16年目の終結 オウム裁判/河野義行さん/滝本太郎弁護士/元裁判長 山室恵氏/中川智正被告

2011-11-18 | オウム真理教事件

【16年目の終結 オウム裁判】
(4)妻の命奪った実行犯 面会続ける河野義行さん
産経ニュース2011.11.14 22:01
 「『恨み』を持ち続けながら生きていくことは不幸だ」と考えている。被害者にとっても、加害者にとっても…。だからこそ、松本サリン事件を起こし、自らの家族を苦しめ、妻の命を奪った実行犯らに対して、寛容な態度で接してきた
 一昨年と昨年、東京拘置所で井上嘉浩死刑囚(41)、新実智光死刑囚(47)、そして最高裁判決を前にしている中川智正被告(49)、遠藤誠一被告(51)の教団幹部4人と面会し、謝罪の言葉を受けた。
 「何が変わるわけでもないが、彼らの気持ちが、少しでも穏やかになればいい」と面会の意図を語る。
 遠藤被告との面会では、松本事件でのサリン噴霧車の構造図を見せられた。手書きの図だった。「噴霧装置じゃない?」と答えると、「結構詳しいですね」と返ってきた。
 「現実感がないというか。まるでドラマで悪役を演じた役者と会ったような感じ」と振り返る。
 10代で入信し“オウムの申し子”と呼ばれた井上死刑囚からは、死刑に対する認識を聞いた。仏教は輪廻(りんね)転生を説く。「終わり(死刑)は終わりなの?」と問うと、井上死刑囚は「自分の終わりは始まりです」と応じた。「人生をやり直すという考えがあるなら安心しました」と返すと、笑顔をみせたという。
 サリン噴霧車を製造し、懲役10年の刑を受けた元受刑者とも「友達」になった。出所後、申し訳なさそうな顔で自宅前に現れた元受刑者。服役中に学んだ職能技術をいかし、河野さん宅の庭木の手入れをし、釣りにでかける仲になった。「あいつはもうオウム(アレフ)には戻らない」
 なぜそこまで寛容になれるのか-。「それは私も『被疑者』扱いされたからだ」と即答する。
 平成6年6月27日の事件発生後、警察は河野さんの家から複数の薬品を押収。本来は被害者である河野さんを“犯人視”する報道が相次いだ。
 犠牲者の遺族らから「殺してやりたい」「お前がサリンで死ね」と書かれた手紙が何通も届いた。
 そんな経験を通じ、「恨んで、恨んで…。死刑が執行されて晴れ晴れするかといえば、そんなことは絶対にない。恨みを持ち続けながら生きていくことは不幸だ」と思うようになった。
 「人を恨むより、私にとっては妻が命をつないでくれたことへの感謝のほうが大きかった」
 事件の後遺症で意識の戻らないまま、ベッドの上で過ごす妻の澄子さん=享年(60)=を14年間、介護し続けた。「家内を回復させる。それが私の戦いだった」。体は動かないが声は聞こえる。呼びかけに対し、涙を流し、顔をゆがめ、反応があるたびに希望がわいた。
 澄子さんの三回忌を迎えた昨年、鹿児島市に移り住んだ。いまはマンションの一室で隠居生活を送る。「私にとってのオウム事件は、3年前に妻が亡くなったとき、すべてが終わったんです。いまは少し離れたところで人生をリセットしたい。最後に笑って終われるように」(伊藤鉄平)
     ◇
*松本サリン事件 平成6年6月27日夜から翌未明にかけ、長野県松本市の住宅街でオウム真理教が猛毒のサリンを散布、8人が死亡、660人が重軽傷を負った。教団松本支部の立ち退き訴訟を審理していた、裁判所松本支部の官舎を狙った犯行だった。
 警察は当初、現場近くに住み、事件の第1通報者だった河野義行さんを取り調べ、河野さんを犯人視する報道が続いた。オウムの犯行と分かったのは平成7年の地下鉄サリン事件後のことだった。その後、警察、報道各社が河野さんに謝罪した。

(5)滝本太郎弁護士「信者なくなるまで戦う」
産経ニュース2011.11.16 11:37
 今月3日、翌日の命日を前に鎌倉・円覚寺で営まれた坂本堤弁護士=当時(33)=一家の二十三回忌法要。滝本太郎弁護士(54)は墓前に手を合わせた。「21日で全員の判決が確定しちゃうよ。どうしたらいいかな」
 オウム被害者弁護団の活動をするなかで、教団の凶行の犠牲になった坂本弁護士とは彼の司法修習時代から、酒を酌み交わす仲だった。
 「坂本だけをオウムに立ち向かわせてしまった」
 猛烈な後悔の念が、滝本さんの人生を変えた。
 滝本さんは一連の裁判で、教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)以外の死刑執行反対を訴えてきた。一連の事件は、麻原死刑囚によるマインドコントロールのもとで起きたと考えるからだ。だから、教団施設の調査や、信者の脱会活動を積極的に展開した。
 そんな熱心な活動ぶりが「『魔法』を使って滝本をポア(転生の意。殺人を正当化する教団用語)する」(麻原死刑囚)と標的になるまで、時間はかからなかった。
 平成6年5月、車のフロントガラスからサリンを流し込まれた。太陽が「縁だけ赤く、黒っぽく」見え、間もなく嘔吐(おうと)。
 それでも、「オウムをなくすのが坂本の無念を晴らすこと」という信念は揺るがなかった。7年6月、信者の脱会後の生活をサポートする「カナリヤの会」を発足。裁判の傍聴や、拘置所にいる幹部らへの面会も積極的にした。
 「信者がマインドコントロールされる過程を知り、再発防止につなげたい」という一心からだ。
 「カナリヤ」には元出家者100人以上が訪れたが、麻原死刑囚の呪縛から解き放たれるまでに10年の歳月を要するケースもあった。3人に1人は精神科に通院した。苦悩の末に命を絶つ元信者もいた。
 オウム事件の実相に近づくほど、「洗脳」の深刻さは実感を増した。多くの命を奪った教団幹部たちでさえ、そんな“被害者”と考えるようになった。
 印象に残る幹部の一人が上告中に拘置所で面会した林泰男死刑囚(53)だ。地下鉄サリン事件で、他の実行役がサリンの入った袋を2つ持ったのに、林死刑囚は3つ持ち込み“殺人マシン”と言われた。
 「少しは悪い感じのやつだったらよかったのに…」。当時の様子を率直に振り返る話しぶりからは、死刑を言い渡した1審判決ですら「人間性自体を取り立てて非難できない」と表現した素朴な人柄がにじみ出た。
 「悪意の殺人には限度がある。善意の殺人には限度がない」。素朴な人柄の“善人”ですら、殺戮(さつりく)に駆り立てるカルトの恐ろしさを改めて実感した。
 「アレフ」「ひかりの輪」などオウム後継団体の信者からは、現在も連絡があり、話を聞いている。そこには、「先生はうまいことポアされなくて、残念でしたね」と無邪気に笑いかけてくる若者たちの姿がある。事件前同様、カルトにのめり込む若者たち…。
 「麻原を信じる人間がただの一人もいなくなるまで、自分の戦いは終わらない」。天国の友に思いを馳せ、決意を繰り返す。(時吉達也)
     ◇
*洗脳と脱会信者支援
 オウム真理教のようなカルト教団の中では、信者らは「洗脳」あるいは「マインドコントロール」といった状態になり、正常な判断能力を失う。そのため、脱会活動や脱会した信者らには手厚いケアが必要となる。平成7年の強制捜査以降、脱会者は急増。信者の親などで組織される「オウム真理教家族の会(旧被害者の会)」や、元信者が相互カウンセリングをする中で完全な脱却を図る「カナリヤの会」、カウンセラーや宗教学者らによる「日本脱カルト研究会(現協会)」などが支援や情報交換をしている。

(6)元裁判長の山室恵氏「懺悔の涙、本物だったか」
産経ニュース2011.11.16 21:47
 自分の下した判決は正しかったのか。慟哭しながら懺悔を繰り返した被告の涙は“本物”だったのか。地下鉄サリン事件の実行犯、林郁夫受刑者(64)を無期懲役とした元東京地裁裁判長の山室恵弁護士(63)は、判決から13年を経た今、ふと思う時がある。
 「やはり、生きていちゃいけないと思います」。法廷で対(たい)峙(じ)した林受刑者は、医師である自分が人を救うどころか殺害に手を染めたことへの悔悟の念と、死刑への覚悟を何度も口にした。被告の号泣に法廷は静まり返った。
 だが、裁判官席から見つめる山室さんの視線は冷静だった。「泣こうがわめこうが反省しようが、『こいつを死刑にするんだ』と思っていた」と告白する。
 林受刑者の散布したサリンで2人が死亡、地下鉄事件全体で犠牲者13人という事実は重かった。
 しかし、検察側の求刑は「無期懲役」。林受刑者の自供が教団の組織犯罪解明につながったことなどが酌まれたためだ。
 極刑やむなしと考えていた山室さんは、この時の衝撃を「天井を打たれた」と表現する。求刑を超える判決を言い渡すことも可能だが「懲役を1年増やすのと、無期を死刑にするのでは訳が違う」。
 判決に頭を悩ませる日々が始まった。たばこと酒の量は増え、眠れない日もあった。書き上げた判決文を、宣告までの2週間で数え切れないほど読み返した。「ほぼ空で言えるまでになった」。平成10年5月、無期懲役の宣告に林受刑者は深々と頭を垂れた。
 最近、気になる話を耳にした。「林受刑者が、服役中の千葉刑務所で座禅を組んでいる」という。真偽は不明だが、教団のヨガが頭に浮かんだ。「結局はそこに戻っていったのかなぁ」
 判決後、公判に立ち会った地裁職員から「山室さん、だまされてるんじゃないですか?」という言葉をかけられたことがある。当時は気にしなかったが、今になって心が重い。
 「あの時、あの日本という場で、あの事件で判決するとしたら、やっぱり同じようにしたと思う。それについて反省はない」。そして、こうも続けた。「でも、違う物差しで振り返ってみれば、本当によかったのかなとも思える。これが『歴史が裁く』ってことなんだろう」
 林受刑者への判決の5カ月後の10年10月、坂本堤弁護士一家殺害事件の実行犯、岡崎一明死刑囚(51)に、オウム真理教事件で初めてとなる死刑判決を言い渡した。これを皮切りに、他の幹部らへの死刑判決が相次いだ。
 「死刑は必要」という考えだが、「オウム事件によって、社会の死刑に対する感度が鈍くなった。死刑というのはまさに極刑なんだという認識が少し薄れた」との危機感も抱く。
 オウム裁判の終結には「長い年月がたったんだなぁ」。刑事裁判官生活を振り返り、「死刑に関与するっていうのは嫌なことだよ。『あんた死ね』というんだから。重いことだよ」とつぶやいた。(滝口亜希)
*オウム裁判での死刑と無期
 189人が起訴された一連の裁判で、すでに死刑判決が確定したのは11人。このうち地下鉄サリン事件に関しては、散布役となった5人のうち4人が求刑通りの死刑判決となった一方で、林郁夫受刑者だけは求刑通りの無期判決となった。検察は林受刑者の供述が「自首」に相当すると判断した。死刑と無期をめぐる判断の相違では、井上嘉浩死刑囚に関して、1審で死刑求刑に対して無期判決、2審、最高裁で死刑判決となった。
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オウム裁判終結へ、中川被告からの手紙
 あわせて189人が起訴されたオウム真理教による一連の事件は、まもなくすべての刑事裁判が終わります。サリン製造の中心的な役割を果たし、一審、二審で死刑を宣告され、18日、最高裁判決を受ける元幹部が反省の気持ちと、一方で今も抱える教祖への割り切れない思いを手紙に綴りました。
 「被害者の方々、ご遺族の方々にはこの場をお借りいたしまして、心からおわび申し上げます。誠に申し訳ございませんでした」(中川被告の手紙)
 中川智正被告(49)。京都の医大に在学中にオウムに入信。麻原彰晃、本名、松本智津夫死刑囚の主治医として仕え、サリンの製造などで中心的な役割を果たしたとして、11の事件で殺人などの罪に問われ、一審と二審で死刑を言い渡されました。
 「ただ、ただ、頭を下げて、おわび申し上げるだけでございます」(中川被告の手紙)
 17日、弁護士を通してJNNの記者に届けられた中川被告からの手紙には、ただひたすら謝罪の言葉が重ねられていました。
 その中川被告と、事件の被害者という立場にありながら、ずっと向き合ってきた男性がいます。オウム真理教家族の会・会長の永岡弘行さん(73)。
 永岡さんは16年前、オウム真理教に入信した長男を脱会させようと奔走していた矢先、猛毒のVXガスを背後から吹き付けられ、意識不明の重体となりました。その後、長男は教団から脱会しましたが、永岡さんの体は今も右半身がマヒしたままです。
 「(中川被告に恨みは?) 恨みはない。本当にそうなんです。大人である我々が(事件を)阻止することができなかった」(永岡弘行さん)
 永岡さんを襲ったVXガスを製造した男。それこそが中川被告でした。中川被告は、なぜ犯罪に手を染めたのでしょうか。永岡さんは法廷を傍聴し、拘置所での面会を続けて来ましたが、最後の判決を目前にした中川被告の変化に驚いたといいます。
 「大きく変わったのは最後。穏やかな顔つきになっていた」(永岡弘行さん)
 しかし、かつての教祖、松本死刑囚に対しては、今も割り切れない思いを抱いています。
 「麻原氏が何も話さずに裁判を終えてしまったことは、個人的な感情を抜きにしても、同じような事件を2度と起こさないという目的からして、残念でしょうがありません。彼しか分からないことが沢山あったのです」
(中川被告の手紙)
 教団への本格捜査から16年余り。松本死刑囚は何も語らぬまま、これまでに11人の死刑が確定しました。
 「何よりも罪の重さを自覚しつつ、自己を見失わずに残りの人生を終わりたいと思います」(中川被告の手紙)
 来週、月曜日の元幹部の裁判で、一連のオウム裁判は事実上終結します。(TBS News 17日16:51) *リンクは来栖


関連;元オウム真理教幹部井上嘉浩被告の上告棄却
【社会部発】オウム裁判終局 「真相」なお疑問
産経ニュース2009.12.10 21:19
 約190人が裁かれたオウム法廷は、4被告を残すだけとなった。中でも麻原彰晃死刑囚の側近だった井上被告の判決確定は、オウム裁判全体が終局にあることを象徴する。
 井上被告を含む一連のオウム判決は、事件が教祖だった麻原死刑囚の指示・首謀で起こされたことを事実認定することで、刑事上の責任を総括していった。
 しかし、法廷を取材した経験を持つ者として一連の裁判が、前代未聞の大量殺人がなぜ起きたかの真相に肉薄したかについては、若干の疑問が残っている。何人もの被告の1審を傍聴した宗教学者が「凶行は教祖と弟子の欲望、感情がドロドロに重なりあったところに生まれたという一面もあるはず。刑事手続きには表れない生々しいオウムの部分を知りたい」と話していた。
 そんな中にあって、井上被告の法廷での様子や、接見した人から伝わる拘置所での様子は、教団のドロドロぶりや、1人の若者の心の葛藤(かつとう)、心の弱さが色濃く出たという点で異彩を放っていた。
 「オウムの申し子」「修行の天才」と評価され、1千人を入信させたという逸話もある被告。1、2審では、教祖夫妻の痴話げんかなどを饒舌(じようぜつ)に暴露しながらも、遺族から「格好いいことばかり言って」と批判されると激しく狼狽(ろうばい)。「申し訳ない」と何度も涙を流した。1審で「無期」宣告された時には、死の緊張感から解き放たれたためか、激しく泣いた。
 弁護人は最近の様子を、「16歳で入信、子供のままだった被告が、ようやく少し大人になってきたように感じる」と語る。他の教団元幹部らの死刑確定を聞くと、絶句し、言葉が出ない状態という。
 井上被告が法廷や接見者らにさらした生々しい姿。酌み取れる部分があれば、カルトによる悲劇を繰り返さないための教訓にしなくてはいけない。
 ただ、オウム裁判全体を見たときに、麻原死刑囚が何も事実を語ることなく裁判を終えてしまったことが返す返すも残念だ。(赤堀正卓、酒井潤)
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井上嘉浩被告の死刑確定へ オウム事件で9人目
2009年12月10日 16時36分
 1995年の地下鉄サリン事件など10事件で殺人罪などに問われた元オウム真理教幹部井上嘉浩被告(39)の上告審判決で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は10日、被告の上告を棄却した。一審の無期懲役判決を破棄し、死刑とした二審東京高裁判決が確定する。
 一連のオウム事件での死刑確定は、松本智津夫死刑囚(54)=教祖名麻原彰晃=らに続き9人目。うち一審が無期懲役だったのは井上被告だけだった。元幹部新実智光被告(45)ら4人は上告中。
 井上被告は京都市出身。16歳で教団の前身「オウム神仙の会」に入り、教団では「諜報省大臣」を務めた。弁護側は「二審は地下鉄サリン事件での役割を過大視し死刑の結論を導いた。被告の反省も深まっている」として、死刑回避を求めていた。
 判決によると、井上被告は松本死刑囚らと共謀し95年3月20日、営団地下鉄(現東京メトロ)でサリンを散布し、乗客や職員12人を殺害するなどしたほか、94年の元信者ら2件の殺人事件に関与。95年には目黒公証役場事務長を拉致し監禁、死亡させた。(共同)
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〈来栖の独白2009/12/10〉
 オウム真理教に拉致されて死亡した目黒公証役場元事務長の長男、仮谷実さんは、本日のNHKの報道の中で「井上被告は、判決が無期懲役から死刑に移ってからは、自らを語らなくなった。自分ひとりで完結させてしまった。真相を知らないでは、遺族は、終わることが出来ない」と云った。井上被告、死刑と無期刑との間で烈しく揺れているようだ。
 井上被告同様、先般確定した豊田・広瀬死刑囚たち皆に、事件について、生死について、人生について、そして仏法について、心ゆくまで考えさせてあげたい。若すぎる彼ら。本来優れた感性の持ち主であったのに、人生のとば口で、散らしてしまった。
 仏陀は言う。「法(仏法)に依りて人に依らざれ」と。「私を崇拝するな。法によって生きよ」と。親鸞も、「弟子の一人ももたず」と言った。麻原彰晃という教祖(人間)を絶対視したところから、彼らは過った。法を求めさせてあげたい。道を求めさせてあげたい。
 既成の教団は、オウムの若者に道を示しえなかったことを猛省すべきだ。渇くように道を求めた彼ら。純粋な魂の持ち主が、単なる犯罪者として断罪された。既成の教団は腸(はらわた)を動かされなくてはならない。彼ら一人ひとりに、既成教団の鈍感を詫びねばならない。彼らを誰一人として救い得なかったことを、詫びねばならない。


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