goo blog サービス終了のお知らせ 

少年Aのベストセラー『絶歌』 どう読むのが正しいのか 青木理×香山リカ×中島正純

2015-07-01 | 神戸 連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗

 現代ビジネス 2015年07月01日(水) 週刊現代
少年Aのベストセラー『絶歌』 どう読むのが正しいのか
青木理×香山リカ×中島正純
 酒鬼薔薇聖斗の手記が、波紋を広げている。「買うこと自体が不謹慎」と批判も起こる中、いまだ売れ続けている。ジャーナリスト、精神科医、犯罪の専門家が彼の「告白」をどう読み解くか語り合った。
■実名で書くべきだった
香山 この手記『絶歌』は、初版10万部に増刷を重ねるベストセラーになる一方で、「こんな本は出すべきじゃない」「印税で儲けやがって」という否定的な反応が多いですね。
青木 ベストセラーになるのも無理はない面もあります。'97年当時14歳の「少年A」が、山下彩花ちゃん、土師淳くんの命を奪った「神戸連続児童殺傷事件」が世の中に与えたインパクトは大きかった。犯行声明を発するという劇場性もそれを煽り、その後の少年法厳罰化の契機にもなりましたから。
中島 当時大阪府警の警察官だった私にとっても、最も忘れられない事件です。
 私も、この本には否定的なんです。元同僚の警察官たちと話しても、この本を世に出し、印税が元少年Aに支払われることに対して、「そもそも買うべきではない」という反応がほとんどでした。
香山 ただ、犯罪者が手記を出版するケースはこれまでにもありました。連続企業爆破事件の犯人で確定死刑囚の大道寺将司は3年前、句集を出版して、しかも賞まで獲っている。秋葉原通り魔事件の犯人でやはり死刑が確定している加藤智大も、これまでに2冊も手記を出版しています。
 それらがほとんど騒がれなかったのに、この手記については、「読むこと自体、少年Aを認めることになるので絶対に読みません」という意見があり、人気ロックバンド・GLAYのメンバーが本の表紙写真をネットに投稿しただけで「ガッカリしました」と炎上してしまう。この落差はどこから来ているんでしょう?
青木 理由はさまざまあると思いますが、ひとつには元少年が社会復帰していること、もうひとつは匿名のままだということでしょう。
中島 「元少年A」については、世の中の人はずっと「こいつはどんなヤツなんだ?どんな面をしているんだ?」と知りたかったのに、少年法の壁に守られて、顔はおろか名前さえ知ることができませんでしたからね。
青木 そうした表層的な憤懣が今回、「元少年A」名義での手記出版で噴出した感があります。
香山 実名で出していたら、状況は違ったんでしょうか? 私は今回、この手記を読んだり、その内容について議論したりすることさえ批判されるような風潮に異様なものを感じています。
青木 まったく同感です。その上で僕はこう考えています。本を出すこと自体、悪いことではない。「被害者遺族が傷つく」という声もあるようですが、出版や報道を含む表現活動は、しばしば誰かを傷つけてしまう。だからやめろ、などという論理がまかり通れば、民主主義社会の柱である表現、言論の幅は恐ろしく狭まりかねません。
中島 ただやはり、元警察官として言わせてもらえば、被害者の遺族に事前に了承を得なかったことが、「反省していない」「身勝手な自己救済」という印象を強めましたね。
青木 遺族が憤るのは当然です。たしかに遺族へ連絡しなかったのはおかしい。ですが、だからといって第三者の大衆が被害者遺族に憑依して「こんな本を出すべきではない」と叫んだり、書店が「販売しない」という態度を取るのはマズい。
 その内容自体がさまざまな批判や批評にさらされるのは当然ですが、出版という表現行為そのものを批判したり制限したりするのは問題です。
 むしろ今回のことで引っかかるのは、やはり「元少年A」という著者名。匿名のままの手記、そこに彼の覚悟の中途半端さを感じてしまうんです。
香山 中途半端さ?
青木 少年法がメディアの実名報道を規制していることへはさまざまな意見がありますが、僕は少年法の精神は尊重したい。だから死刑問題を取材して本を書いたときにも、元少年のことは匿名で書きました。
 しかし、この「元少年A」は、手記を出版した瞬間、「社会復帰を目指す元少年」から、「表現者」に転じた。表現者なら、その表現に責任を負わなければならない。匿名のままでは、ツイッターの落書きと変わりません。
■批判される覚悟はあったか
香山 出版元の太田出版は、「深刻な少年犯罪を考える上で大きな社会的意味がある」と説明していますが、だったらもっと違う方法があったのではと思うんです。
 たとえば、少年の手記に精神科医や弁護士などが解説を加えて、「この少年にはこのような問題があります。それを踏まえた上で読んでください」という形だったら、事件の背景を考える上で貴重な資料になり得た。
青木 そういう形なら匿名もありだと思います。罪を犯した人間の心理やその後の変化を知るためのデータという位置づけですからね。
 でも、自分自身で「書かずにはいられませんでした」と記しているように、やはり彼は表現者になっている。だったら批判される覚悟を含めて実名で書くべきだった。表現することへのそこまでの覚悟が彼にあったのかどうかが気になります。一部のメディアなどは、容赦なく彼を追い回すことになるでしょうからね。
中島 これまで多くの少年犯罪者と直に接してきた経験で言えば、彼には出版したら世間がどう反応するか、自分がどういう立場になるかまでは考えられなかったのではないでしょうか。あったのは、「本を出すしか道はない」という切迫感だけ。
香山 手記には、さまざまな文学作品からの引用が多くありますが、それを見ていて思うのは、非常に表面的な引用でしかないなということ。文章表現も、凝ってはいますけど、どこかで見たようなものばかり。なにか、胸に迫るものがない。
青木 それは僕も感じました。
■人間味の芽生え
香山 事件当時、彼が送りつけた犯行声明文や書き残していた作文に対して、「本人が書いたものではないのでは」とか「何かのパクリだろう」と言われていました。
 今回の手記の中でも自分を魔物だと語っている「懲役13年」と題した彼の作文が掲載されていますが、映画『プレデター2』からの引用だったなどと明かしていますね。
青木 連続射殺事件で死刑になった永山則夫の作品に『無知の涙』がありますが、今でもこれを読むと、もちろんその責任はまぬがれるわけではないけれど、彼が犯行に至ってしまった生い立ちや社会環境を含め、ひたひたと胸に迫ってきます。だけど、この『絶歌』にはそういう切迫感が薄い。
 少年によるいくつかの重大事件を取材した経験から言えば、虐待であったり、育児放棄であったり、凄まじい環境で育った少年が犯罪に走るケースが多い。ですが、本書を読んでも、彼の生育環境はそうではない。誤解を恐れずに言えば、やはり精神的な疾患のようなものだったのか。
香山 そうだと思います。平凡な家庭に、彼のような特異な人間が生まれてしまった。「社会脳」(社会的認知を司る脳の部位)の機能不全が背景にあると思われる、特殊な精神性の持ち主です。彼から見れば、自分の両親はあまりに凡庸な人間にしか見えなかったのではないかと思います。
 愛情を受け止めるのが苦手だった彼が、家族で唯一、情緒的なつながりを感じられたのが同居していた祖母。彼女は、彼のことを全面的に受容してくれていた。だけど、その祖母が亡くなった瞬間、情緒的な結びつきが、ぷつんと失われてしまった。
青木 陳腐な表現が多い一方で、14歳から6年間も社会から隔離され、その後は職を転々としてきた人間がよくこれだけのものを書きあげたなと感心する部分もあります。
中島 自己陶酔も感じられるのですが、きっと頭はいいんでしょうね。
香山 彼はもともと知的能力が高くて、そのせいで、自分の異常性を家族や周囲に隠すことができてしまったんでしょう。
青木 僕はこの事件も彼自身も取材していませんから、彼の人格や心理について軽々に推測するのは避けたいと思います。ただ、本の記述からは、他者からどう読まれるか、どう受け止められるかという点の深い洞察が欠けていると感じます。
香山 彼は視覚で見たものを丸ごと記憶して忘れない、「直観像素質」の持ち主と精神鑑定で説明されています。
 このタイプの人は、自分が体験した映像を、端から端まで再現しないと、言葉に落とし込めない。逆に、要約して話すことが苦手。そういうある種の才能の持ち主だということが、分かりますね。
青木 猫を惨殺して性的な興奮を覚える描写などは、ひたすら生々しく読むのが辛いぐらいです。
中島 具体的な殺害シーンが描かれていないのがせめてもの救いです。この記憶力の持ち主なら、克明にその場面を描けたはず。そうしなかったのは、出版社の編集が入ったとしても、本人の自制が働いたところもあったのではないでしょうか。
青木 一方、少年院からの退所後を描いた第二部を読むと、彼が本質的なところで変わったのかどうかはともかく、さまざまな人たちの支援や他者との交わりの中で、それなりの人間性や社会性を構築してきたことが読み取れます。
香山 確かに彼は学習して社会性を身につけていますよね。仕事場で仲良くなった中国人の後輩が少年と一緒に写真を撮ろうとしたとき、急に激高してカメラを壊してしまった場面がありました。
 だけど、その後、自責の念にも駆られている。そういう人間味の芽生えがある。だから年月をかけ、周囲が手厚くかかわっていくことによってここまで変われるんだという事例ですよね。
青木 その点に関しては、僕たちがこの本から汲みとる教訓がある。犯罪に手を染めてしまっても、あるいはその恐れのある少年であっても、周囲の真摯な支援があれば、徐々にではあっても社会性と人間性を身につけ、自らを抑止できる。彼の場合、知的な能力もそれなりにあるわけですから。
■反省しているのだろうが…
香山 彼が転々とした職場では、その知性は発揮できなかったわけですよね。たとえば、派遣労働の現場で上司のガサツな振る舞いを見て、あからさまにバカにする目線を向けています。親しくなった先輩に優しくされても、自分を罰する気持ちが働いて、うまくコミュニケーションをとることができず、孤立する。
 そういう環境が、自分の抱える考えを文章にして発表したい、という感情を募らせていったのではないでしょうか。
中島 ただ、私は彼がたしかに矯正できているかというと、疑問です。文章を読んでも反省の気持ちは表面的なもので、内心がどうも読み取れませんから。
香山 もしかしたら、彼は彼なりに精一杯の反省の念を持っているのかもしれません。ただそれは、私たちが期待しているような反省のレベルとはずいぶん開きがある。
青木 しかし、こうした特異な事件を普遍化して少年法の厳罰化にひた走ってきた風潮には疑問が残ります。今回もそうした声が出ている。
香山 だから、周りにいる大人、今回の手記発表に関していえば出版社側とかが、彼にきちんと説明しなければならなかった。遺族の人たちに対する配慮をもっと示すべきだったと思いますね。
中島 同感ですね。確かに出版の自由はあるでしょうが、それまでに思いとどまらせることはできなかったのか。手記を出すのではなく、おとなしく反省を続け、遺族の方へのお詫びを続けていられなかったのか。そう思わざるをえません。

*なかじま・まさずみ/'69年生まれ。犯罪ジャーナリスト。'91年より大阪府警勤務、'04年退官。'09~'12年衆議院議員。環境大臣政務官などを歴任
*かやま・りか/'60年生まれ。精神科医、立教大学現代心理学部教授。専門は精神病理学。『テロリストの心理戦術』『振り回されない生き方』など
*あおき・おさむ/'66年生まれ。ジャーナリスト。共同通信で社会部、外信部、ソウル特派員などを経て'06年退社。『絞首刑』『抵抗の拠点から』など
 「週刊現代」2015年7月4日号より

 ◎上記事の著作権は[現代ビジネス]に帰属します *強調(太字・着色)は来栖
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
『絶歌』…象徴的表現をたくさん使うのは健全化の証拠 再犯を抑止する意義はある 斎藤環 筑波大教授
神戸連続児童殺傷事件 「元少年A、社会で生きようとしている」元付添人野口善国弁護士…『絶歌』を読んで
◇  『絶歌』から元少年Aの脳の機能不全を読み解く 完全なサイコパスかといえばそれも違う気がする 香山リカ  
<神戸児童殺傷事件> 元少年Aの手記『絶歌』を犯罪学の視点から読む 小宮信夫  
...........................


コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。