門を開けるなら わたしは 中にはいり あなたとともに住む 〈来栖の独白2018.2.16〉

2018-02-16 | 日録

〈来栖の独白 2018.2.16 Fri〉
 野菜を削っていて、不注意で右小指を切って(2月5日)から、二週間になろうとしている。
 包帯を巻いているため小指が太く、この二週間ほど、ピアノが弾けなかった。今も、その状態に変わりはないが、本日は心が萎えてたまらず、ピアノを弾いて聖歌を口ずさんだ。心萎えたのは、母が1年ほど前に亡くなったこと、愛猫くろのすけが亡くなって4ヵ月になること・・・母とくろのすけの死が、私には今頃になってもまだ堪える。私の裡から、何か張りのようなものが失われていったようだ。頑張る気力が無くなり、何もかも面倒臭い。
 不自由な手ながら、二週間ぶりでピアノを弾き、聖歌を口ずさむと涙がこぼれた。イエスは、云う。“ わたしは 中にはいり あなたとともにすむ ”と。私は、イエスが好きだ。そのイエスが言う。

典礼聖歌411番 「わたしは門の外に立ち」
1 わたしは門の外に立ち とびらを たたいている もし声をきいて 門を開けるなら わたしは 中にはいり あなたとともにすむ
2 とびらの外には キリスト 心を開いて 神のことばと 愛とを 受けよう キリストは 今も たたく こころの とびらを

 そして、カトリック聖歌。
 “ 主に 賜わりては 主に 召さるるぞ  こよなき 御恵み おもうも なみだ 
 泣いてしまった。「主に賜り、主に召された」のではないか。しっかりせい、と自分に言い聞かせる。

カトリック聖歌445番「世を去る友」
1 世を去る 友をば かえりみたまえ 死こそは 神への 門出(かどで)なりせば 
2 愛の みあるじよ かなしき わかれ  み旨と あおぎて 忍びて あらなん 
主に 賜わりては 主に 召さるるぞ  此上(こよ)なき 御恵み(みめぐみ) おもうも なみだ 
4 とうとき 御陰(みかげ)を たのみまつりて 逝きにし 霊(たま)をぞ 御手(みて)に ゆだねる

 公園へ行った。昨日、今日と、琵琶ちゃんがあまり食べない。考えてみれば、琵琶ちゃんとの付き合いも、5年ほどにもなるだろうか。琵琶も、もう高齢猫の部類に入るのか・・・。くろのすけも、どんどん食べなくなって、死んだ。
 帰路、猫繋がりの仲間に会った。琵琶のことを話すと、「そうだね。一期一会かな」と。
 そうか、一期一会、会者定離か・・・。
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5羽の雀は2アサリオンで売られているではないか 栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった 「カトリック聖歌171」 2017.10.25
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