2010年10月20日(水)週刊現代 永田町ディープスロート
「全国紙が社説で一ジャーナリストの個人名を出して批判するのは実に珍しい」
メディア批評誌『創』の篠田博之編集長は、「え?」と目を丸くしたという。
天下の朝日新聞にその社説が載ったのは9月19日のこと。
〈市民の力を信じる――。
ごく当たり前の話なのに、それを軽んずる姿勢が、社会的立場の高い人の言動に垣間見えることがある。
裁判員と同じく一般の市民がかかわる検察審査会制度について、(略)ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は新聞のコラムで「"市民目線"と持ち上げられてはいるが、しょせん素人の集団」と書いた〉
この異例の社説には"発端"があった。9月6日付の毎日新聞で鳥越俊太郎氏がこんなコラム(『ニュースの匠』)を書いていたのだ。
〈それにしても小沢氏が代表選出馬を表明した翌朝の新聞各紙の社説見出しはひどかったですねえ。(略)「小沢氏出馬へ あいた口がふさがらない」(朝日新聞)……だって。あいた口がふさがらないのはこっちだよ〉
朝日新聞広報部は本誌取材に対し、「鳥越さんと論戦をしているとは考えておりません」と答えた。
一方、鳥越俊太郎氏はこう話す。
「新聞の社説に名前を出されるなんて、本当にこれが初めて。政治家や財界人などの公的な立場の人ではなく、僕のようなメディアの人間を社説で引き合いに出すなんて前代未聞でしょう。本当にびっくりしました。
僕は、『市民』と名が付けば100%判断が正しいと決めつけるような論調には違和感を感じる。市民だって善良な人もいれば、犯罪を犯す人だっている。『市民は正しい』というテーゼに立ってしまえば、鬼畜米英を信じて行ったあの戦争の是非はどうなるのか。僕は朝日のように市民の力を金科玉条のように信じ切るのは、おかしいと思う」
裁判員制度や検察審査会の仕組みについては、大いなる見識をもって議論されるべきだろう。その議論に、"個人攻撃"など論外だ。大丈夫なのか? 朝日新聞。
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◆ニュースの匠:「市民の力」は正しいか=鳥越俊太郎
大阪地検特捜部をめぐる証拠改ざん事件の報道は、朝日新聞の鮮やかなスクープでした。今回の事件は単に過去の事実が明るみに出たということにとどまらず、今後の検察の捜査やメディアの報道のあり方に影響を与える、それほど強烈なものでした。
その朝日新聞の9月19日付朝刊の社説で私が実名入りで批判の俎上(そじょう)にのせられているのもちょっとした驚きでした。政治家や団体の責任者など公的立場の人間ではなく、メディア関係者とはいえ一民間人の私の名前を取り上げるのは社説の中では異例です。まあ察するに、私が当コラムで取り上げた朝日新聞の社説「あいた口がふさがらない」についてのカラシがちょっと効きすぎたのか、社説子にはお気に召さなかったんでしょうね。
社説の関係部分を引用します。
「市民の力を信じる--。
ごく当たり前の話なのに、それを軽んずる姿勢が、社会的立場の高い人の言動に垣間見えることがある。
裁判員と同じく一般の市民がかかわる検察審査会制度について、小沢一郎氏が『素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか』と述べたのは記憶に新しい。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は新聞のコラムで『“市民目線”と持ち上げられてはいるが、しょせん素人の集団』と書いた」
私は市民の力を信じてはいない。
市民、世論、民衆、大衆--こうした存在こそ、実は一番恐ろしいと思っています。日本という国は“世論”という名の下に、一方向にぶれやすい“文化”を抱え込んでいます。その最たるものが、「一億総火の玉」で突き進んだ日中戦争から太平洋戦争に至るプロセスです。
検察審査会といえども「市民の力」という言葉だけで信じるわけにはいかないのです。正しい市民もいれば、間違いを犯す市民もいる。それをチェックするのが私たちメディアの仕事なのですから。毎日新聞 2010年10月4日 東京朝刊
「全国紙が社説で一ジャーナリストの個人名を出して批判するのは実に珍しい」
メディア批評誌『創』の篠田博之編集長は、「え?」と目を丸くしたという。
天下の朝日新聞にその社説が載ったのは9月19日のこと。
〈市民の力を信じる――。
ごく当たり前の話なのに、それを軽んずる姿勢が、社会的立場の高い人の言動に垣間見えることがある。
裁判員と同じく一般の市民がかかわる検察審査会制度について、(略)ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は新聞のコラムで「"市民目線"と持ち上げられてはいるが、しょせん素人の集団」と書いた〉
この異例の社説には"発端"があった。9月6日付の毎日新聞で鳥越俊太郎氏がこんなコラム(『ニュースの匠』)を書いていたのだ。
〈それにしても小沢氏が代表選出馬を表明した翌朝の新聞各紙の社説見出しはひどかったですねえ。(略)「小沢氏出馬へ あいた口がふさがらない」(朝日新聞)……だって。あいた口がふさがらないのはこっちだよ〉
朝日新聞広報部は本誌取材に対し、「鳥越さんと論戦をしているとは考えておりません」と答えた。
一方、鳥越俊太郎氏はこう話す。
「新聞の社説に名前を出されるなんて、本当にこれが初めて。政治家や財界人などの公的な立場の人ではなく、僕のようなメディアの人間を社説で引き合いに出すなんて前代未聞でしょう。本当にびっくりしました。
僕は、『市民』と名が付けば100%判断が正しいと決めつけるような論調には違和感を感じる。市民だって善良な人もいれば、犯罪を犯す人だっている。『市民は正しい』というテーゼに立ってしまえば、鬼畜米英を信じて行ったあの戦争の是非はどうなるのか。僕は朝日のように市民の力を金科玉条のように信じ切るのは、おかしいと思う」
裁判員制度や検察審査会の仕組みについては、大いなる見識をもって議論されるべきだろう。その議論に、"個人攻撃"など論外だ。大丈夫なのか? 朝日新聞。
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◆ニュースの匠:「市民の力」は正しいか=鳥越俊太郎
大阪地検特捜部をめぐる証拠改ざん事件の報道は、朝日新聞の鮮やかなスクープでした。今回の事件は単に過去の事実が明るみに出たということにとどまらず、今後の検察の捜査やメディアの報道のあり方に影響を与える、それほど強烈なものでした。
その朝日新聞の9月19日付朝刊の社説で私が実名入りで批判の俎上(そじょう)にのせられているのもちょっとした驚きでした。政治家や団体の責任者など公的立場の人間ではなく、メディア関係者とはいえ一民間人の私の名前を取り上げるのは社説の中では異例です。まあ察するに、私が当コラムで取り上げた朝日新聞の社説「あいた口がふさがらない」についてのカラシがちょっと効きすぎたのか、社説子にはお気に召さなかったんでしょうね。
社説の関係部分を引用します。
「市民の力を信じる--。
ごく当たり前の話なのに、それを軽んずる姿勢が、社会的立場の高い人の言動に垣間見えることがある。
裁判員と同じく一般の市民がかかわる検察審査会制度について、小沢一郎氏が『素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか』と述べたのは記憶に新しい。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は新聞のコラムで『“市民目線”と持ち上げられてはいるが、しょせん素人の集団』と書いた」
私は市民の力を信じてはいない。
市民、世論、民衆、大衆--こうした存在こそ、実は一番恐ろしいと思っています。日本という国は“世論”という名の下に、一方向にぶれやすい“文化”を抱え込んでいます。その最たるものが、「一億総火の玉」で突き進んだ日中戦争から太平洋戦争に至るプロセスです。
検察審査会といえども「市民の力」という言葉だけで信じるわけにはいかないのです。正しい市民もいれば、間違いを犯す市民もいる。それをチェックするのが私たちメディアの仕事なのですから。毎日新聞 2010年10月4日 東京朝刊