「秋葉原事件は止められた」加藤智大の手記から読み解く、現代社会の生きづらさ~中島岳志氏

2012-09-26 | 秋葉原無差別殺傷事件

「秋葉原事件は止められた」加藤智大の手記から読み解く、現代社会の生きづらさ
日刊サイゾー2012.09.25 火
 2008年6月、秋葉原で起こった無差別殺傷事件は、7人の死者と10人の負傷者を出した。この事件から4年を経た今年の9月12日、東京高等裁判所は容疑者の加藤智大に対して死刑を言い渡した。
 この判決に先行し、今年7月、加藤智大が執筆した手記『解』(批評社)が刊行された。これまでの生い立ちから、事件に至るまでの経緯、そして、事件を起こしてから考えたこと……。本書の筆致からは、事件に対して驚くほど真摯に向き合った容疑者の姿が浮かび上がってくる。事件から4年を経て、私たちは加藤智大の手記から、何を読み取ることができるのだろうか? 『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』(朝日新聞出版)の著書もある北海道大学の中島岳志准教授と共に、改めてこの事件を振り返ってみよう。
――7月に加藤智大の手記『解』が発売されました。事件を追い続けてきた中島さんとしては、本書をどのように読まれたのでしょうか?
中島岳志氏(以下、中島) 事件を起こしたことについて、彼なりに向き合っているように感じましたね。世間的な常識や遺族感情を考えると「なんだコイツは」と思う部分はあります。しかし、事件を起こした理由を探してしっかりとアプローチをしているなと感じました。けど一方で、ごまかしている部分もあるように感じます。――どういった部分でしょうか?
中島 彼は、ネットで知り合った群馬の女性の元に宿泊し、彼女と強引に性的関係を結ぼうとするのですが、本書では「甘えて抱きついたものを犯そうと誤解」されたと書いています。法廷で彼女が証言している通り、彼は馬乗りになって腰を振っており、コンドームも持っていたんです。あるいは、自分の人生のこれまでの歩みや、友人との関係についても書かれていない部分が多い。おそらく、そのあたりは彼のぼかしたい部分だったのでしょう。
――事件の当初から、この原因として派遣労働や格差社会などが語られてきました。しかし、本書を読み、事件までの彼の行動やその思考を追っていくと、そういった要因は一面的なものでしかないのでは、と思えてきます。
中島 事件当時、原因としてリーマン・ショック直前の派遣労働の問題や、“つながり”に代表されるような社会的包摂の問題、ネット社会の問題などが語られました。それらは、決して間違っているとは思いませんが、論者が自分の語りたいことを、この事件に仮託して語っていたにすぎないように思います。だから、彼が裁判で証言した、ネット掲示板の「なりすまし」に腹を立てて事件を起こしたという理由に誰もが納得できない。論者の側が設定した物語が完結しない。だから、誰も秋葉原事件を論じなくなってしまいました。おそらくなりすましに対するイラ立ちが、彼の直接的な動機であることは間違いないでしょう。この動機を受けて、この事件を解釈しなければならないと思います。
――なるほど。本書では「孤立」を極端に恐れる加藤の心理が綴られていますね。中島さんは、この「孤立」をどのように解釈しますか?
中島 加藤は、地元の青森や仙台に中高からのゲーム仲間がいて、しかもメーリングリストでつながっている。友達と呼べる人がたくさんいたんです。もしかしたら、私が教えている学生の方が友達がいないかもしれません。しかも、勤務していた関東自動車の同僚を連れて、秋葉原ツアーを行ったり、伊豆にドライブに行ったりもしています。
――いわゆる“リア充”のような生活ですね。
中島 彼よりもコミュニケーションが下手で、友達がいない若者なんてたくさんいます。加藤はうまくやっている方なんです。なのに、彼は孤独だった。問題は友達がいないことではなくて、友達がいるにもかかわらず孤独だったことです。同じように、本書で加藤は「本音と建前」という言葉を何回も使います。現実は建前で、ネットは本音の場だと言っているんです。少し話は難しくなるんですが、これはジャン・ジャック・ルソーの問題に近いのではないかと思います。
――『社会契約論』を記したルソーのことですか?
中島 ルソーによれば近代人は内面と外観の世界の間にヴェールがかけられており、心と心でつながっていない状態です。私たちは内心ではものすごく怒っていても表面的に笑ってみたり、ものすごく愛しているのにすましてみたり、内と外が分断されていますよね。ルソーはそこに近代人の疎外を見だしました。この疎外感は他者と透明な関係でつながっていないという不全感と共に、自分自身を本当の自分から疎外しているという考えにつながっていきました。そこで、彼が理想とするのが「未開人」とされる人々。そして「子ども」。あるいは「古代人」です。つまり、近代の外部ですね。怒りたい時に怒り、笑いたい時に笑う。人間として、どちらが優れているだろうか……と彼は言います。
――加藤の目指す「本音の場」とは「未開人」のような関係だった。
中島 建前という外観を超えた関係ですね。心にかぶせられているヴェールをはぎ取った関係。彼は、ネットで同じネタを共有できれば、心と心の透明な関係を結べると思っていました。事件の大きな要因となるネット上の掲示板は、彼にとって心の関係を結ぶことができる場所だと思えたんです。彼はそこを「素の自分でいられる」「開放感があり、楽な場所」と書いています。
――しかし、心と心で結び合いたいというのは、加藤だけでなく、誰しもが持つ普遍的な感情ですよね。
中島 例えば自殺した上原美優は、ブログで「心友」という言葉を使っていました。彼女は心と心でつながり合った「心友がほしい」と書いていたんです。一方、自分に対しては「本当の美優はヤバイ」と自己嫌悪に陥っている。自殺との因果関係はわかりませんが、「心と心の透明な関係」や「本当の自分」という、加藤のような問題を抱えていたのは事実ではないでしょうか。こういった問題は、現代では普遍的な問題だと思います。
――しかし、現実では「心と心の関係」や「本音で話す」ということは、とても難しいですよね。そのための処方箋もないのではないでしょうか。
中島 私は「透明な関係」なんて不可能だと思うし、実現しようとすればファシズムのような危うい全体主義になっていくと思います。だから、私たちはどこかで孤独を背負って生きるしかない。しかし、自分の本音をすべて封印して生きることは、あまりにもストレスが多く、どこかでイライラが爆発してしまうと思います。そこで、仕事や家族、地域の枠にとらわれない「ナナメの関係」が重要になると思います。人は親しいからといって、なんでもしゃべれるわけではありませんよね。母親が夜泣きする子どもを殴りたいと思ってしまっても、母親という立場が邪魔をして、夫にそんなことは言えなかったりします。けれども、同じ悩みを共有する母親になら言うことができる。だから子育てサークルのような存在が必要なんです。利害関係の伴わない他者とのつながりですね。そういった関係が、現代の日本社会はすごく希薄になっています。
――加藤は「社会との接点を確保しろと言われてもどうしたらいいかわからない」と書いています。今の話にリンクしますね。
中島 他人との接点が、この社会ではとても見つけにくいんです。新自由主義と呼ばれる価値観は、さまざまな関係性を市場的にしていきます。これまでは「お世話になっているから、商店街の○○さんのところに頼もう」というつながりがあった。けれども、今ではネットで一番安い店を探して買うことが当たり前になっている。これまであったはずの、市場価値を超えた「贈与」的な関係が希薄になっている。それが、他人を必要とする場や必要とされる場を奪い、私たちの社会を生きづらいものにしている。
――そんな社会を、どのようにすれば改善することができるのでしょうか?
中島 以前のインタビューでも触れましたが、青森で加藤と一緒に仕事をしていた藤川さん(仮名)は、加藤に「なに勘違いしてんだ!」と怒鳴り、しっかりと向き合ってくれた。他人と関わることは面倒くさいし、リスクもある。けれども、そこに踏み込むことが第一歩だと思います。
――ナイフで人を刺した時を振り返って、加藤は「目が合っていたら殺さなかった」と記しています。まさに、今、中島さんがおっしゃられているのは、他人と「目を合わせること」の必要性ですよね。
中島 そうですね。私は、秋葉原事件をきっかけに、札幌のシャッター通りとなっていた商店街にコミュニティカフェを作りました。人々がナナメの関係を構築できる居場所を作ろうと思ったんです。もちろん、カフェを作るなんていう大きなことでなくてもいい。例えば、ホームレスが販売している「ビッグイシュー」を買うこともそうです。ビッグイシューを一冊300円で買うと、うち160円はそのホームレスのものになり、購入者とホームレスとの間に市場的関係を少しだけ超えた関係が生まれるんです。そうやって、新自由主義的な市場をずらしていかなければならないと思います。
――ただ、秋葉原事件から4年を経て、新自由主義的な価値観が強くなってきているように感じます。
中島 新自由主義的な価値観を推し進める橋下徹市長が率いる、維新の会の勢いも増していますしね……。しかし、一方で、相互扶助的な考え方に賛同する人も多くなっていると思います。特に若い層でボランティアに行ったり、社会のためになりたいという人は増えています。ただ、そういう善意をどのように発揮したらいいのかよくわかっていない。地震が起こったら被災地に行けばいいけど、日常の中ではどうしたらいいのかわからないという人が多いんです。そういった人に、その善意を発揮する回路を提示していかなければならないのではないかと思います。
――12日には、東京高裁から加藤智大に対する死刑判決が出ました。私たちは、今、秋葉原事件から何を学ばなければならないのでしょうか?
中島 例えば、池田小事件を起こした宅間守の犯行を止めることができたかと言われると、私自身は正直なところ自信がありません。カウンセラーや宗教者のような方々だったら可能だったかもしれませんが、少なくとも自分の能力では難しかったと思ってしまいます。しかし、私は秋葉原事件は止めることができたと思っています。近所に加藤の居場所となるカフェがあって、彼のネット上でのトラブルの話に「そうなんだ」とうなずいてくれる人がいれば、彼に小さな共感を示してくれるナナメの関係があれば、加藤はこんな事件を起こさなくてすんだ。もちろん、加藤自身は極めて身勝手な人間で、どうしようもない部分を持っています。しかし、今の日本社会にはそういった人間をつなぎ留める方法が欠如してしまっているんです。
 彼は「誰かのために何かをさせてほしい、その『誰か』になってくれる人がほしい」と書いています。加藤が抱えているような感情は、誰の中にもあるものではないでしょうか。だから、この事件を加藤の個別的な問題に終わらせることなく、私たちが何をくみ取るかが問題なのではないかと思います。
 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])
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◆ 『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』著者・中島岳志氏インタビュー 「秋葉原事件」とは何だったのか 2012-09-10 | 秋葉原無差別殺傷事件 
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雨宮処凛がゆく!
2011-05-18up 第188回 「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」の巻

 福島第一原発でメルトダウンが起きたり、東電が震災直後にメルトダウンしてたことを隠してたりといろいろトンデモない状況だが、そしてそんな状況にも「麻痺」してしまいそうな自分が怖いが、今回は震災のゴタゴタで忘れられがちだったことについて、触れたい。
 それは3月24日、秋葉原事件を起こした加藤智大被告に、死刑が言い渡されたことだ。
 この事件の裁判には、今まで3度、行っている。初めて行ったのは昨年12月。間近で見た加藤被告はまったく感情の読み取れない目をしていて、まるで女の子みたいな白くて華奢な手をしていたことを覚えている。その小さな白い手と事件がどうしても繋がらなくて、裁判中、ずっと加藤被告の横顔を見ていた。しかし、表情が変わることはなかった。3度とも。
 そんな秋葉原事件の裁判に行くたびに会ったのが中島岳志さん。その時にこの事件の取材をしていることは聞いていた。
 裁判で、私にとってもっとも不可解だったのは、加藤被告が事件の動機を「なりすましや荒らしをやめてもらいたいとアピールするため」と語ったことだった。
 25歳の派遣労働者だった彼が起こした事件の動機を、裁判が始まる以前の私は「派遣労働」に代表されるような不安定さや使い捨て労働といったものに求めていた。しかし、彼は派遣切りなどは事件の動機ではなく、また自らを「ブサイク」と書いていたことなども自虐ネタだったと述べ、「なりすましや荒らし」が動機だったと語ったのだ。そんな「なりすまし」について、彼は裁判でこう語っている。
 「たとえば、自分の家に帰ると、自分とそっくりな人がいて自分として生活している。家族もそれに気づかない。そこに私が帰宅して、家族からは私がニセものと思われてしまうような状態です」
 今年2月に行った裁判でも、この言葉が弁護士によって(「なりすまし」の説明として)語られた。ちなみにその時の私は、星野智幸氏の『俺俺』を読んだ直後だった。読んだ人だったらわかると思うのだが、加藤被告が語る「なりすまし」はまさに『俺俺』的状況。時空が歪むようなめまいを感じながら、この事件について考えることの途方もなさに気が遠くなっていった。それはこの事件が私の中で決定的に「派遣労働」などの「わかりやすい物語」から「文学的な迷宮」に変わった瞬間だったように思う。そしてその迷宮の前で、私はただ立ち尽くすことしかできなかった。
 そんな迷宮からの出口を指し示してくれたのが、3月に中島さんが出版した『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』だ。
 読みながら、あれほどわからなかった「なりすましが動機」ということが腑に落ちていった。腑に落ちたというか、加藤被告にとって携帯サイトがどれほど重要な場だったのか、そして「現実」そのものがどれほど交換可能なものだったのか、非常に理解できたのだ。一部を引用しよう。
 「加藤は、リアルな他者と『本音の関係』を構築したかった。自分の思っていることを率直に吐露しても、それをしっかりと受け止め、本当の自分を承認してくれる他者がほしかった。しかし、彼には本音を吐くことがどうしてもできなかった」
 なぜなら、職場の同僚や地元の友達に本音をぶつけて嫌われてしまうと、職場や地元を失うことになり、リスクが高いからだ。そこで携帯サイトの人間関係に「本音の関係」を見いだそうとする。
 「加藤は『本音のネタ』を書き込んだ。
———自分の容姿へのコンプレックス、モテる男性への嫉妬心、彼女ができないことへの不満・・・。
 そんな本音を過剰にデフォルメし、ネタ化することによって『笑い』に変えた。
 しかし、この『本音のネタ』は『本心』とは異なるという。彼は、現実に『ホストクラブで自爆テロ』をしたり『ゲームセンターで楽しんでいるカップルに乱入』したりしようとしているわけではない。それはあくまでも『ネタ』であって、『本心』そのものではない。
 しかし、ときに『ネタ』を『本心』と勘違いして、説教してくる者がいる。そのような人は『ネタ』を『ベタ』と読み違える『空気を読めない人』であり、嘲笑と排除の対象だった。
 一方で、『本音』やベタな現実をそのまま書くと、『単なる不満になってしまう』。それでは、自分と価値観を共有できる人と繋がることはできない。ほしいのはアイロニーを共有する相手からのレス。大切なのは、『ネタ』を『ネタ』として認識するコードの共有。
 だから『本音のネタ』の書き込みこそが、心を開くことのできる相手との出会いを引き寄せると思われた。そして、そんな相手に『ベタ』な自分を承認してもらいたかった」
 07年に自殺を考えて青森から出た彼は、車のローンを払うのをやめていた。住んでいたアパートも夜逃げ同然だった。そのことで迷惑がかかると思い、地元の友達との連絡も絶っていた。
 「数々の職場を放棄し、場所に応じて人間関係を構築してきた加藤にとっては、リアルな人間関係や場所こそが交換可能なものに思えた。彼は一定のコミュニケーション能力があり、新しい環境への適応能力があった。そのため、リアルな現実こそが乗り換え可能な存在であり、リセット可能なものだった。
 しかし、『キュウカイ』という掲示板は代替不可能な存在だった」
 そんな掲示板に「なりすまし」が現れてしまう。取り替え不可能だと思っていたウェブ上の自己が、簡単に乗っ取られてしまったのだ。
 同時期、彼は働いていた自動車工場で解雇を告げられる。解雇はその後「延期」となり、働き続けることとなる。自分自身が「取り替え可能」な存在として生きてきた加藤被告。
 「だから、加藤自身もリアルな世界を交換可能な存在として扱った。職場なんて、イヤになったら放棄してしまえばいい」
 しかし、以前とは状況が違った。景気は悪化し、彼自身の年齢も徐々に上がっていた。家族は崩壊し、地元の友達とは連絡を絶った彼に「帰る場所」はなかった。青森に帰れば待っているのは借金取りだ。
 「代替可能なリアル、代替不可能なウェブ」という反転した世界にいた彼は、「リアルな世界でも追い詰められてい」く。
 そんな状態の彼が直面したのが「ツナギ事件」だったのだ。
 そこから事件を起こす直前の「時間です」という最後の書き込みまでを、私たちはよく知っている。
 この原稿を途中まで読んで、彼の振る舞いを「とても他人事ではない」と感じた人は、決して少なくないのではないだろうか。かくいう私も、この本を読みながら、あちこちに20代の頃の自分の姿が浮かんだ。また、「コードの共有」は今の私にとってももっとも大きな対人関係の基礎だ。それを共有できない人とのコミュニケーションは苦痛でしかない、と感じる人は多いはずだ。
 この本は、事件の背景を一言で言い当てるものではない。原因はもちろんひとつではない。ただ、「わかりやすさ」を求めるメディアに警鐘を鳴らし続けてきた中島氏ならではの、様々な角度からの丁寧な取材が積み重ねられている。
 この本を読み終わった数日後、映画『悪人』を観た。その時に強烈に思い出したのは、本書で描かれた加藤被告の軌跡だった。


case.10「アキバ通り魔事件」と犠牲者の相貌を獲得したロスジェネ
芹沢一也(京都造形芸術大学非常勤講師)
 まるで時計の針が突然、巻き戻されたような、そんな感慨を抱かされる見解が相次いだ。「アキバ通り魔事件」をめぐってである。グローバル化と新自由主義改革がもたらした雇用の流動化と労働環境の悪化。こうした経済的な激動の犠牲となった若者が、どうしようもなく追いつめられて行った犯行。こうした語りが、口々に唱えられた。犯行の背後に社会的な問題を見出そうとするこうした志向は、昨今では言論人たちのあいだでもすっかり影を潜めていたものである。
 というのも、ここ10年ほどのあいだは、犯罪被害者、ことに身内を殺害された遺族の応報感情にメディアの報道はシンクロし、それとともに社会全体に厳罰感情が蔓延していくなかで、事件の社会的背景を知ろうとする関心がまったく失われたからだ。凶悪犯罪を起こした人間の境遇などどうでもよい、それどころか思いのたけの憎しみを投げつけても構わない、そうしたモンスターのような存在に犯罪者たちは仕立て上げられてきた。それが何の落ち度もない犠牲者を幾人も出したにもかかわらず、アキバ通り魔事件の容疑者にはおおっぴらに同情や共感すら寄せられているのだから、やはりここ10年ほどではみられなかった現象である。
 言論のトーンをめぐる変化の中心にいるのは、いわゆるロスジェネ世代だといってよいだろう。たとえば先日、『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』というムックが緊急発売されたが、その冒頭を飾った論客は赤木智弘。その後に雨宮処凛がつづいている。このような配置自体が、事件の位置づけ(をめぐる政治)を雄弁に物語る。
 かつて神戸児童連続殺傷事件や西鉄バスジャック事件を起こした世代に属する加藤智大容疑者と、赤木智弘や雨宮処凛といったロスジェネ世代の論客との組み合わせ。ここには本連載でさまざまに分析してきた犯罪不安社会、あるいはセキュリティー社会の問題性が凝縮されている。そして現在、この組み合わせにおいて、犯罪をめぐる言説に変容が現れているとするならば、それは最終回に取り上げるにふさわしいテーマだろう。なによりもこの変容には、ほかならぬ「論座」という雑誌が一役以上を買っているのだから。

「進歩」と捉えられた罪刑法定主義の不在
 分析のための枠組みを設定する糸口として、2003年に出版された日垣隆の『そして殺人者は野に放たれる』を取り上げてみよう。この本のなかに、息子を通り魔事件で失ったにもかかわらず、簡易精神鑑定の結果、心神喪失で容疑者が不起訴となった母親が、「なぜ殺人という結果が裁かれないのか」と訊ねる場面がある。それに対する日垣の答えは、以下のようなものであった。

 日本の刑法は罪刑法定主義ではないからです。罪刑法定主義というのは、近代法治国家の大原則なのに、明治時代につくられたままの刑法はそこまで至っていません。
 世界各国の刑法を調べてみると、1歳以下の赤ん坊を殺した場合はこう、13歳以下の子を監禁したうえ殺害した場合はこう、金銭めあてに殺した場合はこう、という具合に可能なかぎり具体的メニューを国民に示しています。しかしながら日本では、刑法199条に『人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処する』と書いてあるだけです。故殺も謀殺も区別されていない。

 責任能力の問題を置くならば、犯罪がその「行為」によって裁かれないのは、日本の刑法が罪刑法定主義ではないからだというこの主張は、さすがに本質的なポイントをついている。だが同時に日垣は、決定的に誤ってもいる。先述の文章からは、日本の刑法は明治時代につくられたままで遅れている、つまり世界各国のスタンダードにいまだ達していない、こう読めるだろう。ところが、事実はまったく異なっている。現行の刑法がつくられたとき、その眼目は犯罪類型を「包括的なもの」にするところにこそあったからだ。
 殺人についていえば、じつは旧刑法では謀殺、毒殺、故殺、便宜殺、誤殺といった類型に分かれていた。それが現行刑法によって、単一の殺人罪に改正されたのだ。そして、日垣の主張とはまったく反対に、そのようなかたちでの改正は、刑法が進歩したことの証しだとされていた。一体なぜか?
  当時、旧刑法を批判した刑法学者や監獄学者たちは、口をそろえてみな同じことを訴えていた。犯罪類型をこと細かく細分化し、それぞれの罪にふさわしい刑罰を杓子定規に科そうとする旧刑法は、犯罪行為にのみ目を奪われているというものだ。なぜそれがいけないかといえば、同じ殺人という罪を犯した人間であっても、人によって事情は千差万別であるはずだと考えられたからだ。ところが犯罪行為に目を奪われているかぎり、犯罪者を視界に収めることができないというわけだ。
 ときの司法大臣は現行刑法の施行にさいして、犯罪者の性格を考慮に入れて量刑するところに、改正の最大の目的があると説明した。われわれが手にしている刑法は、犯罪行為から「犯罪者」へと、関心の対象が移行することで誕生したわけだ。だからこそ、日垣がそうあるべきだと訴えるかたちでの量刑を、まさに否定するために現行刑法はつくられたのだ。
 殺人については、旧刑法において謀殺は死刑、故殺は無期徒刑と決められていた。それが現行刑法では単一の犯罪類型となり、裁判官は死刑または無期、もしくは5年以上の懲役(04年改正)から、情状酌量による執行猶予にいたるまで、きわめて幅の広い範囲のあいだで量刑することとなった。あるいは、旧刑法では窃盗罪は種々に区分されており、原則的には4年以下の重禁錮、累犯の場合でも5年までの重禁錮だったのが、現行刑法では10年以下の懲役となり、累犯にいたっては20年までの懲役刑を科することが可能になった。
 要するに、たとえ殺人を犯しても情状によっては刑罰が免除され、それに対して窃盗というような軽微な犯罪でも、それが累犯者によるものであれば、最高で20年の懲役が科されるようになった。
 こうした改正をリードしたのは、当時、ヨーロッパで最新の刑法論理であった新派刑法学である。時代遅れどころか、日本の現行刑法は、世界でもっとも進んだ刑法として誕生したのだ。代表的な監獄学者であったこ小河滋次郎は、刑事司法の進むべき道をつぎのように示した。「これからの司直の神は、爛爛たる雙の巨眼を付けて、よく人を見るような姿にしなければならぬ」。新しい刑法を手にした司法は、今後は犯罪者という人間をみつめなければならない。こうしたパラダイムにあってはじめて、犯罪者の性格や境遇が関心の焦点となったのである。
 興味深いことに、このような性格をもつ現行刑法が制定されたとき、旧刑法には明記されていた罪刑法定主義を謳った条文が削除された。この事実に、この間、生じた変化のポイントがはっきりと示されている。刑法は犯罪行為と刑罰との対応を示した「メニュー」としてあるべきではなく、個々の犯罪者にふさわしい刑罰を科すための道具としてあるべきだということだ。それゆえ、戦前を代表する刑法学者である牧野英一は、まさに罪刑法定主義が不在である点にこそ、新刑法の進歩的な側面があると断言した。
 以上のような歴史的経緯をおさえた上であれば、日本の刑法は罪刑法定主義でないために結果によって裁かれない、このような日垣の批判は本質的な意義を有する。そして、その批判がもつ核心的な意義は、犯罪被害者遺族の立場を代弁したところにあった。刑事司法が犯罪者という人間やその性格に、つまりは動機や犯情、あるいは環境などへの関心に支配されるとき、そこでみえなくなる存在が犯罪被害者と遺族である。明治の半ば以来ごく最近にいたるまで、刑事司法の関心は犯罪者にのみ注がれ、犯罪被害者とその遺族は文字通り蚊帳の外におかれてきた。
 こうしたなかにあって日垣のような批判は、100年のあいだの動向を支配してきたパラダイムに対立するものだった。それがなぜ、精神障害者の犯罪をめぐって生じたのかは容易に理解できよう。精神鑑定によって心神喪失と判断されたとき、文字通り犯罪行為が消滅する。殺人という結果は歴然として残るのに、それを担う責任主体が消えてなくなる。刑法39条の問題である。
 だが、たとえ精神障害による犯罪であっても、なされた行為への応報として正当な罪を科すべきではないか。こうした主張が被害者遺族の声となって現れたのだ。そして、このような声が犯罪をめぐる言説を支配すれば、性格や境遇との関連のなかでときに共感や同情を誘いながら、さまざまに読み解かれていた犯罪者の相貌は、一変せざるをえなくなるだろう。そのとき犯罪者は、被害者遺族に取り返しのつかない犠牲をもたらした、きわめて極悪な「加害者」と化すはずだ。かくして、ふたたび法が正義と手を携えて、行為を裁くために回帰してくる。

事件に社会的背景を読み込もうとする志向の復活
 このような逆転のプロセスが、広く生じた震源地が少年犯罪であった。そしてそれは、加藤智大容疑者と同世代の少年たちによって、90年代後半以降に起こされた凶悪犯罪を契機としていた。
 このとき少年もまた精神障害者と同様に、その犯罪行為が法の外で消滅することが問題化したのだ。かくして、犯罪被害者遺族の運動が盛り上がるとともに、酒鬼薔薇事件やバスジャック事件など凶悪な少年犯罪の報道が洪水のように流された。こうしたなかで、かつては社会や教育の犠牲者だとみなされてきた少年たちが、同情の余地なき「加害者」とみなされようになった。とはいえ、こうした事態は、応報としての厳罰を望む被害者遺族の運動のみによってもたらされたわけではない。
 犯罪を起こした少年のみならず、この間、若者イメージそのものが悪化の一途をたどった。80年代の浅田彰によるスキゾ・キッズの称揚から、90年代の宮台真司の援交女子高生礼賛にいたるまで、若者にはあたかも社会革命の主体であるかのような、ポジティブなイメージが付与されてきた。
 それが90年代の終わりから00年代にかけて、「ひきこもり」や「ニート」などという言葉とともに、突如社会の異物のような存在と化した。後藤和智のいうところの「俗流若者論」が跋扈し、若者たちが社会を根底から蝕む害虫であるかのような語りが蔓延したのだ。
 いまとなっては明らかであるが、まったく凶悪化も急増もしていない少年犯罪への厳罰化が進みフリーターやひきこもり、ニートへの憎悪に満ちた批判の合唱がなされたのは、この時期、高度成長型の経済成長が維持しえなくなり、若者たちを非正規雇用労働者として活用せねばならなくなったからだ。つまり、マクロな経済構造の変動によって若者の雇用が流動化し、労働環境が悪化したにもかかわらず、その問題性を若者の「心の問題」に押しつけるために、あたかも若者が変質しているかのような言説が、それこそ洪水のようにまき散らされたのである。
 こうした状況に反省が迫られたのは、ほんのつい最近にすぎない。わたしが『ホラーハウス社会』を出版し、少年犯罪の厳罰化をもたらした社会変容を分析したのは06年1月であり、本田由紀たちがニートを雇用問題として正しく位置づけたのも06年1月だ(『「ニート」って言うな!』)。若者をめぐるさまざまな擬似問題の背後に、高度成長体制の崩壊があることを精緻に分析した高原基彰は、『不安型ナショナリズムの時代』(06年4月)のなかでつぎのように書かねばならなかった。

「若者論」の多くは、「だらしない若者」に対する説教であり、まるで彼らが自分自身の環境を、すべて自分で決定できるかのように、彼らが心を入れ替えさえすれば問題が解決するかのように論じていた。しかし当然ながら、フリーターやニートの発生は、心の問題ではなく「失業問題」であり、社会経済的な構造の中で起きている。
 この当然のことが、ごく最近まで多くの人に気付かれなかったことを、我々は痛恨の思いで振り返らねばならないと思う。

 社会的な構造変動のなかで起きているはずの出来事が、俗流若者論の言説効果によって若者の心の問題に起因するとされてきた。そしれ、若者自身もそうした眼差しに同一化し、問題を自らの心の問題に閉じ込めてきた。それが76年生まれの高原基彰など、ロスジェネ世代の書き手による異議申し立てが現れるなかで、ようやく論調の変化がきざしてきたのだ。そのような流れのピークを記したのが、『生きさせろ!』(07年3月)での雨宮処凛の闘争宣言であろう。そこでは心の問題から失業問題へと、問題のとらえ返しが鮮やかに表現されている。

 我々は反撃を開始する。若者を低賃金で使い捨て、それによって利益を上げながら若者をバッシングするすべての者に対して。我々は反撃を開始する。「自己責任」の名のもとに人々を追いつめる言説に対して。・・・・フリーター200万人、パート、派遣、請負など正社員以外の働き方をする人は1600万人。いまや日本で働く人の3人に1人が非正規雇用だ。24歳以下では2人に1人。なぜか?それは若者に「やる気がない」からでも「だらしない」からでも「能力がない」からでもなんでもない。ただたんに、企業は金のかかる正社員など雇いたくないからだ。

 あるいは、「論座」は07年1月号の特集「現代の貧困」において「31歳、フリーター。希望は戦争。」というサブタイトルの論考で赤木智弘を論壇デビューさせているが、社会現象にまでなったこの論考のインパクトによって、若者当事者が発言する機会がメディアの一角に確実に与えられた。ここ10年のあいだ、俗流若者論によるバッシングの「対象」でしかなかった若者が、かくして主体として自らの声をもつにいたった。結果、彼らは社会に害悪をもたらす存在どころか、社会変動の犠牲者としての相貌を獲得した。あるいは、そうした犠牲者としてのアイデンティティーを自らかたちづくった。
 そして、アキバ通り魔事件である。この事件にロスジェネ世代の論客は、彼らを苦しめている同じ苦境を共感的に見出した。事件に社会的背景を読み込もうとする志向が、かくして言論人による語りのひとつとして復活した。だが、時計の針が戻ったとはいえない。社会的な共感の復活を、単純に言祝ぐのはナイーブにすぎるだろう。

これから闘わされる政治においての「欠落」
 長きにわたって犯罪者の性格や境遇に関心が注がれてきたのは、動機や性格、境遇に応じた刑罰と処遇を考量するためであり、その目的といえば社会のよき市民へと矯正することにあった。犯罪者への関心は社会的同化によって裏打ちされており、それこそが近代と呼ばれる時代における権力の作法であった。それがここ10年、被害者遺族の登場とともに犯罪者が危険な加害者と化すなかで、厳罰を旨としたセキュリティー社会が姿を現した。それにともなって、社会的同化から排除へと、犯罪をめぐる実践のモードも転換した。凶悪な殺人事件は減少しているにもかかわらず、この間、死刑判決が急増したのも証左の一つだ。
 日本社会がセキュリティー社会へと変容した契機が、加藤智大容疑者と同じ世代の少年たちがかつて起こした凶悪犯罪にあり、またプレカリアートとなった若者たちに被せられた社会の異物としてのイメージが、このセキュリティー社会を裏打ちしたとするならば、アキバ通り魔事件がそうした世代の象徴として祭り上げられることは、いったい何をもたらすのだろうか。不安定な労働環境におかれた若者の暴発であるかのような事件の意味づけは、はたしてポジティブな社会的効果をもちうるのか。
 かつて犯罪者の境遇に同情や共感が寄せられていたとき、前提として理想化されていた異質なものを同化しようとする社会はもはや失われた。権力の作法は根底から変わったのだ。さまざまな分断線を活用するセキュリティー社会にあって、つまり異質なものとの敵対こそを統治の技法とする現代社会にあって、「テロ」としての社会的機能さえ果たそうとしているアキバ事件が、ロスジェネ世代の〈暴力〉として象徴化されることは、分断線にそったセキュリティーの装置を強化する可能性が高い。
 危険な階層として自らを提示してみせるのも、たしかにひとつの戦略ではある。ことに事件のインパクトによって、派遣法見直しの機運が高まっているのだからなおさらだろう。この点で、ロスジェネ世代の論客たちも揺れているようにみえる。加藤智大容疑者の境遇に共感的な理解を示し、そうした状況におかれた若者が抱え込んだ鬱屈を指摘しつつも、しかしながら当然、その犯行を肯定することなどはできないからだ。だが、まずは犯罪学的な知見を前提にすべきだろう。犯罪学者の河合幹雄のつぎの指摘が正鵠を射たものなのだ。

 通り魔はいまに始まった犯行ではありませんし、ここ数年で急増しているわけでもありません。実際は年に数件といった程度しかないのです。だから、犯罪原因を社会的背景につなげるのには注意が必要です。仮に今回の事件が派遣労働のせいだったら、もっと殺人事件が起きているでしょう。(『アキバ通り魔事件をどう読むか?!』)

 この連載でも何度も指摘してきたが、世を騒がすようなレアな事件に社会的な代表性などまったくない。だが、事件に社会的な意味を読み込もうとする言論ゲームは、ふたたび開始されてしまった。こうしたなかでは、どのような繊細な留保をつけようとも、「キレた25歳の派遣労働者」(雨宮処凛)というイメージが独り歩きし、それが若者イメージのうちに回収されることは避けられないだろう。このことはセキュリティーの意識を先鋭化させるのか、あるいは過酷な労働環境の改善へと向かわせるのか。
 いずれにしても、ここから先は「政治」の領域だ。わたしにも正しいことなどいえはしない。ただ確かなのは、貧困や格差問題を世間に認知させるのに一役買い、「希望は、戦争。」という言葉とともにロスジェネ世代を鮮烈に印象づけた「論座」を失うのは、これから闘わされる政治において大きな欠落となることだ。
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秋葉原17人殺傷通り魔事件 加藤智大被告 衝撃の獄中手記 週刊ポスト2012/07/20-27号 2012-07-11 | 秋葉原無差別殺傷事件
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秋葉原無差別殺傷事件 帰る場所--「相談相手がいて」と、いうのである 2010-07-31 | 秋葉原無差別殺傷事件
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◇ 秋葉原殺傷事件 弟の告白 『週刊現代』平成20年6月28日号(前編) 『週刊現代』20年7月5日号(後編) 2010-01-28 | 秋葉原無差別殺傷事件 
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