「木曽川・長良川リンチ殺人事件」実名報道=更生を全否定 越えてはならない一線を越えた 2011.3.10

2011-03-10 | 死刑/重刑/生命犯

〈来栖の独白 2011.3.10 〉
 テレビ報道に、耳目を疑った。元少年被告3人の実名が、音声とテロップで流されたからだ。少年時代のものと思われる写真も。
 アナウンサー氏は「社会復帰して更生する可能性が事実上なくなったと考えられることなどから、実名で報道しました」と、ことわりを入れた。
 人間に対し、「更生する可能性が事実上なくなった」と誰が断言できるか。
 上告棄却に続けて、メディアも裁判所(或いは執行官)となって「更生」を全否定、越えてはならない一線を越えた。
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4人殺害 元少年ら死刑確定へ
 NHK 3月10日 16時32分 
 平成6年、大阪、愛知、岐阜で若い男性4人に暴行を加えて殺害したとして強盗殺人などの罪に問われた当時18歳から19歳の元少年3人について、最高裁判所は「わずか11日間に4人の命を次々に奪った刑事責任は誠に重く、犯行当時少年だったとしても死刑はやむをえない」として、上告を退ける判決を言い渡しました。これによって、元少年3人全員の死刑が確定することになりました。
 この事件は、平成6年9月から10月にかけて、大阪市の路上と愛知県の木曽川、それに岐阜県の長良川の河川敷で、若い男性4人が少年グループから暴行を受けて殺害されたものです。愛知県出身で当時19歳だった小林正人被告(35)、大阪出身で当時19歳だった小森淳被告(35)、それに同じく大阪出身で当時18歳だった芳我匡由被告(35)の3人が強盗殺人などの罪に問われました。1審は、小林被告が中心的な役割だったとして死刑を言い渡し、小森被告と芳我被告は無期懲役としましたが、2審は「3人の役割に大きな差はない」として3人に死刑を言い渡し、被告側が上告していました。10日の判決で、最高裁判所第1小法廷の櫻井龍子裁判長は「ボウリング場などでたまたま顔を合わせた被害者らを金を奪う目的などで連れ去り、無抵抗の被害者に集団で長時間にわたって暴行を加えた残虐な犯行で、わずか11日間に19歳から26歳までの4人の命を次々に奪った刑事責任は誠に重い」と指摘しました。そのうえで、「遺族に謝罪の手紙を送っていることや、犯行当時少年だったことなど酌むべき事情を最大限考慮しても、死刑はやむをえない」と述べて、上告を退けました。これによって、3人の死刑が確定することになりました。犯行当時少年だった被告の死刑が確定するのは、平成13年に確定した千葉県市川市の一家4人殺害事件以来です。最高裁判所によりますと、1つの事件で複数の元少年の死刑が確定するのは、記録が残っている昭和41年以降、初めてです。
 (おことわり)NHKは、少年事件については、立ち直りを重視する少年法の趣旨に沿って、原則、匿名で報道しています。今回の事件は、4人が次々に殺害されるという凶悪で重大な犯罪で社会の関心が高いことや、元少年らの死刑が確定することになり、社会復帰して更生する可能性が事実上なくなったと考えられることなどから、実名で報道しました。
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元少年3人死刑確定へ 4人連続リンチ殺人で最高裁判決
 中国新聞 '11/3/11
 ◆お断り◆
 連続リンチ殺人事件の被告3人は事件当時、いずれも未成年だったため匿名で報じてきましたが、全員の死刑が確定することから実名に切り替えます。
 少年法が実名報道を禁じる趣旨である更生、社会復帰に配慮する必要がなくなり、上告審判決に対する訂正申し立てでも量刑が覆ったケースはないためです。
  大阪、愛知、岐阜の3府県で1994年、11日間に男性4人が殺害された連続リンチ殺人事件の上告審判決で、最高裁第1小法廷は10日、強盗殺人などの罪に問われ、二審で死刑とされた当時18~19歳の元少年3人の上告を棄却した。3人全員の死刑が確定する。
  桜井龍子(さくらい・りゅうこ)裁判長は判決理由で「4人の生命を奪った結果は誠に重大で遺族の被害感情も厳しく、社会に与えた影響も大きい。少年だったことなどの事情を最大限考慮しても死刑はやむを得ない」と述べた。
  桜井裁判長ら裁判官5人全員一致の意見。
  最高裁に記録が残る66年以降、少年事件で一度に複数の被告の死刑が確定するのは初めて
  最高裁が死刑適用基準(永山基準)を示した83年以降、犯行時少年の死刑が確定した事件は、故永山則夫元死刑囚(97年執行)の連続4人射殺事件と、92年に千葉県市川市で起きた一家4人殺害事件に続き3例目となった。
  3人は一、二審とも死刑の小林正人(こばやし・まさと)被告、一審は無期懲役だった小森淳(こもり・あつし)、芳我匡由(はが・まさよし)両被告で、いずれも現在35歳。2月に開かれた上告審弁論ではそれぞれの弁護側が「犯行時は少年で、更生が期待できる」と死刑回避を求めたが、判決は更生可能性について具体的に言及しなかった。
  判決は「いずれも無抵抗の被害者に集団で強度の暴行を長時間加え、被害者の処置に困って殺害したもので、理不尽な動機に酌量の余地はない」として「わずか11日間で犯行を重ね、態様も文字通りなぶり殺しというべき凄惨せいさんで執拗かつ残虐だ」と指摘した。
  一審名古屋地裁判決(2001年7月)が量刑を分ける主な根拠とした3人の役割について「小林被告が最も中心的役割を果たしたが、ほか2人も従属的とはいえない」と判断。
  二審名古屋高裁判決(05年10月)は「小林被告が最も中心的で際立って重要な役割を果たした」としながら、小森、芳我両被告も「刑の選択を分けるべき差異はない」として全員を死刑としていた。
  *強調(太字・着色)は来栖
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「愚かさ悔やむ」「死刑怖い」=判決に不満も―拘置所の元少年3人
 時事ドットコム 2011年03月10日
 死刑が確定する元少年3人は最高裁判決を前に、拘置所での接見や手紙を通じて時事通信の取材に応じた。いずれも事件の反省と遺族への謝罪の言葉を連ねる一方、二審の死刑判決への不満も漏らした。
 当時19歳の小林正人被告(35)は接見で、「やってはいけなかった事件。簡単に言葉で表したくはないが、反省している」と振り返った。遺族に対しては「口で言うだけではあかん。申し訳ないと思うだけでは足りない」。弁護人によると、毎年の命日と盆に謝罪の手紙を送っている。
 「通り魔的犯行と言われているが、要はけんかだった」と判決の事実認定に不満を述べたが、「正しい認定なら死刑になっても仕方ない」とも。未成年だったことが判決で考慮されるべきかとの問いに、「そういう気持ちはある。成人で一般的な価値観を持っている人たちを敵だと思って生きてきたから。子供のころからずっとそう思っていた」と話した。
 当時19歳だった小森淳被告(35)は手紙を寄せ、「人間として最も犯してはいけない大罪を犯してしまった。自分の愚かさを悔やむばかりです」とつづった。
 遺族には「ただただ申し訳ない気持ちでいっぱい」と謝罪。これまでに手紙や拘置所内の作業で得た現金を送り、一部の遺族とは面会も果たした。被害者の冥福を祈り、写経を続けているという。
 無期懲役が破棄された二審の死刑判決には、「仕方ないとは思うが、事実認定には納得できない」と不服も。「最高裁で事実に沿った裁きが行われることで、罪のあがないを生涯させていただきたい」とした上で、「死刑は率直なところ怖いです」と心境を明かした。(続) [時事通信社]


 凶悪犯罪とは何か1~4 【1】3元少年に死刑判決が出た木曽川・長良川事件高裁判決『2006 年報・死刑廃止』 

加藤幸雄(かとうさちお)日本福祉大学
平川宗信(ひらかわむねのぶ)中京大学
村上満宏(むらかみみちひろ)弁護士
安田好弘(やすだよしひろ)弁護士、FORUM 90

1、 3人の元少年に死刑判決が出た木曽川・長良川事件高裁判決
 司会 昨2005年10月14日に木曽川・長良川事件という少年による事件の控訴審判決がありました。01年の名古屋地裁判決では1人死刑、2人無期判決だったのが高裁では3人とも死刑判決が出て非常に驚いたのですが、この弁護人だった村上さんからこの事件について話していただけませんか。
 村上 名古屋の事件というのは、いわゆる木曽川・長良川事件といわれるリンチ殺傷事件(1994年)で、19歳前後の少年たちが、大阪で1人の若者を死に至らしめ、その後愛知に移って、愛知の木曽川で、1人の若者を死に至らしめ、そして長良川河川敷で2人の若者を死に至らしめた事件であります。
 その前に、名古屋では大高緑地アベック殺人事件(1988年)というのがあり、当時、少年または少女たちによる凶悪犯罪として大きく報道され、それに続くものとして、この木曽川・長良川事件が起きましたので、名古屋では相当衝撃的な事件として報道されていたわけです。
 この事件は、少年たちが出会って集団になってから20日前後から1ヵ月半程度しか経っていない段階でこの犯罪が起きているというのが特徴的です。
 この木曽川・長良川事件は、1審で1人が死刑で、2人が無期となりました。そして、そこで、死刑と無期に分かれた論理は、主犯格か従属的な立場だったかが主な形で区別されたわけです。その後、控訴され、検察官は3人ともに死刑を求刑し、名古屋高裁におきまして3人とも死刑判決が下されたのです。
 裁判をやっていくなかで、私が一番感じたことですが、この木曽川・長良川事件以外の他の事件の中で被害者の方の意見陳述という制度が導入されてきまして、被害者感情が裁判にそのまま導入されてきているなぁというイメージがありました。でもそれは、犯罪事実の認定だとかそういうことには影響しないと言っているんですけれども、被害者遺族が被害感情を強く法廷で言うことによって、裁判官は、被告人にとって一番シビアな犯罪事実の認定を選ぶというような効果があるのではないかという危惧感をもっておりました。
 当時、この木曽川・長良川事件で自分が担当している被告人に対して死刑判決はないと確信しておりました。証拠調べが終わった最後に、4人の遺族の代表的な方が、被害者意見陳述で痛烈に被告人3人を非難しました。そこでは、死刑という言葉は使われてはいません。ただ、この3人は絶対許せないという形で、法廷にそのままの形で感情が入ってきました。そのときに、この被害者意見陳述が裁判所にどういう影響を与えるんだろうと危惧感を感じました。実際、判決を聞いたときに、被害者意見陳述の内容がそのまま判決の構成になっているというのを感じました。つまりその被害者遺族の方は、1審から2審までずっと法廷を傍聴していて、かたや裁判官は1審と2審で変わりますので、ずっと法廷を傍聴している被害者遺族のおっしゃられることが非常に重いものになる。その状況の中で被害者意見陳述という形でその被害者の方が、この3人は絶対許せない、そしてその根拠を、裁判の中での事実認定を引用しながらお話しをされますと、裁判官の心証に強烈に影響を与えないわけがないと思われるんですね。後から判決を見たときも、ほとんど同じじゃないかというのを感じました。
 その後、僕はいろんな大学で学者の先生とお話しする機会がありまして、裁判実務では、被害者の意見陳述というのは死刑にとって大きな影響を与えるんだということを話させていただきました。実務をわかってらっしゃる学者の方はそれはそうだとおっしゃってくれるんですけれど、そうではない学者の方たちは、死刑か無期かという量刑を判断するときに被害者の意見は、量刑を根拠づける理論的なものはそれほどないはずだとおっしゃっていました。でも、いま実務では非常に被害者意見陳述というのは怖い、被害者の感情は怖いと、それを私が肌で体験したのがこの木曽川・長良川事件だったわけです。

2、 光市事件最高裁判決の踏み出したもの
安田 木曽川・長良川事件の1審判決はかなり杜撰だったけれども、事件をそれなりに見ようとする態度が見られたと思います。というのは、木曽川の事件については殺人罪を認定しなかった。裁判所は、子供たちの曖昧模糊とした意思とバラバラな意思疎通の中で、解決策も歯止めもないまま事態だけがどんどん悪い方向に進行していくという事案の実相をそれなりに見ていたんだろうと思うんです。しかし、それにもかかわらず一人だけを死刑にしたというのは、やっぱりあの被害者の数との関係で、ものすごい政策的な辻褄合わせをしたんだろうと思うんです。ですからあの判決はたいへん中途半端な判決で、それが、高裁につけいるスキを与えてしまったんだと思います。検察官にとっては大変批判しやすかったんだと思うんです。
 高裁は、それぞれの子供たちが細胞としては別々かも知れないけれど、3つ、4つ集まってからまると1つの生物となるとでも考えたのか、3人をまとめて故意を認定し、それをテコに3人を死刑にしてしまうという、ものすごく荒っぽいことをしてしまいました。あの判決のどこを読んだって、法適用の厳粛さ、つまり3人に死刑を適用しなければならない必然性は出てこない。もちろん、熟慮の痕跡などもまったくない。ましてや教訓的でもない。単なる決算書とほとんど変わらないような中身だったですね。僕は、あれを見てやはり司法の危機というのをすごく感じたわけです。
 それに比べ、アベック殺人の高裁のときは、裁判官は悩んだですね。思いっきり悩んで、しかも、子供たちを死刑にするのは自分たちとして、大人たちの社会として許されるだろうかという問いかけがその中にありましたね。苦渋の選択が判決の中から読みとれたけど、今回ははっきり申し上げて何一つなかったわけです。真面目さが欠如していますね。
 それは司法そのものが、裁判官も含めてですけれど、思想とか哲学とかそういうものを持ってこなかったことの結果だろうと思います。すでに司法のメルトダウン現象が起こっているんですね。それはどういうことかというと、司法が担うべき役割、その重要な要員である裁判官・弁護士・検察官が、自分たちが果たすべき職責を完全に忘れてしまって、一般世論、あるいはメディアと完全にシンクロしてしまっているんですね。それは、時の権力や勢力に一切支配や影響をうけることなく、超然として、法にのみ支配されてその職責を遂行する、つまり、刑事司法の場面では、違法捜査を抑止し、事実を徹底して解明し、有罪の場合はなぜこのような事件が起こったのかというところまで事案を掘りさげ、公正に刑を量定すると同時に今後、被告人が生きていくすべを指し示す、そういう職責を司法は担っているんですね。ところが、このような職責を全部放棄して、世間相場で物事を見切って事件を処理してきた。司法のメルトダウン現象は、司法全体の怠慢の必然的な結果なんだろうと思います。
 木曽川・長良川の事件の判決は光市の事件の判決と軌を一にしていますね。それは、事実解明の努力の欠如と世論への徹底した迎合です。それで、凶悪ということが今日のテーマになっているんですけど、僕は凶悪とは、見る人のイメージがそのまま反映されて凶悪という表現をとっているものであって、結局、自己の価値観というか自己の傾向をそのまま表現したものだと思うんですね。マスコミは、いろいろな事実がある中で、視聴者や読者の凶悪のイメージと合致する事実だけをつまみあげて強調していく。捜査官も検察官もそうだと思うんですよ。数ある事実の中で被告人が有罪だという事実と凶悪だという事実だけを取り上げて事件を構成していく。時には事実をねつ造したりします。そして弁護人も裁判所もまったくそれに汚染されてしまって、何らそれに抗するだけのものを持っていない。ですから、よってたかってみんながこれでもか、これでもかと、被告人に凶悪というイメージを叩きつけていく。叩きつけるのは事実ではなくイメージなんですね。もはや司法はリンチの世界になってしまっていると思いますよ。
 有罪・無罪だけでなく、量刑も被告人にとって重大なことです。ましてや、死刑か否かは決定的です。平川先生がいらっしゃるので僕は苦言を呈したいんですけど、被害者感情が刑の重さを決める上でどういう位置を占めるのか、あるいはどういう位置を占めるべきかということについて、刑法学の中で、まったく議論がされてこなかったんですね。犯罪の成立とかそういうことについては、熱心に議論がなされてきた。そして、それが刑が無限定に拡大していくことへの歯止めになってきた。しかし、被害者感情についての議論は皆無なんですね。そういう中にあって、被害者の意見陳述や被害者の訴訟参加など、被害者感情が一気に刑事司法になだれ込んでこようとしている。今のままでは、量刑だけでなく犯罪の成否についても、被害者感情に支配されるという刑事司法の総崩れ現象が起こるのではないかと危惧しています。現に、光市の事件では、最高裁をはじめ、1,2審も、全て量刑の議論だけに終始し、事実の解明がまったくなおざりにされているんです。
 本来、司法は冷静で、客観的で、そして理性的でなければならない。司法の誕生は、政治的思惑や私的制裁あるいは被害者感情からの分化の歴史だったと思うんですよ。ところが司法の側にこれを守りきるだけの力がないから、その垣根が総崩れになっている。司法は時の政権におもねり、世論や感情に同調し、もう手がつけられない状態になっている。弁護士、検察、裁判所、司法全体の暴走状態が始まっているという気がするんです。木曽川・長良川の高裁判決、光市の最高裁判決は、そのはしりだと思うんです。
平川 今まで刑法学が量刑の問題をやってきていないではないかというご批判は、その通りだと思います。今までの刑法学は、犯罪成立要件、いわゆる犯罪論のところばかりやってきた。量刑の問題は、刑法学の隅っこで、ほんのわずかしかやられてきていないということは、おっしゃる通りです。そして、量刑の理論的研究と実際の量刑問題が、なかなか結びついてこない。一方でいわゆる量刑相場の分析が行われ、それとは別のところで量刑責任論などの形でまったく理論的な研究がされていて、両者が結びついていない。理論と実際の量刑を結びつけるような量刑理論がなければいけないのですが、実際の量刑の場面で有効性を持つような研究がないことは、おっしゃるとおりです。最近は、量刑研究も徐々に進みつつありますが、まだまだこれからの課題です。そういう意味では、刑法研究者は怠慢だったし、今でも怠慢だろうと思います。
安田 平川先生を非難しているわけじゃなくて(笑)
平川 それから、裁判所が悩まなくなっているということは、最近の判決を見ていると、私もそう感じます。しばらく前までの判決は、それなりに悩んだ形跡がうかがえるようなものが多かったと思います。
 永山判決がその後の判決の流れを作っているわけですが、あれも、よく読んでみると、それなりに悩んでいますね。しかし、最近は、永山判決の悩みのようなところもすっ飛ばして、永山判決に挙げられている基準だけを形式的な一覧表にして、それにポコポコあてはめて結論の正当化の理由にしているような判決が少なくないように感じます。中には、永山判決に依拠した場合に本当にこういう結論になるんですか、と言いたくなるようなものもある。今回の光市事件の判決もそうですが、判決文をよく読んでみると、実質的には永山判決の基準の変更になっているのではないか、少なくとも永山判決はそういうことを言っていないのではないかという気がするのです。最高裁は、そこまで来てしまっているということだと思います。
 私は、この背後には、裁判員制度が影を落としているように思います。裁判員制度になれば、一般の人たちの処罰感情が量刑にもろに反映していく可能性があるわけです。どうせそうなるのだから、ここで自分たちが頑張ってもはじまらないというような意識が、裁判官の中に生まれはじめているのかなと思うのです。
 しかし、むしろ、この際、裁判員制度をにらみながら、量刑はどうあるべきかをもう一度きちんと考えなおして、裁判や判決の中できちんと押さえておくことが必要だと思います。そうでないと、裁判員制度になったら本当に量刑が一般の人の処罰感情に流されていってしまうのではないか、という危惧があります。
村上 裁判員の問題については、確かに一般の人々の感情がもろに裁判に反映されるという部分もありますし、逆に裁判員の市民の方が裁判に参加されることによって、死刑というものを判断することが非常に勇気のいることであり、むしろ市民の人たちも躊躇するかもしれないという見方も一方ではあるわけですね。そういう場合に、今回の光市の判決はある意味では先頭に立って、こういう時はこうするんだというのを国民みんなに知らしめたという役割があるんだとおっしゃる弁護士もいます。
安田 僕も全く同じ考えを持っています。光市の最高裁判決は、永山判決を踏襲したと述べていますが、内容は、全く違うんですね。永山判決には、死刑に対する基本的な考え方が書き込んであるわけです。死刑は、原則として避けるべきであって、考えられるあらゆる要素を斟酌しても死刑の選択しかない場合だけ許されるんだという理念がそこに書いてあるわけです。それは、永山第一次控訴審の船田判決が打ち出した理念、つまり、如何なる裁判所にあっても死刑を選択するであろう場合にのみ死刑の適用は許されるという理念を超える判決を書きたかったんだろうと思うんです。実際は超えていないと私は思っていますけどね。でも、そういう意気込みを見て取ることができるんです。ところが今回の最高裁判決を見てくると、とにかく死刑だ、これを無期にするためには、それなりの理由がなければならないと。永山判決と論理が逆転しているんですね。それを見てくると、村上さんがおっしゃった通りで、今後の裁判員に対しての指針を示した。まず、2人殺害した場合にはこれは死刑だよ、これをあなた方が無期にするんだったらそれなりの正当性、合理性がなければならないよ、しかもそれは特別な合理性がなければならない、ということを打ち出したんだと思います。具体的には、この考え方を下級審の裁判官が裁判員に対し説諭するんでしょうし、無期が妥当だとする裁判員は、どうして無期であるのかについてその理由を説明しなければならない羽目に陥ることになると思います。
 ですから今回の最高裁判決は、すごく政策的な判決だったと思います。世論の反発を受ければ裁判員制度への協力が得られなくなる。だから、世論に迎合して死刑判決を出す。他方で、死刑の適用の可否を裁判員の自由な判断に任せるとなると、裁判員が死刑の適用を躊躇する方向に流されかねない。それで、これに歯止めをかける論理が必要である。そのために、永山判決を逆転させて、死刑を無期にするためには、それ相応の特別の理由が必要であるという基準を打ち出したんだと思います。このように、死刑の適用の是非を、こういう政策的な問題にしてしまうこと自体、最高裁そのものが質的に堕落してしまったというか、機能不全現象を起こしているんですね。ですから第三小法廷の裁判官たちは、被告人を死刑か無期か翻弄することについて、おそらく、何らの精神的な痛痒さえ感じることなく、もっぱら、政治的な必要性、思惑と言っていいのでしょうが、そのようなことから無期を死刑にひっくり返したんだと思います。悪口ばっかりになってしまうんですけど。

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  「正義のかたち:死刑・日米家族の選択/2 遺族と被告、拘置所で面会」
  
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 国家と死刑と戦争と 【1】弁護士・FORUM 90 安田好弘 『2007 年報・死刑廃止』(インパクト出版会)

 例えば木村修治さんの場合ですと、判決の直前に、最高裁の知らないうちに戸籍を変える。判決に戸籍は必須ですから、その戸籍を間違えさせたわけです。あるいは判決の日は10時から裁判が始まったわけですが、9時55分に最高裁の窓口に裁判官忌避の申立を持ち込んだんです。忌避の申立というのはあらゆる事項に対して優先的に判断しなければならないわけですから、それを見落として裁判をする可能性に賭けたわけです。最高裁の窓口は1階にあります。法廷はそこよりもかなり離れたところにあります。ですから5分前に忌避を申し立てたら知らないまま判決を宣告してしまう。そうすると重大な手続き違反ですから、判決そのものが無効になって、もう1度争うことができると私たちは考えたわけです。いわゆるウルトラCを使おうとしたわけで、これは江頭純二さんたち当時一緒に闘っていた人に知れ渡るとどこにどう伝わってしまうか分からないと思ったものですから、私たちは弁護人だけでそれを伏せていたわけです。ところがそれと連携せずに、とにかく判決を阻止しようということで法廷が10時に始まると同時に江頭さんたちが法廷で騒いだんですね。ですから法廷は混乱して裁判は10時にスタートしなかった。その間に私たちの忌避申立が届いた。こういうふうな、他の人たちから言わせればダーティーなやり方をとってでもこれを阻止しようとやってきたわけです。
 あるいは判決が出ても判決訂正の申立をする。今では当たり前になりましたけれど、当時は判決訂正の申立という手続きがあること自体、弁護人さえ知らなかったわけです。訂正の申立を出す。申立の補充書も毎日くらい出す。しかも最後に「続く」と書いて、次に続くといいながらも出さない。あるいは全く違うことを書いて、突拍子もなく驚かせるとか、いろんなことをやってきました。再々補充書なんて、再が7つくらい付くまで出しました。そういうことをやっても、やはり判決はとうとう確定させられてしまったのです。

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中日春秋
2011年3月11日 中日新聞
 十八世紀、米バージニア州のある町に、ウイリアム・リンチ大佐なる人物が私設法廷をつくった。彼の仲間たちは、無法者がいると聞くや自分たちで捕らえ、勝手な裁判でしばしば絞首刑にした▼それを雑誌に書き、世に知らしめたのは作家エドガー・アラン・ポーだったという(宮本倫好著『英語・語源辞典』)。そこから大佐の名が「法によらない私刑、特に死刑」や「集団による制裁」を指す言葉になったともされる▼一九九四年、大阪、愛知、岐阜の三府県で、少年グループが、四人の男性を次々に殺害した事件は、その態様から「連続リンチ殺人事件」と呼ばれる。その事件の最高裁判断で昨日、三人の被告の刑が確定した▼リンチ大佐の私刑とは違い、被害者には何ら落ち度がなく、被告らこそが無法者だった。だが、犯行当時は少年…。判決も揺れたが、名古屋高裁、最高裁がともに「なぶり殺し」と表現した残虐で非道なリンチへの刑罰は結局、「法による死刑」だった▼事件から十六年余。「死刑」確定に「ずっと頭に描いてきた二文字」と語った遺族の気持ちは痛いほど分かる。一方、被告の一人との交流で、更生の可能性を見いだし、助命の嘆願までしていた遺族が、この結果に「力不足だった」と語ったと聞けば、胸が詰まる▼「法による死刑」をはさむ二つの言葉。その間で思いが引き裂かれる。
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1 コメント

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Unknown (Piichan)
2012-02-20 23:59:35
光市母子殺人事件の死刑が確定してまたしてもマスコミはもと少年の被告人の実名を報道したわけですが、3月10日とは東北地方太平洋沖地震の前日だったわけで、日弁連会長の声明がでたにもかかわらず地震と福島第一原発事故で実名報道の是非がほとんど議論されなかったのはおしいです。
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