中日春秋
2009年7月8日
庭に植えた花の苗が枯れる。一本だけなら、たまたま、ぐらいにしか考えないが、何本も繰り返し枯れるとなると話は別だ。例えば、土壌の問題を疑う気持ちが芽生える
▼大阪市のパチンコ店が放火され、四人が死亡、十九人が重軽傷を負った事件で近所の四十一歳の男が放火や殺人などの疑いで逮捕された。警察によると、男は「仕事もお金もなく、人生に嫌気がさした。通り魔のように誰でもいいから殺したかった」と供述したという
▼寒けのする既視感だ。東京・秋葉原で七人が殺された通り魔事件、茨城県土浦市で九人が殺傷された事件、大阪市の個室ビデオ店で十六人が死亡した放火事件…。逮捕後の容疑者の供述は驚くほど似通っている
▼もう「誰でもよかった」の言葉さえ耳新しくない。「世の中が」「生きるのが」「人生が」嫌になったと異口同音に言っていたことを考えれば、身勝手極まりない、いわば、自殺の「代替行為」としての無差別殺人ではないかとさえ思えてくる
▼繰り返される惨劇に暗然となって“土壌”を探ってみる。まず露出するのは年間自殺者三万人という日本の酷薄な現実だ。さらに下に、一体どんなものが埋まっているのか。評論家の故加藤周一さんが、秋葉原事件についてテレビで語っていた言葉を思いだす
▼「天から降ったような気はしない。やはり、地の下からの爆発だと思う」