教誨師 大杉漣…その声を聴き続けた彼こそ、日本映画の教誨師ではないか

2018-10-05 | 文化 思索

<大波小波> 日本映画の教誨師 
2018/10/4 夕刊
 教誨師(きょうかいし)とは刑務所や少年院などを訪れ、面接や礼拝を行う宗教家のことで、大概は僧侶や司祭、牧師がボランティアで行う。『教誨師』(今月六日より有楽町スバル座などで公開)はこの特殊な任務に携わる牧師を描いたフィルムである。制作と主演は大杉漣(れん)。
 教誨師はさまざまな死刑囚と面談する。次々と妄想を語る中年女性。人のいいホーレスの老人。頑なに対話を拒む中年男性。殺人に後悔も罪悪感もない青年。対話はときに成立しないが、主人公はあきらめない。死刑が執行される直前まで彼らの傍らにいて、その話に耳を傾ける。それは彼が少年時代に深い傷を背負ったからだ。人を癒やすことができるのは自分も深く傷ついた者だけだという真理が、この作品の根底にはある。大杉は作品の完成を見ずして急逝。結果的に最後の主演作となった。
 何が人を映画制作に向かわせるのか。スコセッシによれば、映画監督は宣教師に近いらしい。彼は危険を冒して布教する宣教師のあり方に共感して、遠藤周作の『沈黙』を映画化した。大杉の身振りはスコセッシに比べればはるかに寡黙である。だが400本のフィルムの傍らに立ち、その声を聴き続けた彼こそ、まさに日本映画の教誨師ではないか。(徹)

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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大杉漣さん 最後の主演作「教誨師」 初のプロデュース
2018年10月4日 朝刊
 二月に六十六歳で他界した名優、大杉漣(れん)さん最後の主演映画「教誨師(きょうかいし)」が六日から公開される。大杉さんは、死刑囚と丁寧に対話し心を支えようと奮闘するプロテスタントの教誨師という難役を演じきった。佐向大監督(46)は「大杉さんは俳優陣の個性を受け止め、素晴らしい演技を引き出してくれた」と振り返る。 (酒井健)
 作品は大杉さんの最初で最後のプロデュース作。長編は三作目の佐向監督が十年来親交のある大杉さんに「教誨師」の構想を持ち込んだところ「こういう骨太な映画は必要だ」と賛同。エグゼクティブプロデューサーを引き受けてくれたという。「キャスティングも含め、企画段階から一緒に作った。資金も提供してくれた」と明かす。
 半年前にボランティアで教誨師を始めたばかりの牧師の佐伯保(大杉さん)が月に二回、拘置所で死刑囚と個別に面会し、犯した罪を悔い改めさせる物語。六人の死刑囚の話に静かに耳を傾け、時に同情し時に困惑しながら、改心への説得を続ける。
 佐向監督はこの六人を「ずるさや優しさ、人の良さ。基本的に自分たちと同じ人間として描いた。『関係ない悪い奴』の話と見てほしくはなかった」と話す。
 作品は拘置所の教誨室でのやりとりがほとんどで、せりふが非常に多い構成だ。等身大の人間として向き合う佐伯に「主役だけど聞き役。演じる人は大杉さんしかなかった」と佐向監督に迷いはなかった。
 撮影中はプライベートな話や冗談などで周囲をリラックスさせようと努めていたという。しかし、演じ始めると「(対話する)死刑囚が代わるごとに、表情も演技も全部違って見えた。役柄や俳優の性格を、ものすごく観察していて、相手に合わせていく」と舌を巻く。「主役じゃなくても、どんな映画でも、なじんでそこにいる」と大杉さんの演技の妙味を語る。
 「現場に限らず、丁寧に話を聞いてくれる方だった」と、早すぎる死を悼む佐向監督。「これからも映画を作る時は『大杉さんと撮っている』という思いを持ち続けたい」
<教誨師> 刑務所などで、受刑者らの希望に応じて宗教活動を行う牧師や僧侶などのボランティア。それぞれの教義に基づいて道徳や倫理を説き、講話や洗礼などを行う。法務省の統計では、日本では2016年末で約2000人。仏教系が66%、キリスト教系が14%、神道系が12%となっている。

 ◎上記事は[東京新聞]からの転載・引用です
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