「桐島聡」名乗る男が死亡…真相明かすことなく 約40年暮らした藤沢市のバーで「うーやん」と親しまれていた
2024年1月29日 20時43分
1974〜75年に起きた連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者(70)を名乗る男が29日、入院先の神奈川県鎌倉市の病院で死亡した。捜査関係者への取材で分かった。末期の胃がんで、重篤な状態だった。
◆工務店で働き、給料は現金で
警視庁公安部はDNA型鑑定で男の身元確認を急いでいる。男が本人と確認されれば容疑者死亡のまま書類送検する方針で、50年近い逃亡生活の全容解明は難しくなる。
捜査関係者によると、男は「内田洋(うちだひろし)」と名乗り、80年代から神奈川県藤沢市の工務店で住み込みで働いていた。金融機関の口座を持っておらず、給料は現金で受け取っていた。事件後の海外への渡航歴は確認されていないという。
1年ほど前から胃がんを患い、今月入院。免許証や健康保険証は持っておらず、自費で診療を受けていた。入院当初は内田を名乗っていたが、25日に突然、「私は桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」と病院関係者に伝えた。
公安部が25日から任意で事情を聴いたところ、桐島容疑者しか知り得ない話をしていたという。
桐島容疑者は、過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、組織内の「さそり」というグループに所属していた。組織は海外進出した企業を標的に、8人が死亡した三菱重工ビル事件など爆破事件を次々と起こした。桐島容疑者は75年4月に東京・銀座の韓国産業経済研究所を手製爆弾で爆発させたとする容疑で、翌月指名手配された。
◆音楽好きの一面…驚く地元バー関係者
「桐島聡」の死亡で事件の真相解明が遠のき、警視庁幹部らは一様に「残念だ」と口にした。神奈川県藤沢市で暮らしていた「内田洋」は、周囲から音楽好きで知られていた。胃がんを患い、「桐島聡」と名乗った4日後に命を落とした。
交番の脇に張られた桐島聡の指名手配ポスター=東京都中央区
「本人だとしたらどうやって49年も逃げたのか、支援者はいたのか、聴きたいことだらけだった」。公安部幹部は、男の病状が深刻で満足に聴取できなかったことを残念がった。別の幹部は「全容解明に向け、大きく動き始めると期待していたが…」とつぶやいた。
約40年前から生活していた藤沢市で男は月1回程度、音楽好きが集まるバーに顔を出していた。
バーのオーナーの男性(66)は「1960〜70年代のロックやブルースが好きで、店でライブをする時は『イェイ、イェイ』と体を揺らして盛り上げてくれた」と振り返る。
20年ほど前から1人で店に通うようになり、店員や客からは「うっちー」と親しまれていた。だが、数年前から姿が見えなくなったという。桐島容疑者を突然名乗ったことに「本当にびっくりした」と話した。
市内の別のバーでは「うーやん」と呼ばれており、週1〜2回来店しては赤ワインを好んで飲んでいた。20年ほど前には、夏に店が主催する70〜80人規模のバーベキューにも毎年のように参加していたが、最近は店にも来ていなかった。容疑者の指名手配写真が貼られている近所の銭湯にも、たびたび通っていたという。
バーの男性店主(63)は報道後、友人から「うーやんじゃない?」と言われ、「確かに目元が似ている」と思ったという。死亡を受け「愛されキャラだった。悲しくて涙が出た」と語った。
男が死亡した29日朝、入院していた鎌倉市の病院周辺は多くの報道陣が集まった。近くの70代男性は「本当に容疑者であるのならば、もっと早く名乗り出て被害者側に謝罪すべきだった」と話した。 (山田雄之、浜崎陽介)
◆「わびるために名乗ったと言ってほしかった」と被害者の家族
「もし本当に本人だったとしたら、『事件をわびるために名乗った』と言ってほしかった。そのひと言があれば、少しは救われた気持ちになれたと思う」
三菱重工ビル爆破事件で夫がけがを負った宗像信子さん(75)=さいたま市=は、桐島聡容疑者を名乗る男の死亡に割り切れなさをにじませた。
三菱重工社員だった夫の善樹さん=2021年12月に78歳で死去=は1974年8月30日、ビル内で勤務していたところを爆風に襲われた。右耳の鼓膜が損傷し、聴力が大幅に低下する後遺症が残った。
定年退職後、事件にまつわる書籍を出版。「命を落とした人に鎮魂の気持ちを表したかった。懸命に救護にあたった人のことも忘れられないようにしたかった」と語っていた。
信子さんは男の死亡を受け、夫に「あなたならどう受け止めるかしら」と語りかけたという。(大久保謙司)
◎上記事は[東京新聞]からの転載・引用です
「死ぬときは本名で死にたい」桐島聡容疑者を名乗る男死亡 街の人「歩いていても絶対見つけられない」
1970年代の連続企業爆破事件で重要指名手配されている桐島聡容疑者を名乗る男が29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡したことがわかりました。
「死ぬ時くらいは本名で死にたい」
こう話していたのは、重要指名手配されている桐島聡容疑者を名乗る男。 男は末期の胃がんを患い、1月に入って入院していましたが、容体が悪化し29日朝死亡したということです。
桐島聡容疑者の手配写真が貼られている銭湯ではー。 「街で歩いていて見つけられるかと言ったら、絶対見つけられない。犯人も最後はああなるんやなって…」
1974年8月30日。東京・丸の内の三菱重工ビル前で爆弾が爆発。8人が死亡、380人が重軽傷を負う事件が発生しました。当時、大手商社などが次々に標的となった連続企業爆破事件。引き起こしたのは、過激派「東アジア反日武装戦線」です。 そのメンバーである桐島容疑者。1975年に警視庁に爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されてから50年近くにわたり逃走を続け、現在70歳です。
先週木曜日(25日)、突如“桐島を名乗る男”が現れたため、警視庁公安部が本人確認を進めていました。 男は、桐島容疑者の家族構成など本人しか知り得ない話をしていたとともに、「内田洋(ウチダヒロシ)」という名前で数十年前から神奈川県内の工務店で住み込みで働いていたことがわかっていました。
工務店の近所に住む人 「今年になってから2、3回見かけてはいたんだよね。(年齢は)70とか80近いだろうなと思っていた。こんな人が仕事できるのかなって。
(Q:体形は?)もうガリガリ」
男は今月中旬、入院する際も健康保険証は提示せず、「ウチダヒロシ」を名乗ったということです。
桐島容疑者の指紋やDNAは残っておらず、警視庁公安部は親族のDNA型と照合するなどして本人確認を進めるとともに、桐島容疑者が偽名で長期間、神奈川県内に潜伏していた可能性があるとみて調べています。