | 死刑/重刑(国際)

The Death Penalty 死刑の世界地図
 Monday,October18,2010No.50〔朝日新聞グローブ〕第50号 

 The Death Penalty 死刑の世界地図[1] の続き

■米検事が語る「信念と仕事のあいだ」
  死刑にかかわる人が、個人の信条と職務上の責務との間に矛盾をかかえたとき、どうするのか。それは、前法相の千葉景子が悩んだことでもあった。
  米国で同じような難問にぶつかった人に会った。テキサス州初のアフリカ系地方検事、クレッグ・ワトキンス(42)である。
  ワトキンスは、個人の信条として死刑には反対だった。一方で、数件の死刑求刑にかかわり、裁判所に対する死刑執行の申し立てもしている。
  米国の地方検事は公選制。ワトキンスは弁護士などを経て、2006年にダラス郡の地方検事に選出された。
  「州法に定められていることを履行していくのが私の役割だ。法の手続きが定められていて、その法の範囲の中である結論に達する。私の個人的な物の見方で物事が決まるわけではない」
  個人的に死刑に反対するのは、「私個人のモラルと宗教的なバックグラウンドだとしか言いようがない」と話す。
  「個人の信条が法との間で摩擦を起こした場合には、法に従うべきだ。個人的な思いを社会全体に押しつけることはできない」というのが持論だ。
  一方で、ワトキンスは、テキサス州で死刑囚の多くの冤罪が明らかになったことを受け、ダラス郡内の死刑事件をすべて見直す作業も進めてきた。新たな死刑求刑をする場合は、複数の検事との話し合いの場を設けている。
  「我々は人間である限り、間違う可能性はつねにある。20年後、DNAテストなど捜査技術や科学の発展で同じ事件をどう判断するかはわからない。立法府に問いかけるべきことは、間違いを起こす可能性がある中で、本当に死刑を履行する必要があるのかということだ」
  就任から今までDNAの再テストなどで15人の被収容者を釈放した。「この事実だけで、死刑をもう進めてはいけないことを示唆しているのではないか。人の命を奪う前に一歩引いて考える方が賢明だ」。その言葉からは、信念を仕事に反映する姿も垣間見える。11月には再選をかけた選挙が控える。
  「死刑は選挙の争点になるだろうが、誤審の可能性という現実を伝えていくだけだ。私は個人的に信じていることと法との間でバランスをとっている」
  彼は、ダラス郡で約20年ぶりに誕生した民主党系地方検事だ。地元では、将来国政に打って出るのではとの見方もある。テキサス州はブッシュ前大統領の地元。共和党が強く、死刑廃止にも否定的な世論が強い。
  「聞かれない限り、死刑廃止という個人的信条は語らない」。ワトキンスは、そんな慎重さも併せ持っている。(宮地ゆう)
■[中国] 「少殺」でも、年数千件の執行
  中国では、ここ数年、死刑台から生還する人が相次いでいる。
  死刑から一転、無罪の判決を受けた卓発坤(38)は、裁判長が早口で判決を読み上げたのを、ぼんやりと覚えている。
 「70%は無罪判決だなと思った。でも確信は持てなかった。早口の標準語で、よく聞き取れなかったから」
  中国南部、広西チワン族自治区。山間の村に、卓は釈放後、両親と2人の子と暮らす。妻は出稼ぎに出たという。
  「拘置所ではある日、突然、同じ部屋の仲間が『行ってくるよ』と言って出て行く。死刑の執行だ。いつ自分の番が来るのかと待つのはつらかった」
  事件が近くにある別の村で起きたのは2002年11月の深夜だった。
 中年の女性が殺害され、家ごと放火された。女性の親類らは、同じ村に住み、窃盗の前科があった卓の犯行と決めつけた。数日後、卓は警察につきだされた。
  まったく身に覚えがない。でも、卓の衣服に付いていた少量の血が、被害者の血液型と一致。取り調べの2日目、犯行を認める卓の供述書ができあがった。「何を言っても聞いてもらえなかった」
  03年、同市中級法院(地裁に相当)が死刑判決。翌年、同自治区高級法院は、証拠不十分として一審に差し戻した。
  中国は二審制だ。二審が裁判を差し戻すと一審を受け持った裁判所が再び公判を開く。そこでも同じ死刑判決が出た。事件が起きたとき、卓が犯罪現場にいなかったことを証明する証人もいた。しかし、「中級法院は一度出た死刑判決を変えなかった。裁判官のメンツにかかわる問題だからだ」(弁護士)。
  09年になって、高級法院が無罪の判決を出し、確定した。
  卓の無罪判決への転機となったとみられているのは、07年に中国最高人民法院(最高裁に相当)が、省レベルの裁判所(日本の高裁に相当)に与えていた死刑執行の「承認権」を最高裁に一本化したことだった。裁判官同士のしがらみや腐敗が深刻だとされる地方に任せず、最高裁が厳しく審査しようというものだ。
  最高人民法院の院長(当時)・蕭揚は「冤罪の防止と人権の保障」を制度改革の目的に掲げた。司法界が受け止めたメッセージは「少殺」(中国メディア)だった。中国語の表現は直接的だ。国家による殺人を減らせという大方針を受け、死刑台から生還する例が相次いだ。
  今年5月、殺人罪で執行猶予付きの死刑判決を受け、後に無期懲役に減刑されて服役していた河南省の男性が一転して無罪になり釈放された。殺されたはずの被害者が生きていた。捜査・司法両当局のずさんさが明らかになったのだった。
  中国政府は死刑判決や執行の数など、一切の統計を「国家機密」として発表していない。国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルは、09年の死刑執行の数は推計で数千件に上るとみる。
  今年4月、麻薬密輸罪に問われた日本人4人が処刑された。日本なら死刑になることはない罪だ。
  中国で死刑になる可能性のある犯罪の範囲は極めて広い。最高刑が死刑の犯罪は計68あり、汚職など経済犯罪や強盗、強姦(ごうかん)、窃盗、詐欺でも死刑になりうる。
  さらに、国家の安全に深刻な危害を加えれば死刑になる、という刑法の「国家安全危害罪」の条項もある。何が国家の安全かの規定はなく、捜査機関や裁判官の判断次第で、あらゆる行為について死刑を下すことができる。
  同罪は1997年の刑法改正で「反革命罪」に取って代わったものだ。この、共産党がいかようにも判断できる罪で死刑になった人は無数にいるとみられる。
  そもそも憲法は共産党の指導を明記しており、裁判所も検察も、ともに党の政法部門が管轄する。中国の死刑は「統治の道具」という色彩が濃い。
  死刑の数には、国家のその時の意向が直接反映される。「少殺」を打ち出したのは歴史上、これが初めてではない。
  故・毛沢東は1948年、「『少殺』を堅持しなければならない。『乱殺』は厳禁だ」と記した。国を二分した激しい内戦を経て政権を奪った中国共産党は、復讐(ふくしゅう)による死刑の乱発を恐れたからだ。
  毛は51年には「執行猶予付きの死刑」を多用するようにとの決定を下した。今も続く、世界でも珍しい「死緩(死刑執行の緩和)」制度だ。通常は2年間の勾留(こうりゅう)を経て、行いなどに問題がなければ、無期懲役などに減刑されることが多い。
  逆に言えば、当時はそれだけ多くの人が処刑されていたことの裏返しともいえる。66年から10年間続いた文化大革命中には、司法手続きを踏まずにリンチに近い形で多数の人が殺されたとされる。迫害による自殺を含めると、その死者数は数万人から2000万人まで諸説ある。
  78年、改革開放政策が始まると、市場経済の波にもまれ、汚職が続出。貧富の差の拡大による社会の混乱もあり、凶悪事件も急増したとされる。
  故・トウ小平(トウは登におおざと)は81年、「非常事態だ。重く早く集中的に犯罪を打て」との方針を打ち出す。83年までの3年間は超法規的措置として、一審で死刑判決を受けた被告の上告が禁じられ、下級裁判所の判断で死刑が執行された。こうした「多殺」政策は2000年ごろまで続いた。
  02年に誕生した胡錦濤(フー・チンタオ)政権はこれを変えた。06年、最高裁などは「死刑を厳格かつ慎重に行う」との方針を決めた。急速な経済成長で市民の人権意識が次第に高まっていることを受け、法治を進める姿勢を示そうとした。経済大国として国際的批判を意識した面もあるようだ。
  全国人民代表大会(全人代)は8月、刑法修正草案をまとめ、密輸や文化財盗掘など、暴力を伴わない経済的な13の犯罪への死刑の適用を廃止するとした。75歳以上には死刑を適用しないともした。
  しかし、世論は複雑だった。死刑を減らせば、犯罪が増えるのではないか、役人の腐敗に対する処罰が甘くなるのではないか、との懸念が生まれたからだ。
  政府系シンクタンク、中国社会科学院法学研究所研究員の劉仁文は「今、中国の市民が死刑廃止を受け入れることはあり得ない。私自身は将来、中国でも廃止されるべきだと思う。しかし、今、それを議論するのはあまりにも早すぎる。まず死刑を減らす。議論が始まるのはそれからだ」と話す。(古谷浩一)
 *中国の刑事手続きの流れは、おおよそ次のようになっている。
 (1)事情聴取 12時間以内
 (2)刑事拘束 最長37日間の勾留
 (3)逮捕 最長7カ月の勾留
 (4)送検・起訴 1カ月半以内に判断
 (5)一審公判 初公判から最長2カ月半以内に判決。5日以内の上告が可能
 (6)二審公判 上告を受けてから最長2カ月半以内に判決。刑の確定
 (7)死刑の判決が確定した場合、最高人民法院の承認後、7日以内に執行
■[台湾]法務トップを更迭、4年ぶりに処刑を再開
  台湾は、死刑の事実上廃止と執行再開の間で大きく揺れていた。
  2000年に人権重視を掲げた陳水扁が総統になって以降、死刑廃止の機運が高まった。執行は、05年12月を最後に止まっていた。08年に総統になった馬英九(マー・インチウ)も、その流れを引き継いでいた。
  流れが変わったのは、今年3月だ。
 次期検察総長が「刑が確定した後は、死刑は執行されるべきだ」と発言。
  これに怒った法務部長(法相に相当)、王清峰は「執行はしない」「死刑囚にかわって処刑され、地獄に行ってもかまわない」などと、メディアに対して発言した。
  王は、人権派の女性弁護士として名を上げ、馬政権の下で法務部長になっていた。
  「何か言ってください」。複数の死刑存続派の議員から台湾の有名な女性歌手、白冰冰(パイ・ピンピン)のもとに電話があった。
  白は、劇画原作者、故・梶原一騎との間に生まれた一人娘(当時17)を97年、身代金目的で誘拐され、殺害された。台湾の犯罪被害者遺族の代表的存在だ。
  要請をいったんは断った白だが、翌朝になっても王の発言がテレビで繰り返し流されるのを見て、会見することを決めた。
 「王部長は職務に適さない。執行するのが当たり前だ」
  白の激しい批判は、「白と王の女性対決」という構図で繰り返し報道された。テレビでは死刑存廃の電話投票が行われ、「存続」の意見が圧倒した。白が会見した翌日、王は辞任する。
  後任の法務部長・曽勇夫は4月、4人の死刑囚の執行に踏み切った。
  白は「私は王部長に、法務部長の仕事は何なのか教えてあげたかった。馬総統には、こんな法務部長を任命していれば選挙に落ちる、と言ったつもり」と振り返る。
  白は今でも、事件を思い出す。娘の遺体は外見が変形するほど虐待を受けていた。「親子だから姿を見て一瞬で娘だと分かった。娘に勇気を与えるために私は涙を流さなかった。子供の中では私は偉いママ。泣いたら不安になる」と言う。
  「どうやって耐えて生きてきたのだろう、と毎日毎晩考える。それが親にとって、どれほど苦しいか」
  白は処刑された主犯の男らを「悪魔」と呼ぶ。「人は生まれた時から善と悪がいる。政府は善の人を守るためにある。死刑は絶対に必要」と語気を強めた。
  この誘拐事件で、立てこもった主犯を投降させた侯友宜(現・中央警察大学校長)も言う。「事件の主犯らは子供のころから犯罪をくり返してきた。刑務所で矯正できるならば事件は起きなかった」。
  台湾での死刑執行は麻酔をかけた上で銃殺される。「被害者は死ぬ前に大きな苦痛を受ける。死刑は税金で麻酔して人道的。なお不公平なぐらいだ」
  死刑廃止論議は今後どうなるのか。
 馬英九が、国際人権規約の批准書に署名したのは09年5月だった。そのとき馬は「台湾に世界レベルの人権環境を確立することを目指したい」と語った。
  この流れを受けて王が立ち上げた「段階的死刑廃止研究推進委員会」は、王の辞任後に初会合が開かれた。3月から毎月1回の会合で、死刑を廃止した場合の代替刑や、被害者遺族への補償などについて話し合われているが、すぐに死刑廃止という結論にはなりそうもない。
  委員の弁護士、陳淑貞は「廃止はあくまで理想で、『世界平和を願う』ようなもの。現状では死刑は続けるべきだ」とみる。
  東呉大教授の黄朝義は「廃止、存続という二つの選択肢では平行線になる。身代金目的誘拐殺人、大量殺人などでは市民の処罰感情が高まる。執行を現行犯事件など冤罪のおそれがないものに限るといった3番目の選択肢も必要なのではないか」と話す。(杉山正)
■ 台湾で、死刑事件被告に会った
 9月23日午後、私は台湾の台北看守所(拘置所)にいた。死刑判決を受けた被告と会うためだ。日本では、こうした被告の接見には制限がつくことが多い。台湾でもなかなか会えないが、たまたま被告の知人が面会を仲介してくれた。
  被告の名前は、邱和順(51)。男児を身代金目的で誘拐し、殺害したとして共犯者11人とともに1988年に起訴された。一審、二審で死刑判決を受けた後に上告、高裁への差し戻しでの裁判をくり返し、22年間未決のまま収容されている。
  金属探知機をくぐった後にボディーチェックを受け、鉛筆一本持ち込めない。高い塀と鉄門をくぐると「法律之前 人人自由」と書かれた大きな看板が見えた。その背後に面会室はあった。
  薄暗くて蒸し暑い。被告と面会者の間には、鉄格子と分厚いガラスがある。中の音は受話器を通さないと聞こえない。
  邱は、明るい表情で現れた。自分で扇風機をつける。短く髪を刈り上げ、ポロシャツと短パン姿の邱は、身ぶり手ぶりで受話器の使い方をこちらに教えてくれる。
  私はまず事件の関与について聞いた。「やっていない。やっていない。共犯とされる人たちに主犯に仕立て上げられた」と激しく否定した。
  傍らでは看守が会話を聞いている。自白した理由については「捜査官に拷問されたためだ。遺族にも認めろと言われた」と説明。死刑への恐怖心について尋ねると「自分はやっていないのだから怖くない。無罪になると信じている」
  ただ、拘置所暮らしで、死刑執行直前の死刑囚から赤い封筒を渡されるのはつらいという。台湾では赤い封筒に餞別を入れ、幸運とお礼の意を込める風習がある。手元の封筒は49枚になった。
  話が家族のことに及ぶと顔を曇らせた。「3年前に父親は失望の中にこの世を去った。85歳の母は自分の無実を信じて面会の度に涙を流している」と言う。
  この日の午前、私は被害者の男児の父、陸晋徳(68)にも会っていた。陸は22年前、逮捕直後の邱に面会した。陸は「邱はその時は事件への関与をはっきりと認め、経緯を30分にわたって話した。話があまりに詳しく、息子が死んだのだと信じざるを得なかった。もう息子はいないんだという思いがこみ上げた」と語った。
  遺体はいまだに発見されていない。陸は「邱はこうやって息子を刺したのだ」と声を荒らげ、全身を使って表現した。死刑存続論に関する米国の研究論文をカバンから取り出し、その理論も紹介してくれた。「犯人の死刑によって遺族のトラウマが消える」と陸は言った。
  これは冤罪なのかどうなのか。邱の22年間と、陸の22年間と。重い荷物を背負った気持ちで拘置所を出た。(杉山正)
■[韓国] 13年間執行なし。存廃なお揺れる
 韓国では金大中(キム・デジュン)政権以降、死刑執行が止まり、一度も執行されないまま13年が経っている。
  国際人権団体は、執行停止から10年の2007年、韓国を「事実上の死刑廃止国」と認定した。
  法律上は死刑制度が存続している。この13年間で、毎年3.6人の死刑判決が確定しているため、死刑囚はどんどん増えている。
  凶悪事件が起きると執行再開の声が高まる。国会に提出された死刑廃止法案は、3件が廃案となった。世論調査では6割以上が死刑を支持していることが背景にある。「事実上の死刑廃止」といっても、「制度上の死刑廃止」までの距離は遠い。
  07年10月、市民団体が主催した「死刑廃止国家宣言式」に、金大中(09年死去)が出席し、「人権運動史上、最も意義深い日だ」と誇った。
  金大中自身、民主化運動で政治犯として死刑判決を受けたことがある。「自分や家族が受けた苦痛は甚大だった。命は神が与えた権利。人間には善と悪の両面がある。犯罪を犯したからといって命を奪い、更生の機会を奪ってはいけない」と訴えた。
  その3年前、04年に死刑廃止法案を国会に提出した元国会議員がいる。
  柳寅泰(62)。柳も、金大中と同様に、民主化運動で死刑判決を受けた。無期懲役に減刑後、恩赦で釈放された。「死刑はもう一つの殺人だ」と信じている。
  柳は、国会議員299人中175人の署名を集めて廃止法案を提出したが、本会議にかけられる前の法制司法委員会にかかったまま廃案となった。
  「委員会には元検事など保守的な法曹関係者が多く、法案が後回しになる。結果、審理未了で廃案になる」と柳は振り返る。
  05年には、国の機関でありながら国家権力からの独立性を保つ国家人権委員会
が、「死刑は過度な刑罰だ。誤判も排除できず、その被害は回復できない」として、死刑廃止を求め国会に意見表明を出した。
  直後から「なぜ犯罪者の人権を保護するのか」といった抗議の電話が相次いだ。その後も凶悪事件が起きるたびに抗議電話は続き、職員の女性は「なぜ意見を出した。自分の家族が被害にあっても廃止を言えるか」と問われたという。
  08年に保守派の李明博(イ・ミョンバク)が大統領に就任した後は、死刑執行が再開されるのでは、との観測が広がっている。
  実際、国家人権委員会は今年3月、法務部(法務省)が死刑執行再開を示唆したとして、改めて死刑廃止の声明を発表した。
  今年2月には、違憲審査をしていた憲法裁判所が、「死刑は合憲」と判断した。
  この裁判の法廷で意見を述べた東国大教授の金浹謙は「残虐な犯罪者を法律が保護する必要はあるのか。命を奪った時には命で報いることで、生命の大切さを社会が認識できる」と死刑の意義を語る。「三審を経て慎重に証拠を調べつくす。今は科学捜査が発達しており、誤判の恐れは現代では説得力のある論拠にならない」とし、冤罪を理由とする廃止論を批判する。
  国論を二分し、存廃論議は続く。
 憲法学者から国会議員に転じた朴宣映は、08年9月、新たに廃止法案を提出し審理開始を待つ。「委員会を通過するのが一番大変だ。国民感情を考えると悲劇的な事件が起きないことが、通過のための大きな要素になる」と語る。
  法制司法委員会の委員で元検事の朴俊宣は「委員会が保守的だという見方も根拠はあるが、一番の理由は、世論で死刑支持が圧倒的に多いこと。それに逆らって通過させるのはなかなかできない」。さらに「凶悪犯がなくなるか、世論が落ち着いたら考え直せる。しかし今、死刑廃止はまだ早い」とみる。(杉山正)
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