5羽の雀は2アサリオンで売られているではないか 栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった 「カトリック聖歌171」 2017.10.25
〈来栖の独白2017.10.25〉
思い煩うことの多い、至らぬ私の日常。昨日はくろのすけが亡くなって1週間。心の沈むに任せ、ビデオを視た。『奇跡の丘』。ドラマというより、聖句を、イエスを演じる俳優に次々語らせる設定。その多くは(みことばの中でも)私の好きなもの。「5羽のすずめ」もそうだし「野の花」も。「野の花」をソロモンを引き合いにするところなど、最高度の美意識ではないか。「からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな」も。
そう・・・、私は、このように生きてきた。聖書に寄り頼み、生きてきた。とても殉教などできぬであろう私だが、聖書という一巻が無ければ、私の人生は全く違うものになっていただろう。イエスを「知らない」と否んだペテロも、後に殉教したペテロも、同一人物だ。
近年は、旧約を好んで読んでいる私。しかし、こうして(ビデオで)聴いていると、イエスの魅力に摑まれてしまう。膨大な旧約を集大成したのだから、やはりイエスは、ただ者ではないだろう。ま、あれだけ口を荒らせば(笑)、極刑(磔刑)は免れ得ないか。ゲッセマネでイエスは3度、祈る。1度目は「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈るが、2度目、3度目は「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」と。私の興味がそそられるのは、イエスという「存在」、そして「孤独」である。どれほどの孤独であったことだろう。ただ者ではない。
ルカ12章
4 そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。
5 恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。
6 五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。
7 その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。
マタイ6章
24 だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
25 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
マタイ26章
20 夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。
21 そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
22 弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。
23 イエスは答えて言われた、「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。
24 たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。
30 彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。
31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。
32 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。
33 するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。
34 イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう」。
35 ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。
36 それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。
37 そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。
38 そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
39 そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
40 それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。
41 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。
42 また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。
43 またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。
44 それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。
45 それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。
46 立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。
47 そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。また祭司長、民の長老たちから送られた大ぜいの群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。
69 ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。
70 するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。
71 そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。
72 そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。
73 しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。
74 彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。
75 ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。
〈来栖の独白〉追記
「奇跡の丘」には、マタイ受難曲も流れる。曲の崇高であることが、身に沁みる。そのマタイ受難曲のメロディを1部分拝借しているのが、カトリック聖歌 #171である。歌詞は全く別物になっているが。
【いばらのかむり】#171
1 いばらのかむり おしかぶされ
きびしき鞭に はだは裂かれ
血しおながるる 主のみすがた
いたましきさま たれのためぞ
2 きのうにかわる 主を取りまき
ののしりさけぶ にくむ群れを
つねに変わらぬ いつくしみの
まなざしそそぎ ゆるしたもう
3 世のひとびとの 罪に代わり
十字架になう み苦しみよ
かぎりも知らぬ 愛のみわざ
しのびてわが身 献げまつる
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◇ 『奇跡の丘』 「マタイによる福音書」を題材にした作品 NHK BSプレミアム 2017/9/16 前0:15~
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