派遣甘んじて…失職 改革ブームに踊らされ

2009-08-02 | 社会
【雇用崩壊】
中日新聞2009年8月2日
 食いつないできた1日5000円の失業保険はあと10日ほどで切れる。
 失業者が仮住まいする名古屋市近郊の公営住宅。今年1月、派遣切りにあった男性(43)はアパートの家賃が払えず、3月に越してきた。フィリピン人の妻(31)と娘(3つ)をフィリピンに帰し、家族とは離ればなれに。
 愛知県春日井市のセラミック工場で働いていた。「減産に伴い、人員の減少を実施せざるを得ない…」。年末に派遣会社から受け取った「業務終了のお知らせ」。2年勤めたのに紙切れ1枚だけだった。
 愛知県に移り住んだのは28歳。故郷の北海道に好条件の職はなく、トヨタや三菱の関連工場を渡り歩いた。当時は自動車が増産に次ぐ増産で、給料は正社員に負けないくらい。
 職場の同僚らと飲み歩き、その日暮らしの生活を送っていた2001年。政界では自民党の小泉純一郎(67)が首相に就いた。
 「改革なくして成長なし」と叫ぶ小泉をテレビでちらっと見た。「すごい人気だなあ」。それだけ。でも、経済は上向くし、求人誌をめくれば仕事はいくらでもあった。「正社員でなくても暮らしていけるんだ」。先行きの不安は小泉の絶叫にかき消された。
 郵政選挙で小泉ブームが絶頂期を迎えた4年前、妻と結婚。翌年娘が生まれ「ぜいたくさえしなければ、親子3人食っていける」。そう信じたが、浮かれた時代に踊らされていただけかもしれない。「でも、彼を選んだのは国民なんだから」。無念そうに唇をかみしめた。
 男性の相談に乗っている労組「名古屋北部青年ユニオン」(名古屋市)によると、40代以上の再就職は厳しく、家族ともども生活できない場合もある。雇用は一段と悪化し、スタッフの石田進(36)は「政治に無関心だった若者からの問い合わせも目立つ」と話す。
 小学2年の息子と暮らす名古屋市内のシングルマザー(27)もそう。今年1月、工場派遣の仕事を失った。失業後は貯金が底を尽き、財布に1000円札1枚しかない日も。生活保護でひと息つけたが「育児と仕事を両立できる職は、なかなか見つからない」と漏らす。
 最近は選挙ニュースにもつい目がいく。今度の選挙で初めて一票を投じようと思う。今月半ばで契約を打ち切られる長野県の派遣女性(26)も「政権が代わると、自分の生活はどうなっていくのか」と真剣に考えている。
 列島を襲う雇用不安。格差社会にあえぐ人々に不況のしわ寄せがのしかかる。ようやく行われる総選挙を前に、生活の底上げを望む切実な声はかつてないほど高まっている。(敬称略)
 【製造業の派遣解禁】2009年度の経済財政白書によると、派遣などの非正規社員は約1700万人。労働者3人のうち1人で、大半は年収300万円未満。小泉政権下の04年に製造業の派遣が解禁され、急増した。与野党は独自の労働者派遣法の改正案を提出したが、7月21日の衆院解散でいずれも廃案となり、抜本的な改善は実現していない。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。