【追悼】樹木希林さん 河瀬直美監督「才能の裏にたゆまぬ努力」2018.9.19

2018-09-19 | Life 死と隣合わせ

 産経ニュース 2018.9.19 08:00更新
【追悼】樹木希林さん 河瀬直美監督「才能の裏にたゆまぬ努力」

  
  主演した「あん」で、孫の内田伽羅(きゃら)さん(右)と共演する樹木希林さん (c)2015映画『あん』製作委員会
 16日、私は電話で樹木希林さんの訃報を知らされました。来るべき時がついに来た、と思いました。
 希林さんとは、今年に入ってから何度も電話でやりとりがありました。私が「見舞いに行きたい」と言うと、「あなたが来ると魂を吸い取られるのよ」「今来ても、私は外出するから」って相変わらずの毒舌で…。弱った姿を私に見せたくなかったのかもしれません。
 演技の天才だとよく言われていますが、実際はすさまじい努力を積み重ねている方でした。
 初めて出演していただいたのは、私の監督作「朱花(はねづ)の月」(平成23年)です。15年に香港で開催された映画祭で初めてお会いして、その裏表のない人柄にほれ込んでしまい、「ぜひ出演してほしい」と電話をかけたのです。
 仕事をともにして、舞台、テレビ番組、映画…と、希林さんがなぜ時代を経ても世界から評価され続けるのかが分かりました。陰の大変な努力を決して人に見せない。
 思い出すのは、希林さんに主役の元ハンセン病患者を演じてもらった「あん」(27年)のときのことです。私は希林さんに、役作りのために東京都東村山市のハンセン病療養所に通ってもらい、元患者の方と交流を深めていただいた。でも、希林さんはそれでは不十分だと考えた。それで、ドリアン助川さんの原作小説にも登場する鹿児島県の療養所に足を運び、関係者に取材し、役作りに臨んでいたのです。役作りの際に見せる行動力はすごかったですね。
 演技でみせる直感もよかった。撮影のとき、持病のぜんそくがひどく、いつも撮影直前まで横になっていました。でも、本番ではそんな様子をみじんも見せない。激しくせき込んでも、「風邪気味なのよね」とアドリブで乗り切り、そこから自らの体調と照らし合わせてエピソードを作っていく。監督に言われたまま役を演じきる職人というより、監督としての目を持っていた。共演の永瀬正敏君も「(希林さんは)怪物だ。まったくかなわない」と、とても尊敬していましたね。
 病気が重くなってからも、強い意志を持ってらっしゃった。「光」(29年)のときは、体調がかなりつらそうな様子でしたが、ナレーター役を引き受けてくれた。「やれることはやりたい」という思いが伝わってきました。
 私の心の中で、希林さんは永遠の存在になった。ご健在ならば、きっと成し遂げたであろうことを私が引き継いで…なんていうと彼女に怒られそうだけど、(いろいろな局面で)希林さんならばどうするか-と思う自分がいる。それこそが宝物となった気がします。(談)
*女優の樹木希林さんは15日、死去した。75歳だった。
*母であり姉であり親友でも
 樹木希林さんが亡くなるまでの約1カ月間、間近で接してきた女優、浅田美代子さんの話「仕事で忙しくしていると気力が出て元気になるから、すごくいいとおっしゃっていた。あちらでも(既に逝った)たくさんの知り合いから声を掛けられて『ああもう、こっちに来ても忙しいのね』と言っている気がします。(私にとって)母であり、姉であり、親友でもあった」
 
 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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『ツナグ』という映画で、ホイヴェルス神父の「最上のわざ」が、紹介されているらしい
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奥西死刑囚は3つの“村社会”を守るための生贄にされた 名張毒ぶどう酒事件の闇に迫る再現ドラマ『約束』

  

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