’10裁判員:耳かき店員ら殺害 極刑適用か、回避か 評議時間延長--あす判決
東京都港区で09年、耳かきエステ店員の江尻美保さん(当時21歳)ら2人を殺害したとして殺人罪などに問われ、裁判員裁判で初めて死刑を求刑された無職、林貢二(こうじ)被告(42)に対する判決が11月1日午後、東京地裁(若園敦雄裁判長)で言い渡される。2人殺害という結果を重視して究極の刑罰を適用するのか、前科がなく反省しているという事情を酌んで極刑を回避するのか。裁判員らは評議時間を延長し、1日午前まで議論を続ける。
起訴状によると、林被告は09年8月3日、江尻さん方に侵入。祖母の鈴木芳江さん(同78歳)をナイフで刺すなどして殺害した後、江尻さんの首を別のナイフで突き刺し、9月7日に死亡させたとされる。被告側は起訴内容を認め争点は情状に絞られている。
最高裁が83年に示した「永山基準」によると(1)事件の性質(2)動機(3)殺害手段の執拗性、残虐性(4)結果の重大性(特に被害者の数)(5)被害感情(6)社会的影響(7)被告の年齢(8)前科(9)事件後の情状--を総合考慮し、刑事責任が重大でやむを得ない場合に死刑が許されるとされている。
論告で検察側は鈴木さんの首をナイフで16回以上刺すなどした執拗さと残虐さを強調。遺族が極刑を求めていることにも触れ「行為と結果を重視すべきで、反省していることや前科がないことは特に酌むべき事情には当たらない」と主張した。
事件当時18歳の元少年が殺人罪などに問われた山口県光市の母子殺害事件の上告審で、永山基準の(1)~(5)を重視し、「年齢が若いことは死刑を回避すべき決定的事情と言えない」と指摘して1、2審の無期懲役を破棄した最高裁判決(06年6月)に沿った形だ。
一方、弁護側は「被告は約1年間にわたり長時間、耳かき店で過ごし、唯一の憩いの場だったのに来店禁止で困惑状態に陥った」などと動機に酌むべき事情があると主張。「被告は深く反省している」と死刑回避を求めた。林被告は死刑求刑にも淡々とした様子だったといい、弁護側関係者は「厳しい求刑は予想していたようだ」と話した。
6人の裁判員と3人の裁判官は26日から4日間評議を行った。11月1日午前11時の予定だった判決言い渡しは午後3時半に延期となり、同日午前も評議を続けるという。9人の意見が一致しない場合は多数決で量刑が決まるが、被告を死刑とするには裁判官1人を含む5人の賛成が必要になる。仮に裁判員6人が死刑を選択しても、裁判官3人が否定した場合は極刑は回避される。【伊藤直孝】毎日新聞 2010年10月31日 東京朝刊
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産経関西 2010年10月31日
「死刑判決 自分なら無理」裁判員経験者シンポ
裁判員制度の運用改善につなげようと大阪弁護士会は30日、大阪市北区の大阪弁護士会館でシンポジウム「経験者が語る~裁判員制度の1年~」を開催、裁判員経験者らが参加して課題などについて語り合った。
経験者3人を交えたパネルディスカッションでは、強盗致傷事件を担当した大阪府吹田市の無職の男性(49)は「執行猶予の上限は5年だが、30年まで引き延ばした方がより再犯防止につながるのでは」と提案した。
殺人未遂事件を審理した同枚方市の自営業の男性(63)は「評議では若い裁判員の方が量刑を重く求める傾向があった。たまたま選ばれた裁判員の年齢によって量刑に差が出るのが妥当なのか、真剣に悩んだ」と吐露したうえで「司法制度を向上させるためには守秘義務の範囲を緩めてもっとオープンに議論する必要がある」と述べた。
また裁判員裁判で初めて死刑が求刑され、11月1日に判決が言い渡される東京地裁の事件について「私なら務められない」との声も上がり、「(裁判員は)二度とやりたくない」とする感想も聞かれた。(「産経関西」2010年10月31日 07:22)
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〈来栖の独白〉
裁判官は最高裁判所の提出する名簿によって政府が任命すると憲法上決まっており、任期や身分保障についても専門の裁判官のみを想定している。抽選的に選ばれた裁判員が裁判の審議、判決に裁判官と同じ資格で関与することは憲法違反ではないか、違憲の疑いがある、と元最高裁判事伊藤正己氏、香川保一氏らは言う。
一方、このような素人に裁かれることの苦痛を漏らす被告人も、いる。佐賀県唐津市の養鶏場で2009年7月に起きた殺人事件で、強盗殺人罪に問われ、佐賀地裁の裁判員裁判で求刑通り無期懲役の判決を受けた住所不定、元養鶏場従業員の小野毅被告(45=福岡高裁に控訴)である。「プロの裁判官のみに裁かれたかった=審理不十分な裁判員裁判」と語っている。以下、ニュース記事より抜粋。
“裁判を終えた小野被告には、「審理は尽くされたのか」との疑問がぬぐえない。複数の裁判員から公判後の会見で、「評議の時間がもう少し長かったら良かった」「評議の間、考える時間が短いと感じた」などと発言があったことに、「審理が不十分で疑問点が未解決なのに、審理時間の短縮こそが目的であったのなら、残念と言わざるを得ない」と手紙につづった。
公判では、被告側が争った罪名について、裁判員から直接の質問があったのは1回だけ。会見で裁判員が、「証言を聞いてすぐの質問では頭が回らなかった」「休憩を挟めば、質問できたかもしれない」と発言したことに、小野被告は「納得がいく審理ができないと感じたのなら、途中でも裁判員を辞退すべきで、そのために補充裁判員がいるのではないか」と疑問を示した。
「裁判員は国民の義務との意見があるみたいだが、人が人を裁く責任も生じている。時間的、精神的問題で不十分と感じるなら、判決を下すことは必ずしも義務ではない。責任を放棄しては義務を果たしたことにはならない」とした。
小野被告は、審理日程の短縮を目的に、裁判員裁判の導入を機に始まった、公判前に争点を絞るやり方にも不満を持ったという。「(養鶏場であった別の盗難事件について)異常な状態が事件の背景にあったことなど被害者が不利になる事柄まで、公判前整理手続きの名の下に除外されたという見方もできる。今までの裁判ではあり得なかったことではないか」との感想を話した。また、「プロの資質を備えた裁判官のみに裁かれたかったという思いはあります」とも語った。”
これらの論説や記事を見るにつけ、裁判員制度の危うさを感じないではいられない。命を値踏みしなければならないような(死刑が求刑された)事案は、裁判員にとって荷が重過ぎそうだし、被告人にとっては、何ら権能を有しない人からの宣告には、承服し難い思いが残るに違いない。
「危うさ」には、種々あると思う。
「司法制度改革の中核は、被害者参加制度である」と、安田好弘弁護士は言う。被害者が法廷で陳述するようになった。このことによって、法廷が、感情横溢する場となった。被害者・遺族が訴える切なる思いの前に客観的に判断する冷静さを維持できる裁判員が、どれだけいるだろう、と考えてしまう。公判前整理手続きにより、被告人の身上経歴など事件の深層にまで追及、審理される時間は極端に少なくなり、結果のみがクローズアップされがちとなった。被害者陳述は、その象徴的なものであり、「無惨なビデオ映像を前に、目を背ける裁判員」という報道も、よく耳にする。
安田弁護士は、「〔両親が極刑訴え〕 感情ほど強烈なものはない. 私的化された死刑の中の被害者感情」のなかで次のように言う。
“皆さん方は、これまで死刑事件にかかわってこられておわかりと思いますが、事件を起こした人というのは、その起こした瞬間から、すでに自分の命を捨てています。1日も早く処刑されてこの世から消えることを彼自身は願っている。そういう中で、弁護人が一生懸命彼を励まし、一つ一つ事実について検証していこう、検察官が出してくる証拠について確認していこうよと呼びかけても、被告人からは「とにかく裁判を早く終わらせてくれ」と求められるわけです。そういうことを新しい法律が見越して、被告人がそういう状態にいる間に裁判を終わらせてしまおうというのが、この新しい法律の狙いです。ですから大道寺さんたちをはじめ、私たちが今まで死刑事件でたたかってきたことは、この裁判員制度の導入ということですべて禁止されてしまい「違法な行為」ということにされてしまったわけです。
「裁判員制度」の導入は徴兵制と同じ
裁判員制度の導入によって、裁判に抵抗することは完全に不可能となりました。さらにこれに被害者の刑事手続参加が新しく法律化されようとしています。被害者遺族が検察官と同じ席に座って被告人や情状証人に直接尋問し、検察官とは別に求刑をすることが認められようとしています。検察官が無期懲役を求刑しても、それでは軽すぎる、被告人を殺してくれと、死刑を求めることができるというのです。そういう中で裁判はどうなるのかといえば、情状証人として出てくれる人もいなくなるでしょうし、被告人は、被害者からの尋問を避けるために、終始沈黙せざるを得なくなるわけです。被告人から弁明の機会を奪う、情状証人に援助してもらう機会を奪う、つまり、法廷は、被害者の復讐の場に純化されてしまうのです。
すでに言いましたとおり、裁判は、公判前整理手続や新たな国選弁護人制度の下で完全に争う場面そのものが剥ぎ取られた上で公判が始まります。判決は市井の裁判員6名と裁判官3名の9名の多数決によって決められるので、当然社会の世論がそのまま裁判に反映されることになります。有罪無罪から始まって死刑か無期かに至るまで、多数決、つまり今の世の中にあふれている感覚がそのまま法廷で判決という形で実現されるということです。今の世の中では8割近い人が死刑を容認しています。マスコミの事件報道の氾濫により、殆どの人が治安が悪化していると思い込んでいます。さらに多くの人が犯罪を抑止するためには厳罰が必要だと確信しています。そういうものがそのまま法廷に登場するわけです。それだけでなく、被害者の訴訟参加によって被害者の憎しみと悲しみと怒りがそのまま法廷を支配するのです。法廷が煽情化しないはずがありません。感情ほど強烈なものはありません。感情に対しては反対尋問も成立しません。感情は理性を凌駕します。まさに法廷はリンチの場と化すのです。”
私が強く危惧する裁判員参加・被害者参加裁判の問題点は、被告人のこともさることながら、裁判員の将来である。
1966年6月、静岡県清水市(現静岡市)で味噌会社の専務一家4人が刺殺体で発見されるという事件が起きた。従業員の袴田巌さんが逮捕された。この事件の一審静岡地裁の裁判官で有罪の判決を書いた熊本典道さんは、「無罪の心証があった」と告白し、現在、袴田氏の救済に人生を投げ打っている。心にわだかまりを抱いて、歩まれた重い人生だった。
裁判員裁判の場合、どうだろう。死刑が求刑され峻烈な被害者感情に押される形で、永山基準を逸脱して、死刑を選択した場合の裁判員の将来はどうだろう。永山基準は、言う。「死刑は生命そのものを永遠に奪う冷厳な極刑で、究極の刑罰であることにかんがみると、その適用が慎重におこなわれなければならない」と。その深い憂慮の下に「極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される」として提示した「基準」であった。
人は変わる。とりわけ「感情」は移ろい易い。この世に、不変なものが果たして一つでもあるだろうか。世に言う「無常」とは、そのことを指しているのではないか。
もしも、裁判員の一人でも、後になって「あの被告人に死刑を選択した」ことを後悔するとしたら・・・。取り返しはつかないのである。その後悔、傷を、一生背負っていかねばならない。それは、職業裁判官でない一市民には、重すぎるくびきである。このようなことを国は国民に押し付けていいものだろうか。
死刑を取り巻く情報が国民に全くといって知らされていないことも、裁判員が判断する上で大きな障壁となる。およそ死刑とは何かも知らないで、確信ある判断は下しようがないのではないか。この夏、千葉元法相は、死刑廃止論者でありながら、苦悩の末に死刑執行命令書に判を押した。死刑囚の命を差し出すことで、法務官僚と一つの取引がなされた。処刑場の公開である。もとより不十分な公開に終わったけれど、これまでの法務行政を振り返るなら、画期的なことであった。
最後に余談になるが、この10月から放映開始となった死刑囚と刑務官を描いた某テレビドラマ。処刑に臨む死刑囚の姿を、前手錠で映していた。収監されている行政施設が特定されていないが、もし名古屋拘置所であるなら、この姿は事実と異なる。名古屋拘置所に於ける処刑は、後ろ手錠(※)であるから。このように、現実と違っているために、首を傾げる情景は何箇所かあった。ドラマでは、病人でもない死刑囚が横になっていた。が、(名古屋拘置所の場合)死刑囚は、房内では正座か安座と決められている。横になるには、然るべく許可を要す。正座、安座の位置も、厳しく定められている。このドラマで私が抱いた不満は、「死刑囚は処刑までは自由に過ごせるのだな」との安易な感想を観る者に与えるのでは、という危惧であった。情緒的に描かれているのも、不快であった。ことほど左様に、「死刑」は、我々から隔たって、遠い。
※私は「後ろ手錠」に拘らないわけにいかない。前手錠と違って、後ろ手錠が「犯罪者」の姿であると感じるからだ(勝田清孝が銀行の地下駐車場で逮捕され、引き起こされたときの姿は後ろ手錠であった)。
迂闊な私は、勝田清孝の受刑の知らせを受け暫くは(教誨師から知らされるまで)、前手錠で執行されたと思い込んでいた。坂口弘死刑囚の“後ろ手に 手錠をされて 執行を される屈辱が たまらなく嫌だ”(1996年4月発行『しるし』)との歌を読んでいながら。
少年院送致となった少年事件以降、清孝は犯罪者の烙印を背負って生きた。113号事件により逮捕の直後からは「真人間」になろうと決意して、自ら7人殺害の大罪を自供した。私にも「今の俺は、お世辞も言いません。お世辞も、嘘やと思うから。嘘は、金輪際つきません」と言った。人間になりたかった。人間に立ち返った清孝である、と私は確信している。その人になお、官は後ろ手錠をかけた。死刑をしくじらずに成し遂げるためには、前手錠では万全でなかったのだろうが、最後の姿としては、酷くて辛い。人間の尊厳を犯すようで、受忍しがたい。
◆刑場〈厳粛な場〉と死刑執行の姿〈後ろ手錠〉
◆千葉法相、死刑執行命令書の威力.
◆死刑とは何か~刑場の周縁から
◆正義のかたち「重い選択・日米の現場から」「死刑・日米家族の選択」「裁判官の告白」
東京都港区で09年、耳かきエステ店員の江尻美保さん(当時21歳)ら2人を殺害したとして殺人罪などに問われ、裁判員裁判で初めて死刑を求刑された無職、林貢二(こうじ)被告(42)に対する判決が11月1日午後、東京地裁(若園敦雄裁判長)で言い渡される。2人殺害という結果を重視して究極の刑罰を適用するのか、前科がなく反省しているという事情を酌んで極刑を回避するのか。裁判員らは評議時間を延長し、1日午前まで議論を続ける。
起訴状によると、林被告は09年8月3日、江尻さん方に侵入。祖母の鈴木芳江さん(同78歳)をナイフで刺すなどして殺害した後、江尻さんの首を別のナイフで突き刺し、9月7日に死亡させたとされる。被告側は起訴内容を認め争点は情状に絞られている。
最高裁が83年に示した「永山基準」によると(1)事件の性質(2)動機(3)殺害手段の執拗性、残虐性(4)結果の重大性(特に被害者の数)(5)被害感情(6)社会的影響(7)被告の年齢(8)前科(9)事件後の情状--を総合考慮し、刑事責任が重大でやむを得ない場合に死刑が許されるとされている。
論告で検察側は鈴木さんの首をナイフで16回以上刺すなどした執拗さと残虐さを強調。遺族が極刑を求めていることにも触れ「行為と結果を重視すべきで、反省していることや前科がないことは特に酌むべき事情には当たらない」と主張した。
事件当時18歳の元少年が殺人罪などに問われた山口県光市の母子殺害事件の上告審で、永山基準の(1)~(5)を重視し、「年齢が若いことは死刑を回避すべき決定的事情と言えない」と指摘して1、2審の無期懲役を破棄した最高裁判決(06年6月)に沿った形だ。
一方、弁護側は「被告は約1年間にわたり長時間、耳かき店で過ごし、唯一の憩いの場だったのに来店禁止で困惑状態に陥った」などと動機に酌むべき事情があると主張。「被告は深く反省している」と死刑回避を求めた。林被告は死刑求刑にも淡々とした様子だったといい、弁護側関係者は「厳しい求刑は予想していたようだ」と話した。
6人の裁判員と3人の裁判官は26日から4日間評議を行った。11月1日午前11時の予定だった判決言い渡しは午後3時半に延期となり、同日午前も評議を続けるという。9人の意見が一致しない場合は多数決で量刑が決まるが、被告を死刑とするには裁判官1人を含む5人の賛成が必要になる。仮に裁判員6人が死刑を選択しても、裁判官3人が否定した場合は極刑は回避される。【伊藤直孝】毎日新聞 2010年10月31日 東京朝刊
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産経関西 2010年10月31日
「死刑判決 自分なら無理」裁判員経験者シンポ
裁判員制度の運用改善につなげようと大阪弁護士会は30日、大阪市北区の大阪弁護士会館でシンポジウム「経験者が語る~裁判員制度の1年~」を開催、裁判員経験者らが参加して課題などについて語り合った。
経験者3人を交えたパネルディスカッションでは、強盗致傷事件を担当した大阪府吹田市の無職の男性(49)は「執行猶予の上限は5年だが、30年まで引き延ばした方がより再犯防止につながるのでは」と提案した。
殺人未遂事件を審理した同枚方市の自営業の男性(63)は「評議では若い裁判員の方が量刑を重く求める傾向があった。たまたま選ばれた裁判員の年齢によって量刑に差が出るのが妥当なのか、真剣に悩んだ」と吐露したうえで「司法制度を向上させるためには守秘義務の範囲を緩めてもっとオープンに議論する必要がある」と述べた。
また裁判員裁判で初めて死刑が求刑され、11月1日に判決が言い渡される東京地裁の事件について「私なら務められない」との声も上がり、「(裁判員は)二度とやりたくない」とする感想も聞かれた。(「産経関西」2010年10月31日 07:22)
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〈来栖の独白〉
裁判官は最高裁判所の提出する名簿によって政府が任命すると憲法上決まっており、任期や身分保障についても専門の裁判官のみを想定している。抽選的に選ばれた裁判員が裁判の審議、判決に裁判官と同じ資格で関与することは憲法違反ではないか、違憲の疑いがある、と元最高裁判事伊藤正己氏、香川保一氏らは言う。
一方、このような素人に裁かれることの苦痛を漏らす被告人も、いる。佐賀県唐津市の養鶏場で2009年7月に起きた殺人事件で、強盗殺人罪に問われ、佐賀地裁の裁判員裁判で求刑通り無期懲役の判決を受けた住所不定、元養鶏場従業員の小野毅被告(45=福岡高裁に控訴)である。「プロの裁判官のみに裁かれたかった=審理不十分な裁判員裁判」と語っている。以下、ニュース記事より抜粋。
“裁判を終えた小野被告には、「審理は尽くされたのか」との疑問がぬぐえない。複数の裁判員から公判後の会見で、「評議の時間がもう少し長かったら良かった」「評議の間、考える時間が短いと感じた」などと発言があったことに、「審理が不十分で疑問点が未解決なのに、審理時間の短縮こそが目的であったのなら、残念と言わざるを得ない」と手紙につづった。
公判では、被告側が争った罪名について、裁判員から直接の質問があったのは1回だけ。会見で裁判員が、「証言を聞いてすぐの質問では頭が回らなかった」「休憩を挟めば、質問できたかもしれない」と発言したことに、小野被告は「納得がいく審理ができないと感じたのなら、途中でも裁判員を辞退すべきで、そのために補充裁判員がいるのではないか」と疑問を示した。
「裁判員は国民の義務との意見があるみたいだが、人が人を裁く責任も生じている。時間的、精神的問題で不十分と感じるなら、判決を下すことは必ずしも義務ではない。責任を放棄しては義務を果たしたことにはならない」とした。
小野被告は、審理日程の短縮を目的に、裁判員裁判の導入を機に始まった、公判前に争点を絞るやり方にも不満を持ったという。「(養鶏場であった別の盗難事件について)異常な状態が事件の背景にあったことなど被害者が不利になる事柄まで、公判前整理手続きの名の下に除外されたという見方もできる。今までの裁判ではあり得なかったことではないか」との感想を話した。また、「プロの資質を備えた裁判官のみに裁かれたかったという思いはあります」とも語った。”
これらの論説や記事を見るにつけ、裁判員制度の危うさを感じないではいられない。命を値踏みしなければならないような(死刑が求刑された)事案は、裁判員にとって荷が重過ぎそうだし、被告人にとっては、何ら権能を有しない人からの宣告には、承服し難い思いが残るに違いない。
「危うさ」には、種々あると思う。
「司法制度改革の中核は、被害者参加制度である」と、安田好弘弁護士は言う。被害者が法廷で陳述するようになった。このことによって、法廷が、感情横溢する場となった。被害者・遺族が訴える切なる思いの前に客観的に判断する冷静さを維持できる裁判員が、どれだけいるだろう、と考えてしまう。公判前整理手続きにより、被告人の身上経歴など事件の深層にまで追及、審理される時間は極端に少なくなり、結果のみがクローズアップされがちとなった。被害者陳述は、その象徴的なものであり、「無惨なビデオ映像を前に、目を背ける裁判員」という報道も、よく耳にする。
安田弁護士は、「〔両親が極刑訴え〕 感情ほど強烈なものはない. 私的化された死刑の中の被害者感情」のなかで次のように言う。
“皆さん方は、これまで死刑事件にかかわってこられておわかりと思いますが、事件を起こした人というのは、その起こした瞬間から、すでに自分の命を捨てています。1日も早く処刑されてこの世から消えることを彼自身は願っている。そういう中で、弁護人が一生懸命彼を励まし、一つ一つ事実について検証していこう、検察官が出してくる証拠について確認していこうよと呼びかけても、被告人からは「とにかく裁判を早く終わらせてくれ」と求められるわけです。そういうことを新しい法律が見越して、被告人がそういう状態にいる間に裁判を終わらせてしまおうというのが、この新しい法律の狙いです。ですから大道寺さんたちをはじめ、私たちが今まで死刑事件でたたかってきたことは、この裁判員制度の導入ということですべて禁止されてしまい「違法な行為」ということにされてしまったわけです。
「裁判員制度」の導入は徴兵制と同じ
裁判員制度の導入によって、裁判に抵抗することは完全に不可能となりました。さらにこれに被害者の刑事手続参加が新しく法律化されようとしています。被害者遺族が検察官と同じ席に座って被告人や情状証人に直接尋問し、検察官とは別に求刑をすることが認められようとしています。検察官が無期懲役を求刑しても、それでは軽すぎる、被告人を殺してくれと、死刑を求めることができるというのです。そういう中で裁判はどうなるのかといえば、情状証人として出てくれる人もいなくなるでしょうし、被告人は、被害者からの尋問を避けるために、終始沈黙せざるを得なくなるわけです。被告人から弁明の機会を奪う、情状証人に援助してもらう機会を奪う、つまり、法廷は、被害者の復讐の場に純化されてしまうのです。
すでに言いましたとおり、裁判は、公判前整理手続や新たな国選弁護人制度の下で完全に争う場面そのものが剥ぎ取られた上で公判が始まります。判決は市井の裁判員6名と裁判官3名の9名の多数決によって決められるので、当然社会の世論がそのまま裁判に反映されることになります。有罪無罪から始まって死刑か無期かに至るまで、多数決、つまり今の世の中にあふれている感覚がそのまま法廷で判決という形で実現されるということです。今の世の中では8割近い人が死刑を容認しています。マスコミの事件報道の氾濫により、殆どの人が治安が悪化していると思い込んでいます。さらに多くの人が犯罪を抑止するためには厳罰が必要だと確信しています。そういうものがそのまま法廷に登場するわけです。それだけでなく、被害者の訴訟参加によって被害者の憎しみと悲しみと怒りがそのまま法廷を支配するのです。法廷が煽情化しないはずがありません。感情ほど強烈なものはありません。感情に対しては反対尋問も成立しません。感情は理性を凌駕します。まさに法廷はリンチの場と化すのです。”
私が強く危惧する裁判員参加・被害者参加裁判の問題点は、被告人のこともさることながら、裁判員の将来である。
1966年6月、静岡県清水市(現静岡市)で味噌会社の専務一家4人が刺殺体で発見されるという事件が起きた。従業員の袴田巌さんが逮捕された。この事件の一審静岡地裁の裁判官で有罪の判決を書いた熊本典道さんは、「無罪の心証があった」と告白し、現在、袴田氏の救済に人生を投げ打っている。心にわだかまりを抱いて、歩まれた重い人生だった。
裁判員裁判の場合、どうだろう。死刑が求刑され峻烈な被害者感情に押される形で、永山基準を逸脱して、死刑を選択した場合の裁判員の将来はどうだろう。永山基準は、言う。「死刑は生命そのものを永遠に奪う冷厳な極刑で、究極の刑罰であることにかんがみると、その適用が慎重におこなわれなければならない」と。その深い憂慮の下に「極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される」として提示した「基準」であった。
人は変わる。とりわけ「感情」は移ろい易い。この世に、不変なものが果たして一つでもあるだろうか。世に言う「無常」とは、そのことを指しているのではないか。
もしも、裁判員の一人でも、後になって「あの被告人に死刑を選択した」ことを後悔するとしたら・・・。取り返しはつかないのである。その後悔、傷を、一生背負っていかねばならない。それは、職業裁判官でない一市民には、重すぎるくびきである。このようなことを国は国民に押し付けていいものだろうか。
死刑を取り巻く情報が国民に全くといって知らされていないことも、裁判員が判断する上で大きな障壁となる。およそ死刑とは何かも知らないで、確信ある判断は下しようがないのではないか。この夏、千葉元法相は、死刑廃止論者でありながら、苦悩の末に死刑執行命令書に判を押した。死刑囚の命を差し出すことで、法務官僚と一つの取引がなされた。処刑場の公開である。もとより不十分な公開に終わったけれど、これまでの法務行政を振り返るなら、画期的なことであった。
最後に余談になるが、この10月から放映開始となった死刑囚と刑務官を描いた某テレビドラマ。処刑に臨む死刑囚の姿を、前手錠で映していた。収監されている行政施設が特定されていないが、もし名古屋拘置所であるなら、この姿は事実と異なる。名古屋拘置所に於ける処刑は、後ろ手錠(※)であるから。このように、現実と違っているために、首を傾げる情景は何箇所かあった。ドラマでは、病人でもない死刑囚が横になっていた。が、(名古屋拘置所の場合)死刑囚は、房内では正座か安座と決められている。横になるには、然るべく許可を要す。正座、安座の位置も、厳しく定められている。このドラマで私が抱いた不満は、「死刑囚は処刑までは自由に過ごせるのだな」との安易な感想を観る者に与えるのでは、という危惧であった。情緒的に描かれているのも、不快であった。ことほど左様に、「死刑」は、我々から隔たって、遠い。
※私は「後ろ手錠」に拘らないわけにいかない。前手錠と違って、後ろ手錠が「犯罪者」の姿であると感じるからだ(勝田清孝が銀行の地下駐車場で逮捕され、引き起こされたときの姿は後ろ手錠であった)。
迂闊な私は、勝田清孝の受刑の知らせを受け暫くは(教誨師から知らされるまで)、前手錠で執行されたと思い込んでいた。坂口弘死刑囚の“後ろ手に 手錠をされて 執行を される屈辱が たまらなく嫌だ”(1996年4月発行『しるし』)との歌を読んでいながら。
少年院送致となった少年事件以降、清孝は犯罪者の烙印を背負って生きた。113号事件により逮捕の直後からは「真人間」になろうと決意して、自ら7人殺害の大罪を自供した。私にも「今の俺は、お世辞も言いません。お世辞も、嘘やと思うから。嘘は、金輪際つきません」と言った。人間になりたかった。人間に立ち返った清孝である、と私は確信している。その人になお、官は後ろ手錠をかけた。死刑をしくじらずに成し遂げるためには、前手錠では万全でなかったのだろうが、最後の姿としては、酷くて辛い。人間の尊厳を犯すようで、受忍しがたい。
◆刑場〈厳粛な場〉と死刑執行の姿〈後ろ手錠〉
◆千葉法相、死刑執行命令書の威力.
◆死刑とは何か~刑場の周縁から
◆正義のかたち「重い選択・日米の現場から」「死刑・日米家族の選択」「裁判官の告白」