〈来栖の独白 2019.11.23 Sat〉
本日、名古屋市美術館「カラヴァッジオ展」を観た。先日まで、中野 京子 著『名画と読むイエス・キリストの物語』を熟読していたせいもあって、展示作品のなかでも聖書の逸話に関係する作品が楽しめた。カラヴァッジオには、聖書に関係する作品が多い。
《法悦のマグダラのマリア》などは、実に深い共感をもって鑑賞することができた。
カラヴァッジオは殺人を犯したそうだ。そんなところから上のような作品も生まれたのだろうか。
いずれにしても、どの作品にも、深い深い味わいがあって、圧倒された。
今日の公園散歩の折、私の脳裏に響いていたのは、
カトリック聖歌177番「おん身はむごき」
おんみはむごき 十字架のうえ
釘打たれます 痛みに耐えて
エワの末なる われらの業(わざ)を
知らでなしたり ゆるしませや
あめなる父に わびたもう
そして、175番「いばらの冠」
いばらの冠 葦(あし)の笏(しゃく)
こぶしと唾の あざけりと
しれものどもの はずかしめ
忍苦のすがた とうとしや
毎日、その日の気分で弾く(選ぶ)カトリック聖歌の曲だけれど、このところは「苦難」の曲が多い。『名画と読むイエス・キリストの物語』を読むようになってから、主の苦難が胸に迫るようになった。
#171 いばらのかむり
いばらのかむり おしかぶされ
きびしき鞭に はだは裂かれ
血しおながるる 主のみすがた
いたましきさま たれのためぞ
#174 カルワリオの
カルワリオの 園のうえ
釘打たれし 救いぬし
いたましや
*中野京子著『名画と読むイエス・キリストの物語』 〈来栖の独白〉私は初めてイエスというお方が解り始めたようだ。