「カラヴァッジオ展」を観た…《法悦のマグダラのマリア》 《ゴリアテの首を持つダヴィデ》 2019.11.23

2019-11-23 | 本/演劇…など

〈来栖の独白 2019.11.23 Sat〉
 本日、名古屋市美術館「カラヴァッジオ展」を観た。先日まで、中野 京子 『名画と読むイエス・キリストの物語』を熟読していたせいもあって、展示作品のなかでも聖書の逸話に関係する作品が楽しめた。カラヴァッジオには、聖書に関係する作品が多い。  
法悦のマグダラのマリアなどは、実に深い共感をもって鑑賞することができた。

  

 

  

 とりわけ感慨深かったのは《ゴリアテの首を持つダヴィデ》。
 敵対していたペリシテ軍の巨人ゴリアテを、一騎打ちで見事に打ち倒したイスラエルの少年ダヴィデ。旧約聖書「サムエル記」に記された英雄譚がこの作品の主題である。ダヴィデが斬り落として間もないゴリアテの首を左手で掴み上げた様子を、カラヴァッジョはあたかも画面の中のダヴィデが、作品を見る者の眼前にゴリアテの首を晒しているかのように描いた。ダヴィデは勝利者として高々と敵の首を掲げるのではなく、まだ血の滴っている生首を苦渋の表情で見つめている。このゴリアテの顔は晩年のカラヴァッジョの自画像であると古くから認められており、カラヴァッジョにこのような自虐的な表現を描かせた動機は、研究者たちによって様々な推測がなされているものの、未だ謎めいている

 カラヴァッジオは殺人を犯したそうだ。そんなところから上のような作品も生まれたのだろうか。
 いずれにしても、どの作品にも、深い深い味わいがあって、圧倒された。

 今日の公園散歩の折、私の脳裏に響いていたのは、
 カトリック聖歌177番「おん身はむごき」
 おんみはむごき 十字架のうえ
 釘打たれます 痛みに耐えて 
 エワの末なる われらの業(わざ)を
 知らでなしたり ゆるしませや
 あめなる父に わびたもう

 そして、175番「いばらの冠」
 いばらの冠 葦(あし)の笏(しゃく)
 こぶしと唾の あざけりと
 しれものどもの はずかしめ
 忍苦のすがた とうとしや

 毎日、その日の気分で弾く(選ぶ)カトリック聖歌の曲だけれど、このところは「苦難」の曲が多い。『名画と読むイエス・キリストの物語』を読むようになってから、主の苦難が胸に迫るようになった。

#171 いばらのかむり
 いばらのかむり おしかぶされ
 きびしき鞭に はだは裂かれ
 血しおながるる 主のみすがた
 いたましきさま たれのためぞ

#174 カルワリオの
 カルワリオの 園のうえ
 釘打たれし 救いぬし
 いたましや


中野京子著『名画と読むイエス・キリストの物語』 〈来栖の独白〉私は初めてイエスというお方が解り始めたようだ。 

  
------------

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。