【日本の議論】最高裁、ネットの中傷「有罪」判断 書き込みに「裏付け」必要…ネット表現の未来は?
産経ニュース2010.3.28 07:00
「あの会社は非合法組織とつながる」-。むしゃくしゃしてネットにそんな書き込みを残すと、どうなるのだろうか。ラーメンチェーン店の運営会社が「カルト集団」と関係があるかのような書き込みを自身のサイトに掲載し、名誉棄損罪に問われた会社員の男(38)の刑事裁判。最高裁は今月15日付の決定で、表現する手段に関係なく、ネット上での書き込みについても名誉棄損が成立する-との初判断を示した。ネット上の誹謗(ひぼう)中傷をめぐっては近年、事件に発展するケースが続発。今回の最高裁の判断は、影響力が強まる一方のネット世界の“匿名性”に警鐘を鳴らしている。(森浩)
「飲食代がカルト集団の収入に」
「FC(フランチャイズ)店を開くときに、自宅を無理矢理担保に入れられる」「飲食代の4~5%がカルト集団の収入になる」-。
内部事情を知る関係者の告発や、業界に精通したジャーナリストのリポートのようだが、そうではない。名誉棄損罪に問われた会社員の男が自身のサイトに書き込んだ文章だ。
他にも男は運営会社の会社説明の広告を引用した上で、「おいおい、まともな企業のふりしてんじゃねえよ。ここまで実態と離れているのは珍しい」などと批判していた。
こうした一連の記載が名誉棄損に当たるとして、東京地検は平成16年、名誉棄損罪で男を在宅起訴した。
1審・東京地裁は20年2月、「ネットは利用者が互いに反論でき、情報の信頼性も低いと受け止められている」と指摘。ネットの信頼性は一般的に低いと受け止められていて、可能な範囲で調査して書き込んでいれば、「名誉棄損には当たらない」との基準を示し、無罪判決を言い渡した。
ネットだからこそ「深刻な被害」
しかし、2審の東京高裁(21年1月)は判断を一転させる。
「ネットで真実ではない書き込みをされた場合、被害は深刻になる。ネットは今後も拡大の一途をたどると思われ、信頼度の向上が要請される」などとして、ネットの影響力を認め、1審の判断を覆して名誉棄損は成立すると判示したのだ。男側は「判決による表現の萎縮(いしゅく)効果は甚だしく大きい」と逆転有罪判決に反発し、上告した。
「信頼性が低い」ネット上では言いたい放題が可能なのか-。
発信者の匿名性から、過激になりがちな表現について、最高裁の判断に注目が集まった。
最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は今月15日付の決定で、「個人がネットに掲載したからといって、閲覧者が信頼性の低い情報と受け取るとは限らず、ほかの表現手段と区別する根拠はない」と指摘。
その上で「不特定多数が瞬時に閲覧でき、名誉棄損の被害が深刻になり得る。ネット上での反論で被害回復が図られる保証もない」と、被害の深刻さに言及した。
男の記述については、別のサイトを参考にするなどしたが、「(参考にした資料は)一方的立場から作成されたにすぎないものもある。会社関係者への事実確認も一切なかった」と、いわば“取材不足”と断定。高裁の判決を支持して男の上告を棄却した。
「あんた殺人犯、死ねば」…書き込みは事実無根
最高裁がネットの書き込みで名誉棄損が成立するかどうかについて、判断を示したのは初めてだ。ネットでの記述をめぐってはトラブルが絶えず、捜査当局が事件化することは「日常茶飯事」だ。
お笑い芸人のスマイリーキクチさんのブログに「殺人犯」などと悪質な書き込みをしたとして警視庁捜査1課は21年3月、名誉棄損などの疑いで、埼玉県戸田市の会社員の男=当時(36)=ら男女6人を書類送検した。
ブログに「殺人事件関係者と思われる人物」「あんた殺人犯、死ねば」などと、殺人事件に関与したかのような事実無根の中傷で名誉を棄損したり、「生きる資格ない。パンチくらわす」などと脅迫したりする書き込みをした疑いだ。
ブログには数百件の悪質な書き込みが殺到。スマイリーキクチさんは「家族らに不安な思いをさせる」として被害届を出していた。
問題となるのは虚偽の書き込みだけとはかぎらない。
18年10月、家族問題などに詳しい評論家、池内ひろ美さんを脅迫する文章をインターネットの掲示板「2ちゃんねる」に書き込み、講演会を中止させたとして、脅迫と威力業務妨害の罪に問われた会社員(45)に、東京地裁は懲役1年執行猶予4年(求刑懲役1年6月)の判決を下した。
書き込みは「教室に灯油をぶちまき、火をつければ あっさり終了」という過激なもの。法廷で会社員側は「書き込みは客観的な意見を述べただけで脅迫には当たらない」などと無罪を主張したが、脅迫罪の成立が認定された。
この1年ほどの間でも、取引先銀行の支店長が女性行員と不倫をしていると虚偽の書き込みをしたとして大学事務職員の男が逮捕(今年1月)▽前原誠司国土交通相の殺害を予告する書き込みをしたとして無職の男(20)が逮捕(昨年10月)▽ブログでタレントを中傷した容疑で番組制作会社の社員を逮捕(昨年6月)-など、中傷や「殺害予告」での逮捕者は減る気配がない。
追い切れぬIPアドレス…ネットカフェ対策急務
こうした中傷を後押しするのは、インターネットの匿名性だが、まったく本人を特定できないかといえばそうではない。捜査の端緒となるのはほとんどの場合、ネット上の“住所”を示す「IPアドレス」だ。
スマイリーさんの事件の場合、警視庁は書き込みに残されたアドレスからプロバイダーや携帯電話会社を特定し、履歴の情報開示を受けて個人にたどりついた。
プロバイダー側は「通信の秘密」を理由に情報開示に消極的だったが、殺人や爆破予告の社会問題化に伴って捜査当局に協力。14年にはプロバイダー責任制限法が施行され、被害者個人がプロバイダーに情報開示を求めることも可能となった。
しかしIPアドレスは個人が持つものではなく、パソコンや通信機器1台1台に割り振られた番号だ。警視庁の捜査員は「ネットカフェからの書き込みの場合、書き込みが行われたパソコンは特定できても、書き込んだ人物の特定は困難だ」とあきらめ顔だ。
こうした現状を受け、都は18日、ネットカフェの匿名性を悪用した犯罪防止を目的とするネット端末利用営業の規制条例案が可決された。条例案はネットカフェなどに利用者の本人確認などを義務付けるもので、罰則も設けている。「まだ都だけだが、ネットカフェでの本人確認が広がれば、IPアドレスに次ぐ書き込み者特定の武器となる」(警視庁捜査員)。
「匿名世界」から、本人を割り出すことは難しいことではなくなりつつあるようだ。
ネットは「仮想空間」でなく「現実世界」
法務省によると、平成20年中にネット上の人権侵犯事件として救済手続きを開始した件数は515件。このうち名誉棄損事案が176件、プライバシー侵害事案が238件で、この両事案で全体の8割を超える。
ネットに詳しいジャーナリストの藤代裕之さんは今回の最高裁の判断について、「ネットの影響力が高まったということが、司法の場で明確になった」と位置づける。
ただ「ネットは仮想空間ではなく現実世界。影響力が強まったということは、これまで看過された書き込みも見逃されなくなるということ」と指摘。「ユーザー自身がそのことを理解してネットを使っていかないと、結果的に規制が強化されることになる。それは利用者の望むことではないだろう」と、一部の行き過ぎた利用者に対し警鐘を鳴らす。
ネット上の表現について詳しい甲南大法科大学院の園田寿教授(刑法)は「ネット上には一方的な中傷と、お互いがやりとりをする中で激高して一線を越えてしまって発生する中傷がある。今回の裁判では、どちらかといえば後者であるように感じる」と見る。
ただそれでも藤代さんと同様、「ネットにおいても現実のルールが適用されることは当たり前。利用者はそのまず当たり前のことを認識することから始めなくてはならない」と注意を呼びかけている。