〈来栖の独白〉
『カトリック大阪教会管区問題活動センターたより』に続いて『カトリック問題委員会ニュースレター』が届いた。中央協議会司教委員会の問題委員会が東京中央協へ移って以来、大阪からと、二箇所から届けられるようになった(溜息)。
大阪Sr.Rさんのほうからのニュースレターに、カトリック典礼聖歌400番「ちいさな ひとびとの」が取り上げられていた。
ある養護施設で ----
この歌を示しながら「『みなしごたちは さみしく すてられたひとに とも(友)がない』これって、ぼくらのこと 言ってるんかあ? なあ、神父さん、これっておかしいよなあ」と施設長である神父に詰め寄る中学生の男子。
「小さな人々の ひとりひとりを 見守ろう」と歌うこの歌。貧しく小さくされた人々とは、社会の構造悪の犠牲者でもある。その人たちを弱く劣ったもののように上から見下ろし「見守ろう」と歌う。彼らを「見守られる存在」と位置づける。安倍ちゃんは「再チャレンジ」というが、チャレンジの条件は何一つ整っていない。
そういえば、十年以上も前、私が拘置所へ行っていることを知って、私の所属する教会の人が、教会の活動項目の一つとして「拘置所慰問」と登録したことがあった。驚いた。断じて慰問などではなかったし、教会などとは無縁の行動で、登録される覚えもない。不快だった。
私は小教区・早ミサ(主に修道院のシスターたちが与る)のオルガン弾きで、選曲も任されているが、この歌、というより、この歌を無神経に歌える信徒たちに、違和感を抱き、それに耐えられず、だんだんとこの曲を選曲しなくなった。