2019年12月27日11時52分
死刑は「残酷でいつくしみに欠ける刑罰」 カトリック正平協、死刑執行で抗議声明
日本カトリック正義と平和協議会(会長・勝谷太治司教)は26日、中国籍の元専門学校生、魏巍(ウェイ・ウェイ)死刑囚(40)の刑が同日、執行されたことを受け、安倍晋三首相と森雅子法相に宛てた抗議声明を発表した。
同協議会は声明で、「尊いいのちが国家の手によって奪われた」として、26日の死刑執行に強く抗議。「残虐でいつくしみに欠ける刑罰である死刑の廃止と、それに向けた執行の即時停止」を訴えた。
カトリック教会は昨年、死刑は「人格の不可侵性と尊厳への攻撃」だとして、カテキズム(教理に関する公式な解説書)を改訂。これまでは一部容認する立場だったが、全面的に許容しない立場に変更した。同協議会はこの立場について、「カトリック教会は、刑罰制度の厳格な適応により、死刑以外の方法で、犯罪の再発を防止し、社会の安全を確保することが可能になってきた今の時代、人間のいのちの尊さという原点に立って、死刑制度はその存在理由をもはや失ったと考えている」と説明している。
一方、刑が執行された魏死刑囚は、中国籍の元留学生2人と共謀し、2003年6月、福岡市内の男性宅に強盗目的で侵入。男性の妻と長男、長女を殺害し、首を絞めて仮死状態にした男性と共に一家4人を博多湾に遺棄したとされている。共犯者の2人は中国で拘束され、1人は05年に死刑が執行され、もう1人は無期懲役が確定している。
◎上記事は[Christian Today]からの転載・引用です
...................
〈来栖の独白 2019.12.27 Fri〉
>尊いいのちが
カトリック正平協、毎度、決まり文句で言い立てる。
が、論語は「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と言い、イエスは命よりも大切なものがあると云う。
「尊い命」と言いながらカトリック正平協は、道を誤った人たちに何を示したか。真人間に立ち返るために、彼の生前、何を為したか。
マタイ10章
28また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
34 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
35 わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
36 そして家の者が、その人の敵となるであろう。
37 わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
38 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
39 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。