遠藤誠一被告の上告棄却 2011/11/21 オウム全公判終結 元幹部死刑囚たちの手紙・・・

2011-11-21 | オウム真理教事件

オウム裁判:遠藤被告の上告棄却、死刑確定へ 全公判終結
 地下鉄、松本両サリンなど4事件で殺人罪などに問われたオウム真理教元幹部、遠藤誠一被告(51)に対し、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は21日、被告の上告を棄却する判決を言い渡した。1、2審の死刑が確定する。教団を巡る一連の刑事裁判は、教団元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)ら幹部が逮捕された95年から16年余を経て、全公判が終結した。死刑を言い渡された被告は13人にのぼり、法務省は全員の刑確定後、死刑執行について検討に入るとみられる。
 小法廷は「残虐、非人道的で結果の重大性は比類ない。実行犯ではないが、教団幹部の立場で科学的知識を利用し重要な役割を果たした」と述べた。
 刑事訴訟法の規定で最高裁判決に対しては10日以内に訂正の申し立てができ、遠藤被告と18日に死刑維持の上告審判決のあった中川智正被告(49)には申立期間が残されているが、棄却されれば判決が確定する。
 坂本堤弁護士一家殺害(89年11月)、松本サリン(94年6月)、地下鉄サリン(95年3月)の「3大事件」をはじめとする一連のオウム事件では計27人が犠牲(08年施行のオウム真理教犯罪被害者救済法の認定死者などを除く)になり、6500人以上が負傷した。計189人が起訴され、これまで地下鉄サリン事件の実行役を中心に11人の死刑が確定した。遠藤、中川両被告の死刑が確定すれば、確定判決は死刑13人▽無期懲役刑5人▽有期の実刑80人▽執行猶予付き判決87人▽罰金3人▽無罪1人。
 松本死刑囚への1審・東京地裁判決(04年2月)は、松本死刑囚を計13事件の首謀格と認定した。事件の動機は「松本死刑囚が武装化で教団の勢力拡大を図ろうとし、ついには救済の名の下に日本国を支配して王になることを空想した」と指摘。「信者の資産を吸い上げて得た多額の資金を投下して武装化を進め、無差別大量殺りくを目的とする化学兵器サリンを散布して首都制圧を考えた」とした。
 刑事訴訟法は、死刑執行は判決確定から6カ月以内に命令しなければならないと定めているが、共同被告人の判決が確定するまでの期間は算入しない。一連の事件では逃走中の指名手配容疑者が3人いるが、法務省は「執行停止の理由には当たらない」としている。
 遠藤被告への1、2審判決によると、94年5月~95年3月、両サリン事件のほか信者脱会を支援した滝本太郎弁護士らをサリンや猛毒のVXで襲撃した。【石川淳一】
◇ことば・オウム真理教
 84年2月に松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚が設立した「オウム神仙の会」が前身。87年6月に名称変更し89年に宗教法人格を取得。同年~95年まで坂本堤弁護士一家殺害や松本、地下鉄両サリンなど一連の事件を起こし計27人が犠牲になった(刑事裁判上の認定。08年施行のオウム真理教犯罪被害者救済法で新たに1人が地下鉄サリン事件の死者と判断され、松本サリン事件の被害者、河野義行さんの妻澄子さんが08年に亡くなり死者は計29人)。95年10月に東京地裁が宗教法人の解散を命令。その後、主流派の「アレフ」と、上祐史浩元幹部が設立した「ひかりの輪」に分裂し、布教活動を続けている。毎日新聞 2011年11月21日 11時09分(最終更新 11月21日 12時37分)

 ◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
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遠藤被告の死刑確定へ オウム裁判は事実上、全面終結
産経ニュース2011.11.21 10:42
 地下鉄サリン事件のサリンを製造したなどとして殺人罪などに問われ、1、2審で死刑とされた元オウム真理教幹部、遠藤誠一被告(51)の上告審判決で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は21日、遠藤被告側の上告を棄却した。死刑が確定する。
 平成7年3月の教団への強制捜査から16年余りを経て、一連の裁判は事実上全て終結した。教団をめぐっては、189人が起訴され、死刑確定は元教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)ら13人となる見通し。
 9月29日の上告審弁論で弁護側は、遠藤被告は麻原死刑囚のマインドコントロール下にあり、完全責任能力がなかったと主張。「各犯行の実行犯ではなく主導もしていない」などと犯意や共謀を否定し、極刑回避を求めていた。
 1、2審判決によると、遠藤被告は麻原死刑囚らと共謀し、6年の松本サリン事件と7年の地下鉄サリン事件で計19人を殺害。滝本太郎弁護士に対するサリン襲撃、猛毒VXによる脱走信者の支援者男性襲撃にも関与した。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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オウム裁判:悔悟の念、憤り、不安…死刑囚たちの手紙
 死刑を言い渡されたオウム真理教元幹部の中には確定前、本紙記者と東京拘置所で面会し、手紙をやりとりした死刑囚もいる。会話と文面には、悔悟の念や松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚に対する憤り、「極刑」への不安など、さまざまな心情がにじんだ。

    
   広瀬健一死刑囚から記者に届いた手紙=毎日新聞東京本社で
■広瀬死刑囚
 「私の愚かさが悔やまれます」。地下鉄でサリンを散布した広瀬健一死刑囚(47)は06年に記者と面会した後、3通計24ページの手紙を送付し、悔悟の念を伝えてきた。
 早稲田大大学院で高温超電導を研究する科学者だったが、手紙では「松本死刑囚の『力』によって私の悪業が消滅し、解脱に導かれたと感じる経験をした。『神』といえる存在でした」と当時を振り返った。一方で「独善的な教義にとらわれ、被害者の生命、人生、生活の大切さに気づかずに奪ってしまったことは人間として恥ずかしい限りです」と逮捕後の心境を吐露。松本死刑囚については「神の姿は完全に崩壊した」「責任を放棄して自己の殻に閉じこもる姿は情けない限り」と怒りをにじませた。
 元弁護人の一人は「真面目過ぎたということに尽きる。道を誤らなければ社会に貢献する人材になっていたはずだ」と悔やむ。達筆な文面にはこんな記載もあった。「罪の重さは決して薄れるものではないことを、年月の経過に比例して強く感じます」【佐藤敬一】
 ■早川死刑囚
 「『終身刑より死刑の方がまし』と考えていました。しかし今では『終身刑があれば、その方がいいかな』と思っています」。坂本堤弁護士一家殺害事件の実行役だった早川紀代秀死刑囚(62)は、08年8月に記者に送った手紙の中で「極刑」への不安を隠さなかった。
 心境変化の理由を「確定すれば2、3年で執行される時代になったこと。『塀の内の生活』に慣れ、このまま続けていけそうに思えるようになったこと」と記した。
 翌9月に面会すると「以前の(著書で書いた)ようにおわびとか何とかいう余裕がない。死ぬ準備をするところやから。執行までの間、徹底的に修行したい。勝手かもしれませんが」と打ち明けた。
 09年7月の最高裁判決前に改めて手紙を送り、判決3日前に届いた電報にはこう書かれていた。「お詫(わ)びはマスコミへの回答等でできるだけです。(死ぬ準備とは)断食して瞑想(めいそう)に専念することです」【武本光政】
 ■岡崎死刑囚
 最初に死刑が確定した岡崎(宮前に改姓)一明死刑囚(51)は確定前、拘置所での面会時に「こういう犯罪が二度と起きないために、私にできることは言っていきたい」と語った。その後届いた手紙には「愚かな私にできることは潔く刑に服し、最期の日まで被害者のご冥福を願うことが全て」とあり、現役信者に「一日も早く眼を覚まして麻原(彰晃=松本死刑囚)から離れてもらいたい」と訴えた。【森本英彦】
 ■土谷死刑囚
 サリン生成役の土谷正実死刑囚(46)は死刑確定前の今年1月に拘置所で面会した記者の求めに応じ、2月に手記を寄せた。被害者や遺族に謝罪し、松本(麻原)死刑囚を2度目以降で「A」と略して「(逮捕後は)事件の悲惨な被害に対する罪悪感と、Aへの帰依心との間で葛藤していた」と明かした。
 06年に松本死刑囚の1審判決時の様子を雑誌で読み「詐病に逃げた」と確信し「帰依心がはっきりと崩れた」と告白。「個人的な野望を満足させるために弟子たちを反社会的な行動に向かわせた」と「A」を批判した。【伊藤一郎】毎日新聞 2011年11月21日 12時29分(最終更新 11月21日 12時43分)

 ◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
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林受刑者求刑、当初は死刑=検察上層部再検討し無期に―オウム公判
2011年11月20日3時6分
 地下鉄サリン事件の実行役5人のうち唯一、無期懲役が求刑されたオウム真理教元幹部林郁夫受刑者(64)について、検察内部で当初、原案として死刑求刑を決めていたことが19日、関係者の話で分かった。その後、検察上層部が検討を重ね、無期懲役に変更されたという。
 その際、元幹部の広瀬健一(47)、岡崎(現姓宮前)一明(51)両死刑囚らについても、捜査への協力姿勢から死刑求刑見直しが検討されたが、覆されなかった。関係者は「(林受刑者が)地下鉄サリン事件について率先して自白し、捜査の突破口を開いたことが大きかった」としている。[時事通信社]
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関連: 「闇サイト殺人事件」存在感増す遺族 自首によって残りの2人が早期に逮捕されたことは確かだ
 中日新聞夕刊【大波小波】2009/03/25
 闇サイト殺人事件の3人の被告への判決を伝えるテレビのニュースやワイドショーの多くは、判決への客観的な分析よりも、無念を訴える被害者の母親のインタビューを前面に出しながら、1人が死刑ではなく無期になったことへの異を唱えることに終始した。
 確かに犯行はあまりにもむごたらしい。でもむごたらしいからこそ冷静に考えねばならない。反省のない自首など評価すべきではないとの論調が多いが、自首によって残りの2人が早期に逮捕されたことは確かだ。自首しても減軽が見込めないとの前例を作れば、今後は同種の事件の解決が困難になることも予想される。 殺人事件のほとんどは、その過程を克明に描写すれば、この事件と同様にむごたらしい。闇サイトなどで世間から注目された事件だったからこそ、今回はその残虐性が浮き彫りになった。同時に3人の男たちの護送中の映像が、あまりにふてぶてしくて悪人面であったことで、世間の憎悪がヒートしたことも確かだろう。
 厳罰化は加速している。その自覚があるならそれもよい。でもその自覚がないままに、「悪いやつはみな死刑だ」式の世相が高揚することに対して、(特に感情に訴える映像メディアは)もう少し慎重であるべきだ。
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元裁判長「例外中の例外」=林受刑者への無期判決
2011年11月19日
 「空前絶後、例外中の例外」。オウム真理教元幹部林郁夫受刑者の一審で裁判長を務めた元判事の山室恵弁護士(63)は、19日までの時事通信社の取材に対し、地下鉄サリン事件の実行役だった林受刑者を無期懲役とした判決について、極めて異例の判断だったと強調した。
 審理の途中から裁判長を引き継いだ際の心証は「泣こうが叫ぼうが死刑」。林受刑者が法廷で泣き崩れた際も「冷ややかに見ていた」と明かす。
 ところが検察側は、反省や捜査への貢献を理由に異例の無期懲役を求刑した。「えらいことになった」。悩んだ末に出した結論は求刑通り。「検察が無期でいいと言っているのに、裁判所が死刑が正しいとは言えない」との判断だったが、「今でも引きずっている」と複雑な胸中を明かす。
 坂本堤弁護士一家殺害事件などに関与した岡崎一明死刑囚に対しては、林受刑者と同様に自首を認めたが、求刑通り死刑を言い渡した。結論が分かれた理由を、「反省の真摯(しんし)さ」と言い切った。
 林受刑者の求刑決定に関わった元検察幹部は、「自発的に話しており、司法取引とは違う」と説明した。(了)
[時事通信社]
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オウム事件の元取調官、林受刑者と今も問答
 オウム真理教による一連の事件の裁判が、21日にも終結する。
 地下鉄サリン事件の実行犯でありながら、事件解明につながる供述が評価され、極刑を免れた元教団幹部の林郁夫受刑者(64)は、無期懲役刑を受けている千葉刑務所でその日を迎える。供述を引き出した警視庁の取調官は、林受刑者と面会や文通を続け、事件といつまでも向き合っていくよう語りかけている。
 事件当時、同庁機動捜査隊の警部補だった稲冨功さん(65)は年に1~2度、刑務所の面会室で林受刑者と会っている。6月の面会では、林受刑者の手紙にあった「犯罪はなぜ起きるのか」という問い掛けに、自らの考え方を20分にわたり語った。坊主頭の林受刑者は時折うなずきながら、真剣に聞き入っていたという。
 石川県内で1995年4月8日、自転車を無断で使った容疑で逮捕され、移送されてきた林受刑者と、連日、向き合った。表情はこわばり、目はうつろだった。
 医師だった受刑者を「先生」と呼び、同い年として思い出の音楽やドラマの話をして心を解きほぐした。5月6日夜、林受刑者は「サリンをまきました」と、突然自白した。稲冨さんは思わず、「先生ウソだろ。誰かをかばってるんじゃないの」と問いかけたが、林受刑者はその後、ほかの実行犯の名前も明かしていった。麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(56)を指す「尊師」という言葉は徐々に出なくなり、時折笑顔も見せるようになった。
(2011年11月20日03時01分  読売新聞)
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オウム裁判「死刑執行前に反省を」 「ひかりの輪」上祐史浩代表
2011年11月20日22時46分:産経新聞
 オウム真理教に強制捜査(平成7年)が入ると会見やテレビ番組などで、教団を正当化する主張を繰り返した。早大のディベート・サークルで鍛えた弁論術を生かし、相手の考えを封じる姿は「ああいえば、上祐」と呼ばれた。
 オウムの流れをくむ宗教団体「ひかりの輪」の上祐史浩代表(48)。いまは、あれだけ信奉していた「尊師」こと麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)を「麻原」と呼び捨てにする。
 「裁判が終結すると、今度は死刑執行が遅かれ早かれ始まるだろう。麻原は、執行前にきちんと反省すべきだ。反省の言葉を発しないまま死刑になると、神格化してしまい危険だ」
 一連のオウム裁判を通じて、一度たりとも真相に向き合おうとしなかった麻原死刑囚の態度に、強い疑問を感じているという。
 他の死刑囚、被告らについては「反省しているように見える人もいるし、そうでない人もいる」と冷静に分析する。
 だからといって、教団の正当化を吹いた自分の過去が清算されるとは思っていない。「道義的責任は免れ得ないと思っている」
 教団のモスクワ支部に長くいたことなどがあって、地下鉄サリン事件などについての全容を知る立場にはいなかった。だが、「教団の関与はうすうす感じていた」と告白する。
 幹部同士が地下鉄事件の証拠隠滅を確認するような会話を聞いた。麻原死刑囚が「サリン事件は教団が悪いことをした」と発言するのも聞いた。
 「事実と違う説明をしている自覚もあった。だが私自身、深い洗脳状態にあり、教団を守りたい、丸く収めたいと考えていた」
 自身は、殺人事件への関与はなかったものの、教団による熊本県内の土地取得をめぐる国土利用計画法違反事件で偽証罪などにとわれ、懲役3年の実刑を受けた。起きるはずだったハルマゲドンが起きず、独房の中で少しずつ“洗脳”が解け始めたという。
 出所後、1度だけ、麻原公判を傍聴したことがある。引きずられるように法廷に現れ、顔や手を小刻みに震わせる麻原死刑囚を見て、「『壊れた、終わった人』と感じた」。その後、教団の後継団体「アレフ」の代表となった。
 麻原死刑囚の呪縛と「完全に決別した」というのは5年前。「自分なりの神秘体験で、麻原への精神的帰依が心が晴れるように消えた」と説明する。
 ところが、オウムの後継団体「アレフ」の信者らにとっては、麻原教が上祐教になったことになる。団体の主導権争いが起き、4年前に約160人の元信者とともに教団を離れ「ひかりの輪」を設立した。
 反省しているなら解散を-。そんな声も届くが「宗教家をやめるつもりはない」と断言。「オウムなど従来の宗教を超える、新しい宗教の創造を目指す」と“崇高”な目標を掲げる。
 だが「ひかりの輪」は、公安調査庁から「オウム真理教上祐派」とみられ、団体規制法の観察対象となっている。施設周辺では、立ち退きや解散を求める住民運動も続いている。上祐代表の考えや理想は、社会には共感はないのが現実だ。(大島悠亮)
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オウム公判:教団元幹部「信仰で現実見失い、ばかだった」
■カルトに居場所求めた秀才たち
 オウム真理教による一連の事件で、元教団幹部の遠藤誠一被告(51)=1、2審死刑=に対する最高裁判決が21日言い渡される。上告が棄却されれば事件の全公判は終結するが、教団を率いた松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)の指示で高学歴のエリートらが27人もの犠牲者を出した事件には謎が残る。「車両省」元大臣で09年に教団を去った野田成人元幹部(45)が毎日新聞の取材に応じ、当時の心境を語った。
■「若い人が希望見いだせない社会は危険」
 「信仰で現実を見失い、過ちに気づかなかった。ばかだった」。野田元幹部は事件への謝罪を込めそう総括する一方、「若い人が希望を見いだせない今の社会では再びカルトが台頭してもおかしくない」と警鐘を鳴らす。
 転機は87年。東京大物理学科でノーベル賞を目指したが「逆立ちしても勝てない」先輩がいた。挫折感。一方で、当時のバブル景気に踊り、金を使って遊び回る他の学生たちに嫌悪と疎外感を覚えた。そんな時、「解脱(げだつ)と悟り、人類救済」を説く松本死刑囚の著書に出合った。「ノーベル賞なんて、自分のことしか考えていないことが恥ずかしくなった」。セミナーに2回参加してすぐに出家した。
 修行で「師」の称号を受け、居場所を得て米国で支部拡大を図った。「世紀末にハルマゲドン(人類最終戦争)が起こる」との教えを信じ、「救われたい」との思いを強めた。
 90年の衆院選惨敗で教団は変わった。松本死刑囚は「票がすり替えられた。調べろ」と命じた。異論を漏らした幹部はいつのまにか姿を消した。「誰も(松本死刑囚に)口を挟めない雰囲気が醸成されていた」。教団は武装化に走り出した。
 核兵器研究と「レールガン(電磁砲)」製造の指示を受け、豪州でウラン採掘を試みた。いずれも実現せず、罪に問われることはなかった。93年に始まったサリン生成実験も知っていたが、「作れないと思っていた」。
 だが、地下鉄サリン事件直後、故村井秀夫幹部から教団の関与を聞いた。捜索が入り、自分と同じような幹部の大半は逮捕された。
 「自分がやっていることを現実に使った場合にどうなるか、個々の信者は考えていない。組織が大きくなり断片しか見えず、みんなが動いていることに安心してしまう」。その時を振り返り、こう付け加えた。「一つの世界に閉じこもると現実が小さくなる。輪廻(りんね)転生を考えると、今の現実世界で人が死のうと全く関係ない。そこに大きな乖離(かいり)がある」
 逮捕を免れ教団に残った自分も「人類救済の理想に比べれば、事件は相対的に小さかった」。だが、信者の住居を確保しようとするたび反対運動に遭い、「教団は社会の中にある」と思い直して現実世界が大きくなってきたころ、ハルマゲドンが起きるはずだった世紀末は過ぎていた。
 教団内で事件の謝罪と賠償を主張したが04年7月、医薬品無許可販売で逮捕され有罪に。教団は「アレフ」と「ひかりの輪」に分裂、自身は09年にアレフから「追放された」。
 現在、ホームレス支援に取り組む野田元幹部はこう呼び掛ける。「派遣切りや引きこもり、社会は事件当時より悪化している。若い人が捨て鉢になってカルトに居場所を見つけるかもしれない。我々が社会を発展させる段階で失ったものを取り戻す努力をしないと」毎日新聞 2011年11月20日 9時27分(最終更新 11月20日 9時38分)
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オウム裁判:終結 「オウム、ばか」癒えぬ被害者の深い傷
 「救済」の名の下に行った無差別テロで日本を震撼(しんかん)させた、オウム真理教による一連の事件の公判が21日、教団「厚生省」大臣だった遠藤誠一被告(51)への死刑判決で全て終わった。教団を率いた松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚の逮捕から16年半。死者27人、負傷者6500人以上という空前の事件から長い年月を経て大きな区切りを迎えたが、被害者や遺族が受けた深い傷が癒えることはない。【石川淳一、川名壮志、長野宏美】
 「さっちゃん、もう、忘れちゃいなよ」。東京近郊に住む浅川一雄さん(51)は、ベッドに横たわる妹幸子さん(48)に優しく語りかける。16年前の朝、地下鉄サリン事件に遭遇し、寝たきりとなった幸子さんは今もしばしば目の痛みを訴え「オウム、オウム、ばか」と声を絞り出す。
 子供好きの妹だった。95年3月19日、浅川さんの長男が小学校に上がるからと、ランドセルを買ってくれた。夜は夕食も囲んだ。事件に遭ったのはその翌朝だった。
 「すぐに病院に行ってほしい。重篤です」。浅川さんは仕事先で連絡を受けた。病院に駆け付けると、幸子さんは医療器具につながれていた。「お兄ちゃんが来たから心配ないよ!」。叫んでも返事はなかった。
 一命は取りとめたものの、医師に「一緒に食事したり、話をするのは無理」と告げられた。サリン中毒による低酸素脳症。視力を失い、言語障害も重く、寝たきりになった。8年半の入院を経て、浅川さんは自宅を改築して迎え入れた。ミキサーで細かくした3食分を妻が用意し、ヘルパーが毎日訪れて食事を口に運ぶ。「私たちに何かあったら、妹はどうなるんだ?」。先の見えない介護に不安がのしかかる。
 「オウム真理教犯罪被害者救済法」が08年に施行され、地下鉄サリンなど8事件の被害者には給付金が支給された。だが、1人で一生を過ごすには十分ではない。「事件は国家を狙ったテロ。妹は国の身代わりになったのだから、国は妹が一生生活できる補償をすべきだ」。事件前、幸子さんに抱っこしてもらっていた長男も23歳になり、介助する側になった。
 09年、幸子さんが乗った地下鉄丸ノ内線の車内でサリンをまいた広瀬健一死刑囚(47)の裁判を「手を下した人間の裁判を見に行こう」と車いすを押して最高裁に傍聴に行った。だが、怒り続けることにむなしさも感じる。「自分も親。広瀬の死刑が執行されたら、彼の親はどう思うだろうかと複雑になる」。事件後、広瀬死刑囚から送られてきた手紙は一度だけ読んだが、その後は開封する気になれない。
 頭から事件が離れることはないが、人生を歩むため前に進まないといけないと思う。「裁判が終わっても妹が治るわけじゃない。裁判終結は節目ではなく、通過点という気持ち」と受け止める。
毎日新聞 2011年11月21日 11時42分(最終更新 11月21日 12時16分)
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松本死刑囚 意思疎通できず
NHKニュース11月21日 17時27分 
 麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚は、現在も東京拘置所に収容されていて、関係者によりますと、意思の疎通ができない状態が続いているということです。
 松本死刑囚は、1審の途中から事件について口を閉ざし、法廷でも意味不明な発言を繰り返すようになりました。平成16年に、東京地方裁判所で死刑判決を受けたあと、2審は開かれずに裁判が打ち切られたため、公の場には姿を現していません。平成18年に裁判所の依頼で松本死刑囚と接見した精神科医の意見書では、独り言を繰り返す以外は無言で、入浴や運動には拘置所の職員の介助が必要だとされています。関係者によりますと、数年前までは、家族が定期的に面会に訪れていたということですが、家族からの呼びかけにも全く応じなかったということです。さらに、松本死刑囚は、3年ほど前から家族や弁護士が面会に来ても応じなくなっているということで、口を閉ざして意思の疎通ができない状態が続いています。一方、21日の遠藤被告の判決で松本死刑囚の共犯者全員の判決が確定することになり、死刑を執行するうえでの条件が1つ整ったことになります。しかし、松本死刑囚は、現在、2回目の再審請求中で、法務省が執行について検討を始めるかどうかは不透明な状況です。
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〈来栖の独白 2011/11/21Mon.〉
 遠藤被告の刑確定は、年内にはないだろう。それにしても、18日の中川被告判決から遠藤被告へ続くオウム真理教関連の報道記事は、昨年までに比べて多いように感じる。私一己の感じかもしれないが。メディアにリードされる世論・感情も、死刑OKのようだ。このようにして世論は醸成される。
 この勢いなら、年内に誰に死刑執行しようと、或いは明年それこそ松本智津夫死刑囚を含むオウム事件死刑囚何人かに死刑執行しようと、異論は出ないだろう。
 オウム事件については、私は全くといって知識・情報を持たない。先日上告棄却された中川氏が(ウィキペディアによれば)同郷であると知って、と胸を衝かれた、そんなところである。岡山は古い学歴主義(偏重)の地方である。そういう土地柄で、岡山大学付属小中から名門朝日高校、京都府立の医学部へ進んだ中川氏。そのお母様の、中川氏オウム入信以後の胸中を思いやるだに、私は涙を禁じ得ない。どんなにどんなにお辛い歳月だったことだろう。親として、わが子が死を賜る(逆縁)ほど辛いものはない。筆舌に尽くせない思いが、今私の胸中にある。この空の下、死刑囚の母となって生きる人がいる。なんと、苛酷な人生であることだろう。
 中川被告の「松本氏は、真相を語ってほしい」との訴えが、私にも切実に響く。有為な若者が大それた罪を犯した。若い手にかかってあまたの命が奪われた。これら多くの命・人生に対して、麻原彰晃氏は真相を告白すべきだ。「子どもを苛めるな」というなら、その言葉のわけを語ってほしい。そうでなくては、多くの命が、納得できまい。けれども、メディアは「松本死刑囚 意思疎通できず」と伝える。どうなのか。塀の向こう、行刑施設の奥深くにいる囚人である。
 記事に接する限り、誰一人として更生可能性のない若者などいないように私の眼には映る。有為な、一途な彼ら・・・。もう一度、もう一度、生き直すチャンスを与えてやって、と願わずにはいられない。生き直すことが許されるなら、きっと正しく、愛をもって、生きるであろう彼ら。
 麻原氏が死刑執行されたなら、麻原信奉者にとっては殉教となる。このような事実のすべてを他人事と決め込んで一人「優良」を標榜する既成教団。私も、その一員である。イエスがこのような事実のすべてをご覧になったら、どのようにおっしゃるだろう。仏陀がご覧になったら、親鸞さんがご覧になったら、どのようにおっしゃるだろう。考えないではいられない。
...............................
オウム坂本堤弁護士一家殺害事件/死を一人称で考える/中川智正被告の母/坂本堤さんの母さちよさん
16年目の終結 オウム裁判/河野義行さん/滝本太郎弁護士/元裁判長 山室恵氏/中川智正被告
麻原が「子供を苛めるな。ここにいる I証人は 類い稀な成就者です」と弁護側反対尋問を妨害 オウム事件
「オウム真理教事件」 遠藤誠一被告の判決訂正申立を棄却/全員の判決確定


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